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尊厳の起源


3月11日午前1時44分。
わたしの家の犬が亡くなった時刻です。

以前から、といっても去年の暮れごろのことですが、
歩くことが多少困難な様子が見て取れました。
やはり人間と同じなのか、
後肢(人間で言う脚)の衰えがかなり進んでいて、
何もない平地で転びかけたりしてはいました。

しかし、その数日前、ついに自分の力で、
小屋まで歩くことができなくなってしまい、
動物病院にまで連れて行きました。

とはいえ、こちらは引越しの準備があったりして、
あまりタッチできなかったんですけども。

診断によると、ヘルニア・心臓・腎臓・貧血を併発しているとのこと。
貧血はともかく、ヘルニア・心臓・腎臓の方が厄介でした。
どうやら、ヘルニアで神経が圧迫されていて、
うまく肢が動かず、歩くのが難しかったんですね。
しかも、そのために、小便に行く回数が減ってしまい、
我慢をしていたのか膀胱・腎臓の方にも負担がかかっていました。
さらに、ヘルニアというのは、細菌が原因で発症するらしく、
それが心臓にまで達していたということでした。

このあたりの話は、親が病院で聞いてきた話を
わたしが聞いたことをそのまま書いているので、
専門的には、チンプンカンプンですが、
心臓の治療と腎臓の治療がトレードオフ、
つまり心臓を治そうとすると、腎臓に負担がかかり、
腎臓を治そうとすると、心臓に負担がかかる
という具合なんだそうで、
早い話が、お手上げ状態です。

数日後、病院から帰ってくることになりました。
後から考えれば、病院としてはもうどうしようもないから、
「退院」させた、と理解することもできます。
しかし、帰ってくると、
自分で玄関まで歩けるんですよね、普段通りに。
(普段は庭で放し飼いなんですが、
このときは大事を取って玄関に寝かせていました)

その日の夕方、どんなに調子の悪いときでも、
食欲の落ちたことのなかったこの犬が、
いつも食べるたまごを全く食べようとはしないので、
かなり状態がよくないことが分かりました。

しかし、状態が悪化するスピードは
そんな生易しいものではなく、
晩になると、血便・血尿が出はじめ、
もう先が長くないと、いやでも認識させられます。
(薬がきつ過ぎたのかもしれません)

今年の正月明け、その弱り様をみて、
今年いっぱいだろう、と父が言っていたんですが、
こんなに早くこの時期を迎えようとは
思いもよらぬことでした。

そして、12時近くになると、
横になり始め、立っていることも、座っていることも、
できなくなったようでした。
もう、明日までもたないかもしれない…

わたしと母が最期を看取りました。
もう意識がないんでしょう、
息が荒くなり、やがて痙攣が始まります。
そして、動くことを止めました。

安心させられたのは、
今にも起き上がってきそうな感じだったこと。
人間にも言えることですが、
生物である以上、死は避けられない。
そう受け入れるなら、苦しむ時間は短く、
穏やかに幕を降ろしたい、そう思うものでしょう。

長く命がもったために、
薬漬けにされ、全身の毛が抜けて死ぬ犬もいるそうですから、
毛並みも乱れず、寝ているようなその姿は、
まさに「命のよき終焉」でした。

高校に進学した時くらいから、
散歩に連れて行くことはなかったし、
どんな食べ物が好きで、
昨日は何をやり、体重がどうで、
などということは、わたしは熟知していなかったので、
そうさいさい、えさをやることもできなかったし。
最近は、といえば、行動を観察したりくらいしか
してなかったんですよねぇ。

それなのに、こんなときだけ一人前に涙を流しやがって。
そう思えてきて、自分が涙を流していることが
おこがましく思えてきさえしました。

この犬は、昭和62年、岡山の倉敷で誕生しました。
純粋な柴犬で、当初は優響という名がつけられていたようです。
どういう巡り合せか分かりませんが、
ウチの弟が犬を買いたいといったらしく、
飼うことになったわけです。

この犬がいたペットショップでは、
あまりにこの犬が餌を食べるので、
割り引いておきましょう、と店員が行ったくらい、
食欲の旺盛な犬でした。
結果的には、人間と同様、
食欲の旺盛さが何よりの健康の証だった
というわけなんですが。

この14年間、食べすぎで戻したことはあっても、
食欲が落ちたということはありませんでした。
お前は、自分の腹の状態も分からんのかい、
とツッコミの一つも入れたくなることもしばしばで。

うまいメシじゃなく、ドッグフードで済ませば、拗ねることも覚え、
どこかへ行って一日中、ほったらかしだと、文句をいうことも覚え、
知らないおじさんの自転車のタイヤに噛み付いてパンクさせ、
えさを巡って鳩とケンカし、
花壇に侵入しては、こっぴどく叱られ、
大阪城では走りすぎて、肢を怪我し…

まぁ、見る側の人間の勝手な想像で、
親バカならぬ、飼い主バカでしょうけども、
表情というかたちで心境の移り変わりを表せない分、
行動とか、吠え方の違いとか、
そんなところでいろいろな変化を見せる犬でした。

よく母が言うのは、母方の祖母がなくなったときのことです。
葬儀の準備などで、散歩はもちろん、
水を替えたりもしていないし、知らない人が参列しているのに、
全く吠えたという記憶がないんですね。

よくどこか一点を見つめて、
ボーっとしているときがありました。
こいつは何を考えとるんやろう、といつも思っていました。
できれば、それを知りたかった。

動物とコミュニケーションすること。
これもまた人類の夢の一つですが、
記憶が正しければ、ボノボという類人猿が、
いわゆる、ボディランゲージを教わり、
メッセージを発することができた、
というのをテレビで見た記憶があります。
あまり記憶がはっきりしないので、
チンパンジーだったかもしれないんですけど。

そのボノボは、ウサギがとても好きで、
そのウサギが死んだとき、自らことばを発したそうです。
わたしは悲しい、と。

犬には無理な相談かもしれませんが、
実現すると、楽しいだけじゃなく、
いろいろ問題を突きつけられるんだろうなぁ、と思います。
言葉を発し、自我を形成するとしたら、
その社会的地位はどうする、とか。
でも、人間がもっと謙虚になれるかもしれないなぁ、
という気はしますね。

最近、残虐な事件が増えて、「命の尊さ」を教えなくてはならない、
ということはよく言われていることです。
でも、そこで頭に浮かぶのは、命が大事であることは、
だれかが、学校の勉強のように「教えられる」ものなのだろうか、
という根本的な疑問です。

「教える」という言葉遣い一つとっても、
もうすでに、ある種の傲慢さを感じ、
胡散臭さ、偽善性へと結びついてしまいます。

平気で殺戮を犯しうるということは、
生命を尊いものだと、人間が必ずしも考えるわけではない
という何よりのあかしとなります。
このことは、歴史を紐解けば、もっとよく分かります。

言い方を換えると、論理の力で、
生命は尊いものである、と実証することは
不可能であるということです。
それは、生命の尊さは、事実の問題ではなく、
価値の問題だからです。

しかし、人間は少なくとも、自分にとってかけがえがない、
と思える生命に対しては、いとおしく思うことができると思います。
本来ならば、生きとし生けるものにそういった感情を
もたねばならないという人もあるでしょうが、
むしろ、そんな人間だからこそ、成長できるとも言えるでしょう。

なので、命が尊いと思えるためには、
他の人間が、自分と違うルールで動く主体であると認め、
その上で充実した関係性をつくることのできる能力がないと、
この感覚は生じてこないことと思います。

もし、学校や教師、あるいは親が、
生命が尊いものである、というメッセージを伝えようとするなら、
対象が人間であれ、動物であれ、
今、自分にはこんなに充実した関係があって、
こんなに楽しいんだぞ、と。
そういうところを見せることが
なによりのメッセージではないかと思うのですが。

こういう展開になったか。
万物創世記・最終回の影響かなぁ。

2001-3-22


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