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去りゆくものたちへ


現代の日本は、恵まれすぎて心が貧しい、それに比べて
昔は、物がなかったから大切に扱ったものだ、
心は豊かだった、といった類の話はよくある話です。

特に、わたしは、毎朝新聞の投書欄を必ずチェックするのですが、
「物の大切さ」について書こうとしている文章の多くが、
こういった調子のものが多いように、個人的には思います。

しかし、あえて意地悪く考えてみると、
これでは、現代も物を大切にしなくては、
ということにはならないんですよね。

物が豊富でないとされる時代に、
どうして人は、物を大切にしてきたのだろう…
もし、単に物が不足しているという理由で、
大切に扱わざるをえなかったのだとしたら、
物が豊かになれば、モノを大切に扱わなくなっても当たり前、
ということになるでしょ?

現代の主要な問題のひとつ、地球環境問題も
そういう切り口から考えるとちょっと面白くなります。
地球環境問題と一口にいっても、
環境汚染や資源の枯渇など、いろいろあります。

この後者のほう、つまり

「このままだと、資源が枯渇するから資源を大切にしないと」

というのは、やっぱり昔の
「ものが足りないから大切にしようよ」的発想に
戻ろうとしているわけですよね。
ただ、それが地球的規模なわけで、
そのために個々人が、資源が不足している
という自覚がなくて困るわけですね。

でも、あえてツマラナイ思考実験として、
もし、資源が無限であれば、
そして人間は、生物の生活環境の保全に努めていさえすれば、
物を大切にしなくていいのだろうか?
そんなコトを考えるきっかけになった、小さな事件が先日ありまして。

それは、古本屋に立ち寄ったときのこと。
最近多いチェーン店の古本屋というのは、
中古ゲームや中古ビデオショップを兼ねていることが多く、
その店も、2フロアに分かれていて、
一階がゲーム・ビデオ、二階が古本コーナーになっていました。

古本数冊を買って、店を出ると、
来たときには気づかなかった、妙な紙袋を見つけました。
なんとそこには、スーパーファミコン(以下SFC)が。

無視して帰ってもよかったんですが、
やっぱりどこか不自然というか、
放っとけない気分になって、店に引き返し、
店員にそのことを言いました。

そこで、店員曰く、

「それ『ゴミ』ですから。邪魔なんで
 ほしいんだったら、もってってください。」
「あ、うちでは買取りませんからね。」

な、なに? 『ゴミ』、やと!?
そういい残して立ち去る店員を尻目に、
軽い衝撃を受けました。

それを、『ゴミ』と言うか。
冷静に考えれば、店としては買取価格ゼロ、
したがって売りに出せず、処分しかない、
ということはもちろん理解できます。
ただ、『ゴミ』と言うときの、
見下した意識が気にかかったんです。

しかし、わたしも、とある事情で、
SFCを二つ持っているので、
持って帰っても、どうしようもありません。

まぁ、それでも、店の外で「さらし首」
になっているよりましだろうと、
それに50円くらいで売れたら、
それはそれでいいし、と思って、
別の店に下取りに出そうとしました。

本体があまりに「日焼け」しているので、
値段がつかないとのこと。
それであえなく処分、ということになりました。

おそらく、先ほどの店にあのSFCを持ってきた人も、
値段がつかないと言われて、そのまま店に
処分してもらおうとしたのでしょう。

結局、わたしもそのSFCを
活かすことができなかったのですから、
偉そうなことはいえた立場ではないのですが、
同じ物を捨てるにしても、
もう少し気に留めてやれないものだろうか、
と思わずにはいられませんでした。

人間とは勝手なもので、自分が気になるモノに対しては、
『ゴミ』と言われて気分を害するくせに、
包装紙や発泡スチロールなどは、
何の躊躇もなく平気捨てるんですから、厄介なものです。

縁がないと思っている人には、
親しみを覚えることが難しいように、
身の回りの何十万種類とあるモノすべてに
感謝の意をささげることができますか、
と言われても、わたしには無理です。

でも、一時代を背負ったゲーム機の末路としては、
少し寂しい気がしました。
たとえ、そのSFCがリサイクルできたとしても。

こういう感情は、おそらくいつもいつも、
持っていられるものではないのかもしれません。
でも、モノが豊かなときも、そうでないときも、
何かにつけて思い出せたらいいな、と。

そういう気持ちの問題は、
環境問題とか、そういうことには、直接関係ないかもしれません。
そんなことより、経済的インセンティブを持ち出してでも、
環境保全に合うように人々の行動を動かさすことのほうが大事、
と言われるかもしれません。

でも、その奥底に、こういう意識がないと、
またすぐ人間は無駄遣いしてしまいそうな気がします。
少なくとも、お題目の如く、「環境保全、環境保全」というより
ずっと大事なような気がするんですけどねぇ。

2001-2-1


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