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携帯電話に賭ける人々


今、手元に携帯電話があります。
わたしが大学に入ったときは、携帯電話なんて持ってる人のほうが
はるかに少なかったのに、いつの間にか、
かなりの人が持つようになっています。

わたしはあまり電話を頻繁にかけるほうではありませんし、
どこにいても電話がかかってくるかもしれないという気がしていたので、
しばらくは携帯電話を持ちませんでした。
実際はそれほどジャンジャンかかってくる、
というわけではないんですけどね。

日本人をひとまとめにしても、
これだけ持ってる人が多いわけですから、
これを大学生に限るとなれば、
所有率は70-80%ぐらいになるかもしれません。

なにせ、初対面の人と合ったときには必ず
「携帯の番号は?」
といわれますね。
人によっては、携帯電話をもっていないということに
少し肩身の狭さを感じる人もいたようでした。

さて。
今携帯電話は、「ケータイ」と呼ばれるように、
電話の機能しかないのであれば、
ひょっとすると、単に「電話」と言われていたかもしれませんが、
今は携帯電話は電話の機能だけではなく、
インターネットに接続して、
それを利用してメールの送受信ができたり、
iモード用のページを見たり、
さらにはスケジュール管理もができて、
さながら、ちょっと安めで通信に強い電子手帳、
といった感じでしょうか。

さらに、携帯電話はいつも持ち歩くものですから、
電話に表示される時計はよく時間の確認に利用します。
わたしは、携帯電話を持ってから、腕時計をしなくなりました。

こんな事情もあってか、
ビジネス誌などには、パソコンが携帯電話に淘汰される
といった記事が記載されることがよくあります。

モバイルバンキングや着信メロディ・待受画面ダウンロード、
飲食店の情報や占いなどがすぐに思い当たるサービスですが、
「キャラっぱ」のような人気の集まるキャラクターを
待受画面にできるようなサービスは、
特に注目されているものの一つでしょう。

携帯電話にまつわる事業に携わっている意欲的な方は、
携帯電話で一通りのことができるようにしたい、
と意気込んでいるようです。

しかし。
どうも釈然としない。
初めて初代ファミコンに接したときのような、
ハッとすることがない。

あれだけパソコンには、
ものすごい可能性を感じたのに、
携帯電話にはそれがない。

むしろ、人がこれには可能性があるんだと言うから、
もしかしたらそうなのかとは思ってみたものの、
やはり、そうには思えない。
パソコンと携帯電話を同列に考えるべきなのか…
そんなことが頭によぎります。

どこか感じる違和感、それはおそらく
携帯電話には、自分で何かをはじめる余地が
少ないことです。
ま、わたしの場合は、自分で何かをはじめる余地が
いろいろあるほうが好みのようなので、
携帯電話に「おおー」という感覚を持たないのでしょう。

パソコンは、基本的にこちらが何かしないと
何の役にも立たない機械です。
しかし、何かしようと思い始めた瞬間、
自分に合った非常に心強いパートナーになります。

まぁ、メールを始めてみたいだとか、
デジカメで写真を撮って加工したい、
ビデオ編集したい、音楽をMP3で聴きたい、
あるいはWebサイトを開設したいなど、
どのようなことからはじめても、
パソコンに使われるのではなくて、
パソコンを使ったいる人は、
こんな風になってると思います。

自分の使うプログラムが、自分の使いやすいように
配置してあって、自分の作ったファイルが
自分の取り出しやすいところに入っている。
そして、気の合う人とのコミュニケーションを楽しんでいる、
こんな感じですね。

インテリアに凝る人が、自分の部屋をコーディネートしたり、
ラジコンカーに興味のある人が、自分で部品を買ってきて、
自分の思った走りを実現する。
あるいは、ファッションにこだわるといったような場合と、
同じような感覚でしょうか。

それを携帯電話でできるか。
携帯電話の色やデザインを
自分で決められないことはないようですが、
機能的には、固定されています。

早い話が、携帯電話の使い方を
自分色に染め上げることが、
できないということなのですよ。
用意されたiモードのコンテンツを「利用」することで、
そんな心の躍ることができるのか。
今のところ、そんな気はしないのが、本音です。

そんなものをする必要があるのか。
最大公約数的に「とりあえず」必要とされるような
機能が揃っておけば、誰にでも
何がしかの使い道が出てくるだろう、
という考え方は、たぶん正しいのだと思います。

でも。
それは今までの家電ですよね。
そんなんだったら、ちっとも「革命」ではない。
今まで通り、
「こんな新しいことができるよ」
「はいそうですか、じゃそのとおり使います」
という感じです。

ならば、パソコンと携帯電話も含めた「家電」は、
その使い方にくっついているコンセプトが違うわけですから、
おのずとすみわけがなされるように思うのです。

パソコンを使い始めて、
徐々に感じてきた、「あっ!」という感じではないと思います。
わたしがパソコンってすごいと思ったのは、
まず「自分らしさ」ものの見事に現れてしまう点です。

だからといって、
そんなことができない携帯電話はダメというのではなくて、
携帯電話にそのような「育てる楽しさ」
を求めるという方向性が、あさっての方向を向いている、
という気がします。

ただ、携帯電話が家電的にあらかじめ予想される機能に特化する
という形をとるにしても、今の携帯電話の対象年齢が
あまりにも若年層に偏っているような気がします。
パソコンからはじめるのはちょっと敷居が高いけれど、
携帯電話からメールをやってみよう、
という年配の方が仮にいたとしても、ヤル気が失せてしまう
ことになっているのではないか、思われてなりません。

ボタンが小さい、変換が面倒、字が見にくいなど。
携帯電話自体が小さいのも、
この場合あまりいいことではないかもしれません。
ハードの問題がこれだけあれば、
ソフト面が発展する可能性が少ないでしょう。

むしろ、いろいろ詰め込むのではなく、
機能を最小限度にとどめ、そのかわり
ボタンの機能をあまり記憶せずに
操作できるというようなタイプのほうが、
いいかなぁなどと個人的には思います。

とはいえ、これからの高齢化社会を考えるならば、
高齢者の方たちが、自分たちに適したものを、
つくっていこうというバイタリティが必要なのかもしれません。
若い者には、少々実感として沸かない部分もありますからね。

今日はこのへんで。
パソコンとも携帯電話とも仲良くしていきたいものです。

2000-9-21


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