人に好意を持つことを「愛情」とはいっても、
物に好意を持つことを「愛情」とは言いません。
ふつう、「愛着」といいます。
ただ、この「愛着」と言うのは、
物理的に存在していなくても、
どうやら持ってしまうもののようで、
たとえば、自分の属す集団のようなものも対象になります。
自分の生まれた国に対してなら愛国心と呼んだり、
自分の育った土地に対してなら
望郷の念と呼ぶこともあるかもしれません。
ただ、必ずしも自分が属しているからと言って
愛着をもてない場合ももちろんあるわけです。
しかもそれは、多くの場合自分の原因があることが
多いのではないかと思います。
わたしの場合、当初現在通っている大学には
愛着がありませんでした。
というのは、希望の大学がありまして、
ずっとそのことばかりを考えていたのに、
願書を出す直前に変更せざるを得なかったからです。
そこで、自分が納得するまで、
考え抜けばよかったのかもしれませんが、
時間的な余裕がなく、気持ちの整理がつかないまま、
願書を出してしまったわけです。
実際、大学の1年目は、
「吾が身此の地に在れど、心は彼の地に在り」
という状態で、大学に在籍したまま、
再度希望の大学を受験したほどです。
つまり、愛着がもてないという理由は、
情けないことですが、自分で進路を変更したのではなくて、
しぶしぶ妥協したということ、
自分で決めなかったということを
なんとか正当化しようとする、
情けない感情によるものであったような気がします。
俺はここに来たくて来たんじゃないんだ、と。
希望の大学に入学することができず、
この大学のとどまらざるを得ないんだと考えたとき、
思い至ったことの一つとして
希望の大学に対して憧れを持っていたのは、
大学そのものや大学に入ってくる他の人がもっている
ユニークな点に他力本願的に期待していたのではないか、
ということがありました。
もし、そのような他力本願的な考え方を止めるならば、
どの大学に入っても、自分次第で大学にいるということによって
得られる成果は、何とかなるのではないのか、
もしならなかったら、自分はその程度の人間だ
と考えるようになりました。
そんな中、ふと妙なところに愛着があるもんだ
と感じるできごとがありまして、
それがなんとバスに対する愛着なんですね。
しかも、それまでまったく感じたことがなかったのに、
はっ!と気づいたという感じです。
それは、バスの中の吊り広告で、
その地域のバスの運行がはじめられて70年になるという記念に、
走っているバスのミニカーが発売されると言うものでした。
そこでの第一印象が、「欲しい」というものでした。
自分でも確かに、
「なんで、大学生がミニカー欲しがんねん」
という気はしました。
しかし、そこでなぜ欲しくなったのだろうかと考えていくと、
う〜ん、そうかと妙に納得しました。
わたしが通う大学は山手にありまして、
キャンパスまで坂道が続きます。
バスにはたまにしか乗ることはありませんでしたが、
当時は家でメールの送受信をすることができませんでしたから、
授業がなくとも、大学へ行くことが多く、
よくバスが走っているのを見かけました。
その一方で、住んでいる大阪市内にも
もちろんバスはありますが、
市内を走っているバスはなんとも思いません。
つまり、「バス」そのものに愛着を感じた、
というわけではなかったということです。
大学受験が終わってからは、
何をしてよいかわからず、
だからといって、「大学生」という言葉で
連想されるような大学生にもなりたくない。
そんなわけで、大学の図書館で、
興味の赴くまま本を読み進めたり、
大学のPCと家のPCをいじくり回して、
「はぁ、メールってこんなんか」
などといいつつ、
青春18きっぷで一人で旅行してみたりしました。
これだけだとどこに成果かがあるのかわかりませんが、
一言で言えば、自分が何か関与しないことにははじまらないということ、
そして自分というものはどこかの宝箱に入っているのではなくて、
まずほんの数ミリでもいいから自分で動きはじめることで、
他者との関係からそして「自分」を育てていけるんだ、
そんなことをよく考えるようになりました。
あまりにも単純自明なことなんですが。
その意味で、どの大学でも大学時代の成果を
残すことができると考えてきているわけですから、
大学自体にはやはり人並み以上の愛着というのはありませんが、
自分がしてきたことや考えてきたことのプロセスの象徴として、
よく通っていた(今もそうですけど)時に
よく目にした「バス」を見て、
自分はいろいろ変わったなぁとなどと考えつつ、
「バス」に愛着を感じたのかなぁ、
などとしみじみと感じました。
愛着というものは、自分でも気づかないうちに
持ってしまっていることが多いような気がするので、
改めて、愛着がもてるかどうかは
かなりの部分自分の気持ちによるところがあるなぁ、
と実感した次第です。
2000-9-5