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完全主義


またRPGの話でごめんなさい。
いや、それが、今までわたしが持っていたRPGの原則みたいなものを
変わりつつあるなぁという気がしてきたんですよ。

今はさかのぼること10数年、ファミコンの時代の名作として名高い
「ドラゴンクエスト3」のころの話です。
今でこそ、女性でもゲームをする人は珍しくはなくなりましたが、
そのころは「男の子の遊び」という見かたが強かったように思います。

しかし、全くいなかったのではなく、雑誌の投稿などでも、
時折女性の投稿者を見かけたりしたものです。
とある雑誌の投稿に、ある女性のこんな言葉が載っていました。

 男の子はアイテムやクリアの話ばかり。
 女の子はキャラクターやシナリオの話をするのにね。

う〜ん、あのころは確かにそうだったでしょうね。
もっとはっきり言ってしまえば、
男は「強さ」を求め、女は「感動」を求めたといったところでしょうか。

そこで最近の話ですが、
ファイナルファンタジーはどうも、
後者の方に傾いてきてるような気がします。
というのも、最近は、キャラクターを育てても、
圧倒的な強さを得られなくなっています。
(ドラクエの場合は7をやってみないことにはなんとも言えませんが)

以前のファイナルファンタジーは、破天荒なシステム多かったり、
とんでもなく強い武器が隠されていたりして、
集めがいがあったものです。
特に3のオニオングッズ、5や6の「みだれうち」+「にとうりゅう」のアビリティ
が特にわたしは印象に残っていますが。
また特定のモンスターから盗める貴重なアイテムも多くあったと思います。

また、最近ではそんなことを言う人はいなくなったでしょうが、
昔はシナリオのドラクエ、システムのFF
という言葉もあったぐらい、FFはシステムの楽しさが充実していました。

しかし、最近では、連続攻撃系の能力が軒並み消滅し、
9999ダメージもそう簡単には出なくなったようです。
さらに、9ではボスクラスのモンスターから盗んでも
後で、店で売っていることが多く、
がっかりという人もいたのではないでしょうか。

奇遇なことに、9ではサラマンダーなるキャラクターが、
主人公ジタンについて言った言葉、

 しいて言えば、俺はあの考え方に負けたということか…

がすごく印象的でした(言葉じりは少し違うかもしれませんが)。

この言葉がストーリーの核心の握っているというわけではなくて、
サラマンダーの立場から見たこのゲームのテーマの表現といえそうです。
主人公ジタンに出会うことによって、
彼は力だけが追い求めるに値するものではないことを悟ります。

これは、今までの自分のRPGに対する考え方を
変えていくような気がしました。
シナリオを楽しむのは、まぁ普通だとして
それ以外のRPGの楽しさを
キャラクターを強くして、その強さに酔いしれることのではなく、
分からないことを相談したり、ゲームについて話す事こそ楽しいんじゃないか、と。
確かに、今までも話のネタになることは多かったですが、
話題にならなくても、今までは強くしたい
という気持ちが強かったように思います。

インターネットの普及で、
世の中のしくみがヒエラルキー型(階層構造)から
フラットなネットワーク型へ変わってゆくだろうという人がいますが、
RPGの楽しみも、
他者に対する強さを楽しむシステムから、
他者とともに楽しむシステムへというような方向に
変わってくるような気がしました。

モンスターに対する圧倒的な強さを求めるのは、
自分が完全ではないことにはじまる強さと完全性への憧憬の
現われではなかったかと思います。

しかし、その「強さ」の限界が見えてくるにしたがって、
その憧憬の感情に懐かしさを覚えるようになった…のはわたしだけでしょうか?

2000-8-4


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