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匿「顔」性


よくネット上は匿名の世界で、
自分が特定されないと思って人が
変わったようになるといったような話は、
よく耳にされる方も多いのではないでしょうか?

確かにネット上の匿名性というのは、
行動に責任が伴わないという意味で
いいことではありません。
実際、研究者や大学関係者が主に使っていた、
インターネットが一般化する前の段階では、
本名で登場することが常識だったようです。

それが一般化し、いろいろな人がインターネットの世界に
入り込むことによって、そうする習慣が薄れていったのだそうです。

でも、ネット上の匿名性はよくないのかもしれませんが、
(でも、個人情報の保護との兼ね合いが難しいです)
匿「顔」性というのは、案外いいことなのではないか、
思うんですね。

匿顔性というのは今、私が勝手に作った言葉ですが、
つまり顔が見えないということです。
それじゃあ電話と一緒か、ということになるので、
正確には、文字でしかコミュニケーションしないということになります。

なぜ文字情報がいいのか。
それは、話しやすいことと話しにくいこと、
書きにくいことと、書きやすいこと
がそれぞれ違うからです。

面と向かって話せないことでも、
顔が見えない電話なら話せることもあると思います。
また。文章にしたから伝えられるということがあると思います。

一方、「話す」から伝えられることもあります。
要は、「話すこと」と「書くこと」にはそれぞれ
得意な分野と不得意な分野があって、
ダメなところ補うのでしょう。

「話すこと」のなかでもまた細分化されて
「直接」・「電話」に分かれるでしょうし、
「書くこと」も「手紙」「メール」「携帯メール」
に分かれるのだと思います。

ではなぜ、文字情報「だけ」がいいのか。
どんな場合であれ、判断材料が一つしかないと、
そこからいろいろなことを得ようとします。
それにわたしの場合ですと
頻繁に文字情報をやり取りすることが
それまで少なかったものですから、
もっと知りたいと思って、
文章からいろいろ想像します。

ネット上のコミュニケーションにおいて、
その人の「ひととなり」を判断する基準は、
その人の残すメッセージだけです。
こまめにレスを返してくるか、メッセージの文体はどうか、
顔文字の使い方はどうか、気配りはどうか…などなど。
(って、自分はどうかについては全く自信がありませんが…)

でも、わたしには、文字情報しか判断材料がない
という条件に含まれるなかでも、
「顔」が見えないことが、
とても大きいような気がします。
それをさきほどわたしは、
「文字だけのコミュニケーション」とは言わずに
「匿顔性」といったのは、
それを強調したかったからなんですね。
もっとはっきり言えば、
「容姿」による先入観を緩和してくれるのではないか
という期待があるのです。

人間が初対面の人に対してどのような人であるか、
という印象をもつのに一番影響しているのは、
容姿なんじゃないかと思います。

でもこの容姿による判断というのが、
曲者で、かなりコントロールが難しい。
多くの男性にとって
「かわいい」「きれい」
という女性の容姿、身なり、身振りは
かなり判断を狂わせます。
だからこそ、この影響の強さをどうにかしたい
と思っているわけです。

文字情報という別の手段でその人のことを見れば、
もっと公平に見ることが出来るのではないかな、
という希望的観測がどの程度実現されるかは未知数ですが。

しかしもちろん、これは既存の手段を軽視するのではありません。
実際に会ってみたり、話を聞いたりすることももちろん重要です。
でも、それ以外の方法で、しかもその方法だけで
コミュニケートすることは、その人の別の側面が見えてくるようで、
わたしにとってはとても面白いですね。
ただし、ネット上のイメージもまた断片で、
全体じゃないわけですから、先入観とならないよう気をつけてはいますが。

新しい技術がでてくると、今までのはすべてダメで、
これからはみんな新しいもので、といわんばかりの人もいますが、
そういう人には同調できません。
いろいろ手段があるほうが面白いですよ、たぶん。

2000-8-1


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