もうだいぶん前になるんですけど、
個人で着メロのサイトを運営していた方がいらっしゃって
質がよいとの評判が高かった。
私自身も何度かサイトを訪れ、
携帯で着メロをダウンロードしたことがあります。ところが、某E社から警告が出されて、
あえなく7月末で削除することに。
その企業は、自社で着メロをダウンロードさせる
サービスをはじめたからかなという感じもしましたが。その際と管理者の方は、何とか共存を図ろうとしたものの、
無理だったらしいんですね。「違法」なんだと。
はぁ、そうなんですか。
確かに、「違法」なんでしょうね。全くその通り。
ただ、その法律が絶対的に正しいかとなるとそうではない。
どんな法律でも議論の対象になるし、
特に法律の世界は、特に変化の緩慢な世界ものだから、
時代の変化と法律の関係を議論することはとても意味がある。パソコンのOSの世界は、
ネットワークの外部性を使って儲ける、
マイクロソフト型のようなかたちと
リナックスのようなオープンで
みんなが参加して改良できるかたちがあります。リナックスの生みの親となったリーナス・トーバルズさんの考え方がいい。
でもこの考え方って、この人独自のものじゃなくて、
コンピュータが世の中で一般化する前では
当たり前の考え方だったようです。インターネットには欠かせないUNIXというOSは、
リナックスの元になったそうだけど、
これも使う人がいろいろ改良していって
だんだんできてきたOSなんですね。話は、着メロに戻りますが、某E社がサイトの管理者の方に出したメールのなかに
「自分の曲が勝手にアレンジされると我慢ならない」
というフレーズがありました。
どうなんでしょうかね、この姿勢。
自分の作った世界は、絶対に変化させないってことでしょうか。どうなんでしょ。
「勝手に」が問題なのか。
「アレンジ」が問題なのか。
「勝手に」は確かにイヤでしょうね。
原作者もまた、その創造物を中心につながる
コミュニティの一員なんですから。でも「アレンジ」が問題だったら?
なんか、閉鎖的ですよね。そんなことしちゃうと、
もうそこから何も生まれなくなるような気がしてしまうのは、
私だけですかね?私自身はアーティスティックなものは何一つ創れないので、
非常のエラそうなことをいっているんですけど、
創った人は、自分の作った作品が世の中に出ると、
「自分が創った世界」をみんなが共有しているんだ
って思っているんでしょうね。
でも、実際は違うんですねぇ。
共有しているのは、創造された世界に参加したという経験だけであって、
その経験が意味を持つのは、自分で世界を創るきっかけになるからなんですね。そのHPの管理者のもとにも、
E社に対する中傷めいたメールがたくさん届いたようです。
そのHPにきている人は、お金を払わなくてはならないことに
怒りを覚えているのではなく、
せっかくいいコミュニティができているのに壊さないでくれ
ってことなんでしょう。倉木麻衣さんのSecret Of My Heartにこんなフレーズがありますね。
♪〜どんなつくりものも簡単に壊れてしまう日が来る〜♪つくられたモノは、簡単に壊れてなくなってしまいます。
たとえ創造的なアーティストがつくったものであっても、
いつかは壊れる運命にあります。
しかし、創造によってうまれた高度な精神や感動させるエネルギーは、
作者の下を旅立ち、世界と融合していきます。世界はどんなものも変化から免れません。
しかし、それらは壊れてなくなるという変化ではなく、
新しいものを生み出すという大きな変化を起こします。原作者不在は絶対にいけませんが、
原作者も、ユーザも同じレベルで参加し合える場っていうもの
はつくれないものでしょうかね。こんなアレンジ作ったよーって投稿して。
おっ、XXさん、いいねぇ、これ。
どう、これみんなに発表してみない?
このアレンジなんて、着メロにしちゃったら?
よし、それで原作者さんに見せてみよう!…てな感じでね。
世界は閉じたものではなく、開かれたもの。
これって、インターネットやメールがみんなの使える
コミュニケーションツールになりそうだから、
いえることですよね。つくることのできる人は、
つくることができないけど、
それを変化させられることならできる人に、
もうちょっと、親切になってもらえませんでしょうか?単に受動的にお金を要求する「著作権」ではなく、
もっと創造的でオープンな「著作権」にはしてもらえませんでしょうか?
自分の生み出した作品が、他人の手によってに成長するのかを楽しみ、
また自分もちょっと参加するような
自立した成人した子供を見守る「親」
のような原作者になってはいただけませんか?2000-8-1