春人に。
久志に。
そして香織に。
三年の間、思いを共にしてきた仲間たちに別れを告げ、圭はT町へと戻ってきた。
真っ先に亮の墓前へと足を向けた圭は、そこで亮と、そして恭一の面影と向き合った後、僅かな荷物を手にしてその教会を訪れた。
主を失い、ひっそりとした静寂に満ちていると思っていた敷地内から聞こえてくる少年少女たちの声に、開かれた門前で足を止める。
「?」
この教会は亮の所有していた物件で、今では圭にその権利が移譲されている。亮がそうしていたように、子供たちがいつでも集うことが出来るようにと、門を施錠することのないまま身辺整理をしに戻った圭だったが、まさか、本当に彼らがこうして賑やかに集っているとは、実のところ予想の範囲外だった。
先客達を驚かせることのないように静かに門の内側に身を潜らせた圭は、子供たちの様子をそっとうかがってみる。
「これは……トマト」
「こっちはナスじゃない?」
「これは……」
「さっきかぼちゃって言ったじゃん!」
「何、このヘンな葉っぱ! どの本にも載ってねぇよ!」
「そんなはずないよ。探し方、悪いんじゃないの?」
「あぁ?」
「ってゆーか、なんでこれだけプランターなの?」
「知るかよ」
話に夢中になっている彼らは圭の存在に気づかない。
彼らが真剣に口にしているのは、どう考えても野菜の名だ。
一体何をしているのかと、彼らのもとへ近づこうとした圭だったが、聞こえてくる言葉の中に亮の名前を拾い、思わず息を殺して身を潜めてしまった。
「けど、反則だよなぁ、亮兄ィも」
「こんなにイロイロ植えられてたら、賭けも何もないっつーの!」
「あの話の流れじゃさ、植えたのは絶対一種類だけだと思うよなぁ」
「ってゆーか、本気で食べ物ってところが、亮兄ィらしいわよ。現実的というか、ロマンチックじゃないというか……」
「ケチつけんなよ!」
「そんなつもりないわよ!」
それはとても他愛のない賭けのはずだった。
けれども。
賭けの勝敗を決する前に亮が逝ってしまったという現実が、その賭けを重い何かを含んだものに変えてしまった。
叶えられることのなかった約束。
亮と共に過ごした教会は、彼との思い出がいたる所に散らばっていて、なかなか足を踏み入れることが出来なかった子供たちだったけれども。
こうして大地に芽吹いた葉を目にした瞬間、溢れた涙を堪えることが出来なかった。
彼に託された思いを忘れてはならない。
あの時、自分たちは、亮に誓ったはずだ。
大切に育てると。
育ててみせると。
誓ったその言葉を違えるわけにはいかなかった。
最後まで自分たちをあたたかく見守ってくれていた亮のためにも、自分たちこそ、彼との約束を果たさなければならなかった。
気づけば、誰からということもなく、自然とこうして集まっていた。
とはいえ、簡単な草花を育てたことすらない彼らには何をどうしたらよいのかがまったくわからず、かといって、大人たちに尋ねてまわる気にもなれずに、本を探し、その本を捲りながらそれが何の芽なのかを探り、苗を育てるための道具をそろえ、暗中模索の中で額を付き合せながら、慣れない作業に精を出していた。
圭が彼らの声を耳にしたときは、朝から動かしつづけてきた手を止め、ちょうど木陰で休んでいる最中だった。
取り留めもない話が途切れて訪れた沈黙に背を押されるように、彼らの中では常にリーダーシップを担ってきた少女に、隼斗と翼が胸に抱いた決意を告げる。
「美弥」
「何?」
「俺たち、この町を出るよ」
既に気持は決まっていると、迷いのない眸が語っている。
そんな彼らの貌には、『どんな大人になりたいのか?』と問われ、『よくわかんねーよ』と曖昧に首を傾げた頃の面影はどこにもなかった。
何をやろうとしているのか。
どんなふうに生きていきたいのか。
そのために何から始めたらよいのか。
目的をもち、確たる決意を抱き、今まさに自分の足で歩き出そうとしている若者の揺るぎない貌だった。
「このままずっとこの町にいたんじゃ、たぶん、俺たち、変われない」
「それじゃあ、亮兄ィのために、何もしてあげることが出来ない。だから……町を出て、いろんなこと、学んでくるよ」
それは、亮が示してくれた、この町に呑みこまれずに生きていく為の手段だった。
この町を変えるために。
自分たちのような思いをする者を生み出さないために。
あんなふうに哀しい出来事を決して起こさないために。
生まれ育った町を出る。
だが、それはこの町を捨てることを意味したりはしない。
何も持たない自分たちだけれども、今のこの思いを忘れなければ、足を向けたその先で、必ず何かを得ることが出来るはずだ。
この町を変えていくために。
ちゃんと戻ってくるから、と。
信じて待っていてくれ、と。
訴えかける二人の眸をまっすぐに見返した美弥は、にっこりと笑って頷いた。
「半端で帰ってきたら叩き出すからね」
「バカ言ってろ! 見違えたって言わせてやるよ」
そんな隼斗に勝気な眸を向けた美弥は、不敵な笑いを返す。
「あたしだってただぼーっと待ってるつもりはないわよ」
この町で成すべきこと。やらねばならないこと。守るべきもの。
必ずあるはずだ。
「俺たち、必ず戻ってくるから」
「うん。戻ってくる」
そして、生きていく。
この町で。
生まれ育ったこの町で。
未来を切り開くための知恵を、身を守るための鎧にして。
そんな子供たちの言葉を物陰で聞きながら、胸に広がる熱い思いを、圭は噛みしめていた。
信じられる。子供たちの未来を。
今の彼らが、圭たちが失望しか見出すことの出来なかった大人たちと同じだけの年月を重ねた時、この町も少しは心地よく過ごすことの出来る場所になっているに違いないと。
そんな確信めいた思いが胸に広がっていく。
自分たちのしてきたことは、決して無駄ではなかったのだ。
生きている。
亮の思いは彼らの中で生きている。
そして、自分の胸の中でも。
――――受け取ったよ。アニキ。アニキと恭一の気持ちはちゃんと………
そう。
トマトやナスといった夏野菜の葉とは別に、一株だけプランターに根付いているあの葉は。
「ヘンな葉っぱ」と少年に称されたあの葉は。
遠目でもわかる。見間違えるはずがない。
あれはゼラニウムの葉だ。
あの一株こそ、亮と、そして恭一から送られた自分へのメッセージに違いなかった。
「君ありて幸福」或いは、「真実の愛情」。
数ある花の中で唯一、花言葉を知っているあの花は、母との思い出の花だった。
圭がこの場所に帰ってくることを、そして彼らの想いを継いで子供たちを見守ってくれることを信じて疑わなかった二人は、思いのすべてをあの花に託し、そして旅立っていったのだ。
彼らのことを思えば、いまだに胸が痛む。
それは、一生癒えることのない痛みだ。
けれども、目を閉じて胸の内に語りかければ、彼らの声を聞くことが出来る。
彼らの姿を追うことが出来る。
あの二人が自分に惜しみなく注いでくれた愛情と思い出が、これからの自分を支えてくれる。
強く在れる。
迷うことなく生きていける。
常に自分を導いてきてくれた二人の思いは、自分と共に在るのだから。
――――そうだよな、アニキ。恭一…………
見上げた空は、静かに眠る二人の心情を象徴するかのように、どこまでも青く澄み渡っている。
その空に背を押されるように、圭は新しい一歩を踏み出した。
子供たちのもとへと。
三人で追い求めた未来を手にするために。
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