今回の事件で組織のトップを失ったファルコーニは、香織の持ち出したデータや久志たちが調べ上げた事実を足がかりに大々的な司法の介入を受け、多くの逮捕者を出した。彼らが資金調達の基盤として築いてきたルートにもメスが入り、組織は事実上壊滅した。
T町の事件の真相は、あのビルの内部にいたもの全員が死亡していたため、すべてが謎に包まれたままとなり、多くの人間を殺めた恭一の名は、凶悪な犯罪者として記録に残ることとなった。
また、圭が撮った写真を元に、より徹底した極秘調査が展開され、警察内部の粛清が行われた。ファルコーニと関係のあった警察幹部は収賄罪で逮捕され、いずれは情報漏洩や捜査妨害についの仔細が明らかになることだろう。
これで、地下に蔓延る根のすべてを断絶できたわけではなかったとしても、ひとつの終息の形に違いなかった。
そして、T町全体が沈黙のヴェールに覆われたその日。
綺麗に晴れ渡った空の下で、亮の葬儀が厳かにとり行われた。
いつもの聖職服を纏った亮は、隼斗と翼が綺麗に繋いだロザリオを首にかけ、横たえられた棺の中でまるで眠るように眸を閉じていた。
彼に花を手向ける子供は後を絶たず、手にした白い花を彼の周りにそっと添えた彼らは、いつまでも棺の傍から動こうとはしない。
その貌には、むごたらしい死を感じさせるものは何もなかった。
襟の合わせ目から除く、鋭利な傷痕さえ目にしなければ。
その傷痕が、決して忘れてはならない真実を彼らに生々しく語りかけている。
自分たちの希望の光をあまりにも卑劣な行為によって奪った男の名を、激しい憎悪の念と共に胸に刻み込んだ子供たちは、赤く泣きはらした眸を尚も濡らしながら、兄のように慕ってきた亮の傍らから離れようとはしなかった。
かつて味わったことのない深い悲しみと喪失感の中で途方にくれてしまった彼らは、縋るような眸で物言わぬ亮を見つめつづけた。まるで、今にも彼が立ち上がり、いつもと変わらぬ柔らかな声で語りかけてくれるのを待っているかのように。
日頃からストリートの子供たちの悪行に手を焼いていた大人たちは、亮の死を悼む彼らの姿に目を見張った。これほど多くの子供たちが参列した葬儀は今までに見たことがないと言う大人たちの言葉に、三年の年月を要しても、変わることのなかった彼らへの苛立つ思いを、圭は拳の中で握りつぶした。
何故そんなふうに他人事のように言っていられるのか?
いま、子供たちが自らの意志でこの場にいるのは――――彼らがあんなにも悲嘆にくれているのは、亮への強い思いが胸の中に溢れているからだ。
それは、本来ならば大人たちが果たさなければならなかった役割を、亮が果たしたことの証ではないのか。
そんなふうに彼らを導くことの出来なかった己を顧みて何故恥じない?
何故変わろうとしない?
迸りそうになる叫びを圭は懸命に呑み込んだ。
いまさらだ。
大人たちへの期待はとうの昔に捨てた。だからこそ、自分たちで動くしかないと、立ち上がったのだ。
その結果がこれだ。
亮の死の咎を背負うべきはこの町の大人たちに他ならない。
現状を変えるために足掻くことを放棄してしまった大人たち。
彼らの未来を案じる必要は、自分たちにはない。
だが、子供たちは違う。
彼らは、願えばどんなふうにでも変わることが出来るはずだ。
亮がどんなスタンスで子供たちと接してきたのか、彼らを見ていればわかる。
亮の思いは間違いなく彼らに伝わっている。
胸を抉られたような空虚さの中で、ただそこだけに救いを見たような気がした。
葬儀が終わっても亮の墓前から離れない子供たち。
迫る夕暮れに背を押されるように、何度も何度も後ろを振り返りながら彼らが墓所を後にする頃には、太陽は斜めに傾き、薄闇が周囲を覆いはじめていた。
静かな墓所は眠りの世界に誘われていく。
圭はひとりこの場を離れることが出来ないまま、香る花の匂いに包まれた墓前にしゃがみこみ、ぼんやりと煙草をふかしながら亮と向きあっていた。
「なにもかも、二人っきりでカタつけやがって……」
この町に桜井たちを呼び寄せたふたりは、最初から命を捨てるつもりで戦いに臨んだのだろう。
後に禍根を残すことなく、すべての憂慮の芽をもっとも確実な方法で摘み取ったのだ。
力によって力を凌駕することへの新たな憧憬を呼び起こしかねない状況にありながら、亮は悲劇の犠牲者としてその死を皆に惜しまれ、恭一は卑劣な犯罪者として憎悪と蔑みの念を一身にあびることとなった。
あの場に赴く前の二人の間にどんな言葉が交わされていたのかを知ることは出来ないけれども。
最期の瞬間に自分を見やった亮と恭一の眸の穏やかな色が脳裏に浮かぶ。
あらゆる流れを受け入れた者の確たる眸。
それこそが、彼ら二人の望んだ結末だったのだと、あの眸を見た瞬間、圭は理解した。だからこそ、恐怖に慄いたのだ。それがたとえ神であっても、あの二人を止めることが出来ないと、気づいてしまったから。
口元に咥えただけの煙草から、長く伸びた灰がポロリと落ちる。
燻る火を土に押し付けて消した圭は、俯いたまま小さく呟いた。
「ごめんな。同じ場所に眠らせてやることが出来なくて」
真新しい墓石に刻まれた亮の名を指先でなぞる。
大量殺戮の咎を犯した重罪人である恭一の遺体は、州が持ち去り、いまごろはもう、始末されているはずだ。もとより身寄りのない彼の亡骸は、こうして墓所に収められることも、墓碑銘が刻まれることもなく、文字通り「始末」されているだろう。
だが、それこそが、彼らの演じた役割の行方であったはずだ。
「抜け殻がどこにあったって、関係ないんだよな。アニキも、恭一も。だって………」
――――一緒にいるんだろう?
俺の手の届かないどこかで。
いまごろふたりは肩を並べて穏やかに微笑んでいるに違いない。
死して尚も、あんなふうに身を寄せ合っていた二人なのだから。
魂は迷うことなく、共に旅立っていったのだろう。
永遠の安らぎの中へ。
先刻まで足元に細く伸びていた影も、いまではすっかり闇に呑まれてしまっていた。間もなくこの墓所にも完全な夜の帳が訪れるだろう。
現世に縛られた肉体を持つ自分には、彼らと同じ場所で眠ることは叶わない。
身を寄せ合うことも、言葉を交わすことも、抱きしめることも…………
何もかもが叶わない。
「………………バカヤロウ……」
墓石が霞んで揺らぐ。
先に逝ってしまった二人の後を追うことはしない。できない。
生きることを託された自分は、息の続く限り、精一杯この世で足掻きつづけていくだろう。それが、残された自分の役割だと、圭は心のどこかで理解していた。
それでも、思わずにはいられない。
せめてもう一度だけ――――――と。
せめてもう一度だけ、その声が聞きたかった。
せめてもう一度だけ、共に語り合いたかった。
せめてもう一度だけ、そのぬくもりに触れたかった。
自分の名を呼んで欲しかった。
微笑みかけて欲しかった。
抱きしめて欲しかった。
せめて……………
渦巻く思いが溢れてくる。
熱い涙となって、激しい嗚咽となって、濁流のように溢れてくる。
泣いて。
泣いて。
泣きつづけて。
太陽が完全に沈んだ空に瞬く無数の星の下で。
冷たい墓石の傍らに身を寄せたまま、帰ろう、と、圭は、思った。
ずっと願っていたとおり、この町に帰ってこようと。
そう、思った。
叶うならば、亮の暮らした教会へ。
恭一が最期に身を寄せたあの教会へ。
彼らと言葉を交わすことも、彼らに触れることもできないけれども、自分には感じることができるはずだ。
彼らの思いを。
彼らの願いを。
だから………
帰ろう。
二人のぬくもりが残るあの場所へ。
亮の家へ。
そして、この町で生きていこう―――――と。
そう、思った。
いつの日か、この世ではない楽園で、再び彼らに巡り逢えるその時まで。
|