崩れ落ちたブロックに腰を下ろした柴乃は、紫煙を燻らせながら灰色の空を見上げていた。
ダウンタウンの様相を呈しているこの区域は、ワンブロック隔てて林立するビル群を見上げるような格好で廃墟と廃屋が連なっている。
混在する秩序と無秩序。調和と混沌。
抑圧されたエネルギーが燻り、いたるところで耳障りな喧騒が鳴り止むことのないこの街は、くすんだ空と淀んだ空気が良く似合っている。
高層ビルの中で取り澄ました顔で着飾った連中も、一皮剥けば所詮は同じ穴の狢だ。
些細なことでこちら側に転がってくることは、たやすいことだ。
柴乃は最初から「こちら側」の人間だ。
気付いたときには、強者が弱者を踏み潰す世間の波間に放り出されていた。
連鎖する暴力と搾取の只中で、力のない子共が生き抜いていくことは、たやすいことではなかった。だが、苦渋を舐めながらも、柴乃なりの矜持と自負を持って戦ってきたと、胸を張って言える。
だからこその「いま」がある。
ただ生きて呼吸をするだけの生き物に成り下がるのはゴメンだと、夜毎に唇を噛み締め、いま、この時代の中で生きることの意味を見つけ出したくて、ひたすらに足掻いていた日々。
自分は何故、ここにいるのか。
何のために、生きているのか。
無力さを痛感させられる日常から這い上がるために何が出来るのか。
望んだ通りの自由を手にするために何をなすべきなのか。
明確な答えなどわからないまま、いつだって、身体を張ってぶつかってきた。
常に己に問いかけながら生きてきた。
あちこちに刻まれた傷跡や刻印は、自由を手にするための代償だったと思っている。
諦めずに戦い、自分たちの力で掴み取った場所でのいまの生活。そして、かけがえのない仲間たち。
どちらも、柴乃にとって、なくてはならない大切なものだった。
悠里とふたり、泥を被ったような現状から抜け出すことだけに思いを砕き、震える身体を寄せ合って過ごしてきた。思う通りに立ち行かない現実に苛立ち、それでもなんとかしようと生傷だらけで足掻いていた頃、蓮と出会って運命が変わった。彼と出会わなければ、博打のような捨て身の賭けをものにすることはできなかったかもしれない。
その後、奇妙な縁で聖と行動を共にするようになり、聖がつるんでいた瀬那が必然的に仲間に加わり、そして、悠里が穂高を拾ってきて、いまの六人がこの場所に集った。
出会うべくして出会った六人だと、柴乃は思っている。
取り壊す費用すら惜しんで放置されていた倉庫を拠点にして始めた仕事は、それなりに上手く回っている。
そんな彼らに対する風当たりは決して優しくはなかったけれども、それらを跳ね返すだけの力は十分に備えていた。彼らに取って変わろうとする輩は容赦なく叩き潰し、主に妬みややっかみから発せられる雑音は、力ずくで黙らせた。
なんの努力もせず、妬んだり羨んだりすることしかできない馬鹿どもは、永遠に地べたを這いずり回っているがいいと、冷ややかな眸で見下ろしながら。
最近では、無駄に絡んでくる輩は減ったと思っていたのだけれども。
思い出したように虫が湧いてくる。
そう。
こんなふうに。
足元に落ちる影を見つめながら、柴乃はうんざりとしたように溜息をついた。
輝夜のおかげでただでさえ苛立っている神経を逆撫でしてくれたのだ。黙って通り過ぎてくれそうにはない馬鹿を相手に、加減するような仏心は持ち合わせていない。
緩慢な仕草で腰をあげた柴乃を舐めるように見つめる男たちの眸に、獰猛な光が宿る。
体格差と人数にモノを言わせて柴乃を捻じ伏せようと目論んだらしい三人組の男たちは、知らなかった。
柴乃がくぐってきた修羅を。その手腕を。
不利と思われるような状況をものともせず、彼らを地べたに叩きつけるまでに、たいした時間はかからなかった。
ウォーミングアップにもなりはしない。
「俺と張り合おうなんて、百万年早いんだよ」
路上で呻く男たちを蹴飛ばして、おもしろくなさそうに呟いた柴乃は、バイクに寄りかかるようにしてこちらを見つめている蓮と目が合い、不服そうに舌打ちした。
「見てたんなら手伝えよ」
「必要ないだろう」
相手は防戦一方で、完全なワンサイドゲーム。
八つ当たりも入っている柴乃に容赦なく叩きのめされている連中を、ケンカ売る相手選べよ、と、せせら笑って高みの見物を決め込んだ。
今日に至るまでの柴乃の生き様を知る者は、彼に迂闊に手を出してくることはない。それを知った上で絡んでくる輩は、腕っ節にそれなりの自信を持った些か厄介な相手となることは必須だ。
一方で、柴乃の過去の一部分だけを聞きかじり、華奢な見た目でその力量を侮って絡んでくる馬鹿どもは、例外なく痛い目をみることになる。
軋む身体を引きずって、逃げ出していった先ほどの男たちのように。
「薄情モノ」
「信用してるんだよ」
「どうだか」
気が治まらないと言いたげな柴乃は、毛を逆立てる気位の高い猫のような素振りで蓮に歩み寄ると、襟元をぐっと引いて唇を重ね合わせた。
抗わずに応じた蓮と、濃密なキスを交し合う。
絡みつかせた舌先が互いの欲を煽り立てるように蠢いている。
熱い吐息の合間に零れる濡れた音。
その先の愉悦を知っている腰が、淫らに揺れる。
「ダメ。もう我慢できない」
「俺も」
悩ましげな柴乃の吐息交じりの囁きに応じた蓮の耳元に唇を寄せ、からかうように問いかける。
「ここでやっちゃう?」
「さすがにそれは勘弁してくれ」
相当魅力的な誘いではあったけれども。
辛うじて理性を働かせた蓮は、タンデムシートに柴乃を載せ、バイクを走らせるのだった。
++++++++++
「んっっ……ふぁ………っっっ」
どちらがより熱くなっているかを競おうとするかのように。
腰を押し付けあいながら熱い口内をかきまわし、互いの舌と唇を貪りあう。
濡れた音と艶を帯びた吐息に煽られて鼓動が高まり、躯をまさぐりあいながら、施す愛撫が性急なものへと変わっていく。
より深いところで感じあう愉悦を知っている躯が、疼いて欲しがってたまらない。
柴乃の腿を左右に割り、ローションで湿らせて解したその場所に高ぶった先端を押し当てた蓮は、熱い楔を一気に奥まで打ち込んだ。
「あぁっ――――!!」
過ぎる刺激を受け止めきれずに、柴乃の躯が跳ねる。
逃げる腰を引き寄せ、絡みつく襞をこじ開けるように突き上げた。
「んっ、んっっ………あぁっ――――」
腰を揺さぶられ、突かれるたびに背を撓らせて柴乃が身悶える。
その唇から嬌声が迸るたびに、皮膚や筋肉が悩ましげに蠢く様がたまらなくエロティックで。
煽られるように蓮の腰の動きも激しくなる。
「……ふぁっ……あ、あ、ああぁぁぁっ……」
蓮の猛々しい動きと、柴乃の嬌声が次第に同調していく。
濡れて蕩けた肉襞を激しく擦りあげれば、一際高い声が上がった。
身悶えるように背を撓らせた柴乃の内部が収縮し、呑み込んだ楔を絞りあげるように絡みつく。
たまらず、声を零した蓮と共に、高みへと昇りつめていった。
重なりあったまま情後の余韻に浸っていた躯を起こし、煙草に火を点けた蓮の傍らで、満足げな吐息を零した柴乃が、甘えるように肌を寄せてくる。
汗に濡れた額に散らばる髪を掻きあげてやる蓮の小指にそっと指を絡め、口元に運んだ指に歯を立てた柴乃は、甘さのカケラもない言葉を呟いた。
「輝夜、どう動いてくると思う?」
輝夜の周囲できな臭い匂いがしていることはわかっている。
確証はないけれども、今日の来訪が単なる暇つぶしや気まぐれではないような気がしてならなかった。
輝夜自身がどうなろうと柴乃の知ったことではなかったが、火の粉がこちら側に降りかかってくるとなると、話は別だ。
「さぁ……」
「歯切れ悪いね」
「仕方ないだろ。わかんないんだから」
「ふーん」
ま、別にいいけど、と、蓮の指先から煙草を抜き取って唇に咥えた柴乃は、旨そうに目を細めて紫煙を吐き出した。
「おい」
窘めるように眉を顰めた蓮に、にっこりと微笑みかける。
「ねぇ、蓮」
「ん?」
「裏切ったら殺すよ?」
「―――――」
輝夜と蓮の関係を揶揄する言葉。
からかい口調の中に紛れこませた本音。
オールオアナッシング。
柴乃らしい物言いに、それもありかと、蓮は思う。
柴乃に出会ってはじめて、生きていることが意味のあることだと思えるようになった。
欲しいものがなく。
したいこともなく。
何事も冷めた眸で見やりながらなんとなく過ごしてきた人生に色を添えたのは、間違いなく柴乃だ。
ならば、幕引きも彼に委ねてみるのも悪くない。
「そん時はおまえのこと抱きながらってシチュエーションでヨロシク」
「何それ?」
「突きまくって殺されりゃ、思い残すことねぇよ」
「ケダモノ」
くすくすと笑いながら悪戯に口吻けてきた柴乃を乱暴に組み敷いて、先刻の交わりで充血して熱を帯びたままのその場所に、鎌首を擡げた先端をあてがった。
ぐっと、腰に力をこめれば、しっとりと解けた柔らかな襞が蓮をすんなりと呑み込んでいく。
「ぁっ……」
熱く熟れた襞が灼熱の楔に絡みつく。
ゆっくりと動き出した蓮の動きに合わせて、柴乃もまた、腰を揺らめかせる。
「ふぁっ……ぅんっっ……」
快楽に酩酊したかのようなうっとりとした表情で喉を鳴らす柴乃の耳朶を食み、舐るように吐息を流し込む。
「イイ?」
「うん。キモチイイ」
掠れた声が蓮の雄をダイレクトに刺激する。
『だったらおまえは、何のために生きてるんだよ?』
苛烈な眸で見据えられ、突きつけられた言葉。
あの時は答えられなかったその問いに、いまならば、答えることが出来る気がする。
蓮もまた、柴乃と出会うことによって、その運命が大きく変わったのだ。
互いに及ぼす影響はプラスの相乗効果を生み、より大きな高みへと、互いを押し上げていくだろう。
この先の、自分たちの在り様に期待が増す。
これもまた、柴乃に出会うまでは知りえなかった感情だ。
見てみたい。
自分たちが行き着く先を。
6人の仲間と共に掴み取る未来を。
いつかの未来を思い描きながら。
いまはただ、愉悦の波間に溺れるのだ。
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