「……こんなところに呼び出すのはおまえぐらいだ」
「そう?まあ、思い出に浸るのも悪くないんじゃない?」
二人が通っていた大学を指定して呼び出した私は、しれっと直人の軽口に答えることができて、あまりの自分の変わりぶりに口笛でも吹きたい気分になる。
「つーか、今日は敬語じゃないんだな」
「んーー、まあ、拘るのもばかみたいだし」
待ち合わせの学食前のベンチに座りながら、直人を見上げる。
あの時と同じ顔で、あの頃とは違う表情で、直人が私と離れている間に過ぎ去っていった時間を考える。
「話したい事って?」
隣の場所を勧め、直人が大人しく私のすぐ側へと腰を下ろす。
ちょうどよく視線が同じ高さとなり、私はようやくじっくりと彼を観察することができた。
「聞いた?」
「妹さんのこと?千歳から聞いたけど」
言い淀むかれの表情が珍しくって、まじまじと見つめる。
いや、私はこの人のことを今も昔もほとんど知らないでいる。
それを残念に思わないのは、月日のせいか、憑き物がおちたせいなのか。
「悪かった、な」
「別に」
過去には聞けなかった謝罪の言葉も、あっさりと受け流すことができる。
私の中で本当に藤崎直人は過去の人間となっている、今さらどうこう言われたところで私の心は揺れないでいてくれる。
「怒ってるのか?」
「ううん、全然、まったく。怒る必要もないし」
「でも」
立ち止まったままなのは、やっぱり彼のほうで、途方にくれたような表情でこちらを窺っている。
「だって、妹さんがいたずらしなくっても、私たち今ごろ一緒にはいられなかったでしょ?」
目をそらさずにじっと彼の両目を見つめる。
自信満々の顔しか覚えていなかった私は、ふと、視線を逸らす彼を見て驚く。
「ごめん……」
「それはなんのごめん?」
よく考えればこうやって言い返すことすらしたことはなかったな、と、あまりにも盲目的すぎる昔の私をしかりつけたくもなる。
「結構、限界で、さ」
「向こうの生活が?」
「いや、もちろんそれもあるけど」
「言ってみたら?すっきりするかもだし」
両腕を持ち上げ、頭の上で伸びをする。
いい辛そうにしていた直人は、あくまでリラックスしている私の隣で数分の沈黙の後にポツリと話だした。
「俺程度の人間って、結構いるんだよな、やっぱり」
「今ごろ気がついたの?」
「ああ、っていうか、本当によく言うようになったな」
「おかげさまで、私も社会人なんていうものになったものですから」
大学内では目だっていた彼も、所変われば凡人、とまではいかないものの、それほど際立った才能でもない、ということには実は社会人になって気がついてはいた。大学にしても色々なところから人がやってくるので、その中で突出していた彼は、やっぱりそれなりに評価をしていいとは思うけれど、上には上がいる、ということは残念ながら本当のことだ。あの頃だって、太志さんに依存せずに他を見渡せば、それに気がつけたはずなのに、私の視野はどこまでもシャッターがおりたままだったようだ。
「研究にしたって、それこそ他愛もない会話にしたって、おれより良く知ってるやつも、よく勉強しているやつも山程いるんだよなぁ」
「そうねーー、まああなたもそう捨てたもんじゃないと思うけど」
「で、結局あの頃の俺は苦しくって、余裕がなくって、百合のことはずっと後回しになってた」
「手紙もあんまりこなかったしね。電話なんてそっちからかけてきたことないんじゃない?」
「うん、なんかいつもカリカリして、電話をしても百合に当り散らしそうで、恐かった」
「それでも私は連絡が欲しかった、けどね」
「ごめん」
「もう謝らなくってもいいよ、連絡を絶ったのは私も同罪だし」
連絡がない、と不安がってばかりいた当時の私を思い出す。
他力本願で、不幸ぶって、それでも私はその私を嫌いにはなれないでいる。
「どこかで甘えてたと思うんだ。何をしても百合は待っててくれるって」
「まあ、妹さんの電話がなかったら、確かにずっと待ってたかもしれない。そう思えば彼女に感謝しないといけないかもね」
便りがないのは良い頼り、という古いことわざにすがって、ただ立ちつくして待っていそうだ、あの頃の私なら。
そうすれば、今こうして隣同士に座っていることの意味も変わっていたのかもしれない。
だけど、後悔はしていない。
もう、そう言い切ることができる。
「あの男って、おまえの彼氏?」
「んーー、婚約者。一応」
一気に現実の問題が目の前にぶらさがり、憂鬱な気分が支配する。
「そっか、結婚、するのか。やっぱり」
「やっぱり、って千歳から聞いたでしょ?」
「ああ、聞いた、けど。それでも直接百合から聞かされるのはやっぱ違うな」
違う、今はもう迷っているのだという言葉を飲み込む。
直人から太志さんに縋ったように、また、直人へ依存することになる。
私はいい加減一人で立つことを覚えなければいけないのだから。
「幸せに、なれよ」
ベンチから立ち上がりながら直人が言い捨てるように祝福の言葉を投げかける。
そのまま彼の背中は手を振る右手とともに遠ざかり、私は人気の無い学食の前に取り残される。
ようやく終わった、という思いと、まだはじまったばかり、という思いが交錯する。
私は左手で右手を握り締め、この手を取るのは自分自身しかない、と言い聞かせた。
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