「ないしょね?」
そう言って飴玉をくれたことを覚えている。
優しくて、儚げで。
実の姉より姉らしくて、大好きなおねえさん。
もう、何も語れない彼女の前に、私はなぜ立っているのだろう。
穏やかで、でもちょっとだけ青ざめてて。
でもまるで眠っているよう。
「どういう、こと?」
おねえさんからもらった手紙を握りしめ、私は周囲に集まった人間を見渡す。
泣いていたり、おびえていたり。
そして一番呆然としている私の元婚約者に視線をぶつける。
すぐにそれから両目をそらす。鼻の頭が赤く、泣いているのかもしれない。
「あなたが、泣く権利なんてあるの?」
思わず、強い言葉を投げつける。
私こそ、ここでは他人で、本来いることすら場違いだというのに。
手紙を受け取って錯乱したまま訪れた私は、その会場にすんなりと通された。
元婚約者がいる、しめやかなその場へと。
「あなたの、せいでしょ」
そんなことはおねえさんの手紙には書いていない。
ただ、もう辛くなった、とだけ書いてある手紙は、ほぼ大半は二人の間の思い出話だった。
文末の不穏な言葉を除けば。
右腕で顔の下半分を隠しながら、彼は言葉を発しない。
それがとても卑怯なように思えて、私はまた怒りを濃縮させていく。
一度息を吸い込み、また吐く。
それでも彼への、いや、彼の家への怒りは静まってはくれない。
彼との婚約は、所謂家と家との都合のようなもの。
幼馴染でそこそこ仲が良く、親同士の仕事の関係にもとても合理的なものだった。
私はそれを当たり前として育ったし、そして彼もまたそれを当たり前として育っていた、はずだった。
それがいつの間にか変わったのは、もう覚えてはいない。
すくすくと成長して、たくましくなって、母親譲りの美貌から彼はとてももてていたらしい。
あちこちの女性に立ち寄っては、後腐れなく遊んでいた、という話しはさすがの私でも聞いていた。
まあ、そんなものか、と、我が家の状態をみて納得もしていた。
けど、彼はほんとうに気兼ねなく、ひょいっと様々なしきたりや様式を飛び越えていった。
それが波及する先がどうなるかを考えもしないで。
もうどうしようもなくなったぐらいに大きなお腹を抱えた女性を連れてきて、彼は彼女と結婚するのだと嘯いた。
この階級の、この社会で、許されるはずもない相手と行動。
けれども、物理的な「子ども」という存在で彼の家はそれを許してしまった。
そして、私の家も、それを彼の家への貸しにすることで認めてしまった。
残された私は、他の相手をあてがわれ、そしておねえさんは跡取りとなるべくもうすぐ結婚となっていた相手との関係を清算することとなった。
それは、この社会ではよくあることで、感情の部分は放置したとして、全てが丸くおさまったかのように見えた。
それが違う、と理解したときには、おねえさんはもう私へ手紙を残して手が届かないところへと旅だってしまっていた。
家は継げないけれども、適当な所領をあてがわれ、もう身二つとなった恋人と穏やかにくらしていた彼も呼び出され事実をつきつけられた。
そして今、おねえさんを送る葬儀へとつながる。
立派な棺に納められた彼女を一目みて、私は感情が混乱していく。
「あなたの、せいじゃない」
ただ同じ言葉を繰り返す。
彼があんなことをしなければ、おもしろくはないかもしれないけれど、嫁いだ私と彼で家は続いていき、おねえさんは好きな人のところへと嫁いでいけた。
彼と、彼によく似た女の子を抱く女性から目をそらす。
おねえさんよりも青ざめて、そして何かを感じ取ったのか大人しいままの幼子を抱える女の人。
その彼女に思うところはない。
私は、しわくちゃになってしまった手紙を丁寧に畳みなおし、作法通りおねえさんを弔って退出した。
そのまま出奔した私は、後のことは知らない。
きっと私の家はそれなりに続いていくだろうし、彼の家もそれなりに続いていくのだろう。
おねえさんがやったことも、私がやったことも、些末なことでしかない。
けど。
私は幾度でもおねえさんの手紙を読み返す。
甘い飴玉の記憶とともに。
お題配布元→capriccio様
再掲載:04.13.2024/update:02.29.2024