恋に落ちた瞬間、というのを見たことがある。
しばしの間お互いだけを見つめ、そしてふいにそらす。
ただそれだけの仕草に、ああ、この二人はお互いに恋に落ちてしまったのだな、と想像することができた。
それは王子の相手探しの茶会の場で、私はもちろん呼ばれた少女たちのうちの一人。
王子のお相手は、ここに集められた中では最も低い身分の少女で、それでももちろん無理というほどではない、という微妙な立場の少女だった。
「正妃に、でございますか?」
我が家に王子から打診があった。
私を、正妃に据えたいのだと。
正直なところ予感はあった。
例の一目ぼれの彼女への教育が一向に進まず、ただかわいらしい少女のままだと、噂されていたからだ。
あれからそれぞれの家で婚約が結ばれた。選ばれなかった家の少女たちも、それぞれ自分の役割をこなすべく、それぞれにふさわしい縁組をしていった。
もちろん、私は私で、王家に次ぐ家柄の長子との婚約が結ばれて久しい。
彼との関係は良好で、短期間ではあるけれどもあちらの家の領地へ行って色々学ばせてもらってもいる。
そんなところへ、この妙な横やりである。
そもそも、「正」妃という言葉が謎である。
この国は厳格な一夫一婦制である。それは女神さまを主神とする、そういう意味ではとても厳しい戒律が国の主たる宗教であることとも関連している。
数世代まえに、随分と放蕩な王様はいたようだけれども、彼と彼の子孫の末路はとても悲惨なものだと伝え聞く。
今の王家は、その愚王の随分下の弟からの流れをくんでいる。
もちろん、王たりとて複数の妻をもてるわけはない。
そして、今の王にも兄弟はいる。そこから賄えば王家が消滅することはない。私の嫁ぎ先は濃く、そして私の家ですらうっすらと王家の血は流れているのだから。
それを伝えた使者は、顔色を青くさせ、汗を流し始めた。
まさかそんな内容だとは、思いもよらなかったのだろう。
きっちりと王子の封印がしてあるそれに、よもやそんな馬鹿な内容がしたためられていただなんて。
相対する父は、うっすら笑みを浮かべながら非常に怒っている。
母は、あまりのことに、淑女らしからずに少し口を開けてその封書を見つめている。そのままいけば、それを燃やしてしまいそうだ。
「……、私は何も聞かなかった。いいね?」
呆然としたままの使者に、父親が圧力をかける。
これを理由に追い落としたら、色々面倒なことになる、と計算をする。
「すぐさまそれをもって陛下に、いや、陛下の弟君に目通り願いなさい。話しは通しておくから」
陛下の弟君と私の父親はとても仲が良い幼馴染みたいなものだ。
彼は、今の王子に次ぐ王位継承権を所持したまま妻を娶っている。
そしてそちらには、随分立派な後継ぎがいる。
つまるところ、彼の方へ王座が流れていっても何も困らないのだ、私たちは。
現在の王国ではそれほど派閥争いはひどくはない。穏やかで、ややもすると凡庸だといわれる今の陛下に親しみは覚えてはいるけど、強い忠誠心をもっているかと問われれば疑問だ。
それほど、国内が平和だということもあるけれど。
冷や汗をかきながら、使者は帰っていった。
そしてあわただしく、私と婚約者の家で協議をして、さっさと婚姻を済ませてしまった。
本当はもう少しこの家で、母に色々と習いたかったところだけど。
王子は、初恋の、そして一目ぼれの相手と結婚をした。
それは、元王子、という肩書のもとだったけれども、それはそれで幸せそうだ。
彼がどういうつもりで、あんなことを言い出したのかはわからない。
けど、辺境伯が取り仕切る領地の近く、彼の寄子のうちの小さな小さな貴族の一員になった彼と、もう会うことはないのだろう。
あのお茶会で、あんなことがなければ、何かが変わったのだろうか。
そんなことを考えながら、子どもの声に我に返る。
あんな激しい恋などしなくとも、私は幸せだから。
update:01.18.2024/再録02.29.2024