13 - 砕

   恋に落ちる瞬間、というものを見てしまったのかもしれない。
この人はこんな風な顔もするのだと、妙なところで感心してしまった。
きっとそれは、微笑ましくて、たぶんよいものなのだろう。
それが、私の婚約者が、私ではない女性をみてもたらした変化ではなければ。


「……」

お茶の席であからさまに上の空になる。
これが何度目かもわからない態度に、そっとため息をつく。
物憂げな表情はどこか色香さえ漂わせている。
彼を慕っている令嬢たちがみれば、ますます彼に夢中になるのかもしれない。
実際は、婚約者を目の前にして他の女性に思い焦がれている不誠実な男、なのだけれど。

教育の行き届いた侍女や護衛たちは、表情を少しも変えることなくいつもの場所に控えている。
やや、私が連れてきた侍女だけが、本当にわずかだか不快である、という内面をのぞかせている。
もちろん、それは私にしかわからない程度の変化ではある。
彼女に目配せをして帰り支度をする。
心ここにあらず、の、ただ綺麗な置物を相手にそう時間がつぶせるものではない。
そして、私がいなくなったところで彼の方は気が付きもしないのだろう。
少しだけ焦った顔をして、彼の護衛がこちらになにか言葉をかけようとする。
けれど、すぐに押し黙り、そしてまた元の無表情に戻る。
主の態度をたしなめることもできず、だからといって私を引き留める理由すら作ることができない。
これほど無意味な時間の過ごし方があっただろうか。
案の定、私が席を立ったことにすら気が付かない彼は、彼女のことでも考えているのだろう。
決して思いを告げることもできず、出来たとしても自分の力ではどうにもできない相手のことを。

私と彼とは、家同士の結びつきがもたらせた縁談だ。
それだけではなく、国内の派閥の安定、といった意味合いさえ含まれている。
私の家が権力の中心にいる家であり、彼の家が少し距離を置いた、けれども歴史だけはやたらと古い家、ということからも、ずいぶんと釣り合いのとれた相手なのだと聞かされている。
どちらかというとそういったことには疎い私でも、その重要性は理解している。
そして、もちろんあの家の嫡男に生まれた彼は、私以上に意味合いを理解している、のだろう。
このところの彼の態度は、そういう理性さえ溶かしてしまいそうな「熱」を感じるのだけれど。
個人的に相手のことを好きかと問われれば、信用している、ぐらいの言葉しか持ち合わせてはいない。
それは彼にとっても同じことで、けれども私たちの婚姻とはそんなものだ、という自覚ぐらいはある。
けど。
私の中に渦巻いた、少しの不安は、やがて彼が起こした行動によって現実のものとなってしまった。



「……解消?」
「ああ、あちらからな」

父に呼ばれ、書斎へ向かえば、開口一番そんなことを宣言された。
彼の家から、私の家との婚約を解消したい、と。
口約束から書類上での契約、そして形ばかりの二人での逢瀬、を重ねて私たちの関係は順調である、と周囲には見られていた。
それが形式上のものだとしても、こういった世界ではその形式がとても大事なものだ。
私にも、彼にもその契約を履行するになんの障害もない。

「そこまでおろかだったとはな」

権力の中心にいる父が、不快な気持ちを隠そうともせずに呟く。
頭の中では、国内の力関係を考えて、私の次の縁談先が計算されているのだろう。
いくつか、可能性のありそうな令息たちの顔を思い浮かべる。
少しだけ痛んだ胸は、気が付かないふりをする。

「まあいい、それなりの償いはしてもらう」

話は終わった、とばかりに私は父の書斎から退出をする。
あとは、流れるようにあの家になにかをしていくのだろう。父は、こう見えて執念深く、そしてもとても矜持の高い男だから。

ややあって、私は彼の処遇を耳にすることとなる。
聞きたくもないほど、けれども想像通りの彼の現状に、私はため息をつく。
結局、彼はすべてを手放したつもりで、持って生まれた特権だけは捨てることを思いつきもしなかった。
あまりにも自然に、そいういうものだと育ってしまったのかもしれない。
けれども、そんな甘い砂糖菓子のような夢は、彼の軽率な行動から砕け散ったのだろう。
あの家全部を巻き込みながら。



再掲載:09.22.2023





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