12 - 爪を研ぐ獣

 ――奪ってしまえ。



似合いの恋人同士を見て、湧きあがった衝動。
まるで一対の絵のような、姿かたちも立場も釣り合いのとれた二人。
けど、彼がちっとも楽しそうじゃない。
そんな風にわたしは思ったんだ。

「ありがとうございます」

きっかけは古風も古風。こんな子供だましで、って思われるハンカチを拾った彼が私に差し出す。
そんなわざとらしさすら覚える作戦からだった。
あざとすぎたかな、と思えるそれに、彼は気が付かなかったのかふりをしたのか、自然に答えてくれた。
頻繁になりすぎない程度に彼の周囲に姿を出し、そして徐々に言葉を交わすようになる。
最初は天気のことだったり、授業のことだたり。
でも、そのうち趣味や好きなことが話題に上るようになっていった。
模範的な淑女にあるまじき距離を取り、周囲が冷ややかな視線を送ってきたとしても、彼はそれを拒むことはなかった。
それだけ、わたしが彼の懐に入っている証拠だ。
彼の婚約者は、私をみるなり困ったように眉根を寄せるが、それでもそれだけだ。
私をなじることもせず、注意することもない。
もっともされたところで私と彼はただの友人なのだから、ばかなふりをして言い返すつもりだけれど。
コツコツと、でも確実に縮まる距離。
そして彼は、婚約者といるよりも、私といる時間の方が長くなっていった。


「おいしーーー、ほら、一口食べて?」

スプーンで小さく掬ったそれを彼の口元へと持っていく。
彼の階級ならばありえない行動に、びっくりしながらも口を開ける。
ちょっとだけ照れたような顔をして、嬉しそうにかみしめていく。
心の中からよこしまな気持ちが湧き出す。
あの、おきれいで、完璧で、彼の対となるべき彼女はこんな表情をさせることも見ることもできない、ということに。
体の距離も心の距離も近づく。
わたしの計画は順調なはずだった。



「やんちゃも、それぐらいにしておきなさいね」

彼によく似た冷たい美貌の女に、こんな言葉を投げかけるまでは。
彼の婚約者を引き連れ、ただ静かにそんなことをこぼしていった彼女は、こちらを振り返りもせずに立ち去った。
おろおろと、でも「わたし」に視線をよこした婚約者は、薄い笑みを浮かべ小さく頭を下げて彼女のあとについていった。
苦言を呈されるわけでもなく、釘をさされるわけでもない。
けれど、彼女の静かな言葉は、彼にきっかけを与えてしまった。
現実、という名のきっかけを。

彼は婚約者がいる。
それは彼一人の気持ちでどうこうできる筋合いのものではない。
そして、わたしはその間に割って入るだけの立場をもたない。だからこそ、こんな絡めてのような行動をとっているのだから。

「……ごめん」

小さく呟いて、彼は黙ったままわたしを置き去りにした。
現実に戻され、そして今の自分がどういう風に周囲から見られているかに気が付いてしまった。
けれどあたしはあきらめない。

あの、綺麗で完璧で、淑女の見本です、という彼女のゆがむ顔を見るまでは。



再掲載:09.22.2023




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