エピローグ

 割にあっさりと推薦などを貰えてしまった私は、祐君たちよりも先に合格の二文字を手に入れることができた。自分だったら、祐君が先にゴールしたのを見れば、余裕がなくなってしまいそうなのに、祐君は自分の事のように喜んでくれて、器の差、みたいなものまでかんじてしまった。
だけど、そんなよくわからない鬱屈した日々も今日で一応の区切りとなる。
今日は、高校の卒業式なのだから。
国立狙いの祐君と美紀ちゃんは、合格発表はまだなものの手ごたえはばっちりらしく、かなりのんきな表情をして式に臨んでいる。逆に第三者であるはずの私の方が落ち着かず、できれば合格発表の後に卒業式があればいいのに、なんて情ないことを思っていたりする。
三年になってからは美紀ちゃんともクラスが別れ、当然数学担当の担任などつくはずもなく、鈴木先生の支配下からも逃れたはずだった。
だけど、そうやすやすとは逃さない粘着気質な先生が私というおもちゃを手放すはずもなく、かなり頻繁に、いや、どう考えても担当していたクラスの子よりも熱心に宿題を出されるはめに陥っていた。それを素直に全て受け入れていた私は、馬鹿というより真面目な生徒だったのだと、自分で自分を褒め称えたい気分だ。
おかげさまで数学はなんとか人並み、相対的に数学が苦手な人間が集まったクラスでは、比較的上の方に留まる事ができた、というおまけがついてきた。
私の合格の何分の一かは、やっぱり鈴木先生のお陰だと素直に感謝しなくてはいけない、と思う。

「和奈?」

退屈な式の後、祐君はクラスメートに囲まれながら写真を取り合っている。祐君のクラスには女子の数は少ないはずなのに、どうしてあれほどの人数に囲まれているのかと、ちょっと面白くない。
隣に立っていたはずの山田君もいつのまにかはじき出され、仕方なしに私の方へとやってくる。

「すごいっすね」
「……まあ、最後だし」

花束やらプレゼントがまさしく乱舞する様が目の前で繰り広げられ、よそへ視線をむければ、顔だけはいい鈴木先生と話す機会を窺おうとする女の子が少し遠巻きに見守っている姿を見つけることができる。いつも笑顔の祐君と違って、鈴木先生ではさすがの彼女達も近づく勇気がないらしい。

「相変わらずもてるな、高柳は」
「そういう先生こそ、ケータイもって狙ってますよ、みんな」

そんな女の子たちに気がついているのかいないのか、いつのまにか私の隣に立つ鈴木先生は、面白いモノをみるように祐君と人だかりを見学している。

「言いたければ言いにくればいい、俺は優しくないから察してなどやらん」
「言えば写真を一緒にとってくれるんですか?そんなキャラでもないくせに」
「状況によりけりだ」
「ニッコリわらってフレームに収まる先生なんて想像できないですけど」
「おまえはいつのまにそんなに言い返すようになったんだ?」
「最初からじゃないですか?」
「いいや、昔のお前はもっとかわいかった」
「すみませんね、意地の悪い大人と付き合えば、性格ぐらい簡単に捻くれます」

間に挟まれた格好の山田君が私と鈴木先生の顔を見比べながら、少し驚いた顔をしている。

「田中は?」
「後輩に囲まれて大変」
「ああ、あいつは女子に人気があるからなぁ」
「男の子にもあるよ。美紀ちゃん美人だし」
「あいつに言い寄る根性のあるやつは、なかなかいないだろう」
「いるよ、だって最後だし」
「……そうだな、最後だな」

この空間は、いつもの授業終わりではなく、本当に本当に高校生活最後の場なのだと、自分で呟いた現実的な言葉が染み込んでいく。
もう、この制服を着て、鈴木先生と軽口を言い合ったり、山田君と挨拶を交わしたり、美紀ちゃんとお弁当を食べたりできないのだと。
そうして、なにより、私は祐君と同じ学校の生徒という共通の場を失ってしまうのだと。
校長先生のお話なんか退屈で、担任の先生のお話も全く覚えていない私が、今になって急に悲しくなってくる。
現実が、ようやく私の心に入り込んでくる。

「また、遊びにくればいい」

涙が零れそうになった私に、鈴木先生が先生らしい言葉をかけてくれる。

「もっとも、自宅の方に遊びにきてもらって一向にかまわないが。もう遠慮する関係でもないしな」
「どうして、私の感動をどこかへやっちゃうような事を言うかな、この人は」
「あまりしんみりするのも似合わないだろ?」

意地の悪い笑みを浮かべ、そのめったにない笑顔に、鈴木先生の気配を窺っている女の子達が色めき立つ。意を決したのか、一人が突破口となり、あっと言う間に先生は彼女達に囲まれてしまった。

「酒口さんは、写真とってくれって頼まれないの?」
「ん?そんな物好きな人はいないよー」
「あ、じゃあ、僕と……」

山田君が言いかけた言葉を飲み込む。
ようやく女の子の洪水から逃れた祐君が私の背後にたっていた、と気がついたのは、祐君が抑揚のない声音で山田君をよんだから。

「いや、あの、祐貴。えーーっと、最後だし」
「……まあ、最後だからな」

機嫌の悪さを隠そうともしていない祐君は、渋々といった風になぜだか私を通り越して山田君に許可を与えている。

「別に、祐君に言われなくても写真ぐらいたくさんとるから」
「どうして和奈はすぐ反抗するかなぁ」
「祐君のせいでしょ!」

人生初めての大喧嘩のあと、私と祐君はしょっちゅう小競り合いのような口喧嘩を繰り返している。もちろん、たいしたことが原因じゃないし、ちょっと言い合う程度ですぐに収まる程度のものだけど、そんな私達の関係は初めてのことで、少し、いや、だいぶそういうのもおもしろいと思っている自分がいる。
照れたような笑顔を浮かべた山田君と一緒に写真をとる、それを皮切りに、なぜだか行列が出来ているのは気のせいじゃなくって、美紀ちゃんが花束に埋もれながら私の元にやってくるまで、まるで撮影会のような光景が続けられることとなった。私の笑顔がひきつっているにもかかわらず。

「卒業かぁ」
「うん」

感慨深い美紀ちゃんの言葉に、改めて周囲を見渡す。
親子で話をしている人、友達同士で泣き合っている人。
もう私たちはこの場に、この立場では永遠に戻れない。
そう思うと、引っ込んだ涙が再び溢れ出しそうになる。

「酒口和奈さん」

フルネームを呼ばれて、振り返る。
そこには、思い出したくないとまで思っていた、男の子の姿があった。
あの頃よりは少し逞しくなって、大人になった彼は、私の隣に立つ祐君を気にしながらも、まっすぐと私へと歩み寄る。

「真柴、君」

その名を口にしても、私の傷口はもう二度と開かないことに気がつく。
あの時のことは、完全に私のなかで消え去ることはないけれど、疑心暗鬼になって周囲全てが悪意に満ちた存在に思えた当時の気持ちは蘇ることはない。
もう、過去のことなのだと、思い出せるほどになっている。

「あなたのことが、大好きでした」

過去形で告げられた思いは、真柴君の中の何かを抉りだす作業のようで、その痛みがダイレクトに私に伝わってくる。

「ありがとう、私は今も昔も祐君のことが大好きだから」
「はい、わかっています。和奈さん、ありがとうございました」

謝罪の言葉ではなく、感謝の言葉で真柴君は私の前から立ち去っていく。
恐らく二度と彼とは会うことはない。

「何も泣く事はないだろう?あんなやつのために」

いつのまにか零れ落ちた涙を祐君が掬い取る。
不機嫌な祐君は、私の右手を強引に絡めとリ、美紀ちゃんや山田君を促しながら歩き出す。

「これまでってわけじゃないし、特に田中さんとはこれからもよろしくってことで」
「おい、祐貴、おれとはよろしくしないのか」
「んーー、まあ、山田もよろしく」

祐君が笑う、美紀ちゃんが苦笑いをする。
私もつられて笑い出す。

私と祐君は、手を繋いで一緒に校門を出る。
もう戻ってこない日々を振り返り、これから先の毎日を思う。
できれば、何時の日も、この人と共に歩いていければいいのに、と、祐君の左手を握りしめながら。



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KanzakiMiko/2.15.2008