2話

「おまえがヴァイシイラか?」

扉を叩く音がしたかと思えば、すぐさま扉が開けられ、遺跡から出てきた古文書を解読するため、文献を片手に格闘していたセリに突然声がかかる。

「そう、ですが」

いきなり現実に戻されたセリは、無表情をさらに硬化させ、その声に応える。

「意外だな」

声を掛けてきた男は、セリを上から下まで眺め、そんなことを口にした。
それは、セリが今まで言われ慣れた言葉であり、まだ慣れていない言葉でもある。
姉たちとは違う。
口さがない人間たちは、セリの顔を見た瞬間、そういい募る。
安心感を与える美貌を持つ長女、優しげな美人である次女、自身が輝いて見えるほどの容姿を持つ三女。その誰にも似ていないセリは、どこまでも地味な容貌をもっている。なまじ三人がそれぞれ違う美人なものだから、期待させ、セリをもって大きく落胆させてしまうのだ。
彼女単独で見れば、ただ地味なだけであり、表情に乏しいものの、それを卑下するほどではないにもかかわらずだ。

「いや、意外というのは詐欺師でもなく直情型でもなく随分と知性を感じさせるからだ」

セリの動かない表情を読みとったのか、男がそう続ける。

「よく、お分かりですね」

無表情で動揺したセリは、珍しく内心を口にする。
めったにない出来事なのだが、目の前の男は初対面であり、そのことを知るものはこの部屋にはいない。

「見ればわかる。まあ、わからんやつの方が大多数だろうが」

長女は優秀で有能な商売人であり、それは非常に狡猾な詐欺師である、とも言え、毒舌を吐いて回る次女は直情的であるとも評され、また、三女は本能で生きている。だが、それをこれほど端的に言い表した人間はいない。特に男性は彼女らの表層部分に惑わされることが多いからだ。

「あの、それで」

感心したものの、知らない人間と二人きり、という状況を好まないセリは、用件を促す。

「ああ、予算の件で話をしにきた」
「ありがとうございます」

会計関係の役人だろう、とあたりをつけ、セリは頭を下げる。
成果があまり一般に還元されないこの分野は常に予算が不足している。ましてどこかの商家からの融資が期待できる分野でもない。またとないこの機会を逃すほど、セリは浮世離れしてはいない。

「一緒に呪術を研究して欲しいのだが」
「生憎その分野には不案内なのですが」
「それほどの魔力がありながら?」

今度こそセリは驚き、誰にでもわかるほど顔色を変えた。
この大陸の人間には大なり小なり魔力、と呼ばれるものをその体に有している。それを意識することなく生活を送る人間がほとんどではあるが、ごく稀に、その能力が意識や身体に影響を及ぼす人間がいる。
魔術師と呼ぶのか、呪われたもの、と呼ぶべきなのかは、その発現の仕方で異なる。一般の人間から見れば、その両者は区別のつきにくいものであり、その希少性もあいまって、ある意味忌避される存在となることもある。外聞にかまわずその能力を公にするものは、公的機関に属するものか、もしくはそれすら突き抜けて能力を発現できる人間ぐらいである。
生育環境による後ろ向きの性格により、セリは己に魔力がある、ということを公言したことはない。ヴァイシイラの人間は理解しているが、その能力が他者に破壊的に働くことはない、ということを説いたとしても感情の部分まで納得させることは無理だと理解しているからだ。逆にダリアなどは堂々と表明しているが、それは彼女の強さが、周囲の雑音を耳にもいれないからである。
生憎とセリはそのような強さは持ち合わせてはいない。

「ああ、悪い。色々なところに伝があってね」

男は、王宮で働く人間だろう、と推理したセリは、ざわついた心を落ち着かせる。
恐らく諜報的な活動をする機関とつながりがあるのだろう。そういうところには他者の魔力を測定することが出来る人間がいる、と聞いたことがあるからだ。

「ダリア殿のように公にしてみては?偏見はないはずだが」

セリは静かに首を振る。
紫の魔女という稀代の魔術師を王宮に迎え、彼女の予言より数々の苦難を乗り越えたこの国では、確かにその手の偏見は減ってきてはいる。
だが、根源からの異質への排他性、というものはどれほど時がたとうとも変わることはない。それがいい意味だとしても悪い意味だとしても、とセリは考えている。それは古代からの文字を一つ一つ解明し、その生活の普遍性を感じ取っているセリだからこその思いかもしれないのだが。

「方向性は?」
「文字との親和性が」

思考が暗い方向へと走ったセリに、唐突に話題転換が図られた。素早く頭を切り替え、求められた答えを口にする。

「だから言語が専門なのか」
「そう、だと思います」

幼いころから、セリは言語に関する吸収力が異常なほど高かった。
全くこの大陸の系統から外れるはずの祖母の言葉ですら理解し、祖母が死ぬまでには彼女と普通にその言葉で会話が出来たほどである。それはダリアにもいえることなのだが、セリの能力はダリアをはるかに凌いでいた。
望んだままに学び、会得し、研究を重ねていたら、気がつけば同じ年の子供はどこにもおらず、幼くして専門機関へ教えに行くほどになっていた。彼女は所謂天才、と称されることが多いのだけれど、若くして研究所に召抱えられ、専用の部屋を与えられ、小額といえども予算を配分される身分となっても、彼女はあくまで目立たなかった。それは六つ上の姉、ダリアが同じような段階を経て、さらに華やかな分野で活躍しているからであり、容姿と相まって、国中誰もが知る才女として名高いダリアとは随分と扱われ方が異なっている。

「そう言う才能は呪術に向いていると思わないかい?」
「思いますが」

確かに、言葉を操る魔術、という点で呪術はセリにとって得意となる可能性は高い。
だが、それをして何の役に立つというのだろうか、と、セリは自問する。
ただでさえ、あまり商業的に有用ではない研究を続けている身としては、これ以上肩身の狭くなる思いはしたくないのが正直なところだ。

「大いに役に立つ」

その思いを見透かされたかのように、彼はセリに断言する。

「ですが」
「心配はいらない。私の好奇心が満たされればそれでよい」

男が、不自然なほど健康的な笑顔を浮かべる。

「知っているか?個人的な予算をどこに配分するかというものは、個人に託されている」

一会計とは思えない言葉を吐き出し、さらに胡散臭い笑みを浮かべる。
そして、彼はセリに、衝撃的な事実を齎す。

「申し遅れた。ローゼルと言うものだが。もちろん私のことは知っているな?」

驚愕に目を見開く、というわかり易い反応を示せないセリは、それでも十分驚いた表情をみせた。それに満足したのか、ローゼルと名乗った男は、元気よくセリに握手を求めた。

「よろしく。セリと言ったな。気に入った」

それが、彼女が王弟の息子、ローゼル王子と出会った最初の出来事であり、そして人生を決定付けた出会い、であった。