3話

 次の日から、ローゼルはセリの部屋へ足繁く通い始めた。
王族としての仕事はどうしたのだ、と言いたいことをこらえ、セリは失礼のない程度に相手をする。
それは、彼が運んでくる呪具が非常に興味深かったことにも関係はある。

「これは」
「遺跡からでてきたものだが、誰もこの使い方をしらなくてな」

びっしりと文字が書かれた金属板はセリの作業机の上へと置かれ、王子とセリはそれを見下ろすように観察する。
ところどころ腐食したそれは、文字がかすれて読めなくなっている部分があるものの、その歴史を考えれば非常に保存状態がよいと言えるだろう。
考古学の分野に片足を突っ込んだそれは、セリにとっても好奇心をそそられるものだ。

「そうですね。少し時間をいただけたら」

なんの変哲もない金属板を即座に呪具だと見抜き、セリの元へ運んだ王子はそういった能力があることをセリに隠しはしない。いや、どちらかといえば嬉しそうに共通の話題として口にするほどだ。
日陰の道を歩み続けてきたセリにとって、ローゼルという人間はあまりに眩しくて、同じ空間に存在することに居心地の悪さを感じている。
王子としてのローゼルは、その容姿からして期待を裏切らない。少し濃い目の金の髪に琥珀色の瞳、そしてなにより男らしさを失わない優美な容姿は、彼の身分を知らずとも誰もが振り返るほどだ。しかも、優秀な頭脳をもち、さらには文化芸術に造形が深い。彼は象徴としての王族の立場から、そのような分野への支援に熱心な王族の一人でもある。どれをとっても申し分なく、憧れの王子そのままの彼は、やはり国民の間に人気が高い。
今まで、セリのことなど一顧だにしなかった職場の女性陣が、セリにきつい視線を送り始めたことももちろん関係している。
痛む胃を無意識に押さえ、無言で彼へ退出を促す。
だが、そんなことは一向に気にしない、とばかりに、ローゼルはどっかりと来客用の椅子に腰を下ろし、優雅に足を組んだ。

「たまには茶でも一緒にしないかい?」

ともすれば気障だといわれる仕草も、彼がすれば様になるのだと、感心する。
出資者に逆らう気はないセリは、言われるままに彼のために茶の準備をする。

「前から気になっていたのだが、そういったものを行う人間はいないのか?」

セリの部屋にはセリ一人しかいない。
研究、会計、報告、雑用、そのどれもを彼女は一人でこなす。
それは彼女が所属している文化研究所の研究員全てにいえる事で、つまるところ予算がないのだ。

「はい、まあ、慣れていますから」

他の研究所の形態を知らないセリは、全く苦になっていないため、それを愚痴ることはない。どちらかといえば人の目があまりない今の研究所を気に入っている。
実家から運ばれた茶器は、この部屋に似つかわしくないほど高価なもので、それに感心しながら手に取り、ローゼルは茶を口にする。

「さすがはヴァイシイラといったところか」
「お茶ぐらいは姉さん、姉が用意してくれますから」

あまりに文句を言わないセリを心配したアベリアは、せめてこれぐらい、と定期的に茶と茶菓子を提供してくれているのだ。さすがにそれを突っぱねるほどセリも頑なではない。
口数の多くない二人では、さほど会話は弾まず、だからといってそれが苦痛ではないという不思議な時間が流れていく。
そこへ、唐突に訪問者が現れた。
激しく扉を叩く音とともに現れた男は、セリと、予想外の男の姿を眼にし、一瞬足をとめた。
ローゼルと視線がぶつかったはずのその男は、それをあえて無視し、セリへと向う。

「久しぶり。これおみやげ」

柔らかな茶色い短髪と、やや垂れ下がった目尻が柔和な印象を与える男は、セリだけをみつめ、にこやかに話かけている。
存在を無視されたローゼルは、愉快なものを発見したかのように彼を見上げ、そして問いかける。

「稀代の天才学者さまが、何用だい?」

ゆっくりとローゼルにむき直した男は、柔和な顔には似つかわしくないほど邪悪な笑みを浮かべていた。
彼の表情が見えないセリは、二人の剣呑とした雰囲気に驚き、だがやはり無表情なままであった。

「僕が僕のセリに会うのに、用事なんて必要ないんじゃないかな?王子様」

ローゼルが何者かを知った上での態度に内心彼自身に興味がわき、だがすぐに彼の言葉の意味を理解したローゼルは胡乱な視線を送る。

「セリは独身だと聞いているが?」
「すでに呼び捨てにしやがってる。僕ですら随分時間がかかったのに!」

よくわからない論点で異議を申し立てる男は、彼を迎えるべく立ち上がったセリの両肩に手を置いたまま、顔だけをローゼルへと向けている。
それが何より腹立たしく、似つかわしくない態度でローゼルは彼をセリから引き離す。
セリを頂点として睨み合う二人に挟まれ、セリは途方にくれる。
どういうわけかこういう場面に出くわすことが多い彼女は、だからといって対応が上達するわけではない。

「・・・・・・、ま、いっか。だいたいセリの歳を考えたら、本気なわけないもんな」

男がおどけたような仕草をとって、ローゼルを挑発する。

「確かに、セリは若いが」
「歳知ってて言ってる?」
「二十歳ぐらいだとは」
「そりゃルクレアより年上になる」

ヴァイシイラの三女の名をあげ、笑みを浮かべる。

「十六だよ、セリ」

その言葉に、初めて素の表情を浮かべ、ローゼルが驚愕する。

「王子様、三十前だろ?いや三十超えてんのか?」
「叔母ぐらいですよね。たぶん」

どういう理由でローゼルが驚いているかを知らないセリは、素直な感想を口にする。
帰らずの森の魔女として名高い彼女の叔母は、セリの実母の歳が離れた妹である。

「おば・・・・・・」
「おじさん、って言っても過言じゃないわけで」

酷く驚いたままのローゼルをよそに、男はセリの横に立ち、慣れた仕草でその肩を抱く。
たいして嫌がるそぶりを見せないセリは、ため息を一つ付き、わずかばかりの笑顔を浮かべた。

「知ってると思うけど、ゼル=ミフィリルス。セリの親友で恋人」
「違う」

かけたままの腕を振り払い、セリが訂正する。
確かに、ゼルは友達ではあるが、断じて恋人ではない、と。

「ローゼルさま?」

呆然としたままの右手を振り、ローゼルは静かにセリの部屋を去っていった。

「何があったの?」
「さぁ?」

大げさに両肩をすくめた彼に再びためいきをつき、あまり興味が残らないセリはそのまま彼と会話を弾ませていった。