期待の春
 女性は好きだ、はっきりいって。柔らかい肌も自分とは作りの異なる身体も全部。
幸いガキの頃からこの顔のおかげで適当にもてた。とりたてて美形というわけじゃないが、人好きのする顔で、 どうやら母性本能をくすぐられる、らしい。
だから来るもの拒まず去る者追わず、シーズンごとに相手が違ったり時にはバッティングしたりなんていうこともあった。 それに対して罪悪感なんて感じなかった。友人達には笑いながら「そのうち刺されるぞ」なんて言われていたが、 相手もそこまで俺自身に執着しているとは思えなかったからリアルに感じることはなかった。

 それがここのところおかしい。調子が出ないというか女性に食指がそそられなくなったというか。 自分が枯れきってしまったのかと思ったけど、そうじゃない。ある特定の女性にだけは敏感に反応するものだから困ったもので。

日向理佐、入社2年目の技術部の女性。

入社してきた当初からちょっといいな、なんて思っていた。まあ、積極的にどうこうしようとは思わなかったけど。 彼女のことがやたらと視界に入るようになった。
営業の俺と技術部の彼女ではまったく存在する場所が違う。 主に外回りと実験室でなにやらやっている彼女では出くわすほうが珍しい。
なのにかなりの高確率で彼女の姿を見ることができた。

あれ?おかしいな、偶然かな。

のんきなことを思いながら、自分の思いが抜き差しならないところまできていることに気が付かないでいた。 今思い返しても心底あきれ返る。

自覚したのは彼女が入社して半年も経った頃、偶然社内の自販機で彼女と出会った時だった。
男ばかりの技術部で男勝りの仕事をしているのに、やたらと白くて細い指だな、なんてことを思っていたら、 ある一点に俺の視線が釘付けになった。

右手の薬指の指輪。

ゴテゴテしてないシンプルな、たぶんプラチナのやつ。
そんなところに視線が集中しているなんて気が付きもせず、軽く会釈なんてして去っていった彼女。

心臓が痛い。

右手で心臓を確かめる。別になんともなっていない。
なのにこの締め付けられるような焦燥感はなんだ?
ただの指輪じゃないか、たぶん男にでももらった。

男?
指輪?

彼女には男がいる?

当たり前といえば当たり前な結論に達した俺は、その場にしゃがみこんでいた。
彼女に彼氏がいる。
俺がショックを受ける。
ちょっと待て、因果関係がはっきりしていないぞ。彼女と俺は無関係。彼女は俺のことなんて多分知らない。
2-3分頭の中はぐるぐるしていたと思う。
やっと立ち上がって得られた結論は。
俺は彼女のことが好きだってことだった。

大間抜だ。

そんなことに今気が付くか?
今までまともな恋愛をしていない、とさんざん指摘されてきたことがまざまざと思い出される。
俺、本気で人を好きになったことなんてなかったんだ。

 ものすごい衝撃を受けた時から早1年半。季節は春になっていた。
相変わらず女は寄ってくるものの、その全てをお断りしていた。まるで修行僧のような生活。
そんなところで義理だてたって彼女は振り向いてもくれないのに、健気なこっちゃ。
彼女の右手にはプラチナリング。
その男除けに躊躇して声も掛けることが出来ない。
しかも、なにやら彼女は俺のことを苦手としているようだ。俺に対する視線がとりわけ厳しい。
彼女自身、周囲に媚びを振りまくようなタイプじゃないけど、それなりに愛想よく接している。 なのに俺の前でのみ、その表情が仮面をつけているようなんだよな。
理系の彼女は俺のようなふわふわしたタイプはお気に召さないらしい。
言ってて自分で落ち込んできた。



とある月曜。彼女の顔色がなんだか悪い。
おかしいな、そう思ったら後先考えずに声をかけていた。

「寝不足?」
「そんなことありませんけど?」

なんですか?あなたって顔をしてらっしゃる。
気のせいかな・・。元気みたいだけど。
次の言葉が出なくって、それ以上彼女を引き止める用事もない俺は曖昧に笑うしかない。
彼女もそれ以上に曖昧に笑って見せて立ち去ろうとする。
あれ?今違和感が。
そう思った瞬間、彼女の右手を掴んでいた。
うわ、俺セクハラだよ。
そんな理性的な突込みを無視して一点をみつめる。
そう、いつも薬指につけていたはずの、例のリングがない。
突然の出来事に本当に我を忘れて凝視してしまう。
ふっと正気に戻ると、不信感を顕にした彼女の顔が目に飛び込んでくる。
これじゃあ、変態だ、俺。

「何か?」
「あ、いや、ごめん」

それでも彼女の手首を離せない。聞きたいことはあるんだけど、どれもこれも今聞くにはNGな気がする。

「指輪……。指輪はどうしたの?」

やっとのことで口から零れ落ちた質問がこれ。
意図がつかめない質問だ。
案の定彼女は、呆れた風に答える。

「はずしただけですが」

冷静になるとこのシチュエーションはまずい。

「ごめん」

そう言って彼女の手を離す。むちゃくちゃ名残惜しいが。
やっと開放された、という安堵の表情を浮かべ彼女は自らの部署へと立ち去ってしまった。

常に彼女の薬指に存在した指輪がない。
つまりそれは彼氏と別れたってことか?
ものすごく楽天的に考える。
そういえば少し前から元気がないな、なんて思っていたけど。
そんなに俺に都合がいい出来事ってあるのか?
自問自答しつつも思考は楽な方へ流れる。
彼女はフリーになった。
ということは、誰がくどいてもいいってことか?
いや、彼氏がいたって口説くぐらいはいいが、彼女はまるっきり乗ってこない。 コロコロ笑って全てを冗談に代えてしまったらしい。
伝聞系なのは自分は怖くて口も聞けなかったからだ。
でも!これからは堂々と口説ける、いや口説く。
他の奴らに感づかれてたまるか。
先手必勝あるのみ。
そう意気込んで彼女と接触を計っていった、無謀にも。
 悲しいかな俺は女性を誘う上等な言葉を知らない。そんなもの知らなくても勝手に寄ってきていたから。
だから直球勝負しかない。もう押して押しておしまくる、ただそれのみ。

「一緒に帰ろう」「食事でもどう」「今度の日曜日に」

ことごとくスルーされた。もうそりゃあ完璧なまでに。
しかもそんな俺が面白くないのか今まで適当に遊んできた連中がちょっかいかけてくる。
その日も健気に彼女を待っていた。
そうしたら秘書課の鈴木さんが絡んできた。
そりゃあ確かに数年前に関係がなかったとはいえない相手だが。それはお互い本気じゃないはず。
絶対嫌がらせだ、確信をもつ。そのときの俺はまだ相手の気持ちを思いやる余裕なんてなかったし、 自分の行動や言葉がどう影響を及ぼすかなんて考えつきもしなかった。だから冷たく一言だけ

「迷惑なんだけど」

そうやって周囲を突き放していた。
今にバチがあたるぞ、という友人のアドバイスが思い浮かばないわけじゃないが。

纏わりつく鈴木さんを振り切り、目の前を通り過ぎていった日向さんを追いかける。 このままじゃ埒があかない。彼女にさりげなく気が付いてもらうなんて絶対無理とわかった、だからもう積極的にいくしかない。
そんなことを胸に秘めながら、走りつづける。
やっとのことで彼女の乗る地下鉄に滑り込んだ。
息を整えつつ、なんとか彼女と向き合う。

なにやってるの?という気持ちそのままの表情をした彼女が呆然とこちらを見つめている。
こんな近い距離で彼女を見ることができるなんて、滅多にないチャンス。
これを活かさないと男じゃない!
そう意気込むけど、彼女の反応はやはり芳しくない。 今までの俺の行動を激しく後悔する。おまけに「関係ない」とまで言われてしまった。
そりゃあ、俺と彼女は同じ会社に勤めている先輩後輩という関係以外なにもないけれど、 それでもこの一言はショックだ。たぶん嫌いって言われるよりきつい。
逃げるように次の駅で降りようとする彼女を引き止める、あの手この手で誘う。
最後には彼女の罪悪感と先輩という立場を利用して一緒に食事にいけることになった。

「ここおいしいんですよー」

見た目はただの居酒屋だけど、ここは普通の家庭料理がかなりうまい。 初デートでこんなところは色気がないかもしれない、けど、彼女は気取った店はあまり好きじゃないって思ったんだ。
案の定、俺の選択に驚きはしたものの、素直に喜んでメニューを選んでいる。
その笑顔に見惚れる。こんなことは初めてだ。ただ一緒にいるだけで楽しいなんて。

「お酒もあるけど、飲む?」
「いえ、遠慮しておきます」
「そう、じゃあ日本酒頼んでもいい?」
「はい、どうぞー、潰れてもほっておきますから」

ニコニコ顔の彼女は先付けを食べながらご機嫌だ。
おいしいものを食べにいくことで、ついでに俺のイメージも良くなってくれるといいんだけど。 今日のこれでおいしいものを食べに連れて行ってくれる害のない先輩、ぐらいの評価が得られれば、 そこから先は徐々に進んでいければいい。

 おいしそうに食べる彼女と、テンポの速い会話、そんなものが楽しくて、 ついつい自分の許容量を超えるラインまで飲み進めていた。



後の記憶は、ない。

気が付いたのは床の上で、腰をしたたかに打ち付けて目を覚ました時だった。
まだ頭の中がはっきりしない、うーーー、ちょっと頭が痛いかもしれない。
確か今日は休みだよな、今何時だ?
部屋にある時計を確認しようとして、いつもある場所に目をやる。
おかしい、ない。
ゆっくりと部屋を見渡す。

ここどこだ?俺の部屋はもっとこう、殺風景な部屋なはず。や、この部屋もものが多いわけじゃないけど。

あれ?

目の前に大きな物体が。

頭が起きてきたのか、目が慣れて来たのか物体に段段焦点があってくる。

あれ?人?

「起きた?」

無表情でこちらを窺うその人は、間違うはずもなく俺の思い人の日向理佐さん。

「……、ひゅうがさん?」

それでも確認をせずにはいられない。
ここどこだ?どうして日向さんがここにいる?
冷静にと言い聞かせながら頭を回転させる。

「どうして?」

そんな間抜な質問をした俺に、静かに怒りの炎が着火してしまったらしい。
淡々と昨日の俺の行状を言い連ねていく日向さん。青白い炎が見える気がする。
でも、待てよ、ひょっとして。
若い男女が一つ屋根の下で二人っきり、だよな。そうなればやっぱり・・・・なぁ。

「おれなにかした?」

恐る恐る確認をとってみる。この場合そうであって欲しいという邪な考えがあるが。 だけど、俺のこの言葉に日向さんの怒りはさらに大きくなったような気がする。

そういえば、俺洋服着てる?
しどろもどろになりながら会話を続けていくと、どうやら何もしていないらしい。
どうした?俺。こんなチャンス二度とないかもしれないのに、なにやってるんだ?

怒りのボルテージが極限に達したらしい日向さんに部屋を追い出される。
ちょっと待ってくれ、このままじゃ泥酔した上、酔った勢いで何するかわからない奴ってことになるだろうが。
言うべき言葉が思い浮かばず、なされるままに玄関へとたどり着く。
こちらを見据えた彼女の一瞬の笑顔、そんな笑顔に囚われて我を忘れて彼女を抱きしめていた。

「好きだ」

声に出してみればとてもシンプルな言葉。だけど俺自身にはとてつもなく勇気がいった。
こんなに緊張して告白するなんて初めてだ。

香水とかじゃないシャンプーや石鹸の香りがほのかにする。感触も匂いも手放したくない、 全てを俺のものにしたい。今まで感じたことがない荒々しい感情がムクムクと大きくなっていく。

このままじゃ俺の理性がどうにかなってしまう、そんなギリギリのところで、あっけなく彼女にけり出されていた。
瞬間呆然とするものの、すぐにドアを叩いて彼女に懇願する。
だけど、彼女の警察呼ぶよの冷たい一言に、諦めるしかなかった。



仕方がない、多少の失敗はあったけど、ストレートに告白することができただけでも良かったとしよう。
あんなに真剣にした告白をよもやすっかりなかったことにされているとは夢にも思わないとある春の日だった。


>>計画倒れの夏へ
9.26.2004update
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