良かった、真剣に良かった。
日向さんの隣に座って思わず拳を握る。

元はといえば、俺の営業部の後輩に技術部の友達がいる、と聞きつけたことから始まった。
なんでも同期入社で偶然同じ大学だと知り、それ以来意気投合したらしい。
そんなことはどうでもいいが、技術部に知り合いがいる、ということは技術部の情報が入るということだ。つまり日向さんの動向を知ることができる。
今回のこのバーベキューも技術部主催のものだから、本来部外者である俺が参加するのはおかしいはず。だけど、おいしい話を聞きつけた俺は、自分が周囲から浮くであろうことなど百も承知で技術部の集まりに潜り込んだ。
そうしてやっとの思いで日向さんの隣をキープすることができた。
俺の熱い思いとは裏腹に、冷静な日向さんは眉間にうっすらシワなど寄せて、黙々と皿に載せられた食べ物を口に運んでいる。

「日向さんもっと楽しそうな顔しないと」

気分を高揚させるべく話しかけてみるけれども、ますます顔から表情がなくなっていく。

「もしかしなくても、ひょっとして僕のこと嫌いですか？」
「いいえーーー」

何気ないフリを装って思いっきり勇気を込めて聞いてみたけれども、能面のような笑顔に流されてしまう。

「なんか、棒読みな上に心が篭ってないんですけど」

思わず本音が漏れてしまう。友人と談笑しているときのような笑顔を一パーセントでもこちらに分けてもらえないだろうか。
そんな俺の気持ちなど当然知るはずもない日向さんは、ビールを気持ちよいぐらいの飲みっぷりで飲み干していく。
そんな気取らないところも好きなんだけどな。これもまた独り言どころか、声にも出せない。あまりにも今までの自分と違って不器用すぎて、本当に本当にどうしようもない。
今日は日向さんを送るつもりで乗り込んできているので、お酒は飲んでいない。春に大失態を演じたばかりだというのも飲まない理由になっていたりするが。
お酒で気分がほぐれたのかだいぶトゲトゲした雰囲気がなくなってきた。
ダメだろうけど、いっそのことこの場に乗じて誘ったりしてみようか。

「水族館行きません？」
「はぁ、いいですよ」

いい返事が返ってくるはずもないと思っていたので、思いもよらない受諾の返事にまっさきに自分の耳を疑った。
だけど、すぐに理解した。彼女は俺の話を聞いていない。きっと上の空で適当に返事をしただけなんだろう、と。
でも、この状況を利用しない手はない。言質をとって多少強引にでもデートにこぎつけてしまえ。

「いいんですか？」

絶対わけがわかっていないであろう彼女に対して念を押す。

「へ？」

案の定彼女は思いっきり不可解な顔をする。

「いいんですよね」
「は？」

畳み込むように相手を納得させる。

「明日朝七時に迎えに行きますからね、待っててください」

もはや決定事項のように会話を進める。ちょっと卑怯だけれどもこれぐらいしないと彼女とのデートだなんて一生実現しなさそうだから。

「明日は楽しみにしています」

最後までわけがわからなかったであろう彼女に笑顔で約束を突きつける。
これでよし、と。
明日が楽しみだな。
でも、ちゃんと起きてくれるのだろうか？



　案の定というか、やっぱりというか、彼女の家を訪ねたときには彼女はまだ夢の中だったらしい。寝ぼけ眼で対応する彼女もかわいい。
思わず理性が吹き飛びそうになるが、ぐっと堪えて彼女が準備が終わるまで留守番する犬のようにドアの前で待つ。
大慌てで出てきた彼女は、とてもラフな格好。でも、彼女にはなんでもよく似合うというのは惚れたものの欲目、だけじゃないと思う。

すぐにデートじゃない、と言い切られて落ち込んだ俺も、子供のように水槽に夢中になる彼女を見て、一気に気分が上昇した。
何をやっても、彼女はかわいい。
そんな変質者的な思いにどっぷりつかって眺めていたら、彼女が申し訳なさそうな顔をしてあやまってきた。俺と一緒にいるのに、すっかりイルカに見入っていた自分に気がつき、ちょっとだけ恥ずかしがっている。
そこがまたかわいくて、余計なことを言うかわりに笑ってみた。
少しだけびっくりした顔をして、またいつもの彼女に戻った。
その何気ない変化を見逃さずに見られたのが嬉しくて、その日の俺は舞い上がるだけ舞い上がっていた。
この後、あんなところを日向さんに見られるとは思いもせずに。

今の自分には家族がいない。
そういえばどれだけ不幸な身の上かと思われるかもしれないが、そうでもない。
ただ単に割りと高齢で子供をもうけた両親が平均寿命よりも随分と前に死んでしまったのと、不幸にも兄弟がいなかったせいだ。
だけど、そこから親戚をたらいまわしにされていじめられた、というようなことはおこらず、面倒見のよい叔父夫婦と従兄妹たちにお世話になって、不自由なく暮らすことができた。それにしても大学生になった頃には、彼らの庇護下から離れ、自立することにした。
それ以上面倒をかけたくもなかったし、やっぱり心のどこかで彼らに対して疎外感をこちらが勝手に感じてしまったからだと思う。
それ以降は自由な一人暮らし。
バイトばかりの大学生活を卒業して、なんとか就職して、現在に至る。
その間の私生活が、今現在これほどたたるとはおもわなかったけれど。

「おはよう」
「おはようございます」

あれ以来、日向さんとの距離は一向に縮まらない。
挨拶をすれば返してもらえるし、少しだけ話をしたりもするけれど、それ以上でも以下でもない。ただの先輩と後輩。
そんな関係がじれったく、でもどうしようもできなくて、少し鬱屈していたある日、断るにことわれない微妙なラインの人間から相談をもちかけられた。



「お久し振りです」
「……お久し振りです」

相談という言葉に驚いて、従兄の奥さんの呼び出しで、こんなところまでのこのこやってきてしまった。
彼女が待っていたコーヒースタンドの前は確かに大通りで割りと治安もよいところだけど、ここは少し行けば怪しい雰囲気の店が洪水のように溢れている場所だ。できればこんなところでこんな風に女性と二人きりでいたくはない。まして、この土地は理佐さんの家へ行く通り道なのだから。

「で？相談って？」

とりあえず彼女を促してスタンドに入る。
どこまでも健全で、客もまだ高校生などがうろうろしている時間だ。少し不満げな彼女は、それでも大人しく適当に注文し、二人がけの席に向かい合わせで座る。
とりとめのない彼女の話を聞きながら、時計を確認する。
すでに2時間以上は経過しており、そろそろ店員の視線を痛く感じ始める。
そもそも、今日呼び出されたのは、従兄のことで相談がある、といきなり電話で言われたからだ。
叔父夫婦には非常に世話になった。
その子供である従兄にもとても世話になった。
途中から、しかもかわいげのない高校生にもなった俺が混じったにも関わらず、彼はとても俺に親切にしてくれた。
今でもたまに食事に行くし、飲みにもいく。
だが、彼らの家へ行くことは、いつのまにか避けていた。
部外者の俺が、叔父夫婦の家へ同居と言う形で新しく入ってきた彼女の生活を乱したくなかったから、というのが一つと、彼女の俺を見る目が、どうも鬱陶しそう、という半分自意識過剰な思いからだ。
俺は割りともてる。
その無駄な経験値のせいなのか、非常にやっかいなタイプの女性というものに嗅覚が効く。ただし、そこそこ、とか、やややっかいなタイプの女性はうっかり接触してしまい、周囲を巻き込んで迷惑をこうむったことは一度や二度じゃないけれど。
その自意識過剰な思いが的中してしまったような気がして、できるだけ視線をあわせないようにして、通りを眺めたりする。
彼女の話はあちこちいったりきたりしながら、全く本題に入らない。
従兄に対する細かな不満をならべたて、叔父夫婦に対する文句もそこに混じる。
だが、それはまあ、同居していれば何がしかの鬱憤ぐらいあるだろう、と聞き流しながらも先を促す。

「私、寂しくて」

あまり真剣に聞いていない俺に痺れを切らしたのか、唐突に彼女がこういいはなつ。
その瞬間、考えないようにしていた彼女に対する警戒度が一気に最大まで引き上げられた。
独身の、いや、男にこういうことを言い出す女は要注意だ。
「最近妻とはうまくいっていなくて」という常套句で不倫に誘う男と同類項だ。そういうのが好きなら、あえてそれにのるのもいいが、あいにく俺はそれほど不自由していない。
まして、今の俺は理佐さん一筋だし、彼女は大事な従兄の嫁さんだ。
聞かなかったふりをして、店を出る。
小走りについてくる彼女をふりきりながら、駅の方へ歩き進める。
左腕をつかまれ、反射的に振りほどく。
驚いた顔をして、彼女がねっとりとした視線で俺を見上げる。

「もう遅いから家へ帰りなさい」
「……今日は実家に泊まると言ってありますから」

全くかみ合っていない会話で、彼女の粘着質な視線が絡みつく。
従兄や叔父夫婦の顔がちらちら浮かんで、最後には仁王立ちをして両手を腰に当てた理佐さんの映像まで浮かぶ。

「だったら実家に行けばいい。まだ電車もバスもあるだろ？」
「でも」

ちらちらと視線を送る先はそういう施設がある場所で、これはもううぬぼれていただとか、勘違いだとかいうレベルの問題じゃない。

「俺、帰るし」
「あの、私も」
「迷惑なんだけど」
「でも」
「でもじゃなくって、迷惑だって言ってんの。それに俺は何も聞いてないから」

ぐずぐずと言い訳をしながらも、それでも諦めない彼女に段々テンションがあがる。

「だから、何を俺に期待しているのかは知らないし、知りたくもないけど、今すぐ帰ればまだ目をつぶってやれるから」

こんな女が大事な従兄の妻だ、なんていうのは嫌だけど、それでも今表面上うまくいっているはずの彼らの関係にヒビが入るのは忍びない。それも自分が引き金となって。
だからこそ、見なかったふりをする。
少しだけ従兄に、忠告めいたものをするつもりではあるけれど。
その場に張り付いて動こうとしない彼女と、どうにかしてこの場を離れて欲しい俺。
いつのまにか大声になって、周囲の通行人の耳目を引いてしまったようだ。
ばつが悪くなって周囲を見渡して、そこに見知った顔を見つけて心臓が止まるかと思った。
しかも、その人は軽く会釈をして不自然なほど素早く走り去ってしまった。
揺れる髪の毛をただ呆然としたまま見送ってしまった。

「理佐さん」

呟きは雑踏にかき消される。いつも理佐さんに会いたくて、だけれどもこんなところを見られたくはなくて。

「うぜぇ」

何度目かに取られた腕を乱暴に振り払い、彼女を見下ろす。

「そういうつもりなら他をあたってくれ、あんたみたいなおばさんに興味はないんでね」

われながら酷い言葉がすらすらと出たものだ、と思う。
だけど、俺は彼女を許すことができなかった。
大好きで大事な理佐さんにあんな顔をさせた彼女のことを。



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