とある聖女の物語/第7話

 ミューラとリエラの旅路は楽なものではなかった。
戦時下における女の二人旅など、本来正気の沙汰ではない。
だが、幸いなことに疎開する人々の波に紛れ込み、己以外をかまう余裕などないありさまにおいて、親子ほど年の差のある粗末な格好をした二人は、それらの一員だ、とみなされた。
だが、彼女の美貌を露にしてしまえば、余計な争いごとに巻き込まれることは必死だ。
それほど稀有な容姿をもったリエラに目深に布を被らせた。砂埃が舞う中、リエラの様相はごく自然で、彼女たちはのろのろとした足取りで目的地へと進んでいった。
ミューラは、家格の低い貴族出身の女だ。
リエラが生まれた頃、たまたま実子を死産し、乳が出る状態だったため都合よく乳母として召し上げられたのだ。彼女は精神的混乱の中、実子への罪悪感をリエラへの愛情へと転化し、彼女を慈しんだ。
結局それらの甘いときは、高位の貴族である侍女頭に奪われ、リエラは今のリエラとなるべく育て上げられた。いつしか、リエラもミューラの存在を日常の中、忘れてはいた。
だが、耳が、体が、彼女を覚えていた。
柔らかな体は、幾分ふくよかとなり、リエラに暖かな何かを与えてくれる。
従者の目から逃れた罪悪感すら忘れ、口に出来るものが何もない一日も、癇癪を起さずに過ごすことができた。

「ミューラ、あれは何?」

整備されていない舗道の脇には、座り込んだまま動かない人たちがところどころ塊となって蠢いていた。それらは土ぼこりを被り、本来なら豊かな穀物が実るはずであった枯れた田畑と一体化し、リエラの目には人である、との認識が薄くなっている。

「けがか病気か、もう動けなくなったのでしょう」

この道はミューラの母方の故郷へと続く道である。そこの貧しい商家出身であったミューラの母は、弟妹を食べさせるために都に出、後に添うこととなったミューラの父の家で侍女として働いていた。それがどういうわけか後添いとなり、また、王家の宝、とまで言われたリエラの乳母にまでなったのだから随分出世したともいえる。だが、リエラの失脚に伴う没落は、幸いなことにミューラの一族に降りかかることはなかった。
それは王家側が、直接リエラと接触が出来るほどに身分は低くはなく、だからといってそれを誇示して家格を上げ、大きな顔ができない程度の家のものを選別していたからだ。過分な報奨が与えられ、ミューラは一切を口外できない立場に追いやられていた。結果として、ミューラだけがリエラの側にいることができるのだから皮肉なものだ。

「手当ては、しないでいいの?」
「無駄でしょう」

ようやく人だと認識したリエラに、ミューラはゆっくりと首を左右に振る。

「食べ物も薬も、何もかもが足りないのです」
「父は、いえ、王は何もしてくれないのですか?」

玉座に座り、威厳のある格好をしていた父。
それはリエラにとって憧れであり、当然の姿である。
歴史ある国の頂点に立つにふさわしい男。
それが父である。
だが、現実は今リエラの目の前に広がっている。
点在する死体とけが人。飢えは彼らから体力を奪い、さらに死体を増やしていく。その死体から何かを盗み取っていくものを咎めるものすらもういない。
道行く人々は、自分自身の身を前へ進めることで精一杯なのだから。
リエラは、祭主に伴って行った避難所での光景を思い出した。常に漂った死臭は、彼女の鼻の感覚を数日間狂わせ、食事を無理やり飲み込まなくてはいけない状態となった。
今ではそれが彼女の日常だ。
王宮に住まわっていたころなら、こんな惨状を目にすることも耳に入れることもなかっただろう。
宝玉のように育てられ、それ以外のものになることを許されなかった少女。リエラは、そういった全ての感覚から遠ざけられていたのだから。
だが、粗末な神殿の暮らしで、彼女は知ってしまった。
その日の食料すら口にできない人がいるということを。
原因となった敵国を恨み、また遠因となったリエラを侮蔑した国民は、もはやそれを考える余裕すらない有様だ。
そんな人々を、父王は見捨てている。
美しかった指先を見つめ、リエラは黙って顔を隠す。
ミューラとともに、彼女は大人しく縁ある地への歩みを進めた。




5.13.2011
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