侍女として働き始めたユリは、当初は宰相が管轄していた部署で働いていたが、しばらくしてアンネローゼの下で働くこととなった。
アンネローゼは由緒正しい家柄出身とはいえ、実家での生活はとてもつましく、必要な侍女をそろえて輿入れ、というわけにはいかなかったこと。また、王宮内に信用がおける女性の人材が非常に限られる、といった苦しい事情が宰相側にユリを選ばせた。
ある意味ユリは、どこの派閥にも属さず、また、余計な後ろ盾がない分、邪まなことはしない、ということがはっきりしている。その人柄も、必要がなければ人を傷つけるようなことはせず、適正な賃金に適正な仕事を与えれば、黙々と働く性格である。
リティにいたっては、ユリが、目が届く範囲内で働くことを喜び、前にもましてアンネローゼの側近くで嬉しそうに働いている。
「どこのご出身?」
ユリが働いていることがすっかりとなじみ、アンネローゼの腹が大分ふっくらとしたころ、唐突にアンネローゼがユリへ尋ねる。
「どこ、と言われましても、ものすごい田舎だとしか」
彼女はリティの遠縁の遠縁にあたる田舎出身の娘、ということで通している。
身元審査にうるさい王宮側にしても、宰相と大貴族出身のリティの推薦状があれば、多少怪しいところがあったとしても、目をつぶらざるを得ない。
「私のところも田舎なのだけど、ユリのところとどちらがより田舎かしら」
「アンネローゼ様のところを存じませんので、なんとも申せませんが、本当に気が遠くなるような田舎です」
「ふーーん、そう。あなたって自分のことをあまり話したがらないのね」
どういうわけかユリに興味を抱いたアンネローゼは、ことあるごとに彼女に個人的なことを尋ねる。
曰く、出身は、両親は、趣味は、恋人の有無は、など。
そのつど適当に、だけれども矛盾しないように答えることに余計な神経を使いつつ、ユリはなんとか一通りの仕事をこなしている。
彼女がユリに執着するのには多少わけがある。
第一に、あまり個人的に人に興味を抱くことがない陛下が、ユリへ関心を持っている風なそぶりをみせること、第二に、政治的立場では非常に辛らつな態度をとることが多いリティが、どういうわけかユリに対して一歩引いた態度をとっていること、などだ。
非常に頭がよく、周囲の人間観察にも優れたアンネローゼが、ユリへ興味を持たない方がどうかしている。
しばらくしてようやく、宰相はアンネローゼに秘密を打ち明けることにした。
「ということは、陛下って」
「その、そういう能力がおありにならない、と」
まだ少女といっても差支えがないアンネローゼに、そのようなことを告げることをためらうのか、多少言葉を濁しながらも、真実を告げる。
「で、アーロナが彼女を連れてきた、と」
異世界、という概念を説明するをやめ、適当にのろいが聞かない一族だ、ということにしてユリの存在を説明する。
「だったら、あなたが側室になればいいんじゃないの?」
今現在目に見えるユリを指差し、アンネローゼがおっとりと質問する。
ユリの姿は今、この王室に求められる姿、金髪碧眼として周囲には映っている。しかしながら、それはダレンの幻術であり、側室にするためにそのまま術をかけておいてくれ、と言ったところで、ユリを連れてどこかへ高飛びするのが落ちだろう。それに関してはユリがたとえ望んだところで、ダレンは諦めずに彼女を連れ去ることは間違いがない。しかも、肝心のユリが胸の前で両手によって大きなバツ印を作っているのだから、問題外だ。
「それには、色々と問題がありまして」
宰相が口ごもる。
聡いアンネローゼは何かを察し、それ以上追求することはやめた。
「まあいいとしましょう、あなたのことは気に入っています。そうだ、これからはあなたの国のことを教えてくれない?なんでもいい、気晴らしになるでしょ?」
アンネローゼは今、それなりの教育をそれなりの人間たちから受けている最中だ。もちろん身重の身ゆえに、厳しすぎる、ということはないが、それでも彼女にはこれから王宮内で与えられ地位で生活していくために必要な知識と教養、といったものが叩き込まれている。
もちろん、一通りの教育は受けてはいるが、彼女がこれから歩んでいこうとする立場には、それだけでは不十分だったのだ。
「ええ、アンネローゼ様のお気が晴れれば」
和やかに、一つの秘密を彼らは共有し、薄いながらも仲間意識すら共有する。
取り残された陛下を除いて。
「おまえ、見ない顔だな」
宰相へ使いを頼まれたユリは、唐突に声をかけられた。
並以上の美少女であるユリは、男性に声をかけられることは多く、そのたびに同僚女性たちのやっかみをかうこともしばしばだ。面倒くさいことが嫌いな彼女は、こうやって声をかけられること事態を非常に嫌う。
しかしながら、ほとんどが自分よりも立場が上の人間であるため、形式ばった態度と、ぎこちない笑顔を作り出して対応する。
「最近こちらへ参ったばかりの新参者です。今はアンネローゼ様の侍女として働いております」
視線を下げたまま、声をかけた誰か、に答える。
「ほう、アンネローゼの、へぇぇぇぇ」
側室を呼び捨てにする不躾な人間の顔を確かめたかったが、どちらかと言うと接触を持たない方がいい予感がしたユリは、丁寧な態度を崩さないでいる。
「顔をあげて」
だが、どこまでも軽い口調の男は、それだけではユリを解放するつもりがないのか、さらには面を上げるように命令をする。その態度は、どこまでも命令することに慣れた人間のそれだ。
「ふーん、なかなか美しいな。今夜我が館へこないか?」
渋々顔を上げたユリは、そこに陛下にそっくりで、さらに軽薄さと薄弱さを加えたどこまでも好きになれない男の顔を見た。
(げ、陛下そっくり、しかも劣化してるし)
心の声をぎりぎりうちにとどめ、ひきつりながらも笑顔を保つ。
だてに年単位で放浪を繰り返していない、庶民の生活はこのようなややこしさはないものの、やはりそれなりの処世術はみにつくものだ。
「申し訳ありません、急ぎますので」
劣化した男の言葉を聞かなかったことにして、ユリはそろそろと後退しながら逃亡をはかる。
ユリを面白そうにながめたあと、何かを言いたそうにしたものの、男はユリが逃げるに任せていた。
その男こそ、リサゼル=フィムディア、仮とはいえ王国の王太子に立てられた男だ。
彼の目は、小走りに去っていくユリの後姿をいつまでも捉えたままであった。
「すみません、陛下を悪化させたような軽い男に出会ったんだけど」
二人きりの気安さで、ぞんざいな言葉で宰相に話しかける。
受ける宰相も、それに態度を硬化させるどころか、あたりまえのように答え始める。
「ああ、それならきっとリサゼル様でしょう。最近こちらへ戻ってみえたと聞き及んでおります」
「戻ってきた?」
「ええ、その、リサゼル様は大変ご活発な方でありまして」
「外に女漁りにでも言ってたの?」
「有体にもうしあげれば、といいますより、ユリ様、さすがに年若い女性が口にする言葉では」
「すみませんね、育ちが悪いもので」
別段育ちが悪い、というほど悪いわけではないのだが、日本の社会に照らし合わせ、このようなところで働けるような育ち方をしていないのは事実だ。礼儀作法一つとってしても、普通の学校では習わないことばかりだ。
「万が一、ということがありますので、あらかじめ忠告申し上げますが」
「なにを?」
「リサゼル様にはくれぐれもお気をつけください」
「それは性的な意味で?」
「大変言いにくいですが、その通りです」
「私みたいな毛色が違うのなんて相手にしないんじゃない?侍女だって美人多いし」
さすがに王宮で働くものは、侍女とはいえ家柄も容姿もそれなりに条件が良いものが多い。その中でもユリは育ちの違いなのか、ここ数年の生活のせいなのか、目立つ部類に入っている。だからこその宰相の忠告なのだが、ユリ本人に自覚が薄いせいか、あまり真剣に受け取ることはないまま、いつのまにか、そんな言葉などすっかりと忘れ去ってしまった。