人生をあきらめたわけじゃない/第4話

「……何の用?」

いつのまにか主まで好奇心旺盛にやってきては、有里の背後から、災厄を覗き込む。
有里にとって疫病神そのものの物体の名は、ジクロウ=フィムディア。
もちろん、フィムディア王国の現国王陛下でもある。
そんなことは口にも出したくないけれど。

「私の子を生んでくれ」
「……うざい」

おお、と、主と執事夫婦が小さく感嘆の声を上げる。

「熱烈な求婚があったもんだねぇ、ユリちゃん。子供を生んでくれだなんて」

まだまだ旧弊的な社会であるこの大陸内においては、結婚をして子供を残すことは女にとって最上の喜びであり、家にとっても喜ばしいことである、といった風潮が根強い。
それを考えれば、彼女たちの反応は最もだといえる。

「あんた、私と結婚する気あんの?」
「何言ってんだい、ユリちゃん。結婚もしないで子供を生ませようだなんていう馬鹿は」
「私の妃にか?それは無理だ」

婦人の言葉など耳に入らないかのように、あっさりとジクロウが答える。
一斉に「はあ?」という疑問の声が三人からあがり、彼らのジクロウを見る目が厳しくなっていく。

「じゃあ、なんだい、ユリちゃんを愛人にでもするっていうのかい」

この国でも上の階級の連中は、複数の妻を持つことが許されているらしい。
主にお家存続が目的らしいが、顔はしょぼくれてはいるが、身なりだけはやたらといい金髪のジクロウを見て、そう判断をしたのだろう。

「側室に?それも無理だ」

だが、そんな婦人のやや敵対心をもった質問など意に返さず、あっさりと最も反感をもたれる答えをもたらしてくれる。

「そうだよねーー、私じゃあ、側室はおろか、存在すら知られちゃだめなんでしょ?実際のところ」
「そなたはその姿だから、どうあがいても側室はおろか、その世話係にもなれぬ」

ぎりぎりと張り詰めた空気が漂うなか、あくまでもそれがどうした、といった風に王様が答える。
こういうところはこいつはやんごとなきところで育ったやつなのかもしれない、と、有里が感心をする。
下々の心など取るに足りない、気にする必要がないと、いわば究極に空気が読めない男なのだ。

「自分の姿を鏡で見てからいったらどうだい?この醜男」

あまりな暴言に、一瞬言葉に詰まるが、それでもこの男は全くひるまない。

「ユリのその髪や瞳では、例え家柄がよくとも無理に決まっている。まあ、その家柄もないが」

無理やり引き入れておいてその言い草はないが、結局のところ彼の言っている前半部分がほとんどの理由を占めている。
彼女がこの世界に来た当初、彼女の世話をしてくれた女性が、有里に同情心をもったのか、色々と教えてくれた。
その中の一つが、この王室に関する絶対条件だ。
つまり、世継は絶対に金髪に青い目であること、といった良くわからない決まりごとだ。
だからこそ、代々の王様たちは、それが高く生まれる条件を持つ女性を正妃に据えたがり、必然的に王家の女性たちはそのような頭髪を持った女性たちばかりがあつまるところとなった。
長い時間をかけて、それは熟成されていき、王家やそれに嫁ぐ可能性の或る貴族階級のほとんどは、それらの因子を有する人間で占められ、有里のような姿の人間はほとんどいないのが実情だ。
そんな折に、いくら子を成すためとはいえ、彼女のような存在が正史に現れていいはずもない。
だからこそ、有里のこの世界への召還はごく一部の人間しか知らない事実であり、今でもそれは隠蔽され続けている。

「ユリとならば十分世継たる子が成せると、予知されておる。その姿を見たときは驚いたが、まあ、こやつの予知が外れることもないし、子を成せばユリは自由になるし、十分な対価も支払うのだから、いいかげん考え直してはくれないか」

何度聞いても怒りで気が遠くなりそうなほどの言い分に、有里が手に持っている刃物を投げつけそうになる。
だが、その前に、執事と婦人と主の、三人がそれぞれに手に持った、もう少し穏当な得物によって彼は昏倒し、あっという間に縄で巻かれた状態となった。
ついでに、彼にくっついてきて一言も発していなかった魔術師とやらは、彼が術をかけるまえに叩きつぶれている。
いくら優秀な技術も、こうなってしまってはその力を発揮することができない。
この連中は、アホなのか馬鹿なのか。
もう少し強引に行けば成功しそうなのに、どこか脇の甘さなのか、人間的な甘さなのか、ことごとく失敗している。

「ユリちゃん、ごめん。こんな変態だとは思わなんだ」
「ああ、身なりだけはいいですから。それに執事さんが招き入れなくても、どうせこいつら入り込んでましたよ。こいつこんなんでも優秀な魔術師だそうですから」

横たえられた体をとりあえず右足で転がす。
ここまでくるのに金貨何枚分の技術料が必要なのだろうか、と、考え、こうも資源を無駄にするこの連中に、さらに怒りがわいてくる。

「それよりも、これ」

有里が今まで働いた賃金をためた袋を差し出す。

「ん?それがどうした?」
「申し訳ないんですが、これだと銀貨にするとどれぐらいになりますか?」

この国にはこの国の通貨が流通している。
もちろんその通貨は隣やその他の国では使用することができない。
だが、それでは国同士のやりとりでは少々不便である。ここには為替取引所はない。
そこで考えだされたのが、金貨や銀貨、といった貴重な金属をそのまま貨幣にする制度だ。
もちろん、その金銀が、有里の知っている金銀と同じ成分かどうかは知らないけれど、似たようなものの存在を知っていた彼女にとっては、この制度はとても合理的なものである。
もちろん、それは、あちこちに飛ばされる彼女にとっては、であり、今まさしくその危機にさらされている、ともいえる。

「それなら、まあこれぐらい、といったところだが」
「そんなに?ああ、ここ条件良かったんでしたっけ」

支給された給金をほとんど使わず、とっておいた有里は驚きながらその銀貨をみつめる。

「申し訳ないですが、これと交換していただけませんか?」
「別にかまわないが、使える場所が限られるからめんどうくさくないか?」
「いえ、どこでも使える方が便利ですから」

交換された銀貨を、大事そうに胸に抱き、おもむろにスカートをまくりあげ、いつのまにか縫いつけてある小さな別生地の中へと放りこむ。

「これでよし、と。短い間でしたが、色々親切にしていただいて、ありがとうございました」
「は?おまえ、まさかこいつと一緒にいくとか」
「まさか、逃げるんですよ、また」
「いや、こんなやつらはもう二度と家にいれないから、だから、このままここにいればいい」
「いえいえいえ、こいつらのせいだけど、私が消えるのはこいつらのせいじゃないんですよ」
「何をわけのわからないことを」
「まあ、こっちにも色々あるんですよ」

その間にも彼女は、初日に買い求めた外套をはおり、いつでも出て行ける準備を整えている。

「いや、待て、こら、聞いているのか?」
「聞いてますよーー、ご主人様もいいかげん引きこもりをやめて、外にでてくださいな。ついでに結婚の一つもして、執事さんたちを安心させてあげてくださいよ」

唐突な展開に、主も、執事夫婦も顔を見合わせながら、有里の後をついてまわる。

「だったら、だったら、おまえが私と結婚すればいい?」
「はぁ?それ求婚ですか?」
「……おかしいか?」
「いえ、その、なんと言っていいか。そういうこと初めてなもので」

もちろん、しょぼくれた陛下の戯言は数のうちにはいれていない。

「だから、だから」

その言葉を最後まで聞かないうちに、有里の体はどこかへと運ばれた。
呆然とする三人と、地面に転がったまま何もできないでいる二人組みを残して。



「あーーー、ほんっと、嫌になる」

少しだけ涙ぐんで、だけれどもすぐに立ち直った有里は、早速職探しに奔走する。
婦人のおかげで、行儀見習い一般を習うことができた彼女は、なんとかその国の裏寂れた貴族の、病気静養中の夫人の療養地における、水仕事一般を行なう下の階級の女中として雇われることができた。
元気に働く有里は、前の主が引きこもりをやめて、真面目に生活をするようになったことを知らない。
彼もまた、一生彼女の姿を見ることはできなかったように。

4.13.2009
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