人生をあきらめたわけじゃない/第1話

 有里が次ぎに飛ばされた国は、前回暮らしていたところよりも大分気温が低いらしく、食堂の給仕係に相応しい服装一つだけでは、ここの土地では周囲の注目を集めてしまうようだ。
仕方なしに彼女は、周囲に安くて丈夫な衣服を売る店を尋ね、そこへ足を向ける。むろんそれらしい言い訳をでっちあげ、話しかけられた年配の女性の同情をかいながら。

「よし、と」

鏡に映った自らの姿を確認し、周囲に溶け込めるかどうかを考える。
良くしてくれたおかみが住んでいた国よりもさらに、髪の色などは暗くなっているようだが、比較的日照時間が少ないせいなのか、色白の人間が多いように見受けられる。
有里にしてもそれほど色黒、というわけではないのだが、何も防御しない肌は、安穏と日本で暮らしていた時よりも荒れていることは間違いがない。それでも、服装さえ気をつければ、さほど奇異に映る、といったことは避けられそうだ。
次にどうなるかが全くもって不明な彼女としては、こういった出費はさけたいところだが、とにかく職を探すにしても、悪目立ちすることは避けたいところだ。幸いなことに大陸ほとんどに流通している銀貨が使えることはありがたい。前回の土地で、その国の通貨を黙々と換金していたかいがあったというものだ。
とりあえず地味で平均的な上着と外套を揃え、主人に求人の情報などを尋ねる。
紹介された場所は公的な職業紹介所であり、この国ではどうやらこういったことは国を通して募集をかけることが一般的であり、それ以外はそれなりの事情があってのことだと、服屋のおやじが説明をしてくれた。
これといって特技はなく、それでもそういった後ろ暗い仕事はさけるべく、彼女は言われたとおりの道を進み、紹介所にたどり着く。
どれほど給金が安かろうとも、食べられればそれでいい、と考える彼女は、暗くて厚い雲のせいで、どこか陰気くさく見せるこの町でも、給仕でも雑巾がけでもなんでもして糊口をしのごうと、手渡された幾枚かの紹介状に目を通す。
どれもこれも正体不明の彼女に渡すに相応しく、どちらかというと一般的に人が避ける仕事ばかりが並ぶ。
ぐるりと周囲を見渡してみても、この国は経済的に不安定なのか、辛気臭い求職者の顔ばかりが目立つ。
その中にあって、何の後ろ盾もないよその国の人間である彼女に、一応曲がりなりにも紹介できる仕事があるだけましだと思わなくてはいけない。
 公娼やそれに近い職種、もしくは力仕事ばかりが並ぶ中に一つ、条件だけはやけに高い仕事が混じっていた。
何度見返してみても、その条件は他の紹介状の条件とは比べるまでもなく高く、さらにはどうも住み込みの仕事であると記してある。
何度も何度も見返しながら、それでもその誘惑には避けがたく、彼女はその紹介状を職員とおぼしき中年男性に差し出す。
彼はその紙と有里を幾度も交互に眺めながら、ふう、と大げさにため息をついた。
それだけでもどういうことなのかを問いただしたい気持ちが浮かばないでもないが、このまま野宿生活に突入するよりははるかによいはずだ。

「ほんとうにいいの?」

自分で紹介をしておいてその言い草はないだろう、と、言いたい気持ちを堪え、黙って頷く。
彼はさらに地図らしきものを沿え、有里に手渡す。
今有里がいる建物の位置を彼に確かめ、彼女はとっとと歩き出す。
背中の方から

「今度はいつまでもつやら」

といった、不気味な声が追いかけてはきたけれど。



 地図通りに歩いたその先に、まるで鉄条網を思い浮かべるような高い金属でできた柵、が張り巡らされた屋敷が見えてきた。
どこか不吉な思いを抱えてきた自分の想像とさほどかけ離れていない雰囲気の屋敷を見上げ、それでも他にいくあてはなし、と、さび付いた扉を開ける。
荒れ放題にあれた庭は、かつては美しかったであろう姿を想像させるばっかりに、余計に哀れなものを感じ取ってしまう。
やはりあまり掃除をされていない玄関口に、重く閉ざされた扉にぶらさがるドアノッカーに手をかける。
一呼吸置いたのち、数度それを叩く。
静まり返った屋敷からは何の反応もなく、地図を見返す。
穴が開くほど見つめなおしても、その地図では明らかにこの屋敷を示しており、渋々それを数度、先ほどより幾分か強めに叩く。
しばらくたって後、ようやくおっとりと一人の初老の男性が重い扉を開け、姿を現した。

「あの、紹介所で」
「ああ、ご苦労様。こちらへ」

彼の気の毒そうな視線が気になるものの、外からは想像できないほど掃除された室内へと通される。
玄関の扉を開けると、映画でしかみたことがないような石でできた階段があり、有里が日本で与えられていた個室よりもはるかに広い踊り場から、左右へ緩やかなカーブを描いて階段が続いている。向かって左側が主の居室空間であり、右側が客などをもてなすための空間だと説明を受ける。
その間にも次々と主に彼女が仕事を行うであろう部屋を紹介していく。
食堂、台所など、どこへ行っても彼以外の人間の姿が見えず、思わず口を挟む。

「あの、働いている人って……」
「……主は幾分難しい人間ですので」

これだけで察しろとばかりに、眉間に深いしわを寄せる老人に、これ以上の質問を繰り返すことはできなかった。

(どーりで給金がたかいわけだ)

一人で勝手にあの紹介状の裏にある秘密につきあたり、納得をする。
つまるところ、この広い屋敷には使用人が彼女と、彼と彼の妻、しかいないようなのだ。
正直なところその人数でこの屋敷を回していくのは難しい。
紹介状によると、主は貴族階級にあるそうだ。身分的にはそう高くはなく、だが、何代か前の当主が商業的に奇跡的な確率で成功したらしく、当代まで金に困ったことがないという恵まれた境遇だ。本来ならそのような立場の人間は、多数の使用人を抱え、またそれをまとめる同じかやや低い階級の貴族夫人がこの屋敷の面倒をみているはずだ。
そうして、やれ茶会だの、だれそれかの誕生日の集いだのを開いては華やかに遊び暮らすのが仕事、だと有里は考えているし、どうやらこの国でも貴族階級はそれらが本質的な仕事のようなものである、と、彼の言外の説明で認識することができた。
主不在のまま、あっさりと有里は正式に雇われることとなり、これで雨露を凌ぐ生活が保障された。
後は、仕事をこなすだけ、と、あくまでも前向きに、有里は支給された女中服に袖を通す。
上品で厚手の生地であつらえたそれは、今までのどの制服よりも上等で、それだけでも華やいだ気分となる。
上機嫌な彼女とは裏腹に、心配そうに彼女を見つめる老人が小さくため息をついた。
いつまで続くことか、と、ため息とともに呟いた弱音は、有里には聞こえることはなかったけれど。

3.31.2009
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