「佐伯さん、なんとかして」
「翠ちゃん、お願い」
「佐伯、どうにかならんのか」
クラスメートがどうしてだか私の元へと殺到して、口々に自分勝手な要求を突きつけてきた。おまけに、そこに担任教師が紛れているものだから性質が悪い。
私と由貴は、今まさに楽しみにしていたお弁当を食べようかと、その蓋を開けたところだ。箸すら箸箱から取り出していないのに、どうしてだか集団に囲まれるはめとなってしまった。今回はさすがに逃げる時間が取れなかったのか、由貴もきっちり囲まれている。
「なんとかと言われても、なんのことやら」
「トイレにの壁に、呪ってやるって、赤い文字で書いてあったの、あれって血かも」
「解答用紙全てに怨念って字が書き加えられてたんだぞ?怨って字がひらがなだったけど」
「校門からうちの教室の入り口までべったりと何かが這いずったような後があったし、掃除するのが大変だったんだから」
「白くぼんやりしたものが、廊下の隅っこでしくしく泣いているって噂もあるんだから」
それぞれが何かが書いてあっただの、水が滴っていただの、大きなインパクトはないものの、それでもそれらが積み重なれば地味に嫌な現象が続いているのだと捲くし立てる。
そのどれにも思い当たる節のない私としては、どうしてそれらをなんとかしろと私に言って来るのが不思議で、首をかしげるほかは出来ないでいる。
「だーーかーーらーーー、この間の」
「この間?」
間を割って話題に首を突っ込んでいる担任教師を気にしながら一人の女子生徒が言いにくそうにしている。
「ほら、この前さ、みんなで」
そこまでいいかけて、集団で馬鹿馬鹿しくも怪奇スポットに出かけていったことを思い出す。そういえば、あの日以来アレには出くわしていないものだから、すっかり忘れ去っていた。後から姉と口を聞けと、やかましい金髪妖怪とは拳で会話をしたし、綺麗さっぱり気にもとめていなから仕方がない。
「で?」
「あれって佐伯さんにとりついているんでしょ?」
「は?」
由貴はあの日にあの場所であったことと、その後の馬鹿馬鹿しいまでも騒動を話しておいたせいか、またか、という目つきでこちらを恨みがましく睨みつけている。おなかを空かせた由貴は危険だ、うらまれて危険なのは由貴の方が数千倍上だ。どうせ、あちらは物もつかめない半透明なのだから、よしんば現れたとしても驚くだけで済む。
「とりつくって、何が?」
「幽霊に決まってるじゃん!」
数人に一度に突っ込まれ、なぜだか先生までも頷いている。確かに怨念と言う文字が全てに書き込まれた解答用紙というのは、地味にくるものがあるが、それを怪奇現象と言い切ってしまう人間が、教育を担当していいものなのかどうか不安になる。
「幽霊と言われても、この間皆で見た例のアレがそれなら、解決したはずなんだが」
「ほら、ほらほらほら!佐伯さんやっぱり噛んでるし」
「あれは不可抗力で」
「お願いだから、なんとかして」
「なんとかと言われても、別に大して害があるわけでもないようだし、それに気のせいかもしれないだろ?そんな幽霊だとか、おばけだとか非科学的な話」
「あれを見ておいてそういう言い逃れはやめてちょーだい」
いつのまにか興奮したクラスメートにえらい至近距離まで詰め寄られて説教をされる。
いや、確かにすでに我が家が非科学的な話にどっぷりつかってはいるけれど、アレの管轄は私ではない、と強く言いたい。言いたいけれども、なぜだか縋るようなクラスメートの視線に耐えられなくなった私は、思わず金髪妖怪を召集してしまった。
唐突に現れた不機嫌で、だかれども極上の美男子に、女子は驚きつつも素早く立ち直って悲鳴を上げるし、男子は驚愕しながら気に入らないと、不機嫌丸出しだ。
ささいな怪奇現象などころっと忘れ去り、なおかつ、奇怪な現れ方をした美男子をあっさりと受け入れた女子たちは、あっという間に金髪妖怪を取り囲んだ。
うんざりとしながらも、どこか嬉しそうなこやつは、僅かに腫れが残った頬をさすりながら、私の方へと近づいてくる。
「おまえな、いいかげんにしろよ、食べるぞ、しまいには、ああ?」
「余程姉さんとの縁が切りたいようだな」
「………いつかぜってー、くってやる」
引き攣った笑顔で、それでも最大限譲歩しているのだろう。悔しさが頬の辺りにあらわれているが。
「で?何か用か?こいつらのなかからお気に入りをさがせっていうのなら、探してもいいが」
「私のいないところでやってくれ。用というか」
どうやって説明をしようかと考えあぐねていると、入り口ふきんから次々と甲高い悲鳴と野太い絶叫が響く。
まるでモーゼの十戒のように人垣が真っ二つに割れ、その間をどこかでみた、あくまでも下半身が半分透けている例のアレが乱入してきていた。
金髪妖怪や私を取り囲んでいたクラスメートはあっという間に窓際へと逃げ出し、いまにも窓から飛び降りそうなほど物理的に距離をとろうと苦心している。取り残された由貴と私は、とりあえずお弁当の蓋を閉め、面倒くさいとおもいながらも立ち上がってそれと対峙する。
「非科学的な話だが、ひょっとしてひょっとしたら、あの嫌がらせはおまえか」
恥ずかしそうに頬を染めながらコクコクとそれが頷く。
やっぱり、と、思いながらも、どうしてこういうのと縁が切れてくれないのだろうかと悲しくなってくる。
「どうしてそんなことを、っていうか、おまえ実体がないくせに、よくあんなこと出来たな」
「それは、私だって幽霊ですから、ちゃんとポルターガイストぐらいできます」
「……それにしてはちゃちな悪戯レベルだったみたいだが」
「私は非力な乙女なんです!」
どこをどう突っ込んでいいのか、わからない主張を潤んだ瞳で力説される。
私とそれの気の抜けたような会話から、幾人かのクラスメートがこちらの方へ徐々ににじりよってくる。好奇心旺盛な副委員長やその友達らしい。ところで、と、クラスを見渡してみると、やっぱり逃げそびれたけれども、できるだけ隅っこに逃げたいと思ったのか、委員長は教室の隅で人に押されて膝を抱えて座り込んでいた。なんというか、その姿が相変わらずで、ますます緊張感が抜けていってしまいそうになる。
「乙女って、おばさんのくせに」
副委員長がさらっと、おそらく生前であれば暴言になりそうなことを呟く。確かに、半透明は恐らく30代であろうから、乙女と言われればあれかもしれないが。
その暴言が聞こえた途端、般若のような顔になった半透明が、副委員長に詰め寄る。ついでに、蛍光灯には軽くヒビが入ったようだけれども、それが彼女の限界らしい。
「なんとなく、なんだが、ひょっとしてひょっとすると、こいつが忘れられなくって……、とか?」
金髪野郎を副委員長と壮絶な言い争いになっている半透明のところへ押し出す。
鬼のような顔をして怒鳴りあっていたのに、ころっとそんなことは忘れ、金髪妖怪に媚びを売り始めた。
「あーー、どうしてそれでこの学校で悪戯をするのかわかるようなわからないような気もするが、面倒くさいからそいつにくっついていけ、とりあえず」
「アホなことを言うな!前回もさんざん苦労して追い払ったのに」
「のこのこやってきたお前さんが悪い」
「だいたい、こいつがひっついていたら俺が入る写真が全部心霊写真になるだろうが!」
「写真?」
「俺様はモデルをやってるんだよ。あたりまえだろう、これだけ格好いいんだから!!!」
自慢なのか、なんなのか、その場で一回転してみせたおばかなやろうは、すっかりのんきに構え始めたクラスメートから賞賛の声を浴びていた。
「っていうか、戸籍は?身分証明書は?どうして現代日本で働けるのだ?」
「俺の所属しているところは裏で密入国系の外国人を雇ってるところなんだよ。おまえにはわからないだろうが、日本にだって色々あるんだ」
「それをおまえに言われるのはひどく違和感を覚えるのだが」
「ふんっ!どうとでも言え。現代社会で暮らしていくには、金が必要なんだよ!金が!」
「だったら、職場で探せばよかったのに、何も巷で事件をおこさなくとも」
すでに記憶が薄れるぐらい前の事件になってしまった感はあるけれど、そもそもこいつと知り合ったのは女子高生連続誘拐事件がきっかけだ。処女の血が欲しいとか、贅沢抜かしたこいつが好き勝手に集めた女子高生達が全て処女じゃなかった、と、息も絶え絶えに訴えていたことを思い出してしまう。あんな非効率的なことをするぐらいなら、まとまった女性がいるはずのところで探せばよかったのに。
「いや、モデルをはじめたのはあの事件の後だ。おきたばっかりだったしな」
生態がよくわからないけれど、そういえばそんなことを言っていたような気もする。興味がないので忘れてはいたが。
「ということで、好きなだけとりつけ。遠慮をするな」
半透明にはっぱをかけ、とりあえず逃げようとした金髪妖怪の背中にキノコが生えたようにとりつくことに成功したまま、二人と言っていいのかわからない二体が目の前から消え去ってくれた。
何が起こったのかはわからないクラスメートは、興奮と絶叫の渦に再び包まれる。半分はあれがいなくなった嬉しさから、半分は金髪野郎がいなくなってしまった事実から。
ぽかんとしたクラスメートをよそに、席へと座りなおす。
楽しみにしていた琥珀のお弁当の蓋を開け、今日もおいしそうなおかずがつまったそれを食べ始める。
やっぱりおいしい、と、咀嚼をし始めたところで、周囲も何が起こったのかはわからないけれども、とりあえず解決したからまあいいか、というオーラを漂わせ始め、本来の昼ご飯の状態へと戻っていった。
不可解な顔をして、本当に怪奇現象が解決したのかを訝しがっている担任も、とりあえず蛍光灯の替えを持ってくると言い残し、教室を後にした。
残された生徒達は、とりあえず無かった事にしよう、と、後ろ向きで非常に懸命な判断をくだしたのか、誰も何もこちらへ尋ねてくることはなかった。
ただ、金髪妖怪の個人的情報を根掘り葉掘り聞き出そうとする一部の連中を除いて。
一週間後に、再び真っ青になった担任教師が小テストの束をもってかけよってくる。
嫌な予感がして逃げ出したかったものの、なぜだか後ろをクラスメートが塞ぐ格好となっていて逃げ出せない。
「あのな、これを見ろ」
今度は漢字できっちりと「怨念」と書かれた小テストを差し出される。めくってもめくってもどの小テストにも怨念の字が書き込まれており、それが右隅に小さく、おまけに80年代にはやったという丸文字でかかれているせいで、恐いのか恐くないのか微妙にくすぐったい、という妙な現象に成り下がっている。
「……、とりあえず善処する」
おそらくクラスメートも地味な悪戯をされたのだろう。気にするな、というほどささいではなく、気に病むというほど大袈裟ではない現象は、やはり毎日続けば不愉快だろう。
幸いな事に今日は姉が泊りに来る予定だ。義理兄が出張のときは、我が家へとよくやってくるのだが、手っ取り早く金髪野郎の機嫌と、ソレを餌に半透明を呼び出すことができる。まあ、数発程度私より遠慮をしない姉と拳で会話をしなくてはならないだろうが、それもまた愛だ、きっと。
安心したのか、定期的にこういう現象が起こっていることになんの不思議な気持ちもいだかなくなった、擦れたクラスメート達がわらわらと帰っていく。
この間暴言を吐いて例のアレを起こらせた副委員長が豪快に笑う。
「翠ちゃんって、やっぱりおもしろいね」
「……どうして正副そろって同じことをいうのだ?」
「ははは、誰もが同じことを思うってことじゃね?」
新たに親しくなった副委員長とその友達、由貴と4人で机を囲む。
相変わらずおいしそうな琥珀弁当をうらやましそうに見つめられながら、至福のひと時を過ごす。
来年は、信心深くないけれども厄払をしておこう、と、年柄にもなく思いながら。