自分の感情を自覚したのはいいが、それをどう行動に移すか、が問題だよな。
いちばん簡単なのは私が見合い相手になること、だろうが。それは無理だな。
ご近所さんじゃ一応バツイチってことで通ってるからな、さすがに初婚の香織ちゃんの相手にはふさわしくないだろう。
でもそうすると。
そこで思考がストップしてしまう。
親父から見合いするという話を聞いてからこっち彼女も我が家へやってこない。
会わなければ始まらない。かといって会いに行くのも憚られる。
そうやっているうちに月日は流れていく。
スピーカーおばさんの話だと、来週にもお見合いだそうな。
やることが素早いというか、しかも相手は俺より年上の35歳、自営業の長男。
そんなよりにもよって苦労しそうなところを選ぶなんて。
あの母親は香織ちゃんが幸せになるのが潜在的に嫌なんじゃないかと疑ってしまう。
ぐずぐずしていても仕方がない。何年ぶりに会うかどうかわからないが、とりあえず回りから攻めてみるか。
重い腰を挙げて、まともであったらいいな、と思う相手のところへ出かけていく。
「久しぶり、英彰君」
「……、ひょっとして、若月先生?」
「ご名答」
会いに来たのは香織ちゃんの兄、英彰君のところ。効率は悪いが会社の前で待ち伏せしてみた。
彼は個人の設計事務所に勤めているので、まあ見逃す心配はない。
「悪いけど時間ある?」
「え?はい。まあなんとか」
わけがわからないって顔をしてまごついている彼を無理やり引っ張っていく。
近場の喫茶店に連れ込んでお互い注文をした後、速やかに切り出した。
どうしてここにいるのかわからない英彰君には悪いけど、これ以上事を進めるわけにはいかない。
「香織ちゃんお見合いするんだって?」
カシャンと陶器と陶器の接触する音がする。コーヒーを飲もうと持ち上げたカップを落としてしまったらしい。
「誰が?」
「香織ちゃん」
相手の顔色を窺いながら会話を続ける。
「はい?」
真剣に驚いている様子を見ると、やっぱり長男君は知らなかったみたいだな。大方母親のスタンドプレーだろう。
「そういえば英彰君結婚するんだって?」
「え?ええ、はい」
「君のお相手が小姑のいる家には同居しないって言ったんだって?」
「いや、そんな風に言ったわけじゃ。ただ未成年がいるうちは同居は難しいって話をしただけで」
困惑しきった顔をしている。だけどこいつは自分が言った言葉がどういう風に捻じ曲がって母親に伝わるのか少しは考えた方がいい。
「ふーーん、それで香織ちゃんは見合い結婚させられて家を追い出されるんだ」
意地悪な言い方をするが仕方がない。自分の母親の嫌な部分も見てもらわないと。
「だから、どうしてそんな話になるんです?香織はまだ高校生ですよ?」
「おたくの母親が吹聴して回っている。しかも嫁の家柄は気に入らないから、
娘の相手にはそれなりの家柄の人間を選ぶって息巻いてるから」
鳩が豆鉄砲って言葉がぴったり当てはまる表情をした。
カップの取っ手を持ったまま固まる。数秒たった後、深くため息をつく。
「お袋が、また馬鹿なことを」
「お前自分の母親が異常なことをわかってんのか」
このセリフは半ば八つ当たりだな。家庭内でネグレクトされた妹を対してかばいだてすることもしなかった兄に対する。
「それは、わかってますよ。香織を見れば」
「気が付いていて、放置してたわけか」
さらに意地悪く言い募ってしまう。
「あの頃は、俺もガキでしたから、お袋の言うことを鵜呑みにしていたし」
確かに、子どもの頃の“親”は絶対的なものだろう。
その親が否定する妹に対して兄が同じような感情を抱くのは仕方がないことかもしれない、でも。
「栄養失調で倒れなかっただけ、ありがたいと思え」
だからといって許せることではない。
「大先生や若先生には感謝しています」
「香織ちゃんが入り浸ってるのは気が付いてたのか」
「ええ……。正直そうしてもらったほうが家の中が安定しましたから」
彼には彼で言い分があるのだろう。偏執的な愛情を向けられた方もたまったものじゃない。
でも、彼は大学へ行き、社会へ出ることでそんな自分の“家”の異常性に気が付いたのかもしれない。
「で、どうすんの?」
「お袋に言ってやめさせます。これ以上香織を犠牲にするわけにはいかないですから」
「それで素直に引き下がるような相手か?」
あの母親がそう簡単に頷くわけがない。元々彼を引きとめようとしてやっている嫌がらせの一環なんだから。
彼が素直に同居する(いや、ひょっとすると結婚やめるか?)と言えば変わるんだろうが。
「同居する気はないの?」
「婚約者に嫌がらせの電話をかけるような人とですか?」
心底うんざりと言った顔でこちらをまっすぐに見る。
「まあ、あれだ、本来は英彰君の父親がなんとかしなくちゃいけないことなんだが」
「父は真性のマザコンですから、無理ですよ。うちの母も親離れしてなかったから似たもの夫婦ってとこでしょうけど」
すっかり冷めてしまったであろうコーヒーに口をつける。
「で、先生、どうして香織のことにここまで熱心なんですか?」
気分が少し落ち着いたのだろう、逆に質問を返された。
「どうしてって、まあ」
ここまできて口篭もる自分は少し情けない。
「保護者的立場からくる感情ですか?それとも男として?」
最後のセリフは半ば確信をもって発していたのだろう。彼の目がこちらを試すように射抜く。
「後者だ」
もうこれ以上取り繕っていても仕方がない、あきらめたように白状する。
「それを聞いて安心しました」
今度はこちらが驚く番だった。女子高生に横恋慕している30過ぎの男に安心した?
「若先生なら香織を安心して託せますから」
「いや、ひと回り以上違うバツイチ男だぞ?」
「バツイチだろうと歳が離れてようと、香織が気にしないなら別にかまいませんよ」
すっかり立場が逆転したようで、余裕の表情でこちらを眺めている。
自分はと言えば、心の動揺が表に出ないように必死に静めている状態だ。
「俺達は、入籍したらすぐ外国へ行く予定です」
「高飛びか」
思ったことがそのままでてしまった。結構失礼なことを言った気がするが、英彰君は怒りもせずくすりと笑ってため息をついた。
「それぐらいしないとあの人からは逃げられないですから」
「まあ、ちょっと異常だよな。あの人は」
「香織のことは父側の親戚と大先生に頼るつもりでしたけど、若先生が引き受けてくださるならそれ以上のことはないです」
今さらっと聞きなれた言葉が出てこなかったか?
「ちょっと待て、大先生って?」
「あれ?ご存じなかったんですか?結婚が決まる前に相談しにいったんですよ、香織の事で」
あんの狸親父――!!散々俺をたき付けておいて、実は裏で取引してたなんざ、いい度胸じゃねーかー。
瞬間沸騰しそうな内面を落ち着けて、無理やり笑顔を貼り付ける。
「親父も子どもに興味はないけどお金を出し渋る人じゃないから、ともかく引き離さなきゃって思ってて」
言いたい事は山程あるが、それは家へ帰って狸親父にぶつけるとしよう。
長男君は長男君でとりあえず努力はしてみるらしい。
うまくいくといいけどな。
もうすっかりでかくなって昔の面影なんかない後姿に向って祈る。