言うだろうとは思ったがあっさりと返された。
テーブルで手酌を楽しむ親父とその向かいにはなぜだか早季子さんが。
「俊也君がはっきりしないから悪いんじゃないの」
こちらも負けじと手酌を楽しむ早季子さん。今日も一升瓶を持参らしい。
「自分の気持ちもはっきりせんやつに香織ちゃんはやれんからな」
親父のものじゃないって香織ちゃんは。
「で、見合いの席にでも乗り込むの?それとも卒業ごっこ?」
随分古い映画を引き合いに出すのな、だから30代は、なんて言ったら殺されそうだから黙っておく。
「あそこのうちの長男が説得する、らしいけど」
「「無理」」
や、同時に叫ばなくても。
「あ、大先生もそう思う?そうだよねぇ、あきらめるわけないよね、あの母親」
「ありゃあ、娘には不幸になってもらいたいっていう典型的な毒になる親だからなぁ」
「じゃ、やっぱり見合い乗り込み!!」
嬉しそうに提案する早季子さんは、今日どれぐらい飲んだんだろう。
「もしその気なら、場所と時間を教えてやらんこともないが」
もったいぶってチラッとこちらを盗み見る。いつもいつも一歩先を進んで追いつけやしない。
「そうだそうだ、乗り込んじゃえ」
前回と違ってすっかりできあがった早季子さんとお気に入りの彼女が晩酌に付き合ってくれて喜んでいる親父を尻目に一人落ち込む。
いつまでこの人たちに振り回されるんだろうか、そんなことを考えながら。
あの宴会の日、親父に頭を下げて、なんとか場所と日時を知ることが出来た。
今日は見合い当日、ようやく覚悟は決めたものの、それでもまだどこかに迷いがないと言えば嘘になる。だけど、ここまでくればあとは度胸を決めて乗り込むだけ。
一応失礼なことをしに行くのに格好だけは、と、きちんとスーツを着込む。
動物園の熊のようにホテルの入り口でうろうろして、やっとの思いでロビーまでたどり着く。
めちゃくちゃ緊張している。試験の時も手術の時もこんなに緊張しやしなかった。
深呼吸をして香織ちゃんを探す。
簡単にみつかるはずはない、と、こんなとこに来てまで気持ちを決めきれなかった自分の視界に、至極簡単に彼女の姿が飛び込んでくる。人ごみの中ですら、彼女の姿を直ぐに見つけ出してしまえる自分に苦笑しながら、彼女が自分にとってどれほどの部分を占めているのかを痛感する。ここにきてようやく、今から自分がやろうとしていることに覚悟がすわる。
どうやら、香織ちゃんを含めた数名はホテルのラウンジでお茶飲みながら集まっているようだ。
香織ちゃんの隣には例の母親。向かいには頭が薄くていかにもくたびれた風な中年男性とその母親らしき人物。こんな場ですらお互いの父親らしき人物が見当たらないのは、苦笑する他ない。
呼吸を整え、手にかいた嫌な汗を拭いて彼らに近づく。
途中で自分の姿に気がついた香織ちゃんがこちらを見て驚きの表情を浮かべる。
そうして次に咲き誇る花のようにこちらを見て顔を微笑んだ。
それを見た瞬間、恥ずかしさだとかそんなものはどこかへいってしまった。
ただ彼女を守るため自分に出来ることをするだけだ。
彼女の手を取り横槍を入れられないよう早口で宣言する。
「悪いですが、私の彼女なので連れ帰ります」
有無を言わさず彼女を連れ去る。
後ろで彼女の母親がキーキーわめいてるような気がしたが、そんなものはどうでもいい。今はただ彼女が大切だから。
香織ちゃんは一言も言わずにくっついて来てくれる。こんなに小さな手の彼女を手放そうとするなんてあの人も馬鹿だ。
そして指をくわえてみているだけだった私も大ばか者だ。
自分の車に彼女を乗せて、一気に海まで突っ走る。
このまま自宅に帰ってもいいが、彼女に言わなきゃいけないことがある。
さすがにそれを親父に聞かれるのは嫌だ。
「香織ちゃん寒くない?」
もう秋の色を濃くした海辺は少し肌寒い。
お見合い仕様のワンピースでは心もとないかもしれない。
ピンク色に上気した肌で何も言わず首を横に振る。
「香織ちゃん。話したいことがあるんだけど」
こちらを見上げて、じっとこちらの様子を窺う。覗き込むような視線は彼女の癖。
「結婚してくれませんか?」
自分自身ですら、全く予期していなかったであろう言葉に一瞬たじろぐ。
私もこんなに素直に気持ちが言えるなんて思いもしなかった。しかも一足飛びに結婚だなんて。
「せんせい…。どうして?」
堪えていた涙が一筋流れる。
喜怒哀楽が出てきたとはいえ、それでもあまり表立って表情を変えることがない彼女が泣いている。そのインパクトは絶大だ。
10代の少女の前で年甲斐もなくうろたえてしまう。
ずっと涙を流しながらイヤイヤをする彼女を宥めるよう、そっと両肩に手を置く。
「香織ちゃんのことが好きだから」
「どうしてそんなことを言うの?同情なんかされたくないのに」
そう言って私のシャツを握り締めて泣きじゃくり始めた。
彼女が泣いている姿を見るのは辛い。たまらなくなって彼女を抱きしめる。
「同情なんかじゃない」
彼女の心に届きますように。
「ずっと好きだった」
彼女の心に伝わりますように。
「手放したくない」
我侭だと言われてもいい、まだまだ子どもの彼女を引き止める手段が結婚しかないんだったら、いくらでもサインするから。
お願いだから私の言葉を聞いてくれ。
「せんせい、ほんと?」
私の顔を見あげて訊ねる。
「本当。だからこれからは一緒に暮らそう」
一度止まった涙が再び流れ出す。
「私。先生のこと好きなの」
「うん」
「邪魔じゃない?」
「邪魔じゃない、必要、うん。香織ちゃんは自分にとっていなくちゃいけない人、だから」
「ずっと一緒?」
「うん、ずっと一緒」
静かに涙を流す彼女の側にいられて良かった。
これからは出来得る限り近くにいられるから。
止め処なく涙が流れるその頬にそっと口づけする。
まだ幼い彼女に対する精一杯のプロポーズ。
穏やかに思い出す日が来ることを願う。
「やれやれ、やっとくっついたか」
いつもの診察室、お茶のみ場に二人で現れたら、開口一番こう言われた。
「やっとって、親父はいつから気が付いていたんだ?」
「香織ちゃんが中学に入ったあたりからあやしかった、おまえは」
それじゃあ、ただのロリコンじゃないか。
「大先生には色々ご心配をおかけして、すみませんでした」
「いや、いいのいいの、香織ちゃんは。こやつを代わりにこき使うから」
ニヤッて不敵に笑う親父は相変わらずお茶をすすりながらからかう。
香織ちゃんも専用の湯飲みにお茶を入れてもらってご機嫌で受け取る。
変わらない光景。
でも、二人の気持ちには変化がある。
「大先生に相談したときには切羽詰ってたから」
ちょっと待て、今茶を吹きそうになったぞ。
「香織ちゃん…。相談って?」
彼女は何のことか分からないって顔をしている。
「お見合いのこととか、若先生に対する気持ちとか。ですけど」
頬を赤らめながら答える姿はかわいいなー、ちくしょう。じゃなくって。
「親父、香織ちゃんのことも知ってたんだな」
「あたりまえじゃろうが、香織ちゃんが若いみそらで変な男と結婚したら、夜も眠れんぐらい悔しいわい」
平然と言い放つ。
それじゃあ、いままで悶々として考えてた俺って?
「ま、孫悟空がお釈迦様に勝とうなんて100年早いわな」
そう言って仕事に戻っていってしまった。
残されたのは脱力しきった私と、きょとんとしている彼女。
心配顔でこちらを見つめる彼女を引き寄せ、素早くキスを落とす。
「大丈夫、こっちの話だから」
無理やり笑う。
彼女はと言えば、真っ赤になって俯いている。
10年待ったんだからこれから先何年だって待てるさ。
もう一度頬に口付けて幼い奥さんに微笑む。
お願いだから側にいて、これから先離れる事がないように。