最近香織ちゃんの調子が良くない。だいぶ体力がついてきたとはいえ、やはり無理をすると熱がでる体質は変わらない。
親からの愛情が希薄という精神面での脆さが肉体に出ているのかもしれない。
高校2年生だとそろそろ自分の進路なんかも気になりだすころだろうし。親があれじゃあ、まともに相談することもできない。
「体調悪いの?」
キッチンに並んで立つ香織ちゃんに聞いてみる。簡単には体調の悪さを認めてくれないんだけどな、この子は。
「大丈夫ですよ、若先生」
案の定じゃがいもを洗いながら微笑する。
顔色が悪い。
いつもの貧血かな?
それ以上押し問答になるのを恐れ、詮索をやめる。
自分も親父も医者だから彼女を注意深く観察すれば手遅れになることはないはずだから。
「で、早季子さん。ごはん食べていくんですか?」
後ろを振り返り元妻である早季子さんを眺める。
ショートカットの髪を少しだけ茶色く染めた彼女はこちらを勝気な目で睨み言い返す。
「私が秋刀魚を持ってきたんだから、食べていったっていいでしょう」
確かに、今日のメインの秋刀魚は彼女が持ってきたものだけど。
離婚してしばらくは我が家へやってこなかった彼女だけど、現在は以前、結婚する前ほどじゃないけどちょくちょく居座るようになった。
だいたい親父と飲むか、私をからかいにきている。そういったところはまるっきり変わっていない。
「人数多い方が楽しいですから」
香織ちゃんがグリルから秋刀魚を取り出し早季子さんの前に差し出す。
「ほーら、香織ちゃんもそう言ってるし、男所帯に花を咲かせてやってるんだから、ありがたいと思いなさい。ね、香織ちゃん」
香織ちゃんとおでこをくっつけながら笑いあう。歳の離れた姉妹みたいで、正直に言うとほほえましいが羨ましい気もする。
「あれ?でもこれじゃあ香織ちゃんの分がないわよ」
すっかり準備を整えた食卓を覗き込む。
「ほんとだ。山程魚があるのにどうして?」
早季子さんは男二人暮しに秋刀魚を30本も持ってきた。
病院で働いているスタッフになんとか押し付け、じゃない、おすそ分けをし終わってもまだ十分に残っているはずだ。
「あまり、食欲がなくて。だからお手伝いだけしようかと」
突然早季子さんが立ち上がり、香織ちゃんを抱きしめる。
「こんなに細いのに食べないと倒れちゃうわよ」
「早季子さん…」
困ったように微笑む香織ちゃん。やっぱり調子が悪いみたいだ。
「調子悪いなら自分の部屋で寝てる??」
病気の時や調子が悪い時には私の部屋で静養するのが決まりごとのようになっている。いつからだったかもう忘れてしまったけれど。
「あ……、でも。あの、大丈夫ですから」
弾かれたように慌てて否定する。
おかしい。こんなところまできて遠慮するなんて今までになかった。
「ほんとにどうしたの?遠慮することなんてないのに」
「いえ、その。病気じゃないですから」
少し照れたような困ったような複雑な顔をしている。
自分にはなんのことだかさっぱりわからない。
香織ちゃんの顔を見つめながら途方にくれる。
完全に思考停止してしまった私を尻目に、早季子さんが抱きついていた香織ちゃんをさっさと連れ出してしまった。
「悪いけど、あんたの部屋借りるから」
啖呵を切るような勢いで連れ去る。
良くも悪くも彼女のあの行動力には感心する。なんて呆けてる場合じゃない。
「早季子さん!!香織ちゃんをどうする気ですか?」
「どうもこうもしないわよーー、おねーーさんが相談にのってあげるだけよーーー」
階段の上から声が返ってくる。
お姉さんじゃないだろう、なんてどうでもいいところに突っ込んでみる。
「早季子さんがああいうなら、大丈夫だろ」
後ろから親父の声がかかる。
さっきから自分達のやりとりを見て、静観したままだ。
「でも、香織ちゃんのことですよ?」
「まあ、あの子も男には話しづらいこともあるだろうに」
達観したような返事が返ってくる。
今までは何があっても、自分に真っ先に相談してくれたのに、どうして早季子さんが最初なのか。
「別れた元妻より近所の子どものことが気になる?」
意地が悪いそして見透かしたような視線を送ってくる。
この人のこういったところが未だに苦手だ。
「そんなんじゃ」
「なければ?香織ちゃんはいったいおまえの何?」
答えにつまる。
そんなことは自分の方が問いただしたい。
彼女は自分にとっての何?
基本的な、だけど答えの出ない質問。
「そうやって留まってばかりいても状況は変わらん」
わかっている、でも。
「そのうち彼女は大人になる」
突きつけられた事実。
当たり前のことだ。
やがて彼女は大人になってここから出て行く。
「わかっている」
「つもりだろ」
完全に答えに窮した私をおもしろくなさそうに一瞥し、早季子さんが運んできた秋刀魚を食べ始める。
ヒントだけもらってもパズルのピースは埋まらない。
どうすればいいどうしなきゃいけない。
わからないから。
違う、わかりたくないから。
「ちょっと頭冷やしてくる」
感情だけに押し流されそうな自分をコントロールする。
ギリギリのところでまだうまくやっている。
だからこのままで。
空気が冷えわたる秋の夜へと向う。