02.秘め事(後編)

「香織ちゃん。生理でしょ?」

唐突に若先生の部屋へ連れてこられて、開口一番早季子さんにあてられてしまった。
さすがに同性の目は誤魔化せない。

「…、はい」
「痛みはヒドイの?」

若先生のベッドの上に腰掛けながら優しく頭を撫でてくれる。お姉さんみたいだ。そんなことを口にしたら嫌われちゃうだろうか。

「そんなに。ちょっと気持ち悪いぐらい、だと思う」
「その割にはひどそうだけど」

早季子さん言い当てられる。

「ひどいってわけじゃ」
「じゃあ、心配事?」

おでこ同士をくっつけて、ものすごい近い距離で聞いてくれる。
母親にはやってもらったことがないからわからないけれど、女の人の肌の安心感はなんともいえない居心地の良さを与えてくれる。

「なんでも話して。香織ちゃんより長生きしてる分、何か役に立てるかもよ」

涙が出そうになる。
どうしよう、吐き出してしまいたくなる。
嫌われちゃうかな。早季子さんに、大先生に、そして若先生に。

「大丈夫だから」

しばらくの静寂の後、やっとのことで声を出すことができた。
ずっと悩んでいたこと。

「生理が…、始まってしまって」

声が、うまく出ない。

「それは、香織ちゃんの歳ならあたりまえじゃない?もう高校生なんだし」
「でも、大人になっちゃう」

嫌だ変わりたくない。

「香織ちゃん、それは大切なことなんだよ。大人の女になるってことだから」
「いやだ、なりたくない!」

澱のように幾重にも重なってしまった感情が発露する。
片隅には冷静な自分がいたりするけど、そんな傍観者な自分はなんの制御にもならない。

涙がでる。

泣きたくなんかないのに。

「香織ちゃん」

泣き出してしまった私を優しく抱きとめてくれる。若先生とは違う体温。

「大人になったら、若先生の側にいられなくなる」

子どもだったら、それは若先生の同情心や親切心で説明ができるけど、 大人になってしまった私が近くにいたら、どう説明したらいい?
ただの近所の子。それが私の今いるポジション。
だからせめて看護師になって彼らの側にいられるようになりたいと、そう願っていたのに。

「どうしてそんなこと思うの?」

宥めるように真剣に目を見て話してくれる。

「だって、おかしいよ。いつまでも近所の子どもが入り浸っていたら」
「私だって入り浸っていたわよ、ただの先輩なのに」
「でも、早季子さんは若先生の友達や恋人だったから」

感情が止まらない。

「私は、私はただの可哀想な子だから、ここにいられるのに」

友達でも家族でもない。
離れなくちゃいけない。早季子さんの胸の中で泣きじゃくってしまう。
そんな私を怒りもせずに背中を撫でながらあやしてくれる。

「ねえ、香織ちゃん。香織ちゃんは若先生、俊也のこと好きなの?」

頭上で響く早季子さんの言葉にすぐには反応することができなかった。
だって、そんなこと考えたこともなかったから。

「わからない」
「じゃあ、ずっと側にいたい?」

それは、そう。ずっと近くにいられたら、そんな我侭なことを思っている。
どんな風に思われるかわからないけど、早季子さんに嘘はつきたくないので、素直に頷く。

「俊也が私と結婚したときどう思った?」
「どうって」

寂しかった。私だけの人じゃないってわかっていたけど、でもどこか遠くへ行ってしまうようで。
でも実際は早季子さんとあわせて兄姉のように接してくれて、結婚する前とあまり変わらなかったんだけど。

「早季子さんだったら、大丈夫だった。ううん、むしろお姉さんができたみたいで嬉しかった」

早季子さんと話していて少し落ち着いたのか、涙は止まっていた。

「今は?もう一回私が俊也と結婚しても平気?」
「そんな…。平気に決まって…」

言葉に詰まる。それ以上続けられない。小学生の時と同じなのに、同じじゃない。

「もちろん今までと変わらず香織ちゃんのことは可愛がるわよ」

それは、そんなことは問題じゃない。
若先生が他の人のものになる。
私の側にいられないだけじゃなく、永遠にその隣は他の誰かのものになるの?

「そんなのは……。いやだ」

蚊の泣くような声で答える。
それは私の我侭だ。私は無関係の人間なんだから、そんなことを思うことすら許されないはずなのに。

「俊也とこうしたいと思ったことがある?」

今のこの体勢を指して早季子さんは尋ねているのだろうか。早季子さんの胸に閉じ込められるように抱え込まれているこの状態を。

「正直に答えて、香織ちゃん」

優しく諭される。

「あり、ます」

先生の指先が軽く触れただけで心拍数が上がる。でももっと触れて欲しい。
溶け合うほどに触れ合って二人の間の境界線を無くしてしまいたい衝動に駆られる。
それがどんなものに基づく欲求なのかわからない。

「俊也以外の人間には?」
「興味がない、から」
「ふふふ、香織ちゃんは素直ないい子ね」

私の両腕を掴み、顔を見合わせるような形にされる。
優しそうな光を湛えた彼女の瞳。

「それはね、俊也のことを好きだっていう証拠」
「しょうこ?」

好き?私が若先生のことを?

「正直になった方がいいわよ。無理をすると身体の方にしわ寄せがきちゃうから」

わからない。この気持ちをなんて称するのか。

「大人になっても大丈夫。香織ちゃんはここにいてもいいんだから」
「でも」

彼女はイタズラっぽく笑い、口元に人差し指を当てて内緒だよっていうポーズをした。

「教えてあげられないけど、大丈夫だから。香織ちゃんは香織ちゃんのまま、そのままでいればいいから」

早季子さんが言ってる意味がわからない。

「今はわからなくていいけど、そのうちわかるから」

穴があくほど彼女の顔を見つめる。
でも答えてくれそうにもない。こういったところは実は大先生にそっくりだ、この人は。
何食わぬ顔をしていろいろなことを計画している。

「まあ、もって2年。いや1年かな」

そんな独り言を呟く。
やっぱりなにか企んでいるかも。
私の頭に手を置いて思いっきりグリグリって頭を撫でる。

「香織ちゃんは大人になっていいの、っていうか、早くなって。お姉さんが保証するから。 それともこの早季子さんのことが信じられないの?」

よくわからないけど早季子さんの勢いに頷かなくてはいけないものを感じる。
慌てて大きく首を縦に振る。

「あんまり思い悩んじゃだめよ、私みたいに図々しく、とまではいかなくても、堂々としていればいいから」

太陽のような笑顔を見せて、「おもしろくなるぞーー!!」という謎の言葉を残して去っていってしまった。
取り残された私は、問題が解決したのかしなかったのか。あんまりよくわからないけど、 初めて気持ちを出すことが出来て、すっきりしたかもしれない。
大人になんかなりたくない、まだそう思ってはいるけれど。以前ほどの焦がれたような感情はもうない。

私の中のこの気持ちをまだ名づけることはできないけど、きっといつかは分かる時が来る。
その時までこの日のお話は若先生には内緒。女同士の秘密にしておこう。



 階下では大先生と早季子さんの笑い声が聞こえる。
きっといつもの宴会が始まったのだろう。
私は、まだちょっと体調が悪いので、若先生のベッドに横になる。
いつもいつもこうしていると安心していられる。
彼に包み込んで守ってもらっているような気がするから。



 若先生の気配を感じるような気がして、その夜は久しぶりにぐっすり眠ることができた。
一晩中私にベッドを占領された若先生に次の日、謝り倒すことになるのだけれど。
今はただ、安心して眠りたいから。
ずっとこのままで。このままでいて。

9.26.2004
修正:4.24.2007
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