古典棋譜鑑賞 秀策26

26安政6年11月17日
 御城碁第16局
1859 先番 本因坊 秀策 服部 正徹 黒13目 井上家から移って服部家を継いだ10歳年長の正徹との秀策流
正徹は翌年没しているため、御城碁はこの年だけしか出場していない。2局打って、本局と、秀和との先番であったが、だった1度の御城碁で秀和、秀策が相手ではとても勝てないので不運かも知れないけど、考えようによっては、幸運でもある。
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。
そして、「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

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古典棋譜鑑賞 秀策27

27文久元年9月29日 1861 先 村瀬 秀甫 本因坊 秀策 白3目 秀策の後継者秀甫との10番碁の第6局
9歳年下で、秀策の後継者の秀甫との10番碁。秀和が秀策を鍛えた様に、秀甫が6段になったのを機会に番碁が企画された。手合いは秀甫の定先、10番碁の成績は秀甫の6勝3敗1ジゴであった。秀策が亡くなる1年前の、すこぶる元気で打ち盛りの時に10番みっちり打ってもらったのは秀甫には幸運であった。
秀甫は後に方円社を創立し、明治碁会で活躍するが、それは日本囲碁大系16秀甫に詳細が収録されている。
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そして、
 「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」
 「古典名局選集 秀麗秀策 解説 福井正明」
を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
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古典棋譜鑑賞 秀策28

28文久元年11月18日
 御城碁第19局
1861 先番 林 有美 本因坊 秀策 白中押 御城碁19連勝達成の碁、秀策の絶局
御城碁最終局にして、秀策の最後の棋譜である。文久2年8月10日が秀策の命日であるから9ケ月の間の棋譜が無いことになる。この年の御城碁は下打ちのみで中止され、以降御城碁はなかったというから、秀策の19連勝が最後の御城碁ということになる。
動乱の幕末、秀策は打てるだけの碁を打ち、そして、逝った。
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そして、
 「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」
 「古典名局選集 秀麗秀策 解説 福井正明」
を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

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