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2006年8月16日(水)
マーシャルへ帰国

 とうとう、マーシャルに帰る日。朝4時に起きて帰る準備。5時にフロントに行くが、空港送迎を忘れていたようで、しばらく待つ。嫁さんも一緒に空港へ。見送った後、タクシーで帰るつもりだったのだが、またホテルまでバスで送ってくれると言ってくれる。サービス満点。
 空港で、発券手続きを済ませてから、朝食をとり、出国ゲートに行く。しばしのお別れ。7時5分発の予定が遅れて、飛行機が飛んだのは7時40分過ぎ。
嫁さんは、その後ホテルに戻り、ショッピングをしていたらしい。昼ごはんに、私が探していたとんこつラーメンがある店をみつけて、そこで食べたらしい。もう少し早く見つけていればと悔やむ。
 嫁さんは、4時の飛行機で成田へ行く予定だったが、その飛行機も、何かトラブルがあったらしく、飛行機内で2時間待たされた。その上、電気が弱く温度がかなり上がっていたらしい。今、飛行機内には、水を持ち込めないので、水を欲しいというお客がいたが、水を出してくれることもなく、イライラしているお客に対して、文句を言いながらお菓子を食べているスチュワーデスの会話が、近くに座っていた嫁さんには聞こえてきたらしい。それなのに、放送では、お客様の理解により何とかかんとかと言っていたらしい。ノースウエストスッチー最悪。
 6時過ぎ。予定通り、マーシャルに到着した。隊員数人が空港に、任国外旅行なのに出迎えてくれたのかと、ちょっと不思議で、ちょっとうれしく思っていると、残念ながら、リキエップ隊員のお友達のお出迎えだった。同じ飛行機に乗ってきていた。
 ドミに帰ると、花子が、最初遠巻きに見ていて、しばらくしてからクンクン言いながら飛び掛ってきた。2週間の間に、少し忘れかけていたようだ。まあ、元気に暮らしていたようでよかった。話しを聞くと、回りの人間にびびりまくって、なかなか懐かなかったそうだ。

2006年8月15日(火)
プール


 やっと少し晴れ間が出てきた。海へでてジェットスキーなどをするか、ココス島に行くか、プールに行くか。選んだのはプール。塩水で遊ぶのではなく、マーシャルにはない真水で遊ぶ事。以前、ハワイに行った時、なぜ、わざわざハワイに来てまで、プールで遊ぶのかと思っていたが、考えが変わった。プールは必要。
 ウォータースライダーが色々とあるターザに出かける。その前に、腹ごしらえと思い、マクドナルドへ行く。久しぶりの味。
 プールでは、さんざん、すべりまくった。日本のように並ぶ必要がないので、ガンガンすべる。でっかい滑り台にも挑戦。すべる時の景色がいいとガイドブックに書いてあるが、そんな余裕はなし。ボディボードもやってみたけれど、難しい。流れるプールでのんびりしたりしながら、1日中遊べた。
 夕食は、しゃぶしゃぶ。生ビール。これも、マーシャルでは食べられない。満足。

2006年8月14日(月)
グアム一周

 せっかくグアムに来たのだから、日本人の多いホテル街を離れ、田舎町の方を見に行くことにした。ホテル街から反時計回りに、ぐるっと一周。
 南へ行くほど、町並みは、マーシャルやミクロネシアと同じ感じになり、家の作りも似ていた。しかし、小学校や教会はとても立派だった。
 アガニアから少し行った所のピティと言う場所にマリンパーク海中展望塔がある。そこには、ダイビングをしているたくさんの人がいた。海の中へ入っていく人、海から出てくる人、だいたい5人ぐらいでグループになっている。それを見ながら、こんなにたくさんの人がいたら、ダイビングしていても楽しくないだろうなと嫁さんと言っていた。駐車場で話しかけてきたアメリカ人が、海中展望塔はいくらするのだと聞いてきた。28ドルだったと言うと、何だその値段は、高すぎると驚いていた。グアムに住んでいる人も行かない海中展望塔。確かに出て来るのは日本人ばかりだった。
 ダイビングも、曇っていて波が高いので、今日はよくないと言っていた。どこから来たのかと聞くので、マーシャルだと言うと、お前は、日本語が話せるのかと聞かれた。確かにそうだが、日本人だと説明しなければいけなかった。
 そして、道を南下していると、所々に展望台がある。建物は少なく、山と海の見晴らしがとてもよくなる。雨が降っていたのが残念だった。
 ウマタックという場所は、マゼランが上陸した場所で、入り江になっていて、ちょっとした村があった。そこに小学校があったので見学をさせてもらう。気さくな明るい先生やスタッフの人達で、明日から始まる学校の準備をしているところだと教えてくれた。
 そこから少し進んで、グアム島の南端にココス礁湖があり、そこでも、ジェットスキーやパラセイリングをしている人たちがいた。人も少なく楽しそうなので値段を聞いてみると120ドル。思ったより少々高め。
 そこから、また車を走らせ、今度は、東側の道を北上。イナラハン天然プールを泳ごうと思っていたが、天気が悪く、水もいまひとつで断念。イナラハンチャモロ文化村というのをみつけて入ってみるが、営業時間が終わっていた。
 またまた、北上。横井さんの隠れ家があるケーブルカー乗り場、タロフォフォという村に寄り道をしながら、途中、海賊の宿泊場だった所で昼ごはんを食べ、グアム大学のあるマンギラオにやってくる。ここは、グアム島の東側の街。きれいな建物と、昔ながらの店があった。
 そこを過ぎ、グアムの北側に行くと、空軍基地があるため、周りには何にもない道が続く。その道をぐるっと回り、また、西側を南下。マイクロネシア・モールにやってきた。グアム一の大きさ。色々な店を見て回る。中心部には、色々な食べ物屋が、ずらっと並び、悩んだ末、カレーうどんを食べる事にした。嫁さんは、チャモロローカル料理。マーシャルから来た人と、日本から来た人の違いがでた。
 そして、ゲームセンター発見。簡単な遊園地になっている。ジェットコースターもあり2ドルとお得だったので乗る事にした。1周30秒ほどで、こんなものだろうと思っていると、2周目に入り、なかなかいいじゃないと思っていると、3周目にはいる。あれっそんなに回れるのと思っていると、4週目に。さすがに4週目になると、2人ともずっと笑っていた。その後、カーレースのゲームや射撃ゲームを楽しんでいると、9時で閉店。ここにもあるペイレスで買い物をして、ホテルに戻った。

2006年8月13日(日)
トロリーの旅

 曇り空のすっきりしない1日。トロリーバスの乗り放題券を買って、トロリーの旅へ。
お昼ごはんは、昨日の夜と朝ごはんを食べてないので、バイキングで寿司がある店をガイドブックでチェック。ホテルからアウトレットへ、そこでトロリーを乗り換え、アルパン・ビーチ・タワーに行く。その中に、エスメラルダという食べ放題の店がある。稲荷寿司、巻き寿司、握り寿司に、海老、かぼちゃのてんぷら。日本食をたらふく食ってきた。牛乳とタピオカ、アイスなどを混ぜて食べるローカルデザートがあり、嫁さんは喜んで食べていた。
 そのタワーに面した海では、ジェットスキーやパラセイリングをしている人たちがいたので見に行くと、陽気な現地人スタッフが話しかけてきて説明をしてくれた。なかなか面白そうな場所だった。
 そして、アウトレットへ戻り、ウインドウショッピング。スーパーや映画館もあったので見学。マーシャルにもあるスーパーのペイレスに行くと、同じような品物がずらり、でも、品数は断然多い。
 その後、また、トロリーに乗り、ちょっとはずれのハガニアへ。
 ここには、チャモロ・ビレッジという、何か面白そうな場所があったが、日曜でお休み。そこの集会場のようなところで結婚式が行われていた。近くにある、パセオ球場、スペイン広場、ハガニア大聖堂、ハガニアショッピングセンターを回り、また、トロリーで、次は、グアムで一番物が安いと言う、Kマートへ。
 ハガニアは、はずれだったので日本人が少なかったが、Kマートへ来ると、またまた、日本人だらけ。ちょっとした買い物をして、ホテルへ戻る。
 夕食は、また、ガイドブックでチェックし居酒屋へ、そこで、ラーメンと味噌煮魚を食べる。1年ぶりのサッポロ一番ではないラーメン。

2006年8月12日(土)
グアムへ

 レストランの出っ張りの部分で朝食を食べる。眺めがとても良く気持ちのいい場所。すると、猫のさだこが膝に乗ってくる。定員が来て、ちんちんと言っているので、何かと聞いてみると、猫の名前はちんちんだった。すこしびっくり。
 ホテルから、隊員ドミトリーにむかい洗濯をさせてもらう。隊員の話し合いと掃除があったらしく、隊員の方たちが集まっていた。そこで、テロがあったらしく、空港の荷物チェックが厳しくなったと聞いた。チュウブに入った物や飲み物は機内に持ち込めなくなったらしかった。その後、一緒に昼食へ行き、そして、空港へ。
 ミクロの旅は、隊員にお世話になりっぱなしで、旅行では出来ない事をし、解っていなかったら行っていない場所につれて行ってもらい。本当にありがたくうれしかった。
 出発の1時間前で大丈夫だろと思って行くと、遅いといって怒られた。スーツケースの荷物検査はなく、そのまま搭乗口へ。搭乗口では、他の乗客が、チュウブ物や水物を荷物から出されていた。
 飛行機は、予定時間より早く着いていたらしく、出発も20分ほど早かった。だから、本当にギリギリで、怒られるのも仕方なかった。しかし、ほとんど待たずに飛行機に乗れたのはよかった。
 グアム到着。でも、またしても雨。雨と一緒に移動している感じでついていない。ホテルについてから、しばらくすると雨が小降りになったので、街へ出て行く。マーシャルにはない物がたくさんあり、それを見ている事がうれしい。
 しかし、グアムは、日本人が多い。店にいるのは、ほとんど日本人。定員も日本語で話しているし。ここは外国ではないと感じた。

2006年8月11日(金)
ダイビング

 朝、起きると海から虹がかかっていた。今日も晴天ダイビング日和。そして、ポナペイの最大の魅力、マンタと出会いに行く。これも、ホテルのツアーなので、ホテルからそのまま海へ。ボートは、ダイビングポイントのマンタロードへ一直線。
 ダイビング器材は、ラッキーな事に何と新品。BCGのフィット感が全然違う。しかし、ウエットスーツはない。Tシャツと水着で潜る。今の時期、マンタに合える確率は50%だと聞いていたので、マンタがいる事を期待する。ボートが、マンタロードの上に来ると、インストラクターが、今日はマンタがいるぞと言っている。
 ボンベはいつもより大きめ。時間の制限はなく、空気がなくなるまで、潜ってマンタを見ていることが出来る。水はマーシャルほどきれいではないが、珊瑚は同じように広がっている。潜ってからしばらく泳いでいると、インストラクターが岩につかまって止まれと言う。流れがあるので、岩につかまるのに苦労したけれど、何とか静止状態になる。インストラクターが指差す方を見ると、マンタが向こうからこちらにゆっくりゆっくり近づいてきた。そして通り過ぎていくのだが、また戻ってくる。思ったより大きく、そして、手が届きそうなくらいに、とても近くまで寄ってくる。

 場所を3箇所変えて、そこで静止してマンタを見ていた。最後の場所では、マンタが4匹群れになっていた。そのうち一匹はブラックマンタ。表も裏も黒の珍しい種類。今の時期に、この数とブラックマンタが見られたのは大当たり。頭の中では宇宙船間ヤマトのテーマが流れていた。
 昼食後、ポイントを、マンタパスと言うところに変えてダイビング。ボートが環礁を過ぎ、外海に出て行く、波がだんだんと高くなる。外海に出るには、私も嫁さんも初めてなので、それだけでドキドキして来る。ここは、環礁の切れ目になっている場所。潜ると、珊瑚の絶壁が、ずっと下まで続いている。水の透明度はいいのだけど、底は見えない。その珊瑚の壁に沿って、空を飛ぶようにして泳いで行く。そして、流れがあるので、水が体を押してくれる。マンタは見られなかったが、このようなダイビングは初めてだったので、これも面白かった。
 ダイビングを終えると、すぐにホテルなのがいい。4時前にホテルに戻り、レストランへ行って休憩。のんびり。
 このホテルには、2匹の犬と1匹の猫がいる。なぜかは知らないが懐いて、部屋やレストランについてきて近くにいる。夕食では、猫は膝の上にも載ってくるようになった。犬は、太っている方を熊吉、狐に似ているのをコン。猫はさだこと命名。
 このビレッジホテルには、カクテルがあるのだけれどメニューはない。だから、定員さんに、お勧めのカクテルを持ってきてくれと願いした。出てきたのは、バナナのシェイクのカクテル。これはとても美味しかった。だから、2杯目も、2番目のお勧めを持ってきてくれと頼んだ。しかし、この2杯目。信じられないまずさだった。名前を聞くと、ブラッドマリーだと言うが、ブラッドマリーではない。これはまずいとアピールしていると、カウンターの定員が、笑いながらこっちを見て、「辛い辛い?」と言ってくる。何が入っているかを聞くと、ウォッカベースで、ステーキソース、濃厚なケチャップ、タバスコ、すった大根。なんじゃいそりゃ。やられたと思った。
 口がすっきりしないので、3杯目のカクテルを、カウンターの定員のお勧めを、何で作るかも聞いて頼む。今度のは、ラムにパイナップルジュースと何かを混ぜたすっきりとした美味しいカクテルだった。

2006年8月10日(木)
ナンマドールツアー

 昨日は遅かったのだけれど、今日は、ポナペイの街外れにあるビレッジホテルへ行くので早起きをする。カーテンを開けると快晴だった。今日、明日と、海へ出るので、ほっと一安心。
 タクシーでホテルまで送ってもらい、そして、チェックインをして部屋へ案内してもらうと、そのままロビーへ行きツアーへ出かける。山の中腹にあるホテルから山道を降りて船着場へ。
 ポナペイは、島の周りに環礁がある形をしている。島の周りは、マングローブでおおわれ、水もにごっている。だから、環礁部分まで行かなければ泳ぐことができない。船で、環礁のところまで行き一回目のシュノーケル。ここは、珊瑚の周りに魚が集まっている。マーシャルとよく似た場所だった。魚を見る感動はマーシャルに比べなかったので、素潜りにチャレンジ。ダイビングで耳抜きを覚えたので、前よりよくもぐれるようになっていた。そして、場所を変え2回目のシュノーケル。ここは、珊瑚礁と珊瑚礁の間で流れのある場所だった。片方の珊瑚礁を横に見ながら泳いで行く。下は深くて見えなかった。ボケッとしていると、流れに流され、珊瑚にぶつかってしまう。悲しい事に珊瑚を破壊してしまった。そのうち流れが、だんだんと速くなり、このままでは外海に流されてしまうので、ボートを呼んで海から上がる。ちょっと焦った。
 また、場所を変えて環礁の上で昼飯を食べたあと、3回目のシュノーケリングへ。マーシャルで環礁の魚は十分見ているので、またかという感じに。日本から来ていれば喜んで海へ行くのかもしれないけれど、少々ぐったりして、嫁さんは海に入らなかった。私も、少しだけ水に使って終わりにした。
 その後、ボートを島の反対側ぐらいまで動かして、滝を見学。またまたマーシャルにはない物の1つ。ケプロイの滝と言ってすばらしい眺めの滝、滝つぼで泳いできた。
 そして、また、ボートで移動して、今日の最大の目的地、ナンマドール遺跡へ。海に囲まれた小島に作られた岩で出来た街。コスラヘの遺跡と形は似ているけれど、岩の大きさ、遺跡の広さは桁外れ。遺跡の回りは海なので、カヤックで遺跡の周りをめぐる。六角形の岩で囲まれた水路を進んでいると、なんか不思議な気分になってくる。

 朝10時に出発したツアーは、終わったのが6時過ぎ。1日十分に遊んだ。夜はホテルのレストランで夕食。山の中腹にあるので眺めもよく、ここの雰囲気も最高。簡単なコース料理になっていて、これが、またおいしい。

2006年8月9日(水)
ポナペイ2日目

 今日も雨。ポナペイでは、1日雨が降り続くことはないそうだが、結局1日雨だった。
教育省隊員に案内してもらって、山登りをする予定だったのだが、朝からの雨で行く事ができず、様子を見て待つことにした。
 じっとしていても仕方がないので、午前中は、ホテルの傘を借りて、街をぶらぶらしに行った。服屋さんや果物屋を見て回った。ソフトクリームも食べた、濃厚なチョコレート味。うまい。
 ホテルに戻ると、教育省隊員がホテルに来てくれたので、昼ごはんを食べに行く。高台にある見晴らしがいいホテルのレストラン。ポナペイの港と岩山のソケースロックがよく見える。昨日、同じ飛行機で来ていた日本のお偉いさんも、偶然同じレストランに来ていた。
 雨が止むのを期待しながらご飯を食べていたのだが止まず、その後は、街の店を回ることにした。
  最初に訪れたのは、木彫りの工芸品を作っているカピンガマランギ村。カピンガマランギ島から来た人たちが住む村で、家が垣根で囲われていて落ち着いた雰囲気がある。実際に島に行った事がある隊員は、日本の田舎のような雰囲気だったらく奇麗な町並みをしていたと言っていた。工房ではナイフや斧で木を削って、サメやマンタなどを作っていた。何人かで作業を分担して、木を削る人、形を整える人と別れて作業をしていた。街の中には、工芸品を売る店があり、2軒に入ってみたが、品物によって値段がまったく違った。色々な店で品物を確かめるのがいい。また、値段は適当で、値切ることも出来るらしい。
 その次に、Tシャツやに行き、Tシャツ購入。安いしデザインも色々ある。マーシャルにも欲しい店。マーシャルでは、きることが出来るデザインの服を探すのに苦労する。その後に、古着屋。ここでも、1着購入。アロハシャツなどが3ドルで売っている。と言うように街の中を一回りしてきた。
 夕食は、ポナペイ栄養士隊員の家にお邪魔した。栄養士隊員すばらしい。料理がうまい。ぜひ、マーシャルにも栄養士隊員を派遣して欲しい。そして、ホテルのオーナーのダイスケさんが、マングローブクラブを2杯持ってきてくれた。これまた、うまい。ホテルで食べるといったいいくらするのか解らない。
 そして最後に、昨日とは違うバーへ。ここも、マングローブの湖を見渡す、景色のいい場所だった。バーのオーナーと、ポナペイのホテルやツアーの手続きをしてくれた日本語隊員のホームスティ先のパパさんが友達だったので、マーシャルと日本から来た友達だと言う事で、テキーラをご馳走になった。テキーラの飲み方をあれこれと説明してくれた面白いおっさんだった。気づいたら12時をまわっていた。

2006年8月8日(火)
コスラエを離れ、ポンペイへ

コスラエ空港

ポナペイ島

メインロード

 昨日と同じく、ホテルのレストランで朝食。雰囲気最高。飛行機が飛ぶまでに時間があるので、ホテルの裏のマングローブの湖で出来るカヤックをしようと思い聞いてみるが、水が満ちていないため出来なかった。結局、コスラエでは、海には入らず海関係の遊びをする事が出来なかった。
 またコスラエへ来る事を心に誓い、空港へ向かう。空港での出発手続きが、少々ややこしく、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。その上、同じ国の移動だから、関税証明書や、入国証明書を書かないでいると、すべて海外旅行と同じ手続きが必要だった。後で聞いてみると、ミクロネシアは、それが必要らしい。
 飛行機は1時間遅れでコスラエに到着し、ポナペイ到着も1時間遅れ。そして、また雨。しかし、空港では、ポナペイ隊員が出迎えのために待っていてくれた。懐かしい1年ぶりの再会。
 そして、JOCV事務所に行き、到着のあいさつを所長にする。所長さんは観光案内のパンフレットを用意してくれ、連絡網をコピーしてくれたので、とても助かった。
 その後、雨が降っていたけれど、市内観光へつれて行ってもらう。ポナペイは、お土産屋さんが、マーシャルよりも充実していた。服屋さんも多い。何と、マーシャルにはないソフトクリームを売っている店もあった。
 また、球場があった。その球場、昔のスペイン統治時代に作られた壁があり、観光名所の1つなのだが、外野のフェンスにしてしまっている。そして、名前はスパニッシュウォール球場。夜9時頃に女子ソフトバールの試合をやっていた。
 夕食は、JOYホテルのレストランで食べる。何とすき焼きが。その上うまい。嫁さんは親子丼。これもうまい。ポナペイ隊員は、こんなものを食べられるなんてうらやましい。
 その後は、昔、中国大使館だった場所にあるバーに行く。ベランダだったと思う所にあり、落ち着いた感じの雰囲気がいい。マーシャルにはない。そこで、ポナペイ教育省隊員に会う。同じ語学クラスの仲間。またまた、懐かしい再会だった。

2006年8月7日(月)
コスラエ3日目

スリーピングレディ
右が頭。みえる?

 トゥリーロッジホテルのレストランは、マングローブの中の橋を渡って湖のほとりにある。そこの雰囲気がとてもよかった。朝食は、1セット5ドルとお得。お勧めは、フィッシュライス。魚がおいしい。
 食事後、コスラエのJOCVドミトリーに行き、自転車を借りる。コスラエの街をサイクリングして、レラ遺跡へ。ここは、メンケの後に出来た王家の遺跡で、西暦1400年頃に作られたらしい。メンケは山奥になるが、レラは海の近くにある。また一つ一つの遺跡が大きく、使われている岩も大きい。そして、街のように岩の道でつながっていた。その後、ミュージアムへ向かう。その途中。遺跡めぐりでのどが渇いたので、ジュースを買おうとしたが、なかなか売っていない。船が来る前なので、品切れ状態になっているらしい。
 ミュージアムでは、コスラエの歴史がわかる。レラ遺跡があるレラ地区は、コスラエの出島のようになっていて、海の間の1本道を渡って島に行く。そのレラ地区は、レラ遺跡が作られる時に、どんどん埋め立てられて出来た島らしく、今日見てきた遺跡は、街の中心部が残っているだけで、以前は、島全体が岩で囲まれた街だったようだ。
 自転車での街めぐりを終え、3時から、アウトリガーカヌーに乗せてもらう予定だったので、昨日メンケを案内してくれたサリックのパパさん、タダオとの待ち合わせ場所のマリンパークへ向かう。マリンパークは、メンケ遺跡よりもっと奥地へ、さらにでこぼこ道を進んでいく。そして、タクシーで50分ほど走り、マリンパークの入り口に到着。しかし、入り口が開いていない。タクシーの運ちゃんは、この奥のマリンパークにいるのだろうとか言っている。なんかすごく不安になってきた。朝、コスラエ隊員にマリンパークで待ち合わせていると言うと、何でそんな所へ行くのだろうとか言っていたし。あやしい。
 入り口からマングローブ林を通って海岸へ向かう。しかし、やはり、そこにはカヌーはなく人もいない。そして、コスラエの奥地で取り残されてしまった。もしいなかったら、マリンパークにある電話で呼んでくれと、タクシーの運ちゃんは言っていたが、電話もない。
 いったい、どこで話がずれてしまっていたのだろう。結局することもなく、ヒッチハイクに期待して来た道を歩いて戻る事にした。山道をゴトゴトと来たトラックに載せてもらう事が出来た。しかし、隊員のお隣さんで、連れてきてもらった場所は、まだ、でこぼこ道を抜けきれていない。そして、また歩き出す。昨日パーティーをしていた場所を横切り、さらに歩いていくと、家からおばちゃんが呼びかけてくれたので話しをしていると、親切なおばちゃんは、タクシーを呼んでくれた。その上、待っている間に、取れたてココナッツを飲ませてくれた。
 タクシーで、昨日ちょっと出会った山岡さん宅へ行く。場所はよくわからなかったので、タクシーの運転手さんに、ミスター山岡、ジャパニーズの家に行きたいと言ってつれて行ってもらう。無線で家を確かめながら、「わかったわかった、俺は、ナンバーワンドライバーだからな。」と言いながら家に行く事ができた。
 山岡さん、8年間コスラエに滞在していて、いきなり来た私達にとてもよくしてくれた。そこで、同じくコスラエに来ていた方達と会った。ボートで世界一周を実行中の人たちで、いきなり世界を回ってみようと思い立ったキャプテンと、そのキャプテンと仲良くなった2人、計3人で旅をしている。色々な話しを聞いたけれど、とても面白く、私もやってみたい衝動に駆られた。でも、それは出来ない。それから、一緒に夕飯までごちそうになる。自分とは違う所にいる人の話は、いつでもとても楽しい。

2006年8月6日(日)
コスラエの教会

カヌーを作る大木

 完全休業の日曜日。ホテルのオーナーのカトリーナさんと一緒に教会につれて行ってもらう。コスラエは、キリスト教信者が多く教会の聖歌は、すばらしいと聞いていた。つれて行ってもらった教会は、マーシャルにはない大きさと奇麗さ。そして、聖歌隊が真っ白な衣装を来て出てくる。それが何グループかあった。聞いていた通りの奇麗な歌声だった。
 その後、日曜日だけれど、特別にメンケ遺跡を見るツアーに行く事ができた。メンケ遺跡は、西暦1200年ごろに作られた、岩を積んだ建物。昔、村人がそこに集まり、お祈りをしていたらしい。
 ホテルからタクシーで、メンケ遺跡に向かう。タクシーは、どんどん奥地へ。途中から道路の舗装もなくなり、雨の影響で水溜りがあり、ガタガタになった道路を、のろのろと進んでいく。そして、山のふもとでタクシーを降り、ガイドのサリックと一緒に川に沿って山を登っていく。
 このサリック、日本に留学したことがあり、少し日本語を話すことが出来る。メンケ遺跡の土地を持っている家族の長男。柿好きなのをアピールしていた。
 川があることがうれしいので、その側を歩いていくのには、とてもワクワクした。しかし、靴ではなくサンダルで行ったのが失敗だった。かなりハードな山登りになった。メンケツアーに行く時は、靴を履くのがおすすめ。
 雨の中、1時間かけて山道を進むと、森の中に、積まれた岩が見えてくる。山の中腹に、四角形に積まれた岩が、所々にたくさんあるらしい。全てを見るのは大変なので、5つの遺跡を案内してもらった。大きさや形はいろいろで、また、2つの四角が重なっているものもあった。
 日曜日は、タクシーも一台しか動いていない。だから、次の移動を運転手のベンに頼み、ホテルへ戻る。今日からホテルを変えるので、チェックアウトを済まし、約束をしたベンが来るのを待ち、そして、トゥリーロッジホテルへ向かう。
 その後、コスラエの隊員宅をベンに頼んでつれて行ってもらう。これがまた、街の中心部であるホテルの近くだろうと思っていたら、メンケ遺跡へ向かったでこぼこ道まで、30分以上をかけて戻ることになってしまった。コスラエ隊員は、なんとコスラエの奥地に住んでいた。ラッキーな事に、隊員が住んでいる部落のパーティーがあり、一緒に食事を食べられる事になった。料理は、テーブルに並べられ、マーシャルと同じく順番にお皿に盛っていく。コスラエのローカル料理が食べられたのはよかった。マーシャルと比べて魚とバナナの料理が多くあった。また、マーシャルと同じような調理方法の料理も多かった。

2006年8月5日(土)
マーシャル脱出

バス移動の花子

カヌーレース見学

ホテルの部屋

 1年ぶりのマーシャル脱出。他の国へ行く事にワクワク。しかし、旅立ちの日も、残念ながら雨。1週間以上家を空けるので、花子も一緒にバスに乗せてもらってドミまでつれて行く。ドミでは、カイとロンが花子を出迎えてくれるが、びびり花子は、やはり、びびっている。空港へ向かうためにタクシーに乗ると、金網にしがみついてクンクン言っていた。
 時間通りに飛行機は出発。離陸。しかし、雲で上空からマジュロ環礁は見られなかった。途中のクワジェリンで、いったん止まり。そして再び飛び立ち、ミクロネシア連邦のコスラエ島へ。いよいよ、本当にマーシャル脱出。マジュロからクワジェリンを経由して、コスラエは約3時間。コスラエ空港に降りると、じめっとした暑さを感じた。マジュロより暑い。
 空港から送迎バスで、一泊目の宿泊地、コスラエビレッジホテルへ。空港近くの川でカヌーレースをしていて、たくさんの人が集まっている。見たいと思ったが、送迎バスだったので、バスから眺めておわる。そして、海岸沿いにバスはホテルまで走っていった。1年ぶりに見る、山、川、森。懐かしい風景。植物の香りも1年ぶりに感じた。マーシャルの風景も特別だけれど、山と川のある風景は、やっぱりいい。
 ホテルに着く頃に、また雨が降り出す。ホテルでは、チェックインの手続きもないまま、そのままホテルの昔ながらのロッジに通されて、ドライバーは行ってしまったので、少々戸惑う。これがコスラエ風なのか。
 それから、大雨が降ってきたので、薄暗いロッジの中ですることがなく、ひたすら雨が止むのを待つ。コスラエでは、日曜日は働かない日なので、何も出来ないといわれ、予定していたプランがいきなり駄目になってしまい、どうしようか少し不安に。
 雨が小降りになってきたので、とりあえず、コスラエに日本軍基地の後があるというので、とりあえずそこにつれて行ってもらう。
 その後、ホテルに戻りレストランで食事。ホテルのレストランも葉っぱの昔の建築様式で作ってあり、雰囲気がとてもいい。そこで頼んだ、お勧めのマングローブサラダ。これはうまい。







                 日本軍が作った階段      高校          小学校
2006年8月4日(金)
雨の中のダイビング

 朝、気持ちのいい天気だった。今日は、アルノへ行けるかもしれないと期待しながら、ダイビングショップへ向かう。到着して聞いてみると、雲行きが怪しいという事で、アルノへは船が出なかった。
 残念だなと言っていると、だんだんあたりが暗くなり、雨が降り始めた。しばらくすると、激しい大雨にかわる。視界の中に晴れ間はなく、あたり一面雲に覆われた。そんな中、船は出港し。ダイビングポイントへ向かう。雨が横から降ってきて痛い。
 雨の日のダイビングは、今回が初めて。常夏のマーシャルでも、こんな時は寒く。海の中のほうが暖かい。雨が降っても、水中のダイビングは変わらないのだけれど、船の上ではぶるぶる震えていた。こんな時は、ダイビングはするものじゃなかった。からっと晴れた太陽の下でのダイビングが、やっぱり最高だ。
 結局、今日は1日、どんより曇っていた。今週は、雨が降る事が多くすっきりしない1週間だった。
 アドバンスの提出問題が、まだ、終わっていないので、ダイビングから帰ってきてから、しばし勉強。今日提出してしまおうと思っていたのだけれど、終わらず、家に帰ってきてからもやっていた。夜中に何とか終わらす事ができたので、これで、アドバンス資格が取得できる。

2006年8月3日(木)
マーシャルのレストラン

 今日も、残念ながら海の調子がよくなく、アルノ環礁へはいけなかった。
 お昼ごはんに、ロングアイランドホテル前にあるベトナム料理屋へ行く。マーシャルでは珍しい本格的な料理屋さんで、おいしい。マーシャルでおすすめの店。卵麺のラーメンに、カレー、サマーロール(生春巻き)を食べた。サマ−ロールは、私のおすすめ料理。
 その後、ウリガ隊員とレクリエーションを行う時の商品や食べ物を買いに行く。そして、晩御飯を食べに行くまでの時間があったので、ウリガ隊員宅へ。この隊員の家は、ダイビングショップの近くで、街の中心街にある。そして、広くテレビつき。なかなかいい。
 晩御飯は、RREホテルのレストラン。最近に新装開店してから、初めて行った。以前の店と雰囲気がガラッと変わり、いい感じのレストランになっている。しかも、マーシャルでは珍しく混んでいた。ピザがおいしいので、マーシャルへ来た時は、ここも一度来ておくといい。
 晩御飯を街で食べたので、家には帰れない。バスは8時までしか動いていない。だから、今晩は、環境隊員がオーナーのホテルシモホキに、ご厄介になる。ここの家は、少し街外れのライロック地区にある。ここのオーナーは、いつでもウエルカムなので、マーシャルに来た時は、一度泊まるといい。
 と言う訳で、明日のダイビングを楽しみにしながら就寝。

2006年8月2日(水)
街でぶらぶら

 マジュロ環礁のすぐ横に、アルノ環礁がある。そこの海はとても奇麗で、マジュロの海も、世界で一番奇麗だと言われているが、そのアルノはそれ以上に奇麗だと、行った人はみんな言っている。一昨日、昨日と一緒に潜りに行っていた日本から来ていたダイバーさんも、500本潜っているが、マジュロが一番だと言っていた。それ以上の海がアルノにはある。そこにぜひ行きたい。
 アルノへ行くには、いったん外洋に出ないといけないので、海が穏やかな日にしか行く事ができない。それなら、2・3・4日のうちで、アルノへ行ける日にダイビングをしに行く事にした。毎日、ダイビングショップに、朝、電話をして確認をする。
 朝、今日の海は、アルノに行けるのかを確認すると、昨日の夜大雨がふり、朝も天気がすっきりせず、外海に出ることはできないと言う事だった。だから、今日のダイビングは、残念ながら出来なかった。
 と言う訳で、今日は、街に出て旅行へ行くための準備をしてしまう事にした。昼飯は、アウトリガーホテルのランチバイキング。10.25ドルで、なかなかお得。
それから、まず、航空会社に行き、座席の指定をしてもらう。私のチケットは、マーシャルで購入し、嫁さんのチケットは、日本で購入したので、席が近くになるように、前もって航空会社で座席を指定してもらう事ができる。そして、銀行へ行きお金をおろす。電話局へ行き、来月分の電話料金を払う。事務所に行き、パスポートを受け取る。
 ここまでは、いつもの意味もなく待たされるようなこともなく、順調に進んだ。しかし、ここからのバス待ちが長かった。いつもの事だから、私は慣れているが、嫁さんはちょっと疲れぎみ。

2006年8月1日(火)
アドバンス講習2日目

 いよいよ、40mの世界にいけると思っていた。しかし、24mまで、30mも行かなかった。水中深く潜ると窒素酔いという現象が起こる。酔っ払った状態と同じで、思考能力が低下する。それを、実際に体感して、深く潜る時に注意するようにするようにすることが目的で、深く潜る事が目的ではなかった。
 中性浮力を保つ練習は、水中で色々なポーズをしたり、水底1mの高さを維持して泳いだりするのだけれど、これがなかなか難しい。肺の中の空気を調節して水中での高さを一定にする。
 最後に、コンパスを使い海の中を進んでいく。25m四方の距離なのだが、今日の海の透明度は15mなく、25m泳ぐと、人は見えなくなってしまう。コンパスで方向を定めて自分の泳ぐキック回数で距離を測定しながら、目的地に帰ってくる。
 以上、5つの講習が終了した。一緒に行った4人は、特にトラブルもなく順調に出来た。後は、テキストの問題を解いて提出すればアドバンス・ダイバーの免許がもらえる。

2006年7月31日(月)
アドバンス講習1日目

 久しぶりのダイビング。そして、オープン・ウォーター・ダイバーを卒業し、アドバンス・ダイバーの資格をもらう講習を受ける。アドバンス・ダイバーになると、潜れる深さが、18mから40mまでになる事が大きい。40mの世界は一体どんなものなのか、とても楽しみだ。
 アドバンスになるためには、いくつかの講習の中から、5つを選択し、それを終了すればいい。ディープダイビング、これは40mまで潜るための技術。アンダーウォーター・ナビゲーション、これは、コンパスや、自分の泳ぐスピードを計算して、目的通りに水中を進むための技術。この2つは必修。そして、私たちが選んだのは、魚の見分け方ダイブ、これは名前のとおり、魚を見分け、名前を調べるための技術と知識。アンダーウォーター・ナチュラリスト、これは、海底の植物や動物を見分けるための技術と知識。ピーク・パフォーマンス・ボイヤンシー、これは、水中の中で自由に動いたり、浮いていたりするための技術。
 この5つを、2日間で学習する。今日は、魚の見分け方とナチュラリスト。海底の植物や魚を観察して、スケッチやメモを取る。そして、それがいったい何なのかを、潜り終わった後に、図鑑を用いて調べる。これを、どの様に行えば効率がいいのかを習った。
 魚は、口の形、ひれの形とついている場所、体の形に違いがあるので、そこを詳しく書いてくると、後で調べやすいと習った。そして、調べた魚は、種類ごとに特徴があるので、それをもとに区別していけるようになると、魚の名前も覚えていけるらしい。インストラクターの人の、魚の知識はものすごく、私たちが書いてきた魚の絵を見て、それは、おそらく、何々だなと、いくつかの魚を言っていた。いやーすごい。
海底の植物や動物の違いを見分けるのは、なかなか難しかった。珊瑚が動物であるように、海底には、魚のほかに、植物ではなく、動物な物が、けっこうたくさんいる。今回スケッチしてきたものも、ほとんどが動物だった。
 今日の講習は、海の生き物について、かなり勉強になった。また、水中で絵を書くのは、難しい。けど、面白い。

2006年7月30日(日)
教会へ行く

 朝、起きたら何と停電。朝大雨が降っていたので、おそらくどこかで電線が切れたのだろう。電気がつくのを待っていると、少しカチカチッとつきそうになったが、また切れる。おそらく工事が失敗したのだろう。
 電気がつきそうにないので、パンをかじるだけで、教会に向かう。いい天気で暑い。今日の教会は、いつもより人が少なかった。夏休みだから、みんなどこかへ行っているのだろうか。教会の中にいた犬が、花子をみつけて追いかけてきた。花子必殺の大逃げ、どこかへ行ってしまった。教会のミサが終わり、花子を呼んだのだが、見当たらない。仕方ないので、ほったらかして帰っていると、後ろからいきなり出てきた。どこに隠れていたのだろうか。
 家に帰っても電気は回復していなかった。窓を開け、ドアを開け、風通しをよくして、ご飯も作れないのでお昼寝。やっと電気が回復したのは、4時前になってから。今回は長かった。嫁さんもマーシャルの停電を体験。寝ていても暑い。電気がついたので、昼飯を作る。今日は、日本から持ってきたそば。

2006年7月29日(土)
到着

 空港に行くためバス待ち、そして、いつものごとくバスは来ない。そして、ヒッチハイク。乗せてくれた人は、リキエップから来ているジェームスさん。だから、リキエップの話しをしながら空港へ向かう。飛行機が着く時間が12時5分で、少し遅いとわかると、車のスピードを上げ走ってくれた。12時ちょうどに空港到着。間に合った事を、喜んでくれていた。
 少し遅れて飛行機到着。嫁さんが、とてもいい姿勢で歩きながら飛行機から出てくる。初日は、ドミに行って「功名が辻」を見ながら、日本から持ってきてくれたそうめんを食い。その後、ペイレスに行って食材などの買い物。そして、バス待ち1時間を体験。

2006年7月28日(金)
よかったよかった

 今、私は、隊員のレクリエーション委員になっている。昨年度まで、隊員のリフレッシュのためにレクリエーション費が出ていたのだが、経費削減で、今年からなくなっている。しかし、そんな事には負けず、マーシャルは、隊員のリフレッシュと、親睦を深めるため、レクリエーションはなくさず続けていくことになった。こういう息抜きは大切だと思う。
 今回は、バスケットアンドバレーボール大会を開く、それも、もう来週になっていたので、各隊員に連絡をするために、今日、必要な準備を進めておかなくてはいけない。
 体育館に、日曜日の使用が出来るか確認をする。これは、あっさりと大丈夫で、所長が、当日、電話をすれば開けてくれることになった。そして、参加確認用紙を作り配布。間に合ってよかった、よかった。
 その後、この前借りた合羽を返しに、エネルギーカンパニーの事務所に行く。しかし、借りた人の名前を忘れてしまった。だから、誰から借りたか忘れたけど、この合羽借りたから返したいと言うと、誰が貸したのかを、電話で確かめてくれ、ローラで働いているから、返しておくと言ってくれた。これも、よかった、よかった。
 そして、帰りのバスを、待っていたのだけれど来ない。1時間以上待っても来ない。そしたら、車に乗っていたおばさんが、どこまで行くのかと聞いてくるので、ウォジャまでと言うと、乗れ乗れといってくれて乗せてもらった。またまた、よかった、よかった。

2006年7月27日(木)
リキエップ旅行記 おまけのその6

やっと来ました飛行機

懐かしのウォッジェ

帰ってきたマジュロ

 9時に飛行機が到着予定なので、朝7時に空港へ来るように言われていた。そして、7時20分頃に、こんなに早くローリーは着ていないだろうと思いながら行ってみると、なんと、ちょっとはやる気を出しているのか、もう来ていた。そして、いったん家に戻って朝ごはんを食べてから、9時になり空港へ向かう。しかし、10時を過ぎるがまたしても飛行機が来ない。またまた、帰れないのか心配になってくる。
 そして、入ってきた情報は、イバイで、乗客を、どの様にして乗せればいいかトラブルがおき、飛行機の出発が遅れているという事だった。12時にイバイを出発する予定だから、またで直ししてくれと言われ、家に戻る。乗客の確認ぐらい前日にやっておけと思うが、そこがマーシャル人である。
 家で、無線をしていると、イバイにいるパイロットから、リキエップで何人乗客が乗るのか連絡がないから、ローリーに伝えてくれという連絡が入る。ウォッジェの空港職員は、レポートも出していて、無線をいつでも出来るようにしているのに、ローリーはまったくしていない。リキエップ隊員がローリー宅へ無線をするように言いに行くと、昼飯を食っていたらしい。今回は、リキエップでの乗客分、席がまだ残っていたからよかったのだが、連絡が取れたウォッジャから埋めていくので、もし、席が十分に残っていなければ、リキエップからの乗客は乗れなかったことになる。日本人が3人いて、出来るだけ早く帰れるように強くお願いをしているのに、適当な仕事しかしないローリーには、本当に腹が立った。マーシャル人だからというのを超え、マーシャル人からも腹を立てられているのだから相当なものだろう。もし、今回飛べてなかったら、ローリーを、ぶっ飛ばしていただろう。
 でも、無事に、飛行機は来て、ようやく帰る事が出来た。途中、ウォッジェ環礁によったので、島に下りて、懐かしい島の風景を見ていたのだが、良く知っている人たちはいなく残念だった。飛行機から、懐かしい海岸や家を眺める事ができた。

2006年7月26日(水)
リキエップ旅行記 おまけのその5

 朝、ローリーのところへ行って、昨日釣りに行っていた事、連絡をしていなかった事を、リキエップ隊員が、強く言ってくれた。しかし、ローリーは、釣りには行ってない。朝に連絡をした。と、すぐばれる嘘をつく。ほんとに、どうしようもない奴だと思ってしまう。
 今日、帰るのは無理なようなので、何とか早くならないか、また動き出す。パパさんの妹が、マジュロのエアーマーシャルで働いているので、連絡をしてもらう。昨日もしてもらったのだが、昨日は、無線がつながらなかった。でも、今日はつながり、リキエップにいる日本人が早く帰れるようにならないか言ってもらえることになった。
 JOCV事務所にも連絡をとる。そして、エアーマーシャルに問い合わせてもらった所、1300ドルだせば、飛行機を回せると言われたらしい。あきらかにふっかけられている。エアーマーシャルは、しょっちゅう予定通り飛ばず、旅行者に迷惑をかけているくせに、こんな時は、ふっかけてくるとんでもないところだ。飛行機が飛ばなかったのは、エアーマーシャルの責任なのに、なぜ、こちらがお金を払わなくてはならないのだと、理不尽な思いをしながら、どうしようかと考えていた。すると、リキエップの医者が無線をしていたらしく、明日、イバイ、リキエップ、ウォッジェと回る飛行機が飛ぶことになったと言う情報が入る。
 何と突然の朗報。1300ドルと言われていたのが、突然飛行機が飛ぶことになった。何でだと不思議に思いながら、医者の家に確かめるのとお礼を言うために行ってみる。すると、ウォッジェにも、昨日マジュロに行けなかった人がたくさんいて、そのウォッジェの空港職員ががんばってくれたみたいで、リキエップのローリーは何もしていないらしい。空港職員のがんばりでこんなにも変わるのに、ウォッジェに比べ、リキエップの人たちは、かわいそうである。リキエップでは、情報が伝わっていないために、よく、飛行機に乗れなかったりしている人がいるらしい。しかし、リキエップの人は、穏やかな人が多いので、何も文句を言わずに、次の飛行機でいいよと言っているので、大きな問題にならないのだろう。
 と言う訳で、まだまだ安心はしていないが、何とか明日帰れることになった。離島では、連絡手段が無線で、それも繋がらなかったりするので、結局、朝から色々と連絡を取りながら、明日飛行機が飛ぶということが解ったのが、3時を過ぎていた。離島でトラブルがあった時は、ほんとに大変だと感じた。
 おちついた夕方、散歩に出た。村があるほうではなく、ココナッツが育っている島の西側。ずーとココナッツの木が続いている静かな場所だった。島民は、時々、ピクニックをしているらしい。

2006年7月25日(火)
リキエップ旅行記 その4

入り口を入ってすぐのリビング

昔の品物

100年前に建てられた昔の家
今は、リキエップの博物館になっている

 リキエップ生活を満喫し、今日は、マジュロへ戻る日。飛行機は、11時15分に来る予定なので、9時にチェックインをするために、空港へ行く。と言っても、野原に、家が一軒あるだけ。9時にチェックインと言われていたが、空港職員のローリーが来ていない。いつもの事で、しばらく待っていると30分ぐらい遅れてやってくる。預ける荷物と持ち込みの荷物を分けて、体重を量り、それでおしまい。後は、飛行機が来るのが11時15分予定なので、いったん家に戻り、朝飯を食べてのんびりしている。
 そして、11時になったので、再び空港へ。楽しかったリキエップとさようなら。しかーし、12時過ぎても飛行機は来ない。すると、ローリーがエンジントラブルで、飛行機が、まだ、マジュロを出発していないから、しばらく、家で昼飯を食べて待っていてくれと言う。なぜ、マジュロを出発していない飛行機の情報が今なのだ。そんな事、9時の時点で解ることだろう。情報が遅すぎると、待ちつかれたのもあり、ちょっとムカッとしながら家へ。
 ママさんが作ってくれたスープ、これもおいしい、を飲みながら、家で、待っていた時に来た情報は、エンジンの部品が今日は直せないので、今日のフライトはなくなったというもの。恐れていた事が起こってしまった。次の飛行機を待っていると、土曜日のフライトになってしまう。それは、なんとしても避けたい。出来るだけ、早くマジュロに帰りたい。なぜなら嫁さんが、土曜日にマーシャルに来る予定なので、それに遅れてしまう。なんとかならないか、ローリーや、パパさんに情報を聞ききながら、早く帰れる方法を探す。
 そして、明日、リキエップのさらに北にあるイバイ島へ臨時便が出ると言う。北の方面の飛行機は、イバイ、リキエップ、ウォッジェを経由して飛んでいる。そして、イバイは人口が多いので、今日のフライトがキャンセルになった代わりに飛ぶのだろう。だから、その飛行機に、リキエップにもよってもらえないかと交渉するためにローリーのところへ。ローリーは、解ったまかせろという返事で、引き受けてくれた。
 しばらく待っていたが、夕方になっても、ローリーからの返事がなかったので、リキエプ隊員がローリーの家に行ってみると、釣りに出かけたと言われたらしい。そして、マジュロへ無線連絡をした様子もない。ローリーは、仕事をしないことで有名で、レポートや、しなければいけない事をしないので、トラブルをしょっちゅう起こしているらしい。そんな奴が、なぜ首にならないのだろうか。
 マーシャルでは、無線連絡によって、それぞれの島の情報のやり取りをしているので、それぞれの島にいる空港職員の一言で、フライトスケジュールが変わる事が多々あり、その人の動き次第で、出来るものもできなくなったり、出来ない事もできるようになったりする。だから、何としてでも、ローリーには動いてもらわなくてはならない。

2006年7月24日(月)
リキエップ旅行記 その3

 今日は、ジュニアが、漁につれて行ってくれると言っていた。引き潮になる朝が、漁をするのに良いので、朝出発という事を言っていた。ジュニアは、リキエップの漁のまとめ役だそうだ。朝から、ジュニアの家の周りには、村の若者が集まってきていた。しかし、そのジュニアは、昨日の夜遅くまで飲んでいたらしくほろ酔い状態。それでも、漁には出発した。
 船に乗っているのは20人ほど小学生もいる。小さい子は練習をして、漁を覚えていくみたいだ。魚がいる場所へ向かう途中にも、船から海へ飛び込む練習をしていた。マーシャルでは、女と一緒に漁に行くと魚がつれないという迷信があり、普段は、女の人は船に乗せてもらえないらしい。しかし、今日は、観光客だからという事で、特別に乗せてもらえた。
 ジュニアが、船の移動を指示して、魚がいる場所の近くへ近づいていく。そして、いよいよ漁が始まった。1人の男が縄を持って海へ飛び込む。縄を海の中へ入れながら、そのまま船は進んでいく。しばらくすると、また1人、縄を捕まえながら海の中へ飛び込む。次々と等間隔で、一人ひとり飛び込んでいく。縄は、海に大きな円を描いていく。そして、私の番。海へ飛び込む時は、頭を下にしないように、そのまま飛び込まなくてはいけないと言われ、そのようにして海の中へ。縄をつかみ船についていく。しばらくすると、最初に飛び込んだ人のところへ船が行き縄が大きな円になる。



 どのようにして魚を捕まえるのかは聞いていなかったので、まだ、いったい何をはじめるのか、まったくわかっていなかった。そして、浅瀬の場所へ円を少しずつ小さくしながらそれぞれが集まってくる。すると、その円の真ん中あたりで、ばしゃばしゃと跳ねるものがいる。なんと、魚の群れがいた。私には全然見えなかったのだが、マーシャルの人たちには、見えていて、追い詰めていたみたいだ。そして、さらに縄を小さくしていき、縄の一方向のところに網を仕掛け、縄を、その方向に向かって小さくしていくと、網に、たくさんの魚がかかった。
 縄だけで、魚を追い詰める事が出来るのに驚いた。しかし、レインボーランナーという魚にしか使えないそうだ。子どもも大人もうれしそうだ。むちゃくちゃ楽しい。
その後、魚が集まる環礁の中の島と島の間で、外海と内海の水かつながっている場所につれて行ってもらい、銛漁に挑戦。しかし、残念ながら「とったどー」と言えずに終わった。潜って魚を探すことだけでも難しかった。
 獲った魚は、漁に行った人みんなで分ける。たくさん獲れた時は、村人の各家にも分けていく。これがマーシャルの文化。食べ物や物を、持っている人がない人に分けている。だから、子ども達も、お菓子をもっている子は、他の子が袋の中に手を突っ込み、お菓子を持っていっても何も言わない。1人の子にたくさんの子が集まってみんなで食べる。首都マジュロでは、その文化がうまくいかない所も出てきているが、離島では、まだ、自然と行われている感じだ。そして、私にも、取り分をもらえた。魚2匹。持って帰ることは出来ないので、今日の夕食のために料理してもらう事にした。
 お昼ごはんは、獲り立ての魚の刺身。言うまでもなく、めちゃくちゃうまい。そして、夜ご飯は、魚を、蒸したもの、焼いたもの、揚げたものと、いろいろに料理して出してくれた。自分で獲った魚を、その日の飯で食べる。最高だ。

2006年7月23日(日)
リキエップ旅行記 その2

 日曜日なので、村の教会へ行った。黄色に塗られ、マリア像が入り口の上に飾られているおしゃれな教会。真っ白な服の子どもが4人。他の島では大人がやっている、神父のお供をする役割を、週替わりで子どもがやっているらしい。ミサは1時間ぐらいで、神父の説教と歌のシンプルなものだった。
 午後からは、ジュニアに、ボートで、環礁内の別の島につれて行ってもらう。そこで、シュノーケリングや釣りを楽しんだ。やっぱり離島の海は、マジュロと比べても、とてもきれい。ウォッジェもすごかったが、リキエップの海も、青さと透明度は格別。ほんとの海という感じだ。
 ボートで帰る途中、鳥が集まっている場所に静に近づき、投げ釣りをする。3回させてもらったが、全て失敗。ジュニアは、1回目で、大魚を捕らえたけれど、糸を切られてしまった。しかし、さすが海の男、釣りがうまい。
 今日の夜は、ジュニア宅によばれて、鳥の煮込み料理。ウォッジェでは食べた事がなかった人参と玉ねぎが入った料理。リキエップ料理は、一味違う。昨日も、ジュニア宅で、魚のフライ料理をいただいた。毎晩、ご飯を作ってもらい、それなりの苦労はあるらしいのだが、リキエップ隊員がうらやましい。

2006年7月22日(土)
リキエップ旅行記 その1

 朝、8時に飛行機が飛ぶので、6時に空港へ向かう予定だった。しかし、起きるともうすぐ7時。そして、一緒に行く人たちは、まだ爆睡中。その人たちを起こし、急いで準備。でも、ここは、マーシャルなので、そんなに焦ってはいない。シャワーですっきりしてから出発。7時過ぎに空港に着くが、何も問題なし。そして、当たり前のように離陸時間は延び、9時になってやっと搭乗。
 リキエップ環礁は、マジュロから飛行機で、北に1時間ほどの距離にある。語学訓練を行ったウォッジェ環礁のさらに北(地図参照)。私にとっては、2番目の離島になる。
 空港には、リキエップの人たちが集合していた。飛行機が来る時に空港へ来るのはリキエップの人たちの習慣になっていて、人や荷物を待っている訳ではない人も、島民のほとんどの人が待っているらしい。普段は300人ほどいるらしいのだが、夏休みで、都会のマジュロやイバイ島に行っている人が多く、100人ほどしかいない。
 リキエップ島には電気がない。そのため、太陽発電をしている家がある。隊員の家も太陽発電。冷蔵庫を使うと、すぐに電気がなくなるので、夜は冷蔵庫の電気は切られている。
 少しのんびりしていると、隊員の大家さんで隣に住んでいるジュニア宅によばれる。造ったお酒を飲めと、ピンク色をしたかわった酒を出される。ウォッカとミルクとレッドサワーというジュースを、1:2:1の割合で混ぜて造ると教えてくれた。味は、飲み慣れてくるとうまい。数杯飲んで、ほんのりいい気分になった。
夕方になり、村の散歩へ、リキエップは、島の東半分に人が住んでいて、西半分はココナッツが育っている。村は大体1時間ぐらいで一周できる広さ。リキエップ隊員は、会う村人、会う村人に、名前を呼んで挨拶をしていたのでびっくり。村人との関わりが深いんだなあと感じた。
 リキエップには、それなりのホテルがある。雰囲気は、南国的で良い感じ。しかし、客はいなかった。また、病院もあった。中をのぞくと、ベットのある病室があり、診察場所にはカルテも置いてあり、けっこうしっかりしているなと思った。