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2006年8月31日(木)
教育省ミーティング

 学校が終わってから、教育省のミーティングに行った。オープンクラスについて話しをした。
 前回行った教育省のミーティングでは、算数課のベルニンの日本研修の報告会があり、その時に、オープンクラスを、今年も、ぜひ行なっていきたいという話があった。だから、昨年は協力隊員だけで行い、授業を現地の先生にしてもらう事での困難が多かったので、今年は、教育省にオープンクラスの主催を行ってもらい、年間計画の中での取り組みにしてもらい事を提案した。しかし、前回は、その事をうまく理解してもらえなかったようだった。
 でも、今回、デラップ隊員の根回しもあり、話しを理解してもらえたようで、教育省から、各学校へ計画が伝えられ、隊員はそのサポートをする形で取り組んでいくことになった。今年で、オープンクラスを行いだして4年目になる。その時その時の思い付きではなく、毎年の積み重ねを、しっかりしていく必要がある。
 オープンクラスのテーマを持ち、それをもとに、1年間、各学校で取り組み、その成果を、発表できる場にしたいというのは、去年から話していたことだった。でも、去年は、教育省との連携がうまくいかず、隊員だけでの話になってしまい、各学校での話し合いでも、十分に理解してもらえず、それぞれの学校のテーマは、違ったものになってしまった。日本の多くの研究授業と同じように、オープンクラスのための授業を行うだけになっていた。
 まず、そこが、今年、改善される事ができ、今年度のテーマも決まった。「基本的な日々の積み重ね」が今年のテーマ。指導技術、授業の方法以前に、授業を行う生活習慣的な基本を見直していけるようにしたいという事。これも去年、話していた事だけれども、先生たちに、浸透させる事はできなかった。でも、今年は、教育省が打ち出したテーマとして、行えるのであれば、少しは違った反応があると思うし、そういう点での話し合いも行う事ができる。テーマがしっかりしていれば、テーマに即して否定的な事を言っても、逆に非難されるようなこともないだろう。授業後の話し合いも意味あるものにしていけるのではないかと思う。
 もう一つ提案した事が、オープンクラスの準備を隊員が中心になって行ってきたのを、校長が中心になって行うようにしたいこと。これは、ベルニンも、そうするべきだというような事を言っていた。そして、準備の手順といつまでに仕上げていけばいいのを、タイムテーブルの形で作り、隊員がいなくても、現地の先生だけで計画的に出来るようにしたいという事。これも、去年考えていたことだった。それが、やっと今年できることになった。
 話し合いを持ちたい持ちたいと言っても持てなかった時期が長かったが、今年度になりやっと、教育省との話し合いがもてるようになった。1年遅れだけれども、オープンクラスに対しても、私達が考えていた事が出来るようになった。他の事でも、それぞれの思いを出せる話し合いが、行える環境が出来ると良いと思う。
 今年度、第一発目のオープンクラスは、我がウォジャから開始。

2006年8月30日(水)
マーシャルの子達

 1年生のバーニー。授業を始めてから1週間がたち、数字を見てそれを別の場所に、書く事は出来ないが、自分で数字をなぞる事ができるようになった。少しずつ進歩している。そして、授業中には、大きな目を見開いて、私をよく見て確認している。授業中だけではなく、いつも見てくる。お昼に私がご飯を食べている時も、前にたって、じっと見てくる。1年生ぐらいの子は、私が話しかけても、照れてあまり返事がない。バーニーも、ご飯食べたのと聞いても、よく解らない微笑を返すだけなので、その真意が測れなかった。マーシャルの子達の様子から、おそらく、欲しいという事ではないだろう。
 昨日、授業中に寝ていた8年生のロジータ。今日は、算数の前の、英語の時間に寝ていた。そのせいか、算数の時間は寝る事なく、ノートをとり、課題にも取り組んでいた。いったいどういう子なのだろう。

2006年8月29日(火)
8年生第1時

 8年生で初授業。雰囲気が、当然だけれど、1年生や2年生とは違う。緊張した。けっこう真剣に授業を聞いているし、問いかけにも、答えを返そうと、がんばっている。ますます緊張した。私のなんちゃって英語とマーシャル語で大丈夫なのか心配になった。
 あとで先生に、私の説明で解ったかと聞くと、英語で言ったあとに、マーシャル語で言ってくれているから、よかったよと言ってくれたが、決して解りやすくするためになんて考えている訳ではなく、英語でいっぱいいっぱいだから、マーシャル語を混ぜてごまかしているだけ。
 授業は、予定通り進んでいった。でも、2人の子どもに寝られてしまい惨敗。周りの子は、寝るのは駄目だと言う意識があるらしいので、それに助けられたが、寝られないように、授業を考えていく必要あり。授業の流れに起伏がなく単調になってしまうのを、何とかしようと反省。

 学校から帰った時間は7時で、辺りは真っ暗だったので、自転車で帰るのは、さすがに怖かった。暗くなると人がいなくなり、電気なんかない。マーシャルで1年過ぎたが、7時に帰ったのは、実は初めてだった。日本では考えられないが、6時頃に街から帰ってきた校長は、まだ仕事をしている事におどろいていた。確かに、暗くなってから帰るのは怖いので、明るいうちに帰るようにしよう。

2006年8月28日(月)
8年生の力

 繰り上がりの足し算、繰り下がりの引き算は、方法からよく理解できていた。さすがに8年生になると、3年生、4年生では、なかなか理解が出来ない事でも、しっかり覚えていた。かけ算九九と割り算も、8割の子が理解していた。しかし、あまりがある割り算を、8割の子が出来ていなかった。
 位取りも、思ったより理解していて、6割の子が出来ていた。数の概念を低学年の子に理解させるのには、苦労しているので、8年生も出来ないのではと思っていたが、成長して時期が来れば、理解も出来るようになっている。数の概念は、低学年のうちに理解しておかないと、大きくなってからでは難しいと思っていたのだが、そうでもないようだ。
 2桁以上のかけ算、割り算は、5割。
 小数の足し算、引き算を正確に理解している子は4人。
 分数はもっと悪く、足し算、引き算は2人。割り算は、1人だけが、理解していた。かけ算はそのまま計算すればいいので12人が出来ていた。
 低学年の内容は、思った以上にしっかり定着していたので、基本は出来ている。しかし、4年生ぐらいの内容から理解出来ていない子がいて、分数、小数になると、まったく出来ていない。
 最初の予想通り、4年生ぐらいの内容から積み重ねていかないと、8年生の内容を理解させる事は難しい。全てを教える事は無理なので、内容を選んで教える必要もある。でも、積み重ねは出来ているので、段階を踏んで教えていけば、理解していってくれるのではないかという見通しが出来た。

2006年8月27日(日)
8年生の授業案

大家パーティーの食事

 ここ何日か、8年生の教科書を見ている。しかし、これは、やばい。思った以上にやばい。今までも、教科所は見ていたが、授業をするわけではなかったので、こんな事までするのか程度で見ていた。
 しかし、授業をしなくてはいけないと思いながら見ると、内容はわかっても、それを、どう伝えればいいのか、教科書の英語が正確に読めない。辞書を使って調べても、よく解らない部分もあるし、教科書に書いてある説明をして、マーシャルの子が理解できるのかも解らない。私も、教科書の説明では、そんな言い方でいいのかと、理解しづらい所もある。授業の組み立て以前に、どのような内容を授業して、どの様な事を理解させればいいのかを、私が理解するのに時間がかかる。
 そんなこんなで、今日は、1時間の授業を、何とか組み立てることが出来た。でも、これで、どの程度、理解できるのかは、まだ解らない。8年生の子ども達の理解度と、理解力が未知数。とりあえず、明日は、基本的な計算のテストをして見ることにして、子ども達の実力を見てみることにした。
 授業を組み立てるために考えた事。
 @指導内容から、子ども達が理解出来る事、覚える必要のある事を、さらに厳選する。
 A4年生程度から、8年生のレベルまでステップを踏む。
 Bまたは、8年生の内容を、6年生程度でも理解できる内容にして(だけを)教える。
 C1時間の中で、どんな事でもいいから出来たという思いを持たせられるようにする。
 D私でも解る簡単な英語にかみ砕く。

2006年8月26日(土)
心に決めた事

花子と大家の犬達
大吉、よね、小吉(でかくなった)、新しい子犬の末吉に茂吉

 今年、新年度が始まるにあたって、心に決めた事がある。それは、怒らない。
 昨年度、子ども達の授業態度に何度も腹を立てた。先生の授業態度にも何度も腹を立てた。しかし、今年は、そういう事を、一切なくせるようになろうと思った。
 よくよく考えると、現地の事をよく考えながらと思いながら、日本の教育を引きずっていた。こういう時には、こうする物だと言う、凝り固まった考えで行動していた。だから、それと違ったことがあった時、カーときてしまっていた。日本の時と比べると、我慢もして、これは許容範囲を超えているだろうと思っていたことが、実は、まだまだ、日本の判断基準でしかなかったのだと思った。怒ると、マーシャルの子どもは、静かになる。だから、子どもも悪い事と知りながらやっていたのだから、私は怒ってよかったのだと、自分で自分を納得していた。また、言葉足らずの子どもと一緒で、怒る事しかできなかった。
 でも、やはり、怒って解決する事にいいことはない。もう一度、原点に帰って、マーシャルでも日本と同じように、子どもは、みんな解るようになりたいのだ、先生はうまく授業が出来るようになりたいのだと思っていると考えて、接していこうと思った。
 と言いながら、今週も、イライラする事とはあった。でも、すぐに対応しないで、様子を見てみるようにした。なぜ、あんな態度をとっているのだろう。何が、解らないのだろうかと、考えてみる事にした。そして、昨年度なら怒っていたことに対しても、怒らずにすませる事ができた。
 なかなか難しい事だけれども、これが、自然と出来るようになったら、また、違った見方が出来るのではないかとか考えている。

2006年8月25日(金)
1年生の子達

 1年生の子たちをさらに詳しく見る。ピーター、マッセ、マークの3兄弟。3兄弟かどうかは解らないが、みんなジュナ家で、名簿のお母さんとお父さんは同じ名前。しかし、マッセとマークは、毎日同じ服を着ているが、ピーターは着ていない。マッセとマークは似ているが、ピーターは似ていない。名前も、マッセとマークは似ているが、ピーターは似ていない。でも、席は、ピーターを挟むようにして、マッセとマークが座っている。そして、同じお父さんとお母さんで登録されているので、3兄弟と呼ぶ。
 この3兄弟、見本の数字を見ながら、同じように書けない。ピーターは下書きをなぞる事も出来ない。また、筆圧が弱く、字が波打っている。今日の授業でも、机に突っ伏してしまっていることが多かった。
 バーニー。この子は、目がクリクリして、いつもニコニコしている子。ニコニコしているが鉛筆は動いていない。2をなぞりなさいといっても動かない。2だよと数回言って、やっと鉛筆が動き出す。そして、少し、ほんの2ミリほど書いたら、ニコニコしながらこっちを見る。いいよいいよと言ってあげると、また、鉛筆を進める。そして、また、2ミリほど書いたら、こっちをニコニコしながら見る。いいよと言っても、もう鉛筆は進まなくなる。一緒に手を動かして、やっと2が完成。
 カミカゼ。これは名前。おそらく日本の「神風」から名づけられている。しかも女の子。とりあえず、名前にインパクトが大きかった。
 ガーレスにマロリーン。この子達も、少し行動が遅めで、周りの子に世話を焼かれて、練習プリントも周りの子がやってあげたりしている。これは、やめさせた。

2006年8月24日(木)
算数授業開始

 今日から、1日授業が始まった。算数の授業も本格的に始める。
 2時間目は、1年生の授業。今のところ20人。そのうち、幼稚園に行っていた子は9人だけ。教育省管轄で幼稚園教育が始まったのは、昨年からだから、まだまだ、浸透していなかったから、これは仕方がない。
 この1年生の子達、今日は、16人来ていたが、そのうち、7人が5までの数字を正しく書く事が出来なかった。先生に聞くと、13人が、名前を正しく書けず、下書きをしてあげないといけない子が6人ほどいた。
 今年の子達も、かなり手ごわい。去年のような失敗はしないように、慎重に授業をしていこうと思う。
 3時間目は、私が入らない学年が算数の授業をしている。だから、日によって、違う学年の補助に入っていく。でも、今日は、なぜか算数をしていなかったので、どの学年にも入らなかった。
 4時間目は、2年生。10までの足し算、引き算ができない子が、2人いる。でも、人数が今のところ14人だから、指導はしやすい。
 お昼を挟んで、3年生の授業。3年生は、今年、校長が教えている。そこで校長に、3年生の算数は、私が教えてもいいか聞いてみると、快く承諾。1学年くらいは自分で教えたかったし、それなら3年生がよかったので、ちょうどよかった。
 この子達は、2年生の時も教えていた。しかし、ある程度予想はしていたが、2年生の時に、徹底的にやっていた2桁の足し算、引き算を、間違えずに出来た子は、予想以上にことに、1人もいなかった。繰り上がり、繰り下がりを、ほとんどの子は忘れてしまっていて、覚えていた子も、正確には出来ていなかった。かろうじて、何とか記憶しているなと思えた子は、2人だけだった。2ヵ月半の夏休み恐るべし。というか、夏休みは、遊びまわっている子達なので、まあ、こんなものだろう。これから、また教えていけばいい。
 
 と言う訳で、33歳最後の1日が過ぎていった。33歳は、私の中で特別な年だと思っていたのだが、その時は、ビールを飲みながら終わっていった(マーシャル時間、日本はまだ)。

2006年8月23日(水)
8年生の授業について

 新しい時間割を持ってクラスを回る。
 算数の時間に8年生のクラスに行くと、算数の授業をしていない。算数しないのかと聞くと、昨日も一昨日もしていない、だって出来ないからという返事。そして、ヨシアキが算数してくれとは言わず、私は、ヨシアキがした授業を見て、授業をするから、交代でしようと言ってきた。おお、いい反応。
 しかし、8年生は私も始めて授業をする。日本だと中学2年生の内容。簡単には出来ない。その上、子ども達の実力は、かけ算九九を、しっかり出来ない子達。内容にもよるが日本のレベルで、だいたい4年生ぐらいだろうか。4年生の子に、中学2年生の内容を教えなくてはいけない。マーシャルの問題点として今までも書いているが、カリキュラムがそうなっていて、学年末には一斉テストがあるので、出来る内容にまで下げて教えるわけにも行かない。
 授業のやり方を、よく考えて取り組まなくてはいけない。また、私の、なんちゃって英語とマーシャル語で、8年生の子達がどこまでついて来てくれるか。あまり自信がない。だから、授業開始を、来週からにしてもらった。そして、新しい時間割を渡して、来週から、2人で授業をしていく事を先生と話し合った。今週は、8年生、算数の授業はなし。指導案を作ってくれるとそれを見ながら授業をするとも言っていたので、そこも考えてみる事にする。
 2つ目の新年度の問題、ちょっと解消。しかし、今後、課題があふれてくるだろう。

2006年8月22日(火)
進級について

 昨日と今日では、名簿がかわってきている。その理由の1つとして、去年2年生だった子で、出席不足だったのと成績がたりないために、進級できないことになっていた子がいた。
しかし、今年度、3年生のクラスにいたので、どうしてか聞いたところ、親が、進級させてくれと校長に言ってきたので、進級することになった。その先生が言うには、その子どもの親は、子どもが勉強できないまま8年生になり、高校へ行けなかったとしてもいいから、学年を進めてくれと言う考えなので、校長は、進級させることにしたらしい。
 マーシャルの進級の制度は、はっきり決まっている訳ではなく、校長判断で、どの様にもできるのだが、その親の考えや教師としての考えには、納得できないところは多い。
 確かに、留年をする子どもはかわいそうだが、まだ、教育制度や先生の技術がしっかりしていないマーシャルでは、今のまま進級しても、子どもにとってのメリットはない。出来ないまま、進んでいくだけである。もう一度2年生で、勉強が解るようになり、楽しく感じてもらえるほうがいいと思う。特にその子にそう思うのは、昨年度の出席が半分に満たなかったからである。しっかり出席をしていれば、もっと出来るようになっていたと思うし、出来るようになれば勉強が楽しく学校へ来るようになると思うからである。このまま進級しても、学校へ来る事を嫌がってしまうようになるのではないかと心配してしまう。
 進級させるのであれば、毎日学校へ来る事を親に承諾させるという方法を私ならとると思うが、マーシャルでは、そんな事は考えられない。学校に来させるのは、教師の責任であり、親の責任でもあるのだけれど、大人にそんな意識はない。何とかできるものでもないので、考えてしまう。

 新しいバスが来た事のお祝いを、3時間目に突然行った。新しいバスが来たことに感謝してお祈りをした、そして、飲み物とサンドイッチを子ども達に配る。その後、子ども達は、思い思いの場所で、サンドイッチを食べる。いつもながら、前もって言うことはなく、突然なので困る。そのため、3時間目の算数が減ってしまった。そんな中、2年生と6年生の先生は、時間を延ばして授業をしていた。

 今日、時間割の調整を行った。放課後になっても、校長からの話がなかったので聞いてみた。校長は、私がかってにやってくれという感じだったので、変更をする時にできる不都合な部分を話し、その対処の仕方を聞いて作った。そして、いつもの調子で、ちょっと見ただけで、それで行く事になった。1つ新年度の問題解消。

2006年8月21日(月)
最後の年度、授業開始

 新年度が始まった。朝会が、30分遅れて始まる。いつも通りのんびりした始まり。今日まで、特に何の準備もしていない。教室の配置や教師の担当学年なども、詳しく聞いて言いない。こっちから聞いて、前もって準備をするのがいいのだけれど、この国にあわせて、行動を起こしていこうと思った。
 各学年の時間割が、今日配られたので確認する。すると、算数の時間が、全学年同じ時間になっている。校長にそれを伝えると、何と言うことだと言う事で、放課後に作り直すことになったので、今日の算数の授業は、担任の先生に完全に任せることになった。
 すると、算数の授業をやっていたのは、1,6,8年生だけで、あとの先生はやっていなかった。まあ、1日目だし、そんなものだろう。
 各クラスを回って教科書の確認をする。これも、前もってやっておけばいいと思うが、始まってからやるのがマーシャル人。私もこれに合わせる。前もって、教科書はどこだと探しているよりも、その方が自然とすっきりする。2,3年生で教科書が行方不明。教科書はどこと先生に聞いても知らないという。だから、放課後にさがして教室に運んでおく。授業で使っていたフラッシュカードも行方不明。これも、放課後に探してもらって集める。
 また、各クラスを回って、子ども達の写真を撮っていった。でも、これから、入学手続きに来る親もいるので、まだ、クラス名簿は完成していない。去年は、学年の始まりに、名簿がない事に困惑していたけれど、今年は、ゆっくりのんびり待っている。

 やっと、ウォジャで海に沈む夕日を見られた。雲がかかっていたので、完全ではなかったけれど、雲と海の隙間で、確かに太陽は海に沈んでいった。

2006年8月20日(日)
熱戦

 日本では、甲子園の決勝戦が行われている。ここマーシャルでも、甲子園の準決勝戦、決勝戦を見ることが出来る。今日の決勝は、駒大苫小牧と早稲田実業。なかなか面白い組み合わせ、見たくなってしまった。
 しかし、日曜日はバスが動いていない。ヒッチハイクをするしかない上に、雨がパラパラ降っている。でも、見たい。ヒッチハイクをして見に行く事に。
 なのに、1対1の引き分け再試合。両チームのピッチャー、ほんとによく投げた。面白い試合だった。熱かった。むちゃくちゃ熱かった。マーシャルでは、6時試合開始であたりが暗くなってきて帰らないと車がなくなってしまうけど、目が離せないほど、熱かった。でも、結果がつかないなんて、ちょっとばかり残念。たぶん、明日は放送されない。放送されても学校だから見にいけない。
 あー明日の試合も、見たい。

2006年8月19日(土)
花子車に乗るのを覚える

 朝、家に帰るためにバスを待っていると、きれいな車が止まって、ウォジャまで行くのなら乗っていけと言ってくれる。犬も一緒だけれどいいかと聞くと、いいと言ってくれるので、車に乗ろうとすると、私よりも先に、花子が車に乗り込んだ。それも座席に座っている。待て待てと思ったが、足元に降ろすわけにもいかず、花子を膝の上に置くようにして乗せてもらった。
 家に着いて、私が降りても花子は降りて来ない。引きずり出さないと出てこなかった。旅行に行く前は、乗せようとしても嫌がって乗って来なかったのに、やはり、車に乗る事を覚えてしまったみたいだ。

2006年8月18日(金)
新年度について話しをする

 今日も、自転車で登校。花子は、恐怖の館前で止まってしまった。くぐりぬけれたのは、昨日だけで、残念ながら恐怖は克服できなかったなと思っていた。学校の職員室にいると、しばらくして花子が入ってきた。どうやってこえてきたのかは知らないが、昨日、学校へついてきたことで、学校を覚えていたようだ。
 新しい学期の受け持ちクラスについて校長と話しをした。1,2,3年生を中心に見ることとその他の学年にも、時々はいるようにしたい事。私はサポートティーチャーになって、担任の先生に授業をしてもらうようにする事を伝えた。それはいいと言う返事をもらった。でも、4年生の先生が大学に通うので、校長が4年生の担任をすることになり、7,8年生の算数を教える先生がいないので、そこにも入って欲しいと言われたので、そうする事になった。
 また、カリキュラムは、隊員で作ったカリキュラムを使うこと承諾してもらい、それぞれの担任が、以前のカリキュラムを使うか、隊員のカリキュラムを使うかは決めてもらうようにした。
 
 午後にミーティングを行った後、バスで街に出る。するとやっぱり花子は自分から乗ってきた。そのまま教育省に行って花子をほって置いたので、教育省の周りで怖い思いをしたみたいだった。その後、私が近づいてもびびっていた。

 
 夜は、ドミでバーベキュー。ダイビングショップや日本人経営のスーパー
MJCCの方も呼んで盛大にやる。花子も餌をいっぱいもらい、腹パンパンに。

2006年8月17日(木)
新年度始動

 朝、空港で、入れ違いでマーシャルに来ていたポナペイ音楽隊員を見送り、バスで家に向かう。花子が、バスに乗るかどうか心配だったが、すんなりと自分から乗ってきた。
 それから、自転車で、学校へ行くと花子がついてくる。恐怖の館前で、少し躊躇しながらも、もうダッシュでついて来た。恐怖の館を克服したのか、寂しかったのでがんばってついてきたのか。学校までついてきた。しかし、学校では職員室に入ってくるので、少々困った。
 学校には新しい大型バスが来ていて、バスドライバー大喜び。自動ドアだとか、冷房つきだとか説明してくれて、それを運転する俺はナンバー1ドライバーだと、えらいはしゃぎ様だった。今日は、特に仕事やミーティングはなく、帰る時に、バスでローラまでのドライブについて行っただけだった。花子もバスに乗ってきて、バスに乗る事を覚えてしまったようだ。
 その後、学校から自転車で家に帰ったのだが、その途中、2回犬に追いかけられ、どちらも大逃げをして、逃げ切っていた。明日は果たしてついてこられるだろうか。