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2006年7月21日(金)
小学校部会改め、笑学校部会

 朝、起きると停電していた。今日の予定は、朝、エネルギーカンパニーへ行き、この前、借りた合羽を返し、エアーマーシャルへ行き、明日からのリキエップ旅行の切符を買い、1時から教育部会だった。
 明日から、マーシャルの離島リキエップへ行くので、家をしばらく開けることになる。そのため、家の中をすっきりしてから行きたかったのだが、電気がないので思うように出来ない。そのため、午前中は、家で電機が戻るのを待っていた。しかし、伝記は戻る様子がないので、あきらめてバス待ちをする事にした。しばらくすると、家の外灯がついたのがわかった。電気復活。出発に間に合った。家に戻り、水周りをきれいにして再出発。

 教育部会は、今日で、カリキュラムに関してやってきた事が一段落着いた。来年度から部会としてどのような活動をしていくのかは、これからの検討による。今のところ、リキエップ隊員から提案があり、それを、今日、小学校隊員で夕食を食べながら話す予定だったが、参加者は、私、ローラ隊員、ウリガ隊員、リキエップ隊員の4人だけだったので、簡単に楽しく話しをした。色々な事は、みんなが集まった時の次回に、話しをしながら決めていくことにした。カリキュラム作りは、最後、大変な事もあり、思い通り行かない事もあり、それぞれが、それぞれに思っている事があり、楽しい部会にはなっていなかったので、次回は、みんなで楽しくそれぞれの思いが出せるように、何かが出来ればいいなと思っている。
 そういう意味をこめて、小学校部会改め、笑学校部会としてスタート。リキエップ隊員は、お笑い担当なので、雰囲気をよくしてくれるんじゃないかなと思っている。

2006年7月20日(木)

 朝、ちょこっと早起きしたので、日の出を見に行く。少しずつあたりが明るくなってくる。マーシャルは、世界中で、日の出が早い国のひとつ。見ていたのは、日本では午前3時30分ごろ。
 ふと、反対の方向を見ると虹が出ていた。そして、その方向には、厚い雨雲が。日が出てくると、その虹は消えていた。
 今日も、1日、雨が降ったり止んだりすっきりしない日だった。

2006年7月19日(水)
今日も平和

 家で、算数の教材とテスト作り。パソコンであれこれしていると、目がかなり疲れる。そして、途中で読書をしながら、一日が過ぎていく。

2006年7月18日(火)
そして、飛行機は飛んでいった

 今日、一人の隊員が、また、マーシャルを去っていった。10人いた同期が8人になった。日本に帰る事は、良いとも悪いとも言わないのだが、ただ、やっぱり寂しい。
 帰国の理由は、色々あり、書いて説明なんて出来る訳がなく、また、私も全て解っている訳ではない。
 その中で、仕事が思うように出来なかったというのも1つだ。それに対して、仕事ができないのだったら、自分で見つけていくものだという意見もある。確かに、それも一つの意見であるが、それだけを言って、それを出来ない事が駄目なのだと言う傾向もあるのが悲しい。人それぞれ考えがあり、決断した行動があり、ひとつの考えだけで、その人自身を判断する事はできない。
 活動が出来なくて悩んでいる人に対するアドバイスとして、自分で出来る事をさがすようにと言ってあげる事は必要であるが、自分で考え決断したことに対して、他人はとやかく言うことではない。

2006年7月17日(月)
笑いのつぼ

 マーシャルには、昔から伝わっている物語が色々とある。マーシャル語では、物語の事を、ブエブエナートと言う。おしゃべりする事も、ブエブエナートという。昔といっても100年ぐらい前、マーシャルには文字がなかったから、物語は口から口へ語り継がれていた。だから、同じ言葉で表現されているのだろう。
 日本語も、物語は、「話」という字を使っているので同じだ。
 そのマーシャルの物語、ブエブエナートをいくつか読んだのだが、エンディングで、善悪で表すなら、悪の役まわりの登場人物が死んでしまう話が多い。そして、そのエンディングで、マーシャル人は、ぶひゃぶひゃぶひゃと大笑いをする。それが、私には、なぜそんなに大笑いすることなのかが、よく解らない。何で死んでしまったのかが、話の流れとは関係なく突然であることが多いので解らなかい。
 マーシャル人の笑いのつぼは、腰を振る動きと、下品な行動なのは、解っているが、なぞは、まだまだ多い。

2006年7月16日(日)
ぐーたら

 なーんもない日曜日。
 テニスに行くが、途中から雨が降り出し撤退。
 その夕方、最近、ドミ周りの海のごみ拾いを環境隊員が中心になってやっている。今日も、やると言うので、一緒にやろうと思っていたが、水着はあったが、シュノーケルグッズがなく、断念。
 そして、大相撲、中学生日記、オンエアバトル、功名が辻とNHKを見続ける。NHKも、けっこう面白いね。

2006年7月15日(土)
気候

 からっといい天気だったのが、どんより雲に覆われだしたと思うと、突然雨が降り出す。長く続く時があれば、すぐに止む時もある。海岸に出て遠くを見れば、いる場所は晴れていても、遠くでは雨が降っているのが解る。この7月になってから雨が降る回数が増えた。また、長く雨が降り続く日も増えた。これは、マーシャルに来た時と同じで、雨が多いのが7月の特徴なのだろう。1年前と同じように、夜になると滝のような雨が降っている。書いているときも、さっきまで晴れていたのに、今、突然雨が降りだした。

2006年7月14日(金)
贈り物

 大曽根小学校5年生の子達から、マーシャルの子ども達へ、文房具が届きました。筆箱や、鉛筆、消しゴムなど。今は、夏休みだから、子ども達に見せられないけれど、新年度が始まったら、みんなに紹介して、使っていこうと思っている。
 日本の鉛筆、消しゴムなど、模様がありカラフルだから、マーシャルの子達は大喜びすると思う。
マーシャルの子は、1人鉛筆1本しか持ってなくて、折れたら、教室の隅へ削りにいくのだけど、その鉛筆削りが、またよくないから、芯が、ぼろぼろ折れてしまって、いつまでも鉛筆削っているという事があるから、折れてしまった子用の貸し出し鉛筆に使うといいかもしれない。送ってくれた鉛筆、芯を削ってくれていて、細かいところまで気にしてくれている。
 こうやってマーシャルの子の為にと行動してくれた事が、とてもうれしい贈り物でした。ありがとう。

2006年7月13日(木)
1年経過

 マーシャルにやってきた日をむかえました。1年前、飛行機からほんとに狭く細長い島だとびっくりしていたが、その狭い場所から外に出ずに、1年を過ごしてしまった。あの頃、いろんな事にびっくりしていたのを思い出すと懐かしくなる。
 この1年で行動した陸地は、ウォジャ環礁とマジュロ環礁だけ、マーシャルに来る前に通っていた大曽根小学校の学区よりも、おそらく狭い。ボケーとしていた時間は、ここ20年間では一番多いだろう。
 しかし、何度も書いているが、時間の経過は、ものすごく早かった。

2006年7月12日(水)
オールスター

 アメリカ大リーグのオールスターが行われた日。日本時間の朝9時15分プレーボール。だから、マーシャル時間の12時15分プレーボール。ドミトリーへ見るために出かけて行った。しかし、どの放送局もやっていない。久ぶりに見れると思ったのに、夜中に、アメリカのスポーツ番組放送で、ちょろっと写しただけだった。イチローのプレーは、1回に3者連続三振をされた時の最後の空振りだけを見ることができた。
 大リーグのオールスターは、日本時間では平日の昼間にやっているので、先生をしだしてから見ていなかった。前に見たことがあったのは、野茂が投げていたので、渋谷の大スクリーンだった。

2006年7月11日(火)
16年度1次隊の皆さん帰国

 16年度1次隊の人たちが、マーシャル国旗のデザインで作ったアロハシャツとムームーを着て、帰っていった。そして、もうすぐ、私たちも活動1年になる。
 次にマーシャルから帰国をして見送られるのは、17年度1次隊で来た中の現職教師隊員である私達になるみたいで、どうやって帰っていこうかと、帰って行く時の事を考えていた。

2006年7月10日(月)
暑いとぼーとする

 英語の講習が終わり、何かがある夏休みが終わり、何もない夏休みが始まった。自分の怠け心に負けないよう、自分との勝負である。これから、昨年度のまとめと来年度の指導のための準備に取り組んでいく。

2006年7月9日(日)
ダビンチ・コード

 昨日、バス待ちをしている時に、映画館の看板を見た。すると、見ようと思っていた「ダビンチ・コード」が終わってしまっていた。上映されてから3週間ばかりで終わってしまった。しかも、上映は、毎日一回だけだった。これだけ、世界で騒がれているのに、3週間で終わってしまうなんて。
 はたして、ドタバタムービーが好きなマーシャル人に受け入れられなかったのか。それとも、クリスチャンが多いマーシャル人の反感をかったのか。

2006年7月8日(土)
第12回小学校部会

 来年度の活動を、どのように考えているかとどのようにしていくかを話し合った。新しいカリキュラムのそれぞれの学校での扱い方の違いやそれぞれ個人でしたいと思っている事もある。今までに話し合っていたことは、新しいカリキュラムを行ったそれぞれの結果を持ち寄り、それを集計してワークショップを開き、理解がしにくかったところの指導方法を考えるようにしていこうというものだった。
 そのために、補助資料や単元テストを作っていたのだが、やっているうちに、それぞれの考えている方向性の違いや思いの違いが、感じられていた。そして、今回、もう一度、考え直そうということで話し合いになった。
 新しいカリキュラムは、教育省に認めてもらうために、教育省の意向も考えながら作ったので、実際に行うには無理があるところもあった。しかし、認めてもらうには、妥協点を見つけるしかなかった。そして、話し合った結果、作ったカリキュラムは認めてもらう事はできず、それぞれの学校で行うということになった。
そこら辺から、それぞれの考えが、違いだしてきたのだろう。私も、低学年は、新しいカリキュラムで行う事に問題はないが、高学年になるほど、新しいカリキュラムでも、難しいと思っていた。
 カリキュラムための補助資料作りと単元テストは、参考資料として提示するために作り、カリキュラムのための取り組みは、そこでいったん止める事になった。作った資料は、それぞれの学校での取り組み方にあわせて使うことにして、これまでに話していたマジュロ全体で合わせた結果を出す事は、難しいということになった。ワークショップの開き方も、今の時点でアイデアがないので保留ということになった。これに関しての感想は、いろいろあるので、ここでは書けない。
 今までは教員の会で行っていた学校での実践報告を中心に、これからの小学校部会ではやっていく事になった。という事は、教員の会をどうして行こう。必要ないか。

2006年7月7日(金)
内容の違い

 今日は、マーシャルの祝日、フィッシャーマンデー。釣り人の日。どういう由来があるのかは解らない。
 夏休みになり、新しいカリキュラムを進めるための補助資料作りを進めている。その合間に、今から50年以上前に書かれた「算数科における基礎練習の理論と実際」という本を読んでいる。計算単元の指導の行われ方や、練習問題をする時に、どのような段階をおって教えれば効果が上がるかを研究している本である。50年前の本だけれども、参考になることが多い。
 読んでいて、面白い事を発見した。学年別に教えられている内容で、アメリカの教科書と似ているところがある。例えば、分数の勉強を1年生から行っていたり、2桁の足し算は、2桁+1桁から教えていたりしている。
 おそらく、この50年の間に、日本の教科書は、子どもの理解の研究がすすみ、今の指導方法や指導学年に変わってきたのだが、アメリカの教科書は、50年前とほとんど変わってきていないのだろうと感じるところがある。日本の教科書、指導方法はすばらしいと思う。

2006年7月6日(木)
結果

 テストの結果が出た。14%得点アップ。クラスだと、3つくらい上に行っているだろう。しかし、別に英語の実力が上がったわけではなく、寝なかった分伸びただけ。なぜなら、英作文の点数は、前回は5分で急いで書いただけ、今回は15分じっくり考えたのに関わらず、点数は変わらず。これからもがんばります。
 
 米が切れかかっているので、今日は、米を買おうと思っていた。同じ種類の米でも、店によって値段は変わる。マーシャルで1番大きいスーパー、ペイレスでは、7.99ドル。中国系のスーパー、フォルモサでは、7.25ドル。今までは、このフォルモサが一番安いと思っていた。しかし、前にマーシャル人の先生が、コンテナでやっている小ぢんまりした店で買っていた。マーシャル人の先生が、わざわざそこで買うということは、どうもそこが安そうな感じがした。だから、その店で買うことにした。すると、6.95ドル。これは、今までの最安値更新。でも、消費税をとられて7.23ドル。大手の店では、外国人免税カードを見せれば、消費税はかからない。しかし、2セント更新。今度からここで買おう。

2006年7月5日(水)
向かう途中

 昨日の昼から大雨続き。朝も、大雨の中バスを待っていた。昨日より早めに出て、無事バスに乗ることができる。しかし、バスの中は満員。3人座席に座っていたおばちゃん達の間を、少しだけ、お尻半分ほどを空けて、座れと言ってくれる。日本人だと、3人座席に4人ぐらいは問題なく座れるだろう。でも、マーシャルのおばちゃんたちの場合、そうはいかない。すこし、何とか空けてくれた所にちょこんと座り、ミドルスクールに向かっている間、両方から圧迫され続け、着いた時には、両足しびれていた。
 テストは、前回とは違い、睡魔に襲われず70分を集中してやれたので、点数は、上がっている事だろう。

2006年7月4日(火)
乗り遅れ

 今日は、最後の授業のはずだった。しかし、朝、バス待ちをするが、バスは、とうとう来なかった。家を出るより早く行ってしまったみたいだ。と言う訳で、最後の授業には出ず、お別れパーティーをするとマーシャルの先生が言っていたのだが参加できず。
 それなら、時間が出来てしまったので、本当なら、私が、今日、研修でパラオに行くはずだった飛行機で、隊員5人が、ミクロネシアへ任国外旅行に出発するので、それを、家の庭から見送ろうと思い空を眺めていたのだが、飛行機は、どこを飛んでいったのか見つけられず。
 午後からは、雨が降り続き、明日のテストをがんばろう。

2006年7月3日(月)
英語講習、最後の週

 英語講習、最終週。水曜日には、最終テストがあるらしい。今日は、前回行ったテストの見直しをしていた。最後のテストで、どれぐらい、英語の力がついているのかを見るそうだ。あんまり変わっていない気がする。

2006年7月2日(日)
ぐったり

 昨日の送別会、その後のローラ隊員誕生日会と続き、ぐったり日曜日。

2006年7月1日(土)
送別会

 1週間、英語の勉強をしていると、土曜日は疲れてのんびりしてしまう。夜の7時から隊員の送別会があった。私達の1年前にマーシャルに来た隊員達で、7月11日に帰国をする。6月28日には、新しい隊員が来ており、私達は、もうすぐ隊員生活1年になる。1次隊での派遣が多いマーシャルでは、隊員の入れ替え時期に来ている。
 いつものように、バス待ちをする。しかし、待てども、待てども来ない。40分を過ぎ、あたりが暗くなり始め、送別会の開始時間に間に合わなくなってきたので、もうあきらめようかと思っていた時、大家の家の修理に来ている人たちが帰る車に、乗せてもらえた。
 送別会に、遅れること30分。何とか到着。すると、今回の送別会では、離島隊員が、全て首都にあがってきていたこともあり、マーシャル在住協力隊関係者全員出席だった。あきらめていたら、私が来ないために全員出席にならなかったと言われるところだった。よかった、よかった。