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2006年11月30日(木)
ひさしぶりの学校

 ひさしぶりに学校へ行く。1,2年の先生は、指導案にそって授業を進めてくれていたので、予定通りに授業は進んでいっている。しかし、1年生の先生は、授業をスムーズに進める事が出来るようになっているのだが、時々、手をぬいて、指導案を授業前に読んでおく事をしなくなる。今日、またも、読んでいなかったので、強く言ってしまった。後から、反省した。
 3年生は、かけ算の勉強を始めているが、学校を休んでいるので、授業は進んでいない。予定では、九九の暗記をやっている頃なのだが、今日は2時間目で、導入を行った。足し算の考え方からかけ算の考え方を教え、かけ算の立式をした。
 放課後は、教育省で話し合いがあった。今年度も始まって、4ヶ月になるが、やっとの事で、オープンスクールの方針や行い方、連絡方法について話し合いが出来た。本当なら、今年度の始まった頃にしておかなくてはならない事だが、なかなか、こういう基本的な事が理解してもらえない、やればいいとしか考えていない。日本でどんな仕事をしていたのかと疑問に感じる。
 しかし、今日、話し合い、共通理解をはかる事が出来たので、これからは、方針にそってオープンクラスをやり、よりよい方向性を考えながら、行っていく事が出来るようになるだろう。

2006年11月29日(水)
副鼻腔炎

 鼻の奥の痛みが目にもきた。インターネットで、副鼻腔炎を詳しく調べてみた。症状は、急性副鼻腔炎と同じなので、おそらく急性副鼻腔炎だろう。風邪を引いた人が、ウイルスの関係でなりやすいらしい。しかし、慢性副鼻腔炎というのもあり、急性が長引けば、慢性になり、これはちょっと厄介な病気だ。
 治療方法は、抗生物質を呑むことらしい。隊員救急セットの中に、抗生物質があり、症状の中に副鼻腔炎があったので、2日前から呑んでいた。病院に行った方がいいのだろうか。
 と言う訳で、今日も学校を休んでいたのだが、午後から、だいぶん復調してきたので、指導案を作っていた。先週今週と、ほとんど作れていないので、計画から30日分の遅れが出てしまった。先が厳しい。

2006年11月28日(火)
おースープ

 今日も寝ていたかったが、さすがに3日目は寝られない。でも、鼻痛い。顔がなるべく動かないようにしていた。でも、日曜日よりは、大分良くなってきている。
 ここ最近食べているのは、土曜日に作った巻き寿司。温かいスープでも飲みたいなと思っている所へ、嘘のようだが、隣のメリーが、な、なんと、スープを持ってきてくれた。私が風邪を引いているのを心配して持ってきてくれたのだが、やっぱりいいご近所さん。コーンスープのおかゆ。おいしかった。

2006年11月27日(月)
体調直らん2

 今日も、鼻の奥が痛く、1日寝ていた。プリン食べたい。
 日本だと、風邪を引いた時は、プリンとウイダーインゼリーが必需品。

2006年11月26日(日)
体調直らん

 1日寝ていた。鼻のかみ過ぎで、副鼻腔炎になったのか、鼻の奥が痛い、歯や頭も痛い。寝ているのが一番楽。

2006年11月25日(土)
寿司どうする

 今日は、学校みんなでピクニックだった。そして、一品持ち寄るように言われていたので、朝から、手巻き寿司を作っていた。しかし、天気は優れず、あるのかないのかよく解らない。でも、あった時に、手持ちのものがないといけないので、一応作っていた。
 そして、待てども、待てども、バスはむかえに来ず、結局無かったのだろうか。そして、残されたのは、14本の手巻き寿司。大家の息子宅へ、持って行こうと思っていたが、寿司作りをがんばったせいか、また体調を崩し、夕方から横になっていたので、持っていけず

2006年11月24日(金)
サンクスギビングデイ

 在外医療調査団の方が、隊員むけに医療相談を行ってくれるので、ここ、4ヶ月近くひざの裏が痛いのを相談した。膝痛は持病で持っていたのだが、こんなに痛みが引かないのは初めて。関節ではなく、筋か腱を傷めているのだろうということで様子を見ることに、日本に帰った時にまだ痛いようであれば、病院へ行って見てもらうということ。ここ1年以上、ビーチサンダル生活を続けているのもいけないのかもしれない。
 
 夕食に、最近大家宅に住んでいる、大家の息子ファミリーから夕食の誘いがあった。大家の息子は、1ヶ月前くらいにマーシャルに帰ってきている。奥さんは、ポナペイ出身で、初めてあった時に、マーシャル語で話しているとマーシャル語は話せないというのでびっくりした。2人はハワイ大学で知り合ったらしく、9ヶ月の息子がいる。
DVDを貸してくれたりしていた。
 ポナペイにいる日本人の話しをしていると、夏休み旅行に行った時にお世話になった、ダイスケさんと同級生だったりしたので、これまたびっくり。
 夕食に呼ばれたのは、サンクスギビングデイと言って、クリスチャンの人は、友人を夕食に招待して料理を振舞う日らしい。アメリカは祝日だけれど、マーシャルは祝日ではない。呼ばれたのは、隣に住んでいる私と大家弟一家。人数が少ないから、料理の数は少ないと言いながら、充分すぎる量が出てくる。おわんにもられたご飯と味噌汁も出てきた。そして、食べられなかった料理は、そのままお土産に持ち帰り。

2006年11月23日(木)
すっきりしない

 なんだかすっきりしない。11時過ぎに学校へ行き、午後1時間だけ、授業をして帰ってきた。体調はどうかと聞かれたので、良くないなあというと、休みなさいと言われた。
 でも、午後から教育省での話し合い、体はだるいが行く事にした。話し合った内容はと言うと、すっきりしない事だらけ。ほんとに、どうしてこうなのでしょう。夕食は、在外医療調査団の方達と食事。目の前で酒を飲まれているのに、飲まなかったのは、何年振りでしょう。

2006年11月22日(水)
カレンダーの読み取り

 朝、熱が下がったので学校へ行く。2日休んでいたが、1,2年生の先生は、指導案を見て、特に問題もなく授業をしたようだった。
 2年生は、今、カレンダーの読み取りを行っている。これも、2年生の先生は、正確に授業が出来ていなかった。授業後、今日の授業の1番の問題点は何だと思うかを聞いてみた。すると、子ども達が理解しなかった事だと言うので、子供ではないでしょと返事すると、私か?と言うので、そうあなたが理解していない事ですと答えた。
 授業前の指導案を読む時に、その授業で行う問題を、先生がまずやって答えを確かめておくことは、毎時間必要だと言う事を言った。前の授業では、2年生の先生は、問題を自分で解いてから授業をしていたので、事前に問題をしておく事はやっていた事なのだが、今回は、おそらく手を抜いたのだろう。だから、言われた事に対して、よく解ったと納得していた。
 そして、カレンダーの読み取りの授業について話しをした。私は、この授業は、必要だと思っていない、でも、教育省のカリキュラムでやるように言われているので、仕方なく指導の中に入れている。マーシャルの家庭で、カレンダーがある家は、どれくらいか聞くと半分くらいだと言う。授業で教えるよりも、毎日、カレンダーを見せて、カレンダーを読む事に慣れる事が大事で、そういう事をしているのであれば、カレンダーの読み取りの授業を行う事に意味が出来る。でも、普段の生活でカレンダーを見ていない子が、授業でカレンダーの読み取りの授業をしても理解が出来るわけがない。まずは、問題を解くためではなく、生活の中でカレンダーを見るように出来るといいと言うと、なるほどそうかと、一応納得してくれていた。

2006年11月21日(火)
体調不良2日目

 体調が回復せず、今日も休むことにする。電話がつながらないので、朝、バスが来るのを外で待ち、バスドライバーに昨日から体調が悪いので、休む事を伝えた。そうかと言うだけで、あまり心配してくれないのはなんだか寂しい。マーシャル人は、しょっちゅう体調不良になるので、体調が悪いと言われても心配をしないのだろうか。私も、マーシャル人が体調不良だと言っても、またかぐらいにしか思わない。
 朝、パブロンを飲んだから、そのためだろうか、お昼ごろにいったん熱は下がった。しかし、夕方に、また上がってきた。だから、また、パブロン。

2006年11月20日(月)
体調不良

 今日の明け方から体調が悪くなり目を覚ます。朝、熱はなかったが、体がだるく、咳と頭痛があるので、休むことにした。
 学校に電話をしようとしたが、先週から回線が止められているのが回復しておらず、連絡が出来ないまま、無断欠席になってしまった。電話料金を払っていないらしく、現在、ウォジャ小学校は、連絡不能状態。でも、誰も焦る事はなく、いつになったら回復するのだろうか。
 夕方から熱が上がり始め、のどが渇いて汗だらだら、これだけ汗をかくと、熱も下がるだろうと思っていたが、どんどん上がっていく。結局、1時間ごとに目を覚まし、水を飲んで、また寝るのを繰り返した。
新学期が始まってから体調はよかったのだが、久しぶりに、高熱をだした。

2006年11月19日(日)
プライベートビーチ

 家の近くの外海側の海岸には、砂浜がある。マーシャル人は、砂浜だからといって、わざわざ、そこに行ってのんびりしたりしない。だから、そこは私のプライベートビーチにした。フクビーチと命名。しかし、ここも、この前の海が荒れた時に、かなりダメージを受け、石だらけになってしまっている。
 特になんと言うことのない日曜日。この頃、夕方ごろに引き潮になるので、プライベートビーチに行き、寝転がって空を眺めていた。花子も一緒に寝ていた。引き潮の時だけ現れる砂浜なので、寝転がっていると、かすかに背中がじめっとする。

2006年11月18日(土)
米とあり

 昨日、お米を買った。しかし、よく見ないで買ったので、袋に小さな穴が数箇所空いていた。何かに引っ掛けて空いた様な穴だったので、あまり気にはしなかった。
 帰りのバスで、袋をバスの座席のところに置いていた。そして、バスを降りて米の袋を持ち上げようとすると、何かが、袋の中で動いている。よく見てみると、ありんこが、何十匹か入っている。バスの中にいたありが、帰って来ている間に入ってきたのだろう。やられたと思った。
 その後、ありは、どうなったかと言うと、米の袋の中で巣でも作ったりするのかなと思っていたが、変える場所のなくなったありは、袋の一箇所に集まり途方にくれていた。

2006年11月17日(金)
海の中

 本日祝日。久しぶりに海の中へ行ってきました。しかし、どうした事か、今までの感動がない。いつもより海が濁っていたためか、昨日ちょっと飲みすぎて体調がよくなかったためか、前行ったのがアルノで、そこと比べてしまったためか。
 前行ったのは9月で、その頃は夏休み明けで全身黒々していた。しかし、今は、学校で室内労働なので、色は白くなっている。それでも、日本にいるよりは黒いと思うのだが。すると、ダイビングショップのマーシャル人に、おおかっこいい兄ちゃん。なんだ白くなってマーシャル人じゃなくなってしまったなあと残念そうに言われてしまった。

2006年11月16日(木)
オープンスクール

 今年度初めてのオープンスクールが、デラップ小学校で行われた。今年度初めて行う学校は、ウォジャ小学校の予定だったが、テーマの問題や教育省の問題などで、2度延期して、まだ行っていない。デラップ小学校の隊員は、そういう教育省を考慮して、小学校の先生たちと隊員自身で手回しをして行った。まとめる立場にいる人がしっかりしていない時は、そういうやり方も1つの方法である。
 でも、私のやり方は、協力隊任せではなく、教育省と各学校が連携をとって行えるように、そういう働きかけをしていこうと思っている。または、オープンスクールをこれからどのようにしていくかの方向性をもって、協力して教育省のシニアボランティア、各学校の隊員が、活動を行えるように、問題提起して行きたい。それが、今はっきりしていないままで、オープンスクールを行っていこうとしている事に、すっきりしないものがある。やる意味を考えないで、やればいいと言う考えが少なからずあるのが、納得できていない。
 オープンスクールは、1時受付、1時30分授業開始だったので、12時30分にバスを出すと校長は行っていた。子どもを下校させた後になるので、12時30分には、行く事はないだろうと思っていたら、その通り、まだ子どもは帰せてなかった。しかし、子どもはすでに帰っている1時を過ぎても、校長は行こうという様子はない。1時20分になって、ようやく、遅くなってしまったと焦りだした。これは、焦るのが遅すぎる。ウォジャ小学校からデラップ小学校までは、バスをかっとばしても、40分はかかる。
 結局ついたのは2時過ぎ。授業も後10分。だから、ほとんど授業は見ることが出来なかった。

2006年11月15日(水)
特別支援2

 特別支援教育の先生が、今年から配属され、特別支援教育もそれなりにしっかりしていると思ったのだが、その先生のやっている事は、授業に行って、特別支援が必要だと言う子が、練習問題をする時に教えているだけ。それも、授業中に抜け出したりして、しっかりやっているとは思えないので、いろいろと聞いてみた。
 その先生が書いていた、調査書の内容は、子どもの状態について細かく調べるようになっていた。その子の障害がどのような物で、それに対して、親や先生がどのように関わっているのかと言う事も書くようになっている。これだけ見ると、しっかりしていると思う。
 まず、特別支援教育について習った事があるのかを聞いた。毎年夏に、大洋州で一斉に行っている研修と、大学で行っている研修があるらしい。普段は、何もないらしい。その先生は、1999年から特別支援の先生をしているのだが、毎年研修に行っていると言っていた。
 特別支援の先生は、特別支援だけをするらしい。マーシャルでは、どのような教育をしているのかを聞いてみた。すると、クラスの勉強についていけない子を、別にして教えて、その子が理解できるようになってクラスに戻れるように教えている人と、肢体不自由の子どもを教えている人がいると言っていた。だから、スペシャルエドは、肢体不自由の子を言うのかと聞いてみると、そうだと言うような返事が来たので、知的障害の子の事を、どのように考えているのか聞いてみた。すると、そういう子の事を、明確には識別できていないようだった。
 マーシャルには、スローラーナーと言われている子と、スペシャルエドと言われている子がいる。スローラーナーとは、勉強が遅れている子の事を言う。スペシャルエドは、肢体不自由の子のように話しているので、知的障害児の事を話してみた。スローラーナーの子は、今まで、十分な教育をされなかったため、勉強が出来ていないだけで、いい教え方やいい教材を使うと、勉強が出来るようになる可能性がある。知的障害のある子は、追いつく事を目的にするのではなく、特別な教育をしてあげなければいけない事を話した。うまく伝わっていない部分もあるが、そのような子の教育は考えられていないらしい。でも、知識はあるようだった。
 その先生は、6年生で、1人の子を教えているのだが、その子は、知的障害があるようには思えない。ただ、勉強が遅れているだけである。スペシャルエドではなく、スローラーナーだと思うのだが、どうだろうと聞いてみた。先生は、その子は調べると、3年分の遅れがあったので、教える必要があると言っていた。そして、ウォジャには、知的障害がある子はいないので、スローラーナーを教えていると言っていた。私が見る限りでは、知的障害がある子もいるのだが、それをはっきりとは言えないので、言わなかったが、そういう事から考えると、区別はついていないようだ。
 特別支援が必要な子は、低学年のうちが大事なのだが、ウォジャでは、高学年の子に、算数の勉強でしか見ていない。勉強が出来ない子を教える事を、特別支援だと思っている。その理由を聞いてみたら、解らないという。他の学校の事を聞くと、低学年も教えているらしい。でも、ウォジャは、おそらく校長の考えで高学年なのだろう。
 最初、その先生が来た時は、特別支援もしっかりしているのかもしれないと思ったが、結局、勉強が出来ない子を教えるのを、特別支援だと思っているだけで、レポートを、一生懸命作っていたが、あまり活用はされていないようだった。中途半端な知識は、余計な仕事を増やしているだけで、実質が伴っていないのだが、レポートを書く事で、仕事をしていると勘違いさせている。これは、悪循環なのではないのだろうか。

2006年11月14日(火)
数字の指導

 1年生は、毎日、数字を書く練習をしている。1から10を書く練習から始まって、今は、15から0までを書いている。毎日、毎日、数字を書く練習をして、数字の書き方や、順序、位取りを覚えていく、1から大きくなっていく時は、簡単に数えられても、逆には数えられなかったり、数の大きさ比べが出来なかったりする子が多い。そのため、毎日、毎日、数字を書く練習だけを行ないながら、数の順序を正確に覚えるようにしている。
 つまらないことのように思うかもしれないけれど、毎日、毎日、同じ事を繰り返しても子どもは飽きたりはしない。それだけ、マーシャルの子どもにとっては、数字を書く事だけでも、簡単な事ではないということである。日本人の感覚だと、この様な単純作業は、子どもにとって面白くないと思って、やっている人は少ないのではないかと思う。でも、基本が弱い子ども達にとっては、こういう作業がとても大切だと思っている。
正確なデータはないけれど、昨年度の1年生よりも、数に対する理解、数える能力、計算能力は、明らかに高い。
 数字を書かせる時に、マス目ノートを使っているので、10の位の数字を2マス使って書く。数が10集まると、位が1つ増えていくという事を、数字の書き方で覚えさせている。大きな数になった時に教えるのではなく、数の基本として、1年生のうちに教えておくべき事である。これは、マーシャルの先生に徹底させるのにも時間がかかったくらい、位取りは意識されていない。
 数字を書くときの問題は、英語にあった。日本語の場合、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、と数える。だから自然と、10の位から数字を書く。しかい、英語の場合、イレブン、トゥエルブ、そして13以上は、サーティーン、フォーティーンとなる。だから、数字の書き方がバラバラになる。例えば、13だと、3を書いてから1を書く子も多い。こういう子を見つけると、すぐに上の位から書くように言っている。先生もそれを見て、指導するようになっている。これをほっておくと、13と31の区別がつかなかったり、同じものとして覚えてしまう。去年は、4年生でも、逆に書く子が数人いた。日本だと、じゅうさんだから1,3と書くと教えられるのだが、英語は逆だから、教え方が難しい。日本語はやっぱりいい。英語はややこしい。

2006年11月13日(月)
褒める事2

 マーシャルの先生は、質問を全体に投げかけて、解っている子からの返答だけで授業を進めていく。個別指名をすることはない。1,2年生の先生には、時々、質問の内容によって個別指名をするように教えているが、なかなか指名をして授業をする事はしない。
 2年生の先生は、授業中に子どもを叱る事が多い。だから、いつも、子どもをほめる事をふやしていくように言っている。先週には、子どもが話しを聞かないので駄目だと言うので、それは子どもが悪いのではなく、叱ってばかりいる先生が悪いと、はっきり言った。もし、あなたが、私から叱られてばかりいたら、話しを聞くのが嫌になるでしょ。褒めてくれたほうが、話しを聞こうとおもうでしょと言うと、褒められることが大好きなマーシャル人だけに、納得してくれていた。しかし、言った後で、俺ってよくきつく言っているなと思って、失敗したとも思った。
 もう1つ、その先生の悪いところは、叱る時は名指しで叱るのだが、褒める時は、小さな声で誰に言っているのかも解らない。これを逆にするように言った。直したい事は、全体に言うようにして、出来ている子を褒める。そして、褒める時は、名前を言って褒めてあげる。
 今日の授業で、個別指名をしたほうがいい所で、全体に質問をして、1部の子だけが答えていた。半分以上の子は授業を聞いていなかった。だから、先生に個別指名をして授業をするように言った。すると、当てられて答えた子をしっかりと褒めていたので、子ども全体の集中力が変わった。
 授業後、先生に、子ども達を褒めていたから、子ども達が良く話しを聞くようになっていたのが解ったか聞くと、褒める事が大事な事が、今日解ったと言ってくれた。どこまで解ってくれているのか、いつもの調子のよい返事なのか、先生の言っている事をそのまま受け取って、喜ぶ事はない。これからの授業が変わってきた時にはじめて喜べる。
 でも、活動の楽しさを感じてない中で、こういう事があると、少し嬉しくなる。

 ヤドカリが、肉食なのに、びっくり。帰りに海岸沿いを歩いていたら、魚やうにを食べていた。うにのとげをちぎって集っていた。ヤドカリ、恐るべし。

2006年11月12日(日)
国際協力について

 マーシャルの算数教育をよくするために、私達は派遣されているのだが、正直に言って、マーシャル人の中に、自分で何とかしようと思っている人はいない。ほとんどの人は、日本人に任せてしまえばいいと思っている。だから、マーシャル人から学ぼうと言う気持ちは感じられない。学ぼうと言う気持ちがあったとしても、それを継続してやっていく事はおそらく出来ない。
 これは私の感想で、私の関わり方もあるので、他のボランティアからは、そうではないという意見もあるかもしれない。でも、私の私見で話すと、マーシャル人にとって、日本のボランティアは、補充教員と言う意識しかない。自分達の苦手な算数をやってくれる人である。苦手な事は、何とかしようではなく、あっさりと逃げる体質なので、自分達よりも日本人が教えた方がいいと、任せてしまうことに何のやましい気持ちもない。だから、日本人が、あなたもやれと言っても、解ったと言うだけで実行されない。うるさく、うるさく言って、やっと渋々やりだすと言う感じである。
 果たしてここに、日本のボランティアは必要なのだろうかと言う疑問がわいてくる。しかし、目の前に解っていない子どもがいて、授業を行えない先生がいると、授業をしなくてはいけないと思ってしまう。だから、ボランティアが来ているのだろうけれど、これは日本人からの一方的な事でしかない。となると、これはボランティアでなくなる。自分でできる様になる事を助けるのがボランティアであり、助けてほしいと思っている人を助けるのがボランティアである。助けてほしいと思っていない人に対して、ボランティアは成立しないはず。
 援助される側の国にとってどうなのかを考えず、小さな手助けを行う事が日本の国際ボランティアの考え方なら、今のままでもいい。でも、もっと大きく、援助される側の国の発展を考えると、今のままでいいはずはない。
 日本側の援助の目的をはっきりとさせ、相手国側と援助を行うことによって変えていこうとしている点をお互いに話し合い、お互いに合意した上で援助の方法を考え、見通しをもってやっていくようにするべきである。青年海外協力隊は、こういう点が弱い気がする。でも、これは、マーシャルのことだけで、他の国では出来ている事かもしれない。

2006年11月11日(土)
面白くない

 この週末、新たに3枚の州クウォーターを手に入れた。これで集めた州の数は25。アメリカの全州の半分になった。
 果たして、帰るまでに50州集める事ができるだろうか。
 最近の楽しみは、このクウォーター集め。活動に楽しさを感じていない。
 マーシャルの算数教育を改善していくためには、私が授業をしていても仕方がない。マーシャルの先生がよりよい授業を行えるようにしていかなくてはならない。そう思い、指導案を作り、それに沿って授業をしてもらい、アドバイスを行うようにしている。最初の頃は、マーシャルの先生が指導案をもとに授業をしたことが無いので、大変なのは仕方がないが、そのうち、授業が自分で行えるようになり、子どもが理解できるようになってくると、そのような授業を行うよさがわかってくると思っていた。
 1年生の先生は、指導のポイントや授業の進め方の理解度がいい。だから、授業もよくなってきている。でも、授業が順調に行きだすと、指導案を読むのをさぼり、丁寧さに欠けてくる。2年生の先生は、2年生の内容でも理解しづらいところがあり、指導案どおりに授業を行う事で精一杯になっている。
 先生たちは、指導案があったほうがいいと言ってくれるのだが、なんか無理やり指導案を与えてやらせている感じがして、私がいなくなれば、こんな事、しなくなるのだろうとも思い。やっていることに、すっきり出来ない。
 オープンスクールにしても、新年度が始まる前に、マーシャルの先生にとって、よりよい開催方法にしていきたいと思い、JOCVの考えている事を提案していった。でも、教育省算数部に、それを理解して実行する人がおらず、なかなか進んでいかない。JOCVと教育省算数部のベルニンでやっていたら、もっと楽しく出来ていたかもしれない。だから、オープンスクールをやっている事に楽しさを感じられていない。

2006年11月10日(金)
誕生日会

 環境隊員の誕生会は、海岸沿いでバーベキューを行った。ダイビングショップの裏にある住宅地は、塀で囲まれている、おそらくマーシャルの一等地。そこの海岸沿いが、ちょっとした広場になっていてバーベキューを行うための設備もある。
 しかし、辺りが暗くなってくると、風が強くなり少し雨も降りだした。海は荒れ、この前のピクニックを思い出した。
 夜10時ぐらいになると、少しだけ雨が急に激しく降るのが繰り返されるので、変な雨だと思っていると、雨ではなく、波が少し高台になっている壁にぶつかり、しぶきを広場に飛ばしていた。また、波が乗り上げてくるのかと思ったが、1時間ほどで収まって、よかった、よかった。

2006年11月9日(木)
計画倒れ

 9時にいきなり電気が切れる。9時に電気が切れるのは計画的な停電で復旧するのは午後5時。1日停電である。ラジオなどで停電の予告はしているらしいから、マーシャル人は知っていたりする。でも、マーシャル人が、明日停電だよとわざわざ教えてくれる事はめったにない。
 電気が切れてもいつもは授業を続けているのだが、今日は、いつもと違って雨だった。教室が薄暗く黒板やノートの文字が見にくい。校長が、授業は出来るか聞きに回り、暗くて授業が出来ないという理由で、2時間目終了の10時で休校になった。
 停電のためパソコンが使えず、指導案を作ることが出来ない。1日5時間の計画が、こんな所で挫折。停電する事を考えていなかった。結局、電気が回復したのは7時過ぎ。あたりが暗くなり始めたら、本を読むことも出来ず、寝るしかなかった。

2006年11月8日(水)
短文

 気持ちに余裕を持つ、行動に余裕を持つ、こんな事を考えてみた。

2006年11月7日(火)
イロジ

 マーシャルの酋長制、イロジについて話しを聞いた。ここ首都があるマジュロには2人のイロジがいる。正確には、女の人はレロジと呼ぶので、イロジが1人と、レロジが1人いる。そして、レロジのファミリーのほうが、たくさんの土地を持っているらしい。話しをしていた6年生の先生の奥さんも、そのファミリーなのだそう。でも、あまり力は持っていない。
 先生をしているほとんどの人は、そのような繋がりがあって就職しているので、最初の頃は、同じような話しを聞くと、イロジと関係があるのかと驚いていたけれど、今では、あなたもかという感じ。
 マーシャルのイロジは、完全に土地を所有している。だから、他の人には土地を貸しているだけ。国の建物も、土地を貸してあげて建てさせている事になっているので、賃貸料が、イロジの元には入っている。その上、国の建物でもイロジの土地なので、イロジが思いのままにする事ができる。マーシャル人にとって、支配者と土地は1つのもので、イロジ以外の人は土地を持っていない、借りている。
 日本人は、土地を売り買いするので、自分の土地を持つことができると言う事に、その先生は驚き、日本の天皇は土地を持っているのかという話になった。天皇は、土地を持っていないと話すと、それもびっくりだったようで、なぜかと聞かれた。
 以前は、土地を持っていたのだけれど、世界大戦以降、天皇の存在は、日本国民の象徴になっていると言う事から、生活費はどうなっているだとか、住んでいる所はどうなっているとか、私の英語力で、天皇の事は、答えきれません。

2006年11月6日(月)
計画的な取り組み

 そろそろ、先を見据えてやっていかなければと思い、2学期が終わるまでに、1,2年生の1年分の指導案を完成させるためには、1日に何日分の指導案を作る必要があるのかを計算してみた。その結果、5日分。多いのか少ないのかは、よく解らない。これからの進め方次第である。
 2学期までに、指導案を完成させ、3学期は編集が出来るようにしていきたいと考えている。

2006年11月5日(日)
釣り大会

 昨日、バス停で待っていると、バス停そばの船着場で、でかいカジキが上がっていたので、その魚を見に行った。近くに行くと、かなり大きい。吊り下げると私の身長はゆうに超え、重さは100キロを超えていた。何艘かのボートが同じようなカジキを釣っていて、次々と魚の重さが測られていく。周りは酒場になっていて、どうも大会が行われているようだった。
 しばらくすると、普通の包丁を持ってマーシャル人が魚に近づいてきた。まさか、普通の包丁でさばく事はないだろうと思っていると、いきなりその包丁をえらの横にぶっさし、豪快に切り出した。マーシャル人に感心をしたが、きり方がもったいない。
 そして、釣りたて魚の切り身をもらって来た。今日の夕食は、その刺身。

2006年11月4日(土)
広域企画調整員

 広域企画調整員の人と1年ぶりの再会。午前中に小学校隊員が集まって、マーシャルへの協力方法を、今後どのようにしていくのがよいのかを話し合った。
 マーシャルの状況は昨年とほぼ変わってない。10年間隊員を派遣しているが結果が出ていない。この結果というのは算数の学力を言っている。これまでの隊員の活動が、マーシャルの算数学力を上げる事を目的として行われてきたのかと言うと、決してそうとは言えない。私の活動も、算数学力をあげている事ができているかと言うと、出来ていない。
 私が直接教えて、子ども達が算数を出来るようになったとしても、それは一時的な事でしかない。今、マーシャルの先生に指導方法を教えているが、私が帰った後に同じようにやってくれるか、もしくは、出来るかと言うと、何とも言えない。
 算数教育隊員が、年間10人程度派遣されていて、どれ程の子どもに影響を与えているのか、物理的に考えてマーシャルの算数の学力をあげるものではない。
 隊員派遣に結果を求めるようになってきているという。結果を出すように努力する事は大切である。でも、何を持って結果を判断するのか。現状の派遣方法で学校教育現場に派遣される隊員に、結果を求めるのは無理である。
 マーシャルでは、算数学力をあげる事を目標にしているかもしれないが、マーシャルの課題は、算数学力をあげる以前の問題がたくさんある。
 そうした中で、企画調整員の方はよりよい方法を模索しているのだが、JICAの施策と現状の間で、大変なことだ。

2006年11月3日(金)
評価

 1年生にはテストを行っていない。授業をしている時に子どもを見て、子ども達の理解度を評価している。1学期は私が評価をしたのだが、2学期からは、先生にも評価をしてもらうように言っていた。先生に、ただ単に子どもを見ているのではなく、出来ない子だけを教えているのではなく、授業中に子どもの理解度を確認する事、それを元にした評価の仕方を、知ってもらうためである。
 昨日、足し算の勉強が終わったので、評価を見せ合う事を、前もって言っておいた。放課後に、評価をつけたかと聞くと、出来ていないという。前々から何度も、子どもを見ながら評価をする事は言っていたのだが、いつもやるよと言う返事ばかりで、結局出来ていなかった。評価の仕方は言っていないので、出来なくて当然なのだが、やると言うのなら何とかする努力はしろと思う。でも、そこはマーシャル人なのでなれた。マーシャル人でなくても慣れた。
 とりあえず、なんて答えるのかを聞いてみたくて、子どもの名前を1人あげて、この子には何点つけると聞いてみた。すると47点という。また、細かく言ってきたので笑ってしまった。60点以下なので赤点でもある。なぜだと聞くと、もちろん理由なんてない。その子は、よく理解できていているが、数えたしが正確ではないから、私は90点をつけている47点なんて低い点数ではない事を言うと、先生も苦笑いして、点数の付け方が解らなかっただけだから、月曜日につけてくると言い訳をして去っていった。

2006年11月2日(木)
キンダーの先生

 先週、キンダー(幼稚園)の授業を見に行っていた。すると、昨日、キンダーの先生が、算数の授業の感想を聞いてきて、算数の教え方を教えてくれと言うので、今日の放課後、話すことにしていた。
 そして、キンダーの教室に行くと、何しに来たという感じで聞いてくるので、昨日、授業について話しをすると言わなかったかと言うと、そうだったそうだったと思い出していた。見事に忘れていた。
 でも、やる気はある先生なので、すぐに話しを始めることが出来た。授業について、幼稚園では、20までの数字が、しっかり理解できているいいと話していた。先生もそう思っていたらしのだが、つい最近、教育省から、50までの数字を教える事を言われたらしい。でも、子どもには無理な50までを教えなくてはいけない事に疑問があったらしい。子どもに無理をさせて教えるのではなくて、幼稚園では、子どもが確実に理解できる範囲で、みんなが出来るようにしてあげる方がいいという事で話があった。どういう観点で、教育省が50までと言っているのかが疑問だが、たいした考えはないのだろう。
 先生の教え方は、数字を読んで、数字を書かせているだけなので、数字を教える時に物と対応させて、数字の意味を捉えさせることと、数字を読ませるだけではなく、実際にあるものを数えさせることで、数と物を対応させる事と、生活の中で数を使えるようにしていく事を、教えていくことが大事だと話しをした。また、学校だけではなく、家庭でも、物をとってくるのを頼む時に数字を言ったりして、生活の中で数を使う機会を増やしていける事を、保護者と話しをする時にするといいんじゃないかと話していると、それはいいと言って、次の話し合いがあった時に言うようにすると言ってくれた。
 数字の書かせ方も、今は、正しい数字を書けるようにすることが大事なので、なぞり書きをたくさんさせるようにすればいいということも、それは、いい方法だといって、明日から早速やっていくと言っていた。
これからも、授業を、時々見に行ってもいいかと言うと、ぜひ来てくれと言ってくれる。このように考えてくれる先生がいることは、とてもうれしい。

2006年11月1日(水)
1年生マッセ

 1年生のジュナ3兄弟のマッセ、ピーターのお兄ちゃん。かなり出来るようになってきている。6までの引き算を勉強していた時は、まだ、正しくブロックの数を数える事ができなかったのだが、今やっている10までの足し算では、ブロックの数は正しく数える事が出来るようになり、足される数の分だけ数えて加える数え足しも出来る様になっている。
 今日は、練習問題のプリント学習。早くできた子は、2枚目のプリントを行う。2枚目のプリントは、早くできる子用なので、少し難しくしている。授業では、足す数が必ず大きい足し算をしていた。でも、2枚目のプリントには、足される数が大きい足し算も加えた。
 2枚目のプリントに取り組んでいたマッセが、0+4の問題で、私を呼んだ。答えが4であっているか確かめてくる。そして、ブロックを見せて、何もない状態から4個のブロックを加えてみせて、これでいいんだよねと言ってくる。この問題で、立ち止まり考え直したことに、マッセの成長を感じた。
 マッセだけではなく、1年生は、去年より確実に理解度がいい。去年は、こんなに出来ないのかと言う事が多かったのだが、今年は、どんどん理解をしていっている。