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2006年10月31日(火)
成績を見ない親

 マーシャルでは通知表を親に渡す日が決まっていて、それが先週の金曜日だった。日本では、学期末に子どもに通知を渡して、それを子どもが親に見せる。マーシャルでは、放課後に、親が学校にとりに来る。そして、その時に、成績表を渡しながら、子どもの様子を先生が話している。
 1年生の先生に、最近欠席が多い子の親が、成績表を取りに来たのかを聞くと、取りに来ていないと言う。だから、取りに来ない親は、どうやって成績表を渡すのかを聞いてみた。すると、渡さないと言う。渡さないまま、ずっと学校に置いていることになるらしい。それで済んでしまう事に、少し驚いた。
 成績表を取りに来ない親は、欠席が多い子、成績のよくない子の親が、やはり多いように感じる。親に教育に対する関心がなければ、子どもは伸びないのだろう。そして、そういう親に限って、成績が悪くても進学だけはさせろと言ってくる。
 親の教育に対する関心度と共に、学校の対応にも問題があるが、これがマーシャル人の教育に対する実情である。

 その時に、成績表を取りに来ない親のお母さんが、足を切断したから、今、病院に行っているのではないかと言う。マーシャルでは、足を切断する人は少なくない。糖分の取りすぎで糖尿病になっているのに、適切な処置をしないためである。
 そこで、足を切断しなくてはならない人は、糖分の取りすぎが原因なのを知っているかと聞いてみた。答えは知らない。糖分の取りすぎでなる糖尿病は、マーシャルでは大きな社会問題なのを外国人は知っているが、当のマーシャル人は知らなかった。もちろん知っている人もいるのだろうが、先生が知らないと言う事は、知らない人は多いのだろう。それは、本当の話かと驚かれてしまった。
 糖尿病の事は浸透していると思っていたのだが、まだまだ、宣伝が足りないようだ。そこで、その先生は、よくコーラを飲んでいるので、コーラにも大量の砂糖が含まれている事を教えてあげた。そして、砂糖は、取りすぎないほうがいい事を伝えた。ちょっと焦っていたが、どこまで糖分を気にして生活できるだろうか。

2006年10月30日(月)
1年生ピーター

 1年生のピーターが、黒板の数字を見ながら、ノートに数字を書けるようになった。
 今までは、黒板に垂直に机を並べていたのだけれど、黒板と平行にした日から、ピーターが黒板を見て、数字を書くようになった。机が横向きだと、黒板を見るのだけれど、ノートを見るとどのように書けばいいのか解らない様子だった。黒板に平行していると、黒板と、ノートの向きが同じなので、見た事をノートに書きやすい様子だ。
 1年生の先生は、なぜかは知らないが、机の場所や並べ方をよく変える。そして、今度は、ピーターの席が、黒板に背を向けて座るようになったので、すると、また、ノートに書けなくなった。この時は、黒板が見にくい位置はよくないと言って、元通り、平行に直させた。
 黒板に文字を書き、それをノートやプリントに子どもが書く時。先生には、ノートに書く時は、ノートと同じ線を書いてもらい、プリントに書く時は、プリントと同じように黒板に書くようにしてもらっている。そうしたら、ピーターは、黒板を見て数字を書くようになってきた。
 最初の頃は、やることが解らなくなり、すぐに手遊びを始めてしまっていたけれど、今は、間違いは多いけれど、黒板を見て書くようになってきている。

2006年10月29日(日)
またマグロ

解凍前

解凍終了

夕食

 夕食に、昨日もらって来たマグロを食べる。4時ごろから解凍を初め、解けるのを待つ。8時頃にようやく解ける。そして、そのままフライパンの上へ。両面を焼いて塩コショウ。それに、ゆがいた玉ねぎをそえて出来上がり。これぞ男の料理。もっといい料理法があるのだろうが、これが精一杯。
 食べてみると味付けが薄かった。そして、そこに醤油をかける。これぞ男の料理。

2006年10月28日(土)
今日もマグロ

 今日も、これまた、マグロを解体するために、シニアボランティアの関さん宅へ。関さんは、「功名が辻」の話題が出来るマーシャル協力隊の唯一の人。
 今回は、関さんがマーシャルに来ている日本の漁船からもらったマグロで、冷凍されていてカチコチ。冷蔵庫の中から、冷蔵庫に入る大きさに切られたマグロの肉の塊が出てくる。それをのこぎりで切っていく。冷凍マグロ、なかなか手ごわく、すんなりとは切ることが出来ない。男5人と女1人で、交代しながら切り分けていった。
 切り分けた後に、一切れを試食会。これまたうまい。
 そのまま、「功名が辻」の時間までお邪魔してしまった。

2006年10月27日(金)
マグロ
環境隊員の見事な包丁さばき

 マーシャルにある日本の商社、MJCCの御曹司、コーヘーさん。最近、販売船に同乗して、離島をめぐっている。そして、金曜に帰ってきて、その時にマグロをもらってきたので、その夕食に呼ばれた。
 学校が終わってからドミに向かう。それから、その同じ敷地内にある、コーヘーさんの弟、コースケさん宅へ行くと、食卓には魚料理がずらっと並んでいる。今日の夕食は豪勢。それから、今日も、また1匹さばいて、出来立てのほやほやの刺身に、とろけるうまさ。
 どうもごちそうさま。

2006年10月26日(木)
昼間の停電

 今日も9時から5時停電。これで、新年度になってから3度目。学校がある時に、この昼間の停電は、けっこうつらい。印刷が出来なくなり、トイレの水は流れなくなり、水道も使えない。電気も消え、扇風機も止まってしまう。
 教室の中が、だんだんと暑くなり、午後の授業は、ほとんどのクラスが外に出て、木陰で授業をしている。
 職員室にもいられなくなるので、私は、授業が終わってから、何もできなくなるので、子ども達が帰るバスで、一緒に家に帰ってくる。だから3時には家にいる。家に帰っても電気は使えないので、窓を開け放して、本を読んだりしている。
 停電の日は、汗をかきながら5時になるのをひたすら待っている。

2006年10月25日(水)
汚職

 校長に汚職の疑いがある。聞いた話なので定かではないが、おそらく本当。なぜなら、マーシャルでは、あたり前に行われているだろうと思われる事だから。
 子ども達は、学校では、25セントを出して鉛筆を買っている。これは、学校で購入をして、それを子どもに売っているのだと思っていた。しかし、鉛筆は、教育省から支給されている。1年生の先生が校長に、以前、子どもに貸し出し用の鉛筆を作りたいから、鉛筆がほしいと言ったところ、25セントで買えと言われたらしい。鉛筆を売ったお金で、校長は、コーラを買っているくせにと言っていた。
 それは、マーシャルではいいことなのかと聞くと、その先生は、だめなことだと言う。マーシャルでは、みんながやっている事だからなと言うと、それがいけない文化だと言っていた。でも、それをどうかしようとは思っていない。
 校長だけではなく、マーシャル政府で働いている人は、自分のお金と国のお金の区別がついていない。国から支払いがされるチケットのようなものを持っていて、それで自分の買い物をする。明らかに晩御飯の食材だろうと思われる20ドルぐらいの買い物でも、チケットを使っている人もいる。そして、国にお金がないと言っているのだから、どうしようもない。

2006年10月24日(火)
間違える場所

 マーシャルの子は、間違えをするという事を極端に嫌うが、8年生になると、それをさらに嫌う子が増える。
 復習の時に、練習問題をさせ、出来たら持ってこさせて丸付けをする。ここで間違えがあると、もう一度、やってこさせる。そして、間違えた問題をやってきてあっていれば、丸を付けるのだが、ここで、出来るようになり、丸がつく事を喜ぶ子は、日本と比べて少ない。最初に間違えを指摘された事をいつまでも気にしている。また、何が間違えなのかをよく考えないので、同じような間違えをして、いつまでも、丸がつかない子もいる。
 でも、間違えているかもしれない状態でもってくる子は、まだいい。特に女の子は、友達で見せ合って、同じ答えを書いて持ってくる。間違えるときは、みんな同じ場所を間違える。そして、最後には、正解をした子の答えを見て、それを書いて持ってくる。写しているのに、正解をもらえる事を喜ぶ。人の答えを写して丸がつくことが、そんなに嬉しいのかと思うが、これは日本人の感覚なのだろう。過程より結果が優先される。
 日本では、授業環境としてもっとも大事な事と考えられている、教室は間違う所というのを言い続けているが、これは、なかなか浸透していかない。

2006年10月23日(月)
援助

 マーシャルは、アメリカの援助資金によって国が成り立っている。援助がなくなると国が破産する。
国に産業がほとんどないので、ある仕事は、ほとんどが公務員。その公務員の給料は、アメリカの援助資金。そのうちの9割が使われていると聞いている。そして、公務員になるのは、コネの世界で、マーシャルの支配層である一部の人たちが中心。
 アメリカからの援助資金を、一部の人たちで、山分けにして使ってしまっていると言える。だから、そこに生産性はない。もらったお金を使うだけ。
 そんな国に援助をしていて、アメリカは損をしているのではないのかと思われるが、マーシャルへの援助資金は、アメリカ経済から考えれば微々たるもの。その上、マーシャルのスーパーにある品物は、グアムやハワイとかわらない物で、アメリカのものがほとんど。マーシャル人は、もらったお金を、どんどん使ってアメリカのものを買うから、アメリカが援助したお金は、またアメリカへ戻っていく。
 そもそも、使っているお金がアメリカドルだから、元々、マーシャル経済はアメリカ経済の一部でしかない。
 30年前にマーシャル語の教科書を作っているのに、それは使われないで、アメリカの教科書会社から、援助資金を使ってアメリカの教科書を買っている。また、なぜか、日本の教科書を、英語に直したものは採用されない。数年前に、日本大使館の援助で、日本の教科書をマーシャルに援助しようとした事があったらしいのだが、その時も、それは、なぜか採用されなかったらしい。アメリカが経済援助をしていると表では言いながら、裏でどうにもならない取引があるのだろうか。

2006年10月22日(日)
昔と今

 先週の親戚の集まりで、おじさんが話していた。
「今と昔のマーシャル人を比べると、計算スピードがぜんぜん違う。今は、高校生でも指を使って計算し ている。昔は、指を使って計算するような事はなかった。マーシャル人の計算能力は、もすごく悪くなっている。」
 戦争前、日本人が教えてくれていた時は、マーシャル人も勉強がよく出来たと言っていた。そのおじさんは、50歳前ぐらいで、30年ぐらい前に教育を受けているので、教えていたのは日本人ではない。でも、指を使って計算するようなことはなかったそうだ。
 教育省の倉庫の片づけを手伝った隊員から話しを聞いた。倉庫には、各国から送られてきた教材やテキストなどが、使われないまま山済みになっていて、虫に食われてしまっているので、それを捨てる作業だったそうだ。その中には、1970年ごろに作られたマーシャル語の算数テキストもあったらしい。出来もそんなに悪くなかったと言っていた。30年前には、マーシャル語でテキストを作る事の出来るマーシャル人がいたという事である。今のマーシャル人の先生にそんな人は見当たらない。
 マーシャルが独立し、アメリカからの援助資金で国の運営がされるようになったことにより、仕事はないけど金はある国になった。働かなくてもお金は手に入る。仕事をもらえるのは、元支配階級の一部の人だけで、仕事は、お金をもらう形であるだけ。
 今、ウォジャ小学校には、教育大臣の息子が働きに来ている。その人は、元々、リキエップの先生なのだが、教育大臣が、ウォジャにある家にいない間、その息子が家の留守番をしている。だけれども、働かなかったら、お金がもらえないと言う事で、必要のない臨時職員と言う形でウォジャ小学校に働きに来ている。失業率9割と言われている国で、働きたいけど働けない人もいるのに、教育大臣の息子の待遇はおかしい。こういう事は、おかしいと言うマーシャル人もいる。でも、それがまかり通っている。
 このような事は、やはり人を駄目にしていっているように思う。

2006年10月21日(土)
ゴミ拾い

 環境教育隊員が中心になって行っているゴミ拾いに初参加した。マジュロの市街地の道に落ちているゴミを拾っている。今回で3回目。ポスターやラジオ放送でも参加を呼びかけて、なかなか大々的に宣伝をしている。日本人とマーシャル人、合わせて20人ぐらいいた。
 途中で、遊んでいた子ども達がじっと見ていたので、手伝ってくれと言っても見ているだけ。その上、拾っている目の前で、ゴミを捨てた。おい、だめじゃないかと言うと、笑いながら、もう一度拾ってゴミ袋に入れた。そんな事をしていると、何人かの子が手伝い始めてくれるようになった。
 草むらの中から、プラスチック容器にビニール、空き缶が出てくる、出てくる。食べたら、そのままゴミを投げ捨てるマーシャル人。かなりの落ちているゴミの量。なかなか前進していかないまま、目的の距離を達成できずに時間終了。
 朝9時から11時までの2時間。朝だけど日差しは強く、帽子を忘れて軽く日射病になってしまった。

2006年10月20日(金)
やっと使い出しました

 日本のかわいい教え子達が送ってくれた文房具を、新年度が始まってから、1ヶ月ほどしてやっと学校が落ち着いて来たので、持っていった。そして、校長と先生たちに、日本の子ども達が送ってくれた事を伝えた。その時の反応は、いい子ども達だ、とっても嬉しいと、とてもよかった。
 マーシャルの子は、ほとんどの子が1本だけ鉛筆を持って学校に来ている。そして、授業中に折れてしまって削っていたり、鉛筆を忘れて友達に借りながら使っていたりしている。だから、それぞれの教室に置いておいて、忘れた子や芯が折れた子への貸し出し用として使うことにした。
 子ども達に、日本の子ども達が送ってくれた事と使い方を解ってもらうため、校長に、朝会で子ども達に紹介をしてもらうことにした。しかし、いつまで待っても朝会が行われる様子はなく、紹介することも忘れているようだった。そして、1学期が終わった。
 2学期が始まり、朝会を待っているといつになるか解らないので、各教室で紹介してもらい使っていくことにした。
 今日は、1年生の教室にもって行った。先生は、子ども達に貸すようの鉛筆がほしいと思っていたので、ちょうどよかったと喜んでくれた。子どもへの紹介を先生がしてくれ、その最後に、日本の子ども達へお礼を言いましょうと言って、みんなで、「ありがとう日本のみんな。」と言ってくれたので、カメラに撮りたいからと言って、もう一度やってもらった。言っている言葉解るかな。子ども達も、日本の子ども達が送ってくれた事を喜んでくれていた。

2006年10月19日(木)
丸付け

 2年生の先生と一緒にテストの採点をしようと、いつ一緒に出来るかと、最初に聞いた。放課後と言うので、放課後に教室に行くといきなり、家でやってくると言う。
 今年度からは、授業以外の作業も、担任の先生と一緒にしようと思っている。授業以外のことでも伝えていく事がある。
 なぜ家でやるのかと聞くと、今から家に帰るからというので、一緒にやれる時間を聞いて放課後にしたんでしょと言って、一緒にする事にした。理由が、勤務時間の1時間前に、もう家に帰るというのも納得いかなかったが、家で本当にやってくるのか信用できなかった。採点の仕方を忘れたと言ってそのまま持ってくることが大いに考えられる。また、一緒にやらないと、正しく出来るかが心配だった。
 採点中も、後はヨシアキがやってくれと言うのを数回聞いた。なぜだと聞くと、他のテストも採点しないといけないからと言う。算数の採点もあなたの仕事だと言って、一緒に作業を続けた。
 結局、採点が終わってからもう一度見直さなければいけなかった。2年生の繰り上がり繰り下がりの計算なのに、採点の間違えしまくっていた。この先生に2年生の授業の仕方を教えているのだが、2年生の問題の丸付けも正確に出来ない先生に、それをやる意味があるのかと改めて考えた。
 テストも何もなく、どんな人でもコネで先生になってしまう国に、協力隊を派遣して先生の指導を行う事が果たして必要な事なのだろうか。自分のやっている事に疑問がつきない。
 その先生に、テストの丸付けは点数をつけるのが目的ではなく、子どものつまずきのポイントを確認する事が大切だという事を教えた。たくさんの子が間違えている所は、もう一度教えるようにするんだと言うと解ってはくれていたが、出来るかどうかは別問題だ。

2006年10月18日(水)
2年生の足し算引き算の理解に対して

 2年生、授業の最初に、足し算の復習を行った。昨日に続けて、足し算のやり方を確認したので、計算間違えなどはあるが、方法は思い出すことが出来た。しかし、次に、引き算をさせると、授業では、ほとんどの子が出来ていたのに、すぐに出来た子は、4人だけ。足し算と同じようにやっている子、10といくつかに分ける事が出来なくなっている子、10引くいくつの計算が間違えている子など、間違えている箇所はさまざま。
 引き算の時のやり方を思い出させると、出来るようになったが、5人が、足し算と引き算でごちゃごちゃになっている。ブロックを使う作業で覚えている子もいたが、反対に、ブロックの作業も、こんがらがってしまっている子もいる。
 授業では出来ていたので、何とか思い出させようとしたが、授業が終わると集中力も切れてしまい。やっている事がさらにごちゃごちゃ。
 足し算のあとに、引き算をすんなり思い出せた子も、また、明日のテストでは、足し算と引き算で、計算方法がごちゃごちゃになってしまう子もいるのだろう。
 数の概念が理解出来ていない子の多くは、計算方法を教えると、その方法だけしか記憶できてないので、新しい事を覚えると前の事を忘れている。数を一つのつながりのあるものとして捉えられていない。
 昨年と比べると、ブロック作業が、それを助けるものになっているとは思うのだが、今の教え方では、まだまだ子どもの反応に手ごたえを感じられない。まだ何かやれることはあるだろうか。

2006年10月17日(火)
やっぱり

 2年生は、見事に繰り上がりの足し算を忘れていた。覚えていた子は2人だけ。そのうちの1人は、足し算の勉強をしていた時には、10を作る事をなかなか理解できなかった子。他の子は、引き算と同じように書いたり、やり方は覚えているのだけど正確ではなかったりしていた。
 1問目を説明してから再度やらせると、今度は、5人の子が出来るようになった。こんな調子なので、明日も復習をする事にした。
 今日は復習で、この練習問題をさせてくれと渡すと、いきなり子ども達に渡して「やりなさい。」とだけ言った担任の先生に伝えた事は、復習をさせる時は、いきなり問題を全部させるのではなく、問題の種類ごとに分けて子どもにさせる事。答えの確認を、その都度させて、子どもに間違えている箇所を気付かせる事。つまずいている子が多い箇所では、もう一度やり方を説明する事。
 子どもに練習問題をさせる時は、先生の休憩時間になっているマーシャルでは、休憩時間に出来ないように、練習問題をどのようにさせるのかも教えていく必要がある。

2006年10月16日(月)
学期初め

 2学期が始まったのだが、1学期の最後と同じで、いつもと同じように授業をしていた。
 この2週間、1年生のおめめキョロキョロ、バーニーが、学校に来ていない。いったいどうしたのだろうか。
 2年生の繰り下がりの引き算は、全体的に、足し算より理解がいい。足し算では、10を作って計算をする事につまずいていた子も、引き算では、10から引く作業を問題なくこなせている。明日、足し算の復習をするのだが、足し算の方の記憶はどの程度だろうか。また、引き算と足し算の区別をつけて計算する事が出来るだろうか。明後日に、学期末テストを行うので、その結果が楽しみである。
 8年生は、金曜日から復習を行っている。テスト問題を自分で解かせている。テストのための練習だから、友達のを見たりしないで、自分のノートや、今までやったプリントを見てもいいから自分で解くように言ったのだが、それが出来るのは数人だけ。自分のノートやプリントを見直しても、正しく答えが書けない子が多い。普段からノートを正しく書けていないのも原因である。その子達は、友達のを見て答えを書きていている。しかし、友達のを見て、答えの書き方を思い出したり、もう一度考えたりしている子は、それでいい。でも、これも出来ず写しているだけの子も、数人いる。その子達は、もう一度、家で見直すように言ったが、おそらく、見直さないだろう。8年生の出来る子は、驚くぐらい出来る。この差は、8年生になってしまってはどうしようもない。

2006年10月15日(日)
今年も親戚の集まり

 大家のだんなさんの命日なので、親戚が集まっていた。昨年も呼ばれたが、今年も、同じおじさんが誘いに来てくれたので、行ってきた。
 大家の家は、国際的な家族なので、色々な国の味付けをした料理がある。今年も、その豪勢な料理をよばれた。
 去年に気になっていた切腹の話しを、誘ってくれたおじさんは、またしていた。去年より詳しく解ったのだが、1960年ごろに事件があり、その時、三沢とか言う人がビルの屋上まで行き、カメラの前で切腹したそうだ。それをニュースで流していたらしい。ほんとにそんな事件があったのでしょうか。
 また、大家のなくなった1人目のだんなさんは中国人で、今日はその人の命日。2人目のだんなさんが日本人で、中村さんと言う。その人ももう亡くなっている。大工さんで、アメリカから、蟻が食わない木を取り寄せて、大家の家を作ったそうだ。大家の家は立派な家である。
 1年ぶりに、同じ人と話しをして気付いた。去年は、こんな感じかなと聞いていたのだが、確実に去年よりも話しを理解できるようになっている。私の英語力はアップしている。

2006年10月14日(土)
ジャイアントバーバー号

 我が愛車「ジャイアントバーバー号」が、実は2週間以上前からパンクしている。パンク修理をしようと、修理キットをだしてくると、パンクの場所に塗る接着剤は蒸発し、付け足すためのゴムは、カチンコチンに固まってしまい、チューブに付けれられる物ではなくなっていた。
 それで、パンク修理ができる場所が学校の横にあるのを聞き、そこに持って行くと、空気注入口が切れてしまっているので、チューブを買うしかないと言われた。そして、そのまま8年生の教室内に、ジャイアントバーバー号は放置されている。
 今日、街に出て、自転車チューブを探した。チューブが売っていると聞いたのは、日本人経営のMJCC。ウクレレを買ったイージープライス。ホームセンターのACE。まず、MJCCにあるのかを聞くと、今は売っていなかった。次に、イージープライス。店員に聞くと、売り場につれて行ってくれたが、合うサイズが売っていなかった。最後のACE。ここでも定員に聞く。イージープライスでもそうだったが、チューブが通じない。テューブという発音をする。そして、ついに発見。ここでも、合うサイズは1つしか置いてなかった。
 月曜日に、学校に持っていって修理をしてもらうので、ジャイアントバーバー号は、月曜日に復活するだろう。

2006年10月13日(金)
1学期出席状況

 特にこれと言う事はなく1学期が終了した。今日も普段と同じように授業をしてきた。来週、学期末テストを行って、そして成績をつける。今日は、そのテストつくりをしていた。
 昨年度は、学期末テストの成績をもとに、出席状況を考慮して成績をつけていた。出席状況と成績は、ほぼ比例しているし、毎日学校に来て、まじめに授業を受けていれば、合格点は取れると思っていたから、テストの成績をもとにして成績をつけていた。
 でも、毎日学校に来て、まじめに授業をしていても、点数が取れない子が多くいる。マーシャルの教育状況だったり、カリキュラムの問題だったりする。これらは、子供に問題はない。今、子どもの努力で何とかできるマーシャルの問題は、出席状況である。これも、親の責任なのだが、子ども自身の努力でも何とかできる。
 だから、今年度は、出席をもとに成績をつけることにした。マーシャルでは、通知表の合格点は、60点なのだが、学校を休まずに来た子には、60点をあげる事にした。そして、学期末テストの点数を加算し、欠席日数分の点数を引く。テストが0点でも、休まずに来ていれば、通知表は60点。テストが100点でも、20日休んだら、通知表は0点になる。
 これを、先生に伝え、2,3年生には、子どもにも伝えた。先生に伝えたのは、子どもが、毎日、学校に来る事が大事な事で、それを成績に考慮する方法と成績をつける方法を理解してもらう事もある。マーシャルの先生は、最終テストの結果だけで、適当につけている感がある。そして、その成績の付け方を親に伝えてもらう事をお願いした。
 また、子どもには、休まず来れば合格点がもらえる事を知ってもらい、学校を休まなければいい点数がつくという事で、休む日を減らそうと思った。
 1学期の子どもの出席状況は、1年生。36日中、平均欠席日数6.8日。休まず来たのは1人だけ。2年生。36日中、5.3日。休まず来たのは1人。3年生。30日中、5.7日。休まず来た子は0。と言うひどさ。
 この面から見ていうのであれば、これだけ教育の意識が低いマーシャルに、日本の税金を割いて、JOCVを派遣し教育の援助をする必要があるのだろうかと疑問に思ってしまう。

2006年10月12日(木)
学期末

 マーシャルの一学期は、明日で終わり。でも、まったく学期末という感じがしない。なぜかは解らないが、学期末の復習とテストを、来週の新学期の初めに行う。それならなぜ、来週で学期末にしないのか。そこら辺のマーシャル事情は、まだよく飲み込めない。
 新学期最初の頃、3年生の先生がいないため、校長が3年生を教えていた。だから、校長が、7,8年生の算数を教える事ができないので、私が、8年生の算数を教えていた。
 新学期が始まって2週間ほどしてから、去年1年間、大学に戻って勉強していた先生が、3年生の担任になった。1学期の間は、補助の先生や校長が、いくつかの教科を受け持ち、担任の先生は、それを見ながら勉強をするような感じの体制をとっていた。週一回大学から授業の指導にアメリカ人の人が来ていたし。環境だけを考えると、なかなかいい、指導体制である。でも、実際に、その先生の何が変わるのかと言うと、正直何ともいえない。
 その先生が担任をするので、校長は担任をする必要がなくなったわけで、算数は、どうするのかなと思っていると、校長が、2学期から、算数は俺が教えるけれど、それでもいいかと言ってきた。思いもかけない校長からの提案。それも新学期が始まる前から前もって言ってきた。
 もちろん反対する事はないので、2学期からは校長が、元通り8年生を教える事になった。だから、突然8年生の授業は、後一週間になった。

2006年10月11日(水)
学習の積み重ねが出来ない原因

 マーシャルの子ども達に、学習した事のつながりがない事は以前にも書いた。これは、数概念がないためだと考えていた。数字に、数としての順序やまとまりがある事を理解が出来ていないため、ある単元で習った事が、その単元だけの物で終わってしまい、次の単元に生かされない。この事は、ひとつの原因であると思う。
 この頃、マーシャルの先生の授業を見ていて気になることがあり、マーシャルの先生の教え方も、原因の1つではないかと思っている。
 例えば、繰り下がりの引き算の勉強の時、マーシャルの先生は、繰り下がりの方法を教える。そして、子ども達は、その通り計算するので、繰り下がりの計算が出来るようになる。これは、授業の最初の部分で、どのような時に繰り下がりの計算をするのかという、場面設定がされないまま、方法だけが教えられている。以前4年生の授業で子どもの出来のよさにびっくりしたが、これは、繰り下がりがある計算とない計算を混ぜて練習をしていないためだった。教えられた1つの方法をやっていれば全て出来る問題だったので、子ども達は出来ていただけだった。
 教科書を使い、教科書に書いてある方法だけを教え、今まで習った事を復習したり、習った事との違いを区別したりするような事がないため、子ども達は、その時その時の計算方法だけを理解し、新しい事を習うと、前のことは忘れていく。そんな授業でも、関連性を持って理解している子もいるので、その子達の理解力には、驚かされる。
 例えば、日本の場合、子どもがつまずいている箇所があると、そこに戻って教える事をする。でも、マーシャルの先生で、それができる先生は少ない。習った事の区別と、前の学習との系統性をもたせる事を、マーシャルの先生に理解してもらうのは、まだまだ難しい。

2006年10月10日(火)
ほめる事

 2年生の授業に対する集中力がなく、クラスの雰囲気が、だんだんと悪くなってきている。その原因は、先生のほめる事の少なさにある。算数の時間は、子どもが間違った時にはしかり、子どもを睨むようにして授業をしている。
 先週から、授業中にほめ言葉が少ない事を言って、ほめる事をふやすように言っているのだけれど、なかなか、ほめる事ができていない。私もほめる事は苦手なので、先生が、なかなかほめる事ができないのは、なんとなく解る。なんとか出てきたほめ言葉も、子どもを見てなくて、下を向いて言っているので、効果がない。照れてしまって子どもをほめる時に子どもの眼を見ることが出来ていない。これも良くわかる。でも、やっぱり、目を見てほめてあげないと効果がない。ほめなくても、ちゃんと目を見ていれば、うなずいてあげるだけで、子どもは喜ぶ。
 先生にほめる事をするように言うようになると、自分のほめ方がどうなのかが気になる。私も、顔がこわばってしまっている事が多いなと感じる。先生と一緒に、ほめ方を練習しないといけないと思った。

2006年10月9日(月)
ゴミ掃除

ゴミの山

校長が率先して働く

きれいになりました

 朝は授業中止で、学校の周りの掃除。学校の辺りは土曜日の波で、高潮予防に積み上げている石が崩れ、あたり一帯にゴミも広がっていた。学校は無事だったからよかったことにしておこう。
 まずは、石を海岸のほうに積み戻し、流されたココナッツの木も、海岸側に積み上げる。やしの実や葉っぱは海岸側に投げ返す。ゴミで多いのは、自然に返らないプラスチック容器やビニール袋。特にマーシャルには、白いプラスチック容器が多いので、そのゴミの破片が目に付く。ゴミ掃除をしていて、そういうプラスチック容器のゴミは、海に投げずに別にまとめて捨てていた。そこは、解っているので感心した。でも、その後、そのゴミを焼いていた。いつもの事なので驚かないが、ダイオキシン発生しまくり。それを数名の先生が横で見ているから、大丈夫かなと心配になる。
 掃除は、1時間ほどで、驚くほど奇麗になった。さすが掃除好きのマーシャル人である。

2006年10月8日(日)
ゴミだらけ

道の端に土砂ののこり

 朝、タクシーでドミに向かう。道は掃除をされていたが、所々に土砂で埋まっていた形跡があった。また、道の周りには、信じられないくらいのたくさんのゴミが散らかっていた。海に捨てられていたゴミが、そのまま帰ってきたのであろう。マーシャル人がこれでゴミを海に捨てる事を止めるような事はないだろうから、また同じ事を繰り返すのだろうが、自分の家の庭は奇麗にいつも掃除をしているマーシャル人だから、これらを片付けるのは大変だろうなと思う。
 ドミから我が家に向かう道も、同じで、道に土砂がかかった形跡があり、大量のゴミが落ちていた。昨日の夕方ごろは、空港のあたりは完全に水につかり、道が通れなくなり、車はそこで引き換えしてきていたらしい。
 うちの周りにはゴミはなく、大家も、家の周りは、波が上がってくる事はなく大丈夫だったと言っていた。

2006年10月7日(土)
マーシャル沈没

 看護婦のシニアボランティアが2人、水曜日にマーシャルに着任した。今日は、その2人の歓迎会ピクニックで、アネモネ島へ。
 最近、雨の日が多く、今日、一番心配されていたのは雨だったが、夜にマーシャル特有の激しい雨が降ったけれど、朝は晴れ間が出ていた。しかし、朝から波の音がすごい。外に出ると今まで聞いたことがないくらいゴーゴーと鳴っていた。
 ボート乗り場につくと、これまた、ラグーンなのに白波が立っている。アネモネまでは、水をかぶりながら向かった。ボートの運ちゃんも、今日は最悪だな、波が高くなるから気をつけろと話していた。島では、途中で雨も降り、ピクニック日和ではなったが、ひと泳ぎして、それなりに満喫してきた。
 しかし、ここからがひどかった。帰りは、満潮時になり、波がさらに高く、その上風もきつくなってきていた。そこをボートで帰る。運ちゃんは、しっかりつかまって、水が来るからボートの後ろに下がってと言っている。そして、ボートが動き出すと、すぐに前から、波がザプーン。全員水浸し。波に逆らいボートは進んでいく。
 途中、横からの波にボートは、ほぼ90度傾く、転覆はしなかったが、そのままエンジンが止まる。そのうち、運ちゃんが、錨をおろそうとしだすと、みんな、まじでそれはやばいと、半笑い。しかし、もう1人のマーシャル人が何とかエンジンをかける。みんな、一斉に拍手を贈った。ほんとにこれは焦った。そして、何とか帰ってくることが出来た。この後、後発隊の時には、大雨が降ってきていたので、ボートの中の様子は想像できない。でも、無事に後発隊も戻ってくる事ができた。
 そして、ボート乗り場近くの隊員宅でシャワーを借りてから、家に帰ろうと思っていたら、隊員宅が停電。強風と大雨で電線でも切れたのかと話していると、新たな情報が次々と入ってくる。道に波が上がってきて車が進めない。海水で浸水しているところがある。空港方面の道はどうなっているのか解らない。ドミにいくことは危険だから止めた方がいい。と言う、何ともすさまじい光景が想像できるものだった。
 次の行動がとれず、バスにも乗れず、結局、停電は8時に直ったが、道の様子はわからず、隊員宅にご厄介になってしまった。

2006年10月6日(金)
教育省ミーティング

 ミーティングでは、いつものように、どうしましょうと言うような取り止めのない話し合いが始まりそうだったので、話し合いのもとになるように、提案資料を提示してテーマについて考えてもらった。テーマの作り方や、これからのオープンクラスを行っていく方向性も書いたが、私たちが、どのように考えているかを知ってもらうだけで、教育省の人たちが、それを理解できるとはまでは思っていない。ただ、今、私が考えられる方向性を提示しておきたいと思った。
 一言言えば、前のミーティングで、教育省の人間がテーマを考えてくるようにしましょうと言ったのなら、私が提示したようなものを、まとめ役である教育省の人が用意するのが当然だと思うのだが、そんなものはなく、教育省にいる日本人は、テーマを考えてもいなかった。今回の話し合いでも、JOCVのメンバーで、テーマについて話し合っただけで、教育省の人に考えはないので、その人のためにテーマを決めることが出来なかった。愚痴は他にもあるのだけど、やめておく。
 日本人が話し合っている間、ベルニンは、その資料をずっと読んでいてくれていた。ミーティング終了後、一番話しをしたかったベルニンに感想を聞いた。返ってきた最初の返事が、マーシャル人のいつもの返事「エンマン」だったので、解ってもらえる所がなかったのかと、少々がっかりしたが、話しをしていると、授業を行うための基本の部分が、マーシャルの先生には不足しているので、そこをまずマーシャルの先生が理解する事が大事だと解ってくれていた。読む事が出来るのか不安だったが私の文章も読めているようだった。

2006年10月5日(木)
提案資料

 明日の話し合いのための提案資料が何とか完成した。毎日少しずつ進めて2週間。文法は、そんなに間違いはないと思うが、表現方法が正しいかどうかは解らない。ワールドティーチャーに確かめてもらいたいが、なんとなく言いづらいので、そのまま、持って行く事にする。果たして、理解してもらえるだろうか。
 
 1年生で使っている算数セットに入っているブロックは、JOCVの「世界の笑顔のために」というプログラムで、日本の中学生が送ってくれたものである。授業の写真などを撮って、そのお礼状を作っている。そして、先生にも、一筆書いてもらうようにお願いをした。手紙を書くための紙を渡したのは月曜日だった。毎日、今日の放課後書くとか、昼休みに書くとかいいながら、少し書くだけのことなのに、なかなかその場で書いてくれない。だから、今日は、学校が終わる前に、先生に書いたかと聞きに行った。すると、ちょっと予想していたことなのだが、紙がないと言い出した。ほんとに、マーシャル人のこういう所が、マーシャル人だからと思うようにしても、何とかして欲しい所である。

2006年10月4日(水)
怒った

 今年度は、怒らないで対応していこうと決めていたが、イライラすることはある。でも、授業中に叱る事はあったが、怒らないようにしていた。でも、とうとう、今日、怒ってしまい新年度の誓いを破ってしまった。
 8年生の授業中、寝ている子どもがいた。これまでも寝ることがあった。でも、子どもが寝るのは、授業がまずいためである。子どもが寝ないように私の授業を何とかしなくてはいけないと思っている。
 しかし、寝ているのをほっとくのも何なので、練習問題をさせている時にその子の肩を叩いた。でも、起きなかったので、もう一度、強めに叩いた。すると、起き上がりながらこちらをちょろっと見て、また寝ようとする態度に、カチンと来た。
 怒った後は、ここにいるのが嫌になる。

2006年10月3日(火)
8年生の学習

 8年生の勉強は、負の数を含んだ計算をしている。これまでは、整数の場合の計算をしていた。足し算引き算の場合の基本は、数直線を元に考えている。かけ算、割り算は、自然数の時と計算方法は同じで、答えが、負の数になるか、正の数になるかを、パターンで教えている。負の数×正の数=負の数、負の数×負の数=正の数と言うように。
 マイナスのマイナスは、プラスになると言ってもよく解らないだろうし、割り算の場合、負の数で割る計算なんて、なぜそうなるのかなんて、説明されてもよく解らない。実際、負の数で割ると言う事はどういう事なのだろう。
 そして、今は、負の数でしかも、分数小数の計算である。計算方法は、整数の場合と同じであり、小数、分数のイメージが出来ていれば問題はない。
 小数の時は、数直線を使って数えることは無理なので、数の移動のイメージが出来ない事には、答えが正しいかどうかの判断が出来ない。分数は、同分母で、真分数の計算だけをやっている。まずは、同分母の計算で、負の数の場合の計算方法だけを覚えるようにしている。これは、整数の計算と変わらないので理解しやすい。それと、同時に、分数を視覚的に捉える事が出来るようにしている。分数のイメージを作るのは、なかなか難しい。
 7年生までの学習が理解出来ていない子には、パターンで計算をすることは出来ても、何をしているのか解らないだろう。反対に、これまでの学習を理解している子には、負の数と言う条件が増えるだけなので、そんなに難しいことではない。だから、数の概念をしっかりと理解出来ている子は、簡単に問題を解いている。
 今は、それぞれを分けて教えているので、子どもも解ると言っているけれど、いろんな問題が混ざってくると、おそらく、数の概念がなく、答えの判断が出来ない子は、混乱してしまうのだろうと思う。

2006年10月2日(月)
数のまとまり

 2年生のアータとクレーラは、1年生の計算テストでは100点だった。しかし、繰り上がりの計算方法を理解するのに苦労している。
 2人とも最初から答えをすぐ出せることが出来た。20までの数字を覚えているためである。だから、10を作って計算する方法をしている意味が解っていない。答えがすぐに数えて解る子にとっては、わざわざ10を作って計算することは、面倒な事でしかないから、頭にすんなりと入っていかない。クレーラは余計な事でしかないと思っている感じで授業に集中できていない。アータは、頭の中に答えが出てしまっているので、それ以外のことは何をしているのか理解が出来ないようだった。
 2人とも、20までの数字を理解し頭の中で計算が出来るのだから、理解力はいいのだけれど、10を作る方法は理解できない。数の順序は暗記できているが、数をまとまりとして操作ができないと言うことだろう。
 もしかしたら、そういう子は、ある程度までは暗記力だけで計算は出来てしまうかもしれない。しかし、大きな数や、小数、分数を勉強するようになると、躓くのだろうと思う。数をまとまりとして考え、操作できるように、2年生のうちにしておくことが大切なことだ。

2006年10月1日(日)
10月ですねえ

 昨日、今日と、雨が降ることが多く、少し涼しい日が続いている。しかし、海でおよげるので、日本ほど涼しくはないが、すごしやすい日曜日。
 今週末に、教育省の算数部での話し合いがある。今年から、教育省での話し合いが出来るようになり、何度か、教育省にいる日本人と共に、教育省算数部唯一のマーシャル人、ベルニンと話し合いをしている。
 今回、話すことは、オープンクラスのテーマについて。前回に話し合いをしたのだが、私たちJOCVが考えている事は、教育省の人たちには伝わっていなかったらしく、もう一度話し合うことになった。そして、今回は、ベルニンにも解ってもらえるように、英語で提案資料を作っている。これが、なかなか大変。資料に使う適切な表現が解らないので、辞書で調べた時に、いくつかの単語が出てくると、どれがいいのか解らない。はたして、金曜日に間に合うのか。