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2006年9月30日(土) |
ピクニック |
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ローラビーチでピクニック。隊員、調整員と、台湾ファームで働く台湾人2人。マーシャルのピクニックは、海岸でバーベキュー。
しかし、今回は、昨夜からの雨で木が湿ってしまっていて、なかなか火がつかない。あーだこーだ言いながら火をおこす。
まだまだ夏だねえ。
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2006年9月29日(金) |
マニットデー |
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昨年の日記にも書いているが、今日は、マニットデー、文化の日。去年は、マジュロの博物館アレレミュージアム前広場で、各学校の出し物があり、ウォジャ小学校もそれに参加していた。しかし、午後から、突然の大雨で中断したのだった。もうあの時から1年もたっている事を知り、とてもびっくりした。そんな前だったのかと不思議な感じ。
昨年は、8年生がマニットデーの準備のために1週間ぐらい作業をしていた。しかし、今年は、そのための準備をする様子もなく、先生に聞いても知らないと言うし、いったいこのような、今年はやらないというような事は、どうやって決まっているのだろうか。昨年は、大統領も参加する国のイベントだったのに、先生も理由が解らないまま、小学校の参加がなくなる。
しかし、街では、イベントは行われたらしい。私は、小学校で参加しないと言っていたので、イベントはないものだと思って家で仕事をしていた。綱引きや、障害物競争などをしていたようだ。
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2006年9月28日(木) |
突然のハーフデー |
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明日は、祝日でお休み。そして、今日は、なぜか知らないけど、ハーフデーで授業は午前中で終わり。昨日は何も言っていなかったのに、今日朝、学校に行くと、突然、午前中で終わりだからと告げられる。
午後、何かをするのかと思い様子を見ていたが、そんな様子はなく、先生に聞いても、校長がいないから解らない、たぶん何もないと言う。だから、家に帰って昼寝をしていた。
今日から、2年生は、繰り下がりの引き算。足し算で10を作ってから計算をしていたので、引き算は、思っていた以上にすんなりと、子ども達が計算式を作ることが出来た。昨年度は、10を作るように計算式を書くだけで、4時間かかっていたのに、今年は、1時間でほとんどの子が計算式を書く事が出来るようになった。足し算で、10を意識して計算させたことが、引き算で、例えば、14を10と4に分けるという操作が、すんなりと理解できた原因だろう。ブロックを使ったりしながら、10を意識させる事が生きてきている。
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2006年9月27日(水) |
そして次の日 |
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朝、学校へ行くとお姉ちゃんは、今日は逃げずに学校へ来ていた。そして、校長が、4年生の教室で話しをしてくれた。
校長が聞いても、その子は盗まれたと言う。他の子も何かを言っているようだが、詳しくは解らない。校長は、お金を盗むのはよくない事だという話しをしている。しかし、私は、お金が盗まれたのか、その子が使ったのかが解らないから、そのお姉ちゃんに、みんなの前でお金が盗まれたという事を言わせるように言った。最初、校長が話している時に、お姉ちゃんは笑っていたので、なぜ、笑っているのか聞くと、何も言わない。みんなの前でちゃんと話しをしなさいと言うと、昨日と同じように泣きまねをする。ほんとに腹が立つ。マーシャル人は、そこで許すのかどうかは解らないが、仕方ないと言う感じで止めてしまう。だから、逃げ根性がなくならない。しかし、私は日本人。そんな事では許さないと、みんなの前で話すまでは一歩も引かなかった。話せないのなら、盗まれたというあなたの言う事は信じられないと言っていると、しぶしぶみんなの前で話しだした。
このような行動から、おそらくは、その子は盗まれたのではなく、使ったのだと思えるのだが、みんなの前で言ったという事で終わりにした。校長や先生に、ほんとに盗まれたのかと聞くと、その子がそう言っているのだから、そうなのだろうとか、俺には解らないという返事で、はっきりしていない。校長も、いつもの事で話しをしたら終わりなのだろう。
私としては、今回、その子が使ったのか盗まれたのかは、どちらか解らなかったが、どちらにしても、なあなあにせず、お姉ちゃんにも、みんなの前で話しをさせることが出来たので、その子にも他の子にも、もらったお金を使うことは、まずいと言うようには思わせる事ができたのではないかと思う。
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2006年9月26日(火) |
事件 |
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子どもの事で、少し突っ込んでいくと、いつも泥沼に落ちる。
昨日、ノートを買うお金を持ってこないので、放課後に聞いてみると、お姉ちゃんがお母さんにもらって持ってきているというので、そのお姉ちゃんを呼んで聞いてみると、盗まれたと言う。
なぜ盗まれた時に言わないのか。明らかにおかしな話である。しかし、ここはマーシャル、日本とは違う感覚の場合もある。お金が取られることは大きな問題だと言って、話しを聞いてみたが、かばんのポケットに入れていたお金がなくなっていたと言う。マーシャル人の先生も、ああそうかと言うように聞いているので、私も、とりあえず、信じていいことなのかなと思い、家に帰ってお母さんに言う事と、明日学校でクラスのみんなに話す事をお姉ちゃんに伝えた。
そのあと、先生に聞いてみると、その先生も、お姉ちゃんはうそを言っていると思うと言う。じゃあ、何でそうかと聞いているだけだったんだと思いながら、担任の先生も、マーシャル人はすぐお金を盗むからと言いながら笑っている。この辺の感覚が、まったく違う。それは仕方ないので、また、今日、話しをしようと思っていた。
朝、学校に着くと、校長に昨日の放課後にあった事を話すと、今から話しをすると言ってくれ、教室に行った。しかし、そのお姉ちゃんは、学校を休んでいた。校長は、クラスの子に、「お金が盗まれたのだけど、何か知っているか。」と、少しきつめに話しをした。しかし、「みんな知らないと言っている。」と私に言って来るので、「どうするんだ。」と聞くと、「どうしようもないから、また明日だ。」と言うので、このままでは、ずるずると、特に問題にもならず終わってしまうと思ったので、「マーシャルでは、お金を盗まれる事は問題ではないのか。」と聞くと、「よくない事だ。」という。
そして、「私は、お金は盗まれたのではなく、お姉ちゃんが使ったと思う。」と言うと、校長も「おそらくそうだろう。」と言う。担任の先生は、クラスの子が、「お姉ちゃんが、昨日の朝、ポップコーンやキャンディーを買っていた。」と言っていたという。
私は、家まで行ってお母さんと話しをしてみることにした。お姉ちゃんが、学校に来ていないという時点で、後ろめたいことがあり休んだと考えられる。
これは、やり過ぎなのだろうか。でも、私は、マーシャル人のこの逃げ根性が嫌いなので、ほっとくことが出来ない。
結局、お姉ちゃんは、盗まれたとしか言わない。お母さんはいなくおばあちゃんと話しをしても、盗まれたと言っているとしか言わない。私が理由を聞いたり、学校に来る事をおばあさんと話していると、お姉ちゃんは泣き出す。まさに逃げ根性。おばあちゃんにも、一緒に行ったバスドライバーにも、泣いている理由を知りたいと言っても、解らないと言うだけ。なんで、確かめようとマーシャル人はしないのだろう。
仕方なく、明日来る事を約束させ帰っていると、バスドライバーが、お姉ちゃんはうそを言っている。でも本当のことは言わない。言ったら親に殴られるからと言ってくる。子どもに対して、明らかにうそだと思っているのに、うそを言っているでしょうとは、マーシャル人は言わない。これは、やさしさなのでしょうか。
学校に帰ってみると、校長が店の人に聞いていてくれて、昨日の朝、5ドルでお菓子を買った女の子がいるということが解った。なくなったお金と一致している。ここまで解っていても、マーシャル人は、追及したりはしないのだろう。
日本で同じことがあった場合、子どもの発言を信じ、追及はあまりしない。でも、マーシャルの場合、逃げれば何とかなると思っている傾向がある。それは良くないという事を解らせたいと思っているのだが、やっていることがうまく行かず、すっきりしない。
明日は、どうなるのだろう。
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2006年9月25日(月) |
特別支援 |
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特別支援教育は、スペシャルエデュケーションという。マーシャルでは、特別支援を要する子のこともスペシャルエデュケーションと呼ぶ。
昨年度、教えている子の事を、先生が、あの子はスペシャルエデュケーションだからと言っていた。その時に、スペシャルエデュケーションについて聞いた事は、学校の勉強についてこられない子の親と相談して、親がスペシャルエデュケーションだからと承認すると、学力に関係なく、進級できるようになると言っていた。
特別な事をしているわけでもなく、他の子と同じように授業を受けている。先生は、スペシャルエデュケーションだからという事で、できなくても仕方ないというような対応をしていた。だから、特別支援ではなく、特別進級制度ぐらいに、マーシャルでは捉えられているのだと思っていた。
しかし、今年度になって、出来なくても進級できるから、あの子はいいんだと言われていた子が、留年していた。校長に、その事を突っ込んだところで、そんな事は言っていないといわれるのが落ちだし、スペシャルエデュケーションという物が、そんなしっかりしたものでもなさそうなので、気にせずにいた。
すると、今年度から、他の学校にはいると前から聞いていた、スペシャルエデュケーションティーチャーが、ウォジャ小学校に配属された。勉強が出来ない子は、その先生に言って別に教えてもらうようにしてくれと校長に言われたので、私が教えている3年生から1人、勉強が遅れている上に、欠席が多い子で、2年生の時から授業を理解できていないので、1年生で習う1桁+1桁の足し算から教えて欲しいと言うことも伝え、お願いした。
すると、すぐにはできないと言うので、話しを聞いてみると、その子がどのような状態なのかを調べレポートを書き、それを、校長、担任の先生、親、特別支援の先生で話しをして、スペシャルエデュケーションとしての教育をしていくと言う。レポートを見せてもらったが、細かく観察点が書かれていた。アメリカ教育の考え方からきているらしい。また、親、校長も含め、みんなで支援していくともいっていたので、話しを聞く限り、しっかりとした考えが実はあった。
特別支援教育も、今、形を作り出しているところのようである。
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2006年9月23日(土) |
カウンターパート |
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私にはカウンターパートが決まっていない。マーシャルでは、他の教育隊員にもカウンターパートはいないと言える。以前の隊員のカウンターパートにしても、オープンクラスやワークショップの際に一緒に行っていた人で、普段の授業を一緒に行っていた訳ではないようである。
隊員は、1人の教師として扱われ、技術移転のために来ているという事の意識がマーシャル人にはない。ある学校では、隊員が来るからと言う事で、マーシャル人の先生が1人少ないという所もある。だから、隊員は1人で授業を行い、その授業方法や指導内容を聞くべきマーシャル人がいないらしい。私の場合も、去年、私の授業になると、担任の先生は教室から出て行き休憩時間にしていた事も、そういう意識のためである。
これは要請を出す時に、マーシャル人との間で、隊員が派遣される理由や、どのような活動をするのかなどの話し合いが、不十分なためだという事もある。
そのため、1年間を使って、私の場合は、私がマーシャルに来ているのは、子どもに教えるためだけではなく、先生に教え方を伝えるためだという事を言い続けてきた。そして、今年、一応、私の授業には、必ずマーシャル人の先生がいる事と、私個人の意識では、カウンターパートは1,2年生の先生という事で活動がされている。
しかし、次の隊員が来た時に、マーシャル人にとっては、休み時間に出来る方がうれしいわけだから、その隊員が、また1教師のように扱われてしまうことが心配である。
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2006年9月22日(金) |
ワッラル |
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5年生の先生は、私の前隊員、前々隊員のカウンターパートだった。カウンターパートと言うのは、隊員と2人1組になって隊員の技術や知識を受け取る人の事。協力隊の制度として、そういう人がつく。
そして、5年生の先生は、ウォジャ小学校で算数の第1人者のようなかんじである。確かに算数の知識はあるが、少し自信過剰気味で、学ぶ意識が少ないかなと感じている。
今日は、その5年生の教室に行った。小数の大きさ比べをやっている。
23.45と23.25では、どちらが大きいですかと言う問題である。先生は、左の数字から順に比べていき。数字の違いがあった所で大きさを比べると教えていた。例えば、23.45と23.25では、左から2と2で同じ、次は3と3で同じ、次が4と2だからここで比べる。大きいのは4だから、23.45が大きい。
そして、子ども達に練習問題をさせる。その中に、22.65と2.265と言う問題があった。もちろん、子ども達は教えられた通り、同じ大きさと書く。練習問題が解き終わり先生がチェックしている間に、その問題に間違いが多いことに気付き、説明をしだした。「22.65と2.265だと、小数点の位置が違うから、22.65が大きいだろ。ワッラル。」
「ワッラル。」と言うのは、マーシャル人が、残念な時、困った時などに使う。この場合、おいおいそんなことも解らないのかと言う感じで、他の先生の授業では使われてない。
しかし、子ども達は教えられた通りに問題を解いただけである。ワッラルなのは子ども達ではなく、位の事を教えなかった先生なのだけどなあ。
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2006年9月21日(木) |
1年生のバーニー |
左下が、マッセ3兄弟のピーターその隣がバーニー |
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1年生の目がキョロキョロバーニー。数字をなぞって書く事しか出来なかったのだが、今日、ついに写して書くようになった。ノートに書いた数字を見ながら書いてみようと言うと書き始めた。その横に書いていく。今日が初めてなので間違いは多いけれど、一歩前進。黒板の数字を見ながら写す事はまだできない。距離があるからだろうか。
このバーニーは、マーシャルの子はみんなそうなのだが、特に写真好き。しょっちゅう、写真を撮ってくれと言わずに、写真を撮るジェスチャーをしにくる。その度に、勉強をがんばっていたら撮ってやると言う。
数字を数えさせようとした時、前にワンは言えたのに、今日は、照れてしまっているのか、言えなかった。その時、それじゃあ、写真は撮れないと言うと、大きな目で悲しそうに見つめてきた。少し離れても悲しそうな目で見てくる。ちょっとかわいそうだったか。
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2006年9月19日(火) |
練習問題対策 |
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ぱっと見たらがんばっているように見える状態で、ほっとくわけにはいかない。
私が教えていない学年を見に行っているのだが、問題を写しているだけだと、ひたすら、写し終わるのを待っているしかなく、個別指導が出来ないし、子どもがどこでつまずいているのかが解らない。
だから、先生に言ってもらっているのは、1問問題を写したら解いてから、次の問題に進むようにする事。子どもには酷なことである。今までは、やっているように見せる事ができ、解らない事をごまかせていたのが、それが出来なくなり、練習問題をしている時間が、手持ちぶたさになってしまう。でも、これで、私も子どものノートを見ながら、問題をやりなさいということが出来るようになり、解らないところを教える事が出来るようになった。
練習問題をしている間は、先生の休み時間になっているが、去年のように、教室から出て行って一服する事はなくなっている。そして、個別指導を行う先生もふえている。それでも、椅子に座ってひと息ついてから、よっこらせという感じではあるが。
マーシャルの子達は、出来ないと思われる事を極度に嫌う。先生にノートを見られて、教えてもらうということもいやな訳である。反対に問題が解き終わると、見てくれ見てくれとうるさくなるぐらい、出来たぞアピールもすごい。だから、解らない子はやっているように見せていたのだが、先生が個別指導をするようになり、出来ていないのを見つけると、ほとんどのマーシャルの先生は、付きりで徹底的に大きな声で教える。教えられている子どもが可哀想になる。
マーシャルに来てから、個別指導をする時に、時間をかけずにさっとする事に、日本の時よりも意識をするようになったのだが、これを伝えるのは、なかなか難しい。
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2006年9月18日(月) |
練習問題 |
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練習問題をさせる時、先生は、教科書の練習問題をしなさいといって問題をさせる。こう書けば普通だけれど、アメリカの教科書は、その練習問題が、日本の4倍ほどある。でも、そういう指示が出された子ども達は、当然、問題に取り組みだす。
しかし、全ての子が、その練習問題をするための事を理解出来ているわけではない。日本だとどうなるか。問題が出来ない子は、集中力が切れ落ち着かなくなるか、何もしないかだろう。そういう事が積み重なってくると、高学年になるほど学級崩壊になったりもする。さて、マーシャルの子はというと、みんな、集中して取り組んでいるのである。日本とは逆に、上級生になればなるほど、集中して取り組んでいるのである。
なぜだと思うでしょう。正確に言うと、集中して取り組んでいるように見える。
マーシャルの先生の問題の1つに、子どもが練習問題をさせている間は、先生の休憩時間になっているという事がある。これは、練習問題をしている間は、子どもが静かになるから出来る。だから、先生には、練習問題をさせとけばいいという考えが生まれるのだろう。
では、問題が解らない子が、何に集中して取り組んでいるかというと、教科書の問題を写している。問題は解かれていない。マーシャルの子は、出来ていないと思われるのを極度に嫌う。だから、解りましたかと聞かれても、解らないとは言わない。マーシャルの先生の決まり文句で、1通り説明し終わったら、「コメレーレケ(解りましたか)」と聞く。子どもは、「イメレーレ(解った)」と答える。確認になっていない、もう決まり文句。これと同じように、練習問題をしている時に、解っていないと思われるのを避けるために、練習問題を写してやっているように見せる。練習問題をする時間が長いと、写す速度も遅くなってくる。
でも、マーシャルの先生は、子どもが出来ているかどうかの確認はしないから、これで成り立っている。もちろん子どもが勉強を出来るようにはならない。ぱっと見た目には、がんばって出来ているように見えるから面白い。
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2006年9月17日(日) |
同居人 |
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この2週間ほど前から、時々、かさかさと音がしていた。それもかなりのスピードで動いている感じがする。ゴキブリにしては大きな音がするので、巨大ゴキブリでも育ったのかと思った。なんだろうと思いながらも、なかなかそのもの自体は見ることが出来なかった。
少ししてから、その物体が、さっと物陰に隠れるのが見えた。色だけ解ったのだが、茶色だった。ヤモリにしては動きが早いので、巨大茶色ゴキブリの新種でも現れたのかと思った。
またしばらくすると、それが、どうも2匹いるのが解った。息を殺して、冷蔵庫をじっと見ていた。すると、その裏から出てきたのはねずみ。2匹で追いかけっこをしている。私は、じっとしていると、部屋の中を2匹で駆け回っている。
捕まえる事はできないのでほっておいた。ある日、そのうちの1匹は、台所の方へ出て行くのが見えた。そして、もう1匹は、洗面所のドアをガリガリやっていた。でも、洗面所に行くと隠れてしまうのでほっておいた。そしてら、次の日の朝、便器の中で泳いでいた。滑って出られないらしい。それにしても、どうやってはいったんだと思う。そのまま、ジャーと流してしまうのはなんだかかわいそうで、何とかつかまえ、外に逃がして上げた。
そして、最近住みついた同居人はいなくなったと思っていたのだが、残る1匹は、まだいるらしくガサガサやっている。1匹になってしまいなんだかかわいそうな気もする。
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2006年9月16日(土) |
虹 |
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午後、食料の買い出しでスーパーペイレスに行き、買い物を済まして店から出たら、記憶のある限り、生まれて初めて、地面から出て地面に落ちている完全な虹を見ることができた。
写真の建物は、電話局。
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2006年9月15日(金) |
エンマンフライデー |
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昨日、家に帰ってきてから頭痛が激しくなり、ご飯も食べずに、そのまま寝た。朝、起きるが頭痛は治っていなかったので、頭痛薬を飲んで、学校に遅れていく事を連絡して休んでいた。すると、頭痛薬って効くものだとおもった。2時間程で、すっきりはしないが痛みはなくなった。
そして、学校へ行き、授業後に、遅くご飯を食べていると、放課後、エック(正確に聞き取れなかった)で、酒盛りをすると言って、まだ放課後ではないのに、バスドライバーが飲み始めていた。エックは、イーストと砂糖で作るお酒。アルコールが禁止されていたマーシャルで作って飲んでいたお酒。放課後に、酒盛りをするというので、酒盛り優先で、お昼用に持ってきた頭痛薬は飲めなくなった。
まだ明るい4時から飲み始めた。明るいうちに飲む酒は楽しい。日本では、何度かだけど、学校帰りの明るいうちに、川岸や屋台で飲んだのは気持ちよかったと思い出した。
しこたま飲んで、家に帰る時に自転車でヤシの木にぶつかったらいけないからと、自転車ごとバスに乗せてもらって帰宅。
帰ってからも、また、天の川を見ながら持って帰ってきたエックを飲んでいた。そして、しこたまウクレレ演奏。そのまま就寝。
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2006年9月14日(木) |
ジュナ3兄弟 |
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1年生は、10までの数字の勉強が進んでいる。入学時には数字を書く事が出来なかった子達も、10までの数字は書く事が出来るようになって来た。しかし、どちらが大きいですかとか、間の数は何ですかと言うような聞き方をすると答えられない子が多い。数字が記号でしかなく、数としての意味まで理解が出来ていないといえる。何人出来ない子がいるとはっきりいえないのは、休む子が多いため。19人いるのだが、多くても1日に15人しか学校に来ていない。だから、毎日の継続が大事な時なのに、定着していかない。休んでいた子は、学校へ来ると、他の子はすらすらやっているのに、それについていけないので、その子のために、授業が停滞する。出来ていた事もできなくなっている。
前の日記で書いたジュナ3兄弟のピーター、マッセ、マーク。この3兄弟、マッセとマークは双子で、ピーターは、一歳下の弟だった。昨年は、リタに住んでいたそうなのだが、マッセとマークは、両親が学校に行かせるのを忘れていたらしく、だから、今年3人そろって1年生。その中で成長著しいのが、マッセ。数字と物の対応もでき飲みこみが早い。そして、マークも、数字を書けるようになってきた。
ピーターは、突っ伏していたのが、この頃、数字をなぞって書くようになってきた。しかし、自分で書くのはまだ無理。それが、今日、写さずに数字を書いていた。おっと思ってみてみると、すると、ノートに裏映りした数字を写していて、全て数字が逆さま。まあ、でも自分で練習をしようとしたことが、すばらしい成長なので、逆さまの字に丸をしてあげた。ピーターも満足。
数字が記号でしかない子達が多い1年生も、来週から足し算を勉強する事になる。今年は、去年の失敗を生かせるように指導していく。
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2006年9月13日(水) |
10のまとまり |
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2年生の先生、今日は予習をしてきていた。
10のまとまりを作って計算をする方法。日本ではあたり前の考え方。前の日記にも書いたが、アメリカの教科書では、さほど重要視されていない。マーシャルでは、2年生の先生が習っていないというように、おそらく教えられていない。足し算は数えるだけ。
でも、この10のまとまりを作って計算が出来るようになる事は、とても大事な事である。障害教育について書いているある本には、10のまとまりを作って計算する方法を覚えた子は、小学校4年生ぐらいまでの計算は、ほっておいても自分で理解して出来るようになると書かれてあった。
この10のまとまりを作って計算する方法を教えるのは、去年も苦労した。結局、10時間以上かけて、半分ぐらいの子が理解しただけで終わった。去年の教え方は、しっくりとこなかった。授業記録に書いてある。計算の答えは出せるのだが、10のまとまりを作ることの理解が難しかった。今年も、少し変えてやっているのだが、なんかしっくり来ない。
何でだろうと思い、放課後ぼーと考えていた。本には、10が1と0を組み合した数ではなく、10は、10という数字と理解していて、数が組み合わせではないので、数が大きくなればなるほど大変と感じる子がいると書かれてあった。また、パラオの隊員が書いているホームページの日記に、人数を数える時、1,2,3…9,10,1,2…9,20,1,2…と数えていると、そんな数え方があるのかと、先生がびっくりしていたという内容があった。その時は、日本ではあたり前の数え方でも、国が変われば知らないのだな、程度に思っていたのだが、これは、実は10のまとまりで考えるという事を知らないという事ではないかと、ふと思い出して思った。
マーシャルの人たちの数の感覚は、今までも、よくないとは思っていたが、それどころではなく、日本人の常識の中で考えていたらいけないぐらい、想像以上に育っていないという結論が出たので、そういうつもりで教えていこうと思うことになった。
10を作る事を、計算の中で、そして、数字だけでやっていても、子ども達は何をしているのか、先生も何をしているのか、10を区切りとした感覚がないために、イメージが出来ていなかったということだろう。それでも、3年生は、2年生の時に、位取りと10を作る事を繰り返しやっているので、イメージしやすくなっている感じがする。
そこで考えた、数変化のイメージ、10のまとまり、数量感覚、数字と物との結びつきを育てる方法としては、数字の操作ではなく、物を使った作業と、物と数字を結び付けるしかないという事で、今更ながらですが、ブロックや、おはじきなど、算数セットにはいっている道具で、作業をさせていこうと思う。
それと、日本からマス目ノートを取寄せて使っているのは、位取りの理解を徹底させると言う事で、間違いではなかったと思う。発展途上国の算数発展のために、マス目ノートは必需品なはず。何とか、店で扱ってくれるようにならないものだろうか。
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2006年9月12日(火) |
指導案 |
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2年生は、今日から、1桁+1桁の繰り上がりの足し算になった。
私が書いている指導案の通りに、まず、黒板に9+3を書いた。それから、答えはいくつになるとやりだしたので、このまま続けさせると、繰り上がりの足し算で教えなくてはいけないところが、全てぬけてしまう。仕方なく、ちょっと待ってと授業を止めた。指導案を読んで授業をしてみてと言うと、目を通してから、また授業を始めたのだが、同じように、答えを聞いている。
そうじゃないよと言うと、ヨシアキが授業をしてくれというので、授業中だが、先生に、「授業をするのはあなたです。もし、指導案に解らないことがあるのなら、授業前に、聞きに来てくれ。授業中は、私があなたに教える時ではなく、あなたが子どもに教える時間だ。今日は、私が授業をするけど、次からは、前もって指導案を読んで、解らない事は聞きに来てください。」
という事を話した。先生が解らない時に、私が授業をしてしまうと、先生は授業が出来るようにはならない。ここでは、10のまとまりを作ってから計算する方法を教えなくてはならない。それなしで、ただ単に、9+3=12とやっていたのでは、計算の基礎が出来ない。
授業後、もう一度、指導案を前もって読んでおくことや、今日の授業が大切な事を先生と話しをしていると、「私は、今日の授業のように、10を作って計算する方法を知らないから解らなかったと言う。」それを聞いて、昨年も同じ事をやっていたから、授業を聞いていれば、知っているはずだがと思いながら、「10を作って考える方法は、これから学年が上がっても必要になる、とても大切な事だから、あなたは、授業の教え方と進め方を習うようにしてください。そして、来年からも、子ども達に同じように教えてあげてほしい。」と言うと、「解っている。この指導案を取っておいて、来年も教えるから。」と言っていた。しかし、来年度まで、先生が指導案を持っている事には期待していない。マーシャルの人が、資料などを保存できず、物をまとめられない事はよく解っている。別にファイルしていっているので、最後に1年分をまとめて渡すつもりでいる。しかし、それでも、来年度、指導案を見ながら授業をしてくれるかどうか今は、確信できない。これから、授業をしていって、指導案の通りにやっていると、よくなるというように、先生が実感してくれなければ駄目だろう。私は、そう思ってもらえるように指導案を書くだけ。
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2006年9月11日(月) |
3年生の新しい先生 |
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3年生は、校長が教えていたのだが、先週から、昨年度は、大学へ行って勉強していた先生が戻ってきて、3年生を受け持つ事になったようで、校長と、今は一緒に教えている。今年は、昨年度4年生の先生が行っていて、毎年1人行っているらしい。
その新しい3年生の先生。先週のある日、算数の時間にいなくなった。すぐ思ったのが、これは、算数の時間は休憩時間だと考えているかもしれないという事。算数が終わる時間に戻ってきたので、何処に行っていたのか聞くと、幼稚園の教室だと言う。なぜ、そこに行っていたのかを聞くと、体調が良くないからと言う。マーシャル人がごまかす時の決まり文句、体調が良くない。もう、ああそうかとは言わない。幼稚園は、午前で終わっている。だから、幼稚園の先生のところへ、おしゃべりに行っていたと判断できる。ここはびしっと、算数の時間は休憩時間じゃなく、あなたと私、2人で教えるんだと言っておいた。
その後は、教室にいる。しかし、授業を聞いているのか、どうなのかよく解らない。子どもの指導も、先週1日はしていたが、今日は、まったく動かない。でも、これは、昨年と同じこと。授業が終わってから、先生のところへ行って、1学期は私が授業をするが、2学期からは、交代で授業をするようにするから、1学期の間は、私の授業をみて、授業の進め方を勉強してくれと、まずは、軽く言っておいた。
その先生、今日、5時過ぎまで教室で何かをしていた様子。他の先生は、いつもと同じように、4時前には帰っているのに、1人残っていたみたい。他の先生とは、やる気が違うのか。
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2006年9月10日(日) |
教会のお布施 |
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教会では、説教の後、各々1ドル程度を、回ってきたかごの中に払う。これは、コスラエでも同じだったので、ミクロネシアの教会では、どこでも行われているのだろう。
今日も、いつものように説教の最後にかごが回ってきて、1ドルを入れた。しかし、その後、男の人が前に出てきて、何かを言い出した。すると、何人かの人が前に並んだ。それでも、何かを言い続けている。何を言っているのかは解らなかった。そして、その人たちが前で歌いながら回りだして、お金をかごに入れていく。それが終わったら、協会にいる人が立ち上がり、お金をかごに入れに行く。何なのか解らず見ていると、8年生の先生が、1ドルを渡してくれて、入れに行こうというので、入れてきた。
何をしているのかを聞いてみると、牧師を助けるためだという。なぜかを聞いても、牧師のためと言ってくれるだけなので、その行為の意味は解らなかった。
想像するに、教会に来ている人が少ないために、お金があまり集まらなかった。だから、前に出た男の人は、もう少し、牧師のためにお金を入れようと呼びかけ、協力してくれる人は前くるように言った。しかし、そういう時には照れてしまうマーシャル人は、前になかなか来ず、前に来た数人で、回りながら歌い、そして、お金を払った。そして、みんなもどうぞという事で、照れ屋のマーシャル人も、みんなで入れにいくのならという事で動き出したという感じだろう。
しかし、どうして、わざわざ前に出て歌いながら回ってお金を入れていく行為が入るのか、それは、解らない。
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2006年9月8日(金) |
文章題 |
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2年生で、初めて文章題をさせてみた。昨年度は、1から4年生まで、1度も文章題は行わなかった。なぜかというと、
1、アメリカの教科書なので、英語で書かれているため、マーシャル語に訳さないと解らない。それに、私 が、英語をマーシャル語には訳せなかった。
2、文章題の解き方を、マーシャル語で説明する事が無理だった。
3、文章題が出来るほど、計算力がなかった。4年生に、1年生の文章題をさせれば出来ていた程度。
今、2年生は、1年生の復習をやっている。だから、1年生レベルの文章題なら、どの程度に出来るのか試してみようと思った。それに、担任の先生に授業をしてもらっているので、文章題の考えさせ方を指導案に書いて、それをマーシャル語でやってもらえば、子ども達も理解しやすいと思った。
授業が始まり、文章題の指導に入った。まずは、英語で文章題を読んだ。そして、訳をしてくれると思ったら、そのまま、足し算か引き算を聞き出した。横から、マーシャル語に訳してと言う。えっという顔をするので、英語で読んでも、子どもは意味が解らないから、マーシャル語に訳さないと言うと、おーそうかという顔をして訳してくれた。訳しながら、問題の状況を身振り手振りでやってくれていて、それは良かったのだが、子どもには、文章題の状況をイメージし、それを計算式にする事は、困難だった。3分の2くらいの解らない子は、実際に使う場面と計算とが結びついていないのだと思う。計算はあくまで計算でしかなく、普段の生活で利用するものになっていない。
その状況を何とかするには、普段の生活の中で使うことが1番なのだが、マーシャル人の親には、自分達が子どもの時の環境が違うので、そのような意識はないし、おそらく、1桁+1桁の計算でも、問題なく出来る親は少ない。
これは、先進国と同じ進度のカリキュラムで授業を行っている事からくる問題であるのは、何度も書いている。ゆっくり時間をかけて、日常生活で計算できるように教えていくべきなのである。
そして、最後の問題。
「アルは、日曜日に9匹の魚、火曜日には6匹の魚を見た。彼は、日曜日に、何匹多く魚を見ましたか。」
先生が、これは、足し算か引き算かと聞いてきた。のこりを考える場合と、違いを考える場合の引き算での、理解が弱いためである。そして、英語文では、andが使われているので、最後まで読まないと足し算と思ってしまう。先生が聞いてしまう。それぐらい文章題は難しい。
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2006年9月7日(木) |
息抜き |
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授業中に、先生が教科書の問題を確かめていたり、配るためのものをさがしていたり、教室の後ろへ取りに行ったりして、無駄な時間を作るのは、日本ではあってはならないことである。授業がスムーズに流れるように、授業前に準備しておくものである。そういう時間が多いと、子どもの集中力は切れて、無駄話をしたり、だらっとしたりした雰囲気になってしまう。自分でそういう時間を作っておいて、子どもに静かにしろと叱る理不尽な先生もいる。
マーシャルでは、そういう事が頻繁にある。そういう時に、怒る先生もいれば、何もなかったように、次に進んでいく先生もいる。昨年までは、先生のそういう所が、ものすごく気になっていたし、子どもが、だらだらしてしまうという事も気になっていた。だから、私が授業をする時は、そのような時間は作らないように、次々と授業展開が進むように意識していた。
今年、1年生と2年生は、担任の先生に完全に授業をしてもらっている。だから、私は、補助の立場にいて、先生の授業を見ている。すると、授業の流れの中で、スムーズに進むべきところが、教科書を見ていたり、物を取ったりして停滞する事がある。そういう時、私の意識の中では、子どもの落ち着きがなくなるのだが、マーシャルの子達は、私の意識の中の子とはずれがあり、なんか、ほっと一息つくように落ち着いていたりする。
あれっと思う。マーシャルの子達に、私のテンポで授業をしていると、あっていなかったのかと思った。マーシャルの先生ののんびりした感じ。これも授業に必要なのか。マーシャルに来て、授業中に無駄な時間が多いことが気になっていた。だから、授業中には無駄な時間をなくす事を意識していた。それが子どもにとっても、集中力を続けるためにいいと思っていた。授業が終わった後に、子ども達がほっと一息をつく。これも、マーシャルの先生の授業は、のんびりしているから疲れないだろうけど、45分しっかり勉強したら疲れるのがわかるだろうというように考えていた。
準備をおろそかにする事は間違いなくよくない。でも、昨日の日記に書いたことも含めて、授業の中で、子どもに無理をさせていないかを考えながらやる必要があるのかもと感じた。
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2006年9月6日(水) |
摩訶不思議 |
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今日も、またまた4年生の教室へ。授業の始まりには、繰り下がりの問題を、2問一斉指導していた。この一斉指導は、先生が、問題を解く手順を次々に問いかけていって問題を解いていくので、解る子が答えるだけの授業になってしまう。
その指導が終わった後、練習問題をするのかと思っていると、いきなり宿題を出させて、その答え合わせを始めた。その宿題は、計算練習を16問。3桁−3桁の繰り下がりの計算。一斉指導との繋がりはない。何かの問題集の問題だろう。子どものノートを見てみると、何と、ほとんどの子がやってきている。その上あっている。これは、摩訶不思議だった。16問の問題を、全てやってきているだけでも驚いたのに、正解しているのだ。それが、全て正解しえているのであれば、何か答えでもついていたのかなと思うが、そうではなく、間違えている問題もあるので、写している訳ではなさそうだった。
いったい、昨日の授業の後に何があったのだろう。
しかし、その答えあわせも、先生が、黒板に答えを書いていくのを、出来る子は答えているが、答えていない子も、黙って聞いていて、答えを確かめていっているのが、すごい。やっていない子は、ボーとしているが、それでも、静かに聴いている。ここら辺がマーシャルの子の、ほんとにすごいところだと思う。それに、マーシャルの先生は、日本人の私から見ると、甘えてしまっているのだが、もしかしたら、そのやり方で、マーシャルの子達の理解があがっているとしたら、また、違った授業の見方も出来るのではないかと、今までは考えないような事を思った。もう少し、マーシャルの先生の授業を観察してみよう。
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2006年9月5日(火) |
理解 |
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4年生の教室へ今日も行った。授業前に、繰り下がりのやり方を教えていた。1問全員でやり方を確認しただけで、練習問題をさせた。しかし、これだけで、子ども達は、昨日出来なかった問題を出来るようになっていた。去年の4年生は、繰り下がりを教える事に3時間かけた。でも、この子達は同じ問題数を、今日の1時間で終えてしまった。
去年、出来ていないと感じたのは、私の英語のために、子ども達が解りづらかっただけなのだろうかとも感じた。今日、マーシャル語で先生が説明しているのを聞いただけで、半分の子は出来るようになっていた。母国語で教える方が子どもの理解がいいのは当然である。だから、マーシャル語で教えた方が、理解は良い。そして、マーシャル人の先生が、しっかりと教える事が出来るようになるのが、算数の学力向上に最も良い方法である。日本人が来て、十分でない英語とマーシャル語で教えるより、断然良い。子ども達が、あっさりと理解しているのを見て、さらにそれを感じた。
他にも、昨年3年生の時に、位取りと、2桁の繰り上がり、繰り下がりの計算を、十分に理解したとは言えないけれど、繰り返しやってきた積み重ねがあるからこそ、理解度も良くなっているのではないかと、自己満足の部分もある。
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2006年9月4日(月) |
努力しなさい |
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昨年度、3年生担任は、今年4年生の担任をしている。今年も新年度早々、欠勤が多いので、新年度になって始めて授業を見に行った。
昨年度、3年生は一緒に教えていて、今年持ち上がりである。私の授業も1年間、出て行く事を禁止していたので、一応、一緒に行っていた。
授業を開始10分頃に教室に行くと、練習問題をしている。もう練習問題をしているし、黒板に説明をして形跡がないので、先週教えた所なのかと思ったが、ノートを見ると、まったく解けていない。しばらく様子を見ていたが、やはり出来ないようなので、担任に話しをしに行く、すると、難しいかなあと言うので、難しいみたいだなと答えると、子ども達に、難しいからといって問題を解くのを止めさせ、また、別のページの練習問題をするように指示した。そして、その問題は、3年生の時には教えていない、3桁以上の繰り下がりを繰り返す引き算。でも、説明はしないまま、問題をしろとだけ言ってさせ始めた。
それは、出来るわけがないだろと思って見ていた。当然、出来るわけはない。少し、先生がそれに気付いて、何かしらするかもしれないと思っていたが、そんな気配はなし、机間指導をしているように動いているが、子どものノートは見ていない。この点は、昨年度に何度も言ったのだが、改善されず。
しばらくすると、教室から出て行ったので、ちょうどいいと思って、先生の所に行き、今やっているところは教えていないから、子どもが出来るわけがない事。練習問題をさせる前に、先生が、やり方を教えないといけない事を言う。すると、解った。明日教えると言って、教室に戻っていった。
そして、教室に戻ると、個別指導をしだした。しかし、出来ないということがやっと解ったのだろう。黒板に解説をしだした。400−247は、0−7は出来ないから、ここまではあっていた。そして、4から1を借りて10をもらう。10−7=3。10の位の0−2は出来ないから、3から1を借りて10をもらう。10−4=6。100の位。2−2=0。答え63。先生も解ってなかった。その後、そのままには出来ないので、子どもの前だけれども、授業に割り込んで、間違えている事を訂正した。
このような先生ばかりではないけれど、こういう先生もマーシャルにはいる。1年間、このような先生に教わったら、学力がつく所か、低下するだろう。でも、マーシャルでは、そういう人も先生になっている。採用試験がないので、コネか家柄で先生になる。隊員がいくら来たところで、こういう先生はなくならない。こうしたら良くなると思う事はあるが、隊員レベルでは出来ない。ジレンマを感じるマーシャル教育事情の一つ。
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2006年9月3日(日) |
花子その後 |
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旅行から帰ってきてからの2日間。花子は、学校までついて来るようになり、このまま学校が始まって、教室までついてくると困るなと心配していた。
8月21日の初日。歩いて学校までいくのに、花子はついて来ていた。しかし、その途中でスクールバスが来て乗せてもらったので、花子は、それ以上ついてこず、学校にも来なかった。
22日も、歩いて学校へ行く。この日は、恐怖の館の直前まで来たが、それ以上は来なかった。残念ながら恐怖克服できず。その後は、毎日ついてくる距離が短くなり、1週間がたつと、家の前の道まで一緒に来るだけで、まったく着いて来なくなった。
毎日帰ってくる事が解ったので、怖い思いをしてまで、一緒に行くことはないと判断したのだろう。なかなか頭が良い。
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2006年9月2日(土) |
しつけ |
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子ども達は、授業中に、いつも鉛筆をもっている子が多い。そして、カラカラと音をならしたり、貧乏ゆすりのように、カタカタとずっといわせたりしている子もいる。先生が説明をする時も、鉛筆を落としたり、触ったりして、話に集中できていない。
また、かばんが机の上にのっていたり、前の授業のものがのっていたりして、そちらに意識が行っている子も多い。
しかし、ほとんどの先生は、あまりそういう事にこだわらない。それだけではなく、1年生の先生の場合、子どもが、話しを聞いていなくてもお構いなし。
去年から、それは気になっていた。しつけをしっかりしなければいけない時期の子達に、そういう面の指導をしない。マーシャルの大人もそうなので仕方ないが、足を延ばして話しを聞いたり、寝そべるようにして話しを聞いたりしていてもお構いなし。昨年は、私が、それを直すように言っていたのだが、それを聴いていても担任の先生は、直すように言おうとはしなかった。
だから、子どもが話しを聞けていないこと、机の上に色々置いていると、作業を行うのに時間がかかる事を指摘して、授業中には机の上に関係ない物は置かないことと、先生が話しをする時は、鉛筆を置くようにさせたほうが、よい事を伝えた。すると、次の日から、授業中にそれをしっかりと言うようになった。続けばいいのだが、子どもが出来るようになるまで、言う事をしなければいけないことも、言っていく必要があるのだろうと思う。
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2006年9月1日(金) |
ウクレレ |
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本日、ウクレレ購入。
マーシャル隊員は、ほとんどの人がウクレレを持っている。そして、その一部は、いつも肌身離さず持ち歩いている。しかし、私は、今まで買わなかった。
その理由は、@なかなか売っていなかった。A隊員の多くは、白いウクレレを持っていて、同じのはいやだった。Bそれだけではなく、みんな持っているから、なんかいやだった。という事。
今回、茶色いウクレレが売っているという情報をもっていた。そして、朝から、ぶらぶらと街を歩いていたら、売っている店、クレイジープライスにたどり着いてしまった。そして、まだ売っているかどうか、確かめるために店をのぞいて見ると、一箱だけが置いていた。そして、Sale$14.99と書いてあった。
しかし、買うかどうしようか迷い、箱を片手に持ちながら、店内を歩きながら考えていた。結局買ってしまった。
これからは、トランペッター改め、トランペッター兼ウクレラーとして生きていきます。
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