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2006年1月31日(火)
エンマン文化について

うまそうじゃないけどうまい

 昨日のカメラマンの人と話しをした。マーシャル人は、できない事でも何でも、「エンマン(いいぞ)」と言うが、それにも理由があるらしい。私も、エンマン文化のために、納得できない部分もあったが、なぜ、そういう返事をするのか、それには、ちゃあんと訳があるらしい。それが何なのかは、自分で見つけてみなと言って教えてくれなかった。
 「エンマン」には、その言い方で2通りの意味があると言う事を聞いた。言い方によって、オッケー任せていろと言う時と、いやーちょっとだめかなと言う時があるらしい。そんな事はまったく気付かなかったし、それには驚いた。これからは、エンマンを聞き分けて、言っている人の心の声を聞き、おいエンマンじゃねえよと、いからないようにしていこう。
 他には、相手の要求に対して、エンマンと答える事が、相手の人に対する敬意になっているそうである。だから、外国人に対しては、敬意を払うという事からも、エンマンと言う返事をするようである。
 長く住んでいる人はいろいろな事を知っている。

 人生で初めて肉じゃがを作った。肉に味付けをする時に、さとうをこぼし大量に入れてしまった。出来上がりは、ジャガイモが崩れて、玉ねぎは消えていた。煮込みすぎかな?でも、人生初肉じゃがは、おいしかった。あと3日は、肉じゃがで持ちそうだ。

2006年1月30日(月)
カメラマンが来た

 小学校に日本からカメラマンが来られた。15年前に6年ほど、マーシャルに住んでいた人で、最近は、1年に1度の頻度で来ているらしい。今回は、「珊瑚と子ども達」と言うテーマで写真集を作るので、それを撮りに来たと言っていた。
 15年前と今のマーシャルの印象を聞くと、街のほうは、ごみが増えてきたなくなっている。15年前は、もっとすっきりしていてきれいだったと言われた。小学校があるウォジャのほうも、10メートルほど海岸線が削られていると言う事だ。物が増え、どんどん変わってきているらしい。
 そのカメラマンと一緒に通訳として、マーシャル人の水谷さんと言うおじいさんも来ていた。そのおじいさんが日本人で、マーシャル人とのハーフだそうだ。日本語を上手に話されるので、なぜか聞いてみると、戦争中の日本統治時代の時に3年間学校で習ったと言っていた。先生は、みんな日本人で、その学校では日本語を使うことを言われ、マーシャル語を話すと、クラスみんながたたかれたらしい。また、言う事を聞かなくてもたたかれたと言っていた。それはよくない事だったと言うと、そんな事はない、先生のおかげで、いろいろな事を知る事ができた、先生はすばらしい。たたかれるのは、言う事を聞かないことがいけない。たたかれないとマーシャル人は解らないから仕方がないという答えだった。最近日本に行ったときに、教えてもらった先生の家を日本全国回ったらしい。とても感謝していると言う事を言っておられた。
 日本語を強要されて、叩かれながら勉強をして、それでも、いろいろな事を知る事ができたから感謝していると言うおじいさんに考えさせられた。

2006年1月29日(日)
パソコンは控えめに

 1日、パソコンとにらめっこ。頭が痛くなった。肩がこった。食欲がなくなった。やっぱりパソコンの前でずっといるのは、よくない。
 途中で、トランペットの練習をした。初心者用の本のレッスン2。マウスピースだけで、音程を変える練習。できない。どうすれば、1オクターブの音を、マウスピースだけで出せるのだろう。トランペットを吹けるのはいつになる。
 オープンスクールに向けての追い込み。今週は勝負。

2006年1月28日(土)
200日目の転換点

 調整員家族が、3年4ヶ月の任期を終わり、マーシャルを離れ日本に帰って行った。その調整員とは色々と話したい事がたくさんある。しかし、話す機会もなく日本に帰ってしまったのは、残念である。でも、話さない方がよかったのかもしれない。なぜなら、調整員という仕事に対してのネーミングとしてどうかと思うが、「伝説の調整員」と呼ばれるほどの人だからである。調整員と隊員と言う関係がなくなれば、今話したい事を、この後、話す事もないと思う。

 午後、教育省の人と話をした。テストの事と、算数の指導内容を示したアニュアルスキムについて話しをした。話しをしていて、マーシャルの教育をよくしていこうと言う考えは、当たり前なのだが同じだということが解った。今までは、現在のアニュアルスキムにこだわって、私達隊員の意見を聞く気がないと思っていたが、そうではなく、勘違いだった事が解った。
 現行のアニュアルスキムが子どもの実態とあっていないので、先生の指導に無理が出て、その無理が子どもに行き、先生も子どもも苦労している。だから私達は、新しいアニュアルスキムを作ろうしている。しかし、それを採用するかしないかを決めるのは、教育省だから、すんなり採用と言う事にはならないと思っていた。
 でも、今回の話し合いで、隊員がやろうとしている事は、どんどん支援していこうと思っているという事を聞け、アニュアルスキムの改訂も考えていると言う事だった。その方向性はまだ出ていないようだったので、私達が作っている方向性を言っておいた。アニュアルスキム改訂の活動をやっていく見通しが持てたことは、私にとって大きい。
マーシャルに来てちょうど200日目の今日。やっと、やりたいと思う方向に、突き進めて行けそうである。

 そして、一緒に考えていける方がいいのだから、アニュアルスキム改定の話し合いを一緒にしていきましょうと言うと、参加はできないと言う。その人は、元シニアボランティアで、直接教育省と契約して現在マーシャルで働いている。その時、直接契約したことで、JOCVともめたらしい。なんかそういういざこざのため、やっていこうという方向は同じなのに、協力隊の活動がすんなりと出来ないのは、いやな事である。これから、そこのところもいい方向にいけるように動いていこうと思う。
 
 テストについては、テストをしてどうでしたかではなく、子どもの様子を聞くと、がんばってテストをしていたとか、早く終わった子から絵を描かせていたとか、行儀がいいだとか、そんな答えだった。だから、テストを受けている子ども達は集中力がなく、ざわざわ落ち着きがなくなっていた。普段学校でテストをしている時は、もっと集中力して行っている。できない事を、静かに受けなさいと言ってさせられている子ども達はかわいそうだと、自分が観た感想をいった。
 今のテストは、子どもの事を考慮にいれていない、子どもが出来るように考えて作るべきで、そういう方向で考えていく必要があると言うと、「あなたやってみる?」と言う返答。はっきり言ってムカついた。言われても、それを考えることをしようとしないのか。それをするのは、教育省の仕事で、私の仕事ではない。私のような意見があるのなら、採用する、しないは別にして、考える方向でいくという返答であるべきだと思う。もし、私の考えが違っているのなら、それに対する答えを言うべきである。
 その後、言い方を変えて、違っていると思うなら、それに変わる代案を出して欲しいと言う事だったので、じゃあ、考えてみますという返事をした。
 あなたは優しいから、子供たちのことを考えて意見を言っているということを言われたが、それは、やさしいからではなくて、教師として当然のことだと思う。何をするにしても、一番は子どもにとってどうあるべきかだと思う。そこの意見のずれは、変わらなかった。
 すべてがすっきりしたわけではないが、今日の話し合いはとても有意義だった。

 話し合っていて、おかしいと思うことがあると私は失礼な言い方をしてしまう。言い方を変えれば、相手への印象がもっとよくなると指摘された。それはよく言われる。でも、言い方なんか考えずに思う事を言うから、お互いの考えを言い合えると言うこともあると思う。
 しかし、うまい言い方をする人の意見を聞いていて、うまい事言えていいなと思う。やっぱり、うまく言えるほうがいいですね。でも、私には無理だろう。

2006年1月27日(金)
指導案作成2
3年生授業風景

 昼休みに6年生の先生とレッスンプランの授業の流れを作った。授業を組み立てていく時に、概習事項を忘れている子もいるので、その確認を行いながら思い出させ、子どものレベルにあった1時間分の指導内容を考えることを伝えた。
 マーシャルの先生たちは、1時間の内に、子どもが理解できる量の見通しを持つ事が苦手である。と言うよりも、そのような考え方をしていない。教科書の流れに沿って、子供の理解がどの程度出来ているかはお構いなしに進めていく。だから、子どもが理解できる事をするために、先生がオープンクラスで指導しようとしていた事を2時間に分け、半分の内容をすることにした。
 他に、練習問題をさせている時に先生のする事。練習問題の答え合わせの仕方。算数が苦手な子も答えられる指名の仕方などを教えた。
 
 放課後、1年生、2年生、3年生の先生とレッスンプラン作り。1年生の先生とは、立体の形と名前を一致させる事がねらいなので、言葉で言わせたり、図形に指を置かせたり、子どもの理解度を確認しながら覚えさせていく方法を話し合った。

 2年生の先生、3年生の先生は、今、授業で行っている事をするので、その流れの書き方を教えた。月曜までに、仕上げてくると言っているが、3年生の先生は、やってくるのか、かなり心配。いつものように解った解ったと言っていたが、私のつたない英語では解ってないだろう。
 4年生の先生は、授業中に作るようなしぐさをしていたが、放課後に作っている様子もない。出来たかと聞いても月曜日にするといっている。おそらく出来ないだろう。はたしてどうするか。4年生は、来週から、オープンクラスで行う次の単元に入るので、担任の先生に授業をしてもらう事を言っておいた。何も考えていないようだができるのか。
 4年生の先生、2学期何度も言ったのに、3学期になっても、授業を聴いている事をしない。しかし、心をいれかえ、怒らず、オープンクラスがある事もあったので、授業をしてもらう事にした。オープンクラスが終わってもそれを続けてもらうつもりでいる。もしかしたら、そこで、一悶着あるかもしれない。
 5年生の先生は、もう出来ていると言って見せてくれた。この先生、昨年度のオープンクラスでも授業をしているので、問題なし。
 後は、校長、午前中せっせと作っていたが、放課後、教育省に行ってしまい会えず。校長は、やる気があると思っていたのだが、担当学年の算数の授業を英語教師のワールドティーチャーにやらせるつもりだった。それは、おかしいと言って、校長もすることになったが、かなり心配。

2006年1月26日(木)
指導案作成

 昨日の夜、レッスンプランを作ってくると言っていた3年生の先生と、今日、一緒に作ろうと言っていた2年生の先生が、2人とも学校に来なかった。3年生の先生は、今日、授業をすると言っていたのに、また、休んだ。やっぱり、面倒な事からは逃げている。授業をしている時の様子との違いはいったい何なのだろう。やらないといけないとやるが、前もって解っていて逃げる余地があると、逃げてしまうのだろうか。
子どもに学校を休まないように言っていても、先生が休んでいると、がんばって出てきている子どものやる気が、そがれてしまう。
 放課後、1年生の先生とレッスンプランを作った。先生が作ってきたレッスンプランの子どもの様子・実態の欄が、私が作ったレッスンプランと、ほとんど同じ。例として一枚だけを作っていったので、文章もその通り同じようになってしまう。
 自分のクラスを見て、思う事を書いて下さいと言っても、それでは、解りづらく書けなかったみたい。と言って、子どもの様子や実態を英語で説明することは、とても難しい。結局、私がこのように書いたらいいのじゃないかと言って、先生はそれを写しているだけになった。今までにやった事をないことをするのは難しいので、最初に何種類かの書き方の例をみせて、選択をさせるなどの必要があった。

2006年1月25日(水)
MOEテスト

 教育省が学期末に行っているテストが行われた。このテストに対して言いたい事は山ほどあり、私が担当している、1から4年生は、テストを受けないと言っていた。
 テストを行われる目的が、先生がカリキュラム通りに進んでいるかをチェックするものであり、子どものためのものではない。内容も、何かの問題の切り張りであり、子どもの実力を考慮したものではない。だから、カリキュラム通り先生が教え、勉強をがんばった子が出来るテストでない。そんなもので、カリキュラムの達成度が計れるものではなく、第一に、そんなテストを受けさせられる子どもが犠牲になっている。
 これは、マーシャル人が作っているのではなく、教育省にいる日本人が作っている。だから、そんなに受けさせたいのなら、試験を行いに学校へ来て、その試験を受けている子どもを見てくださいと言っていた。
 それなのに、2学期末に一度、3学期になってから2度。校長からテストをするように言われた。その度に、やらない理由を説明していた。本当は、学期末に行う試験である。それが、延期、延期で、今日である。期限も守れていないやっつけ仕事のテストで、そんなものを、やれと一方的にやらせてくる事にも、いらだちがあった。
 試験をしに来た教育省の日本人が言った事は、子どもはテスト問題が読めないな。そんな事は、1学期に行った時点で解っている事だ。今更何を言っている。試験をしてどうだったかを聞くと、子どもは出来ていないという事と、細かい間違え分析。子どもがどういう顔をしてテストを受けているのか、分からない問題をさせられる子供に対してどう思ったのかと言う視点はなかった。子どもを見てほしくてテストをしに来て欲しいと言っていたのに、テストの分析だけで、まったく子どもを観てくれていなかった。
 しかし、反発していても仕方がない、協力していく事が一番である。いい機会だったので、話し合いたいと持ちかけ、土曜日に話をすることになった。
 言葉が悪くなっていますが、思いのままに書いていると、こうなってしまいました。すみません。

2006年1月24日(火)
3年と2年の先生

 3年生の先生に授業をしてもらった。授業が始まる前に、今日、授業をしてみる?と聞くと、やってみるよと言うので、やってもらった。いやそうな顔をするかなと思っていると、そうでもなかった。
 今まで、前日に、次の日授業をしてと言っていると、必ず休んでいたので、逃げているのかなと思っていたのだが、今日の授業の様子を見ているとそうでもなかった。いつも、補助として私の授業にいる時は、つかれた顔をしているのだが、今日授業をしている時は、とても楽しそうだった。もしかすると、授業をしたかったのかなと思ったほど。繰り上がりの足し算の方法も、私がやっているように教えようとしていた。
 逃げていると思っていたので、なんかやる気がないのかなと思っていたけど、そうでもないのかもしれない。少し見方を変えようと思う。

 朝、2年生の先生がいない。その上、鍵を持って帰っているから、教室に入れない。2時間目に授業があったのだけれど、校長が子ども達を家に帰らせようとしたので、ストップをかけ、青空教室をする事にした。 風は強かったのだけれど、教室と同じように、子ども達はがんばっていた。授業が終わると、子ども達は家に帰ろうとバスに向かっていく。しかし、その時、担任が大遅刻してやってきた。算数をしていなければ、今頃家に帰っているはずだったが、1日学校で勉強する事に、子ども達は、どう思ったのだろう。

2006年1月23日(月)
おいお前らーの次の授業

 3年生、細かい指示に分けて次々と計算手順を聞いていく。指名しながらだったり、一斉に言わせたり、解る子に答えさせたり、出来るだけ、間が空かないように、次々と。子ども達が乗ってきた、乗ってきた。そして、問題を4問する事ができた。
 2問目辺りから、答えを自分で書き出す子もいて、理解も出来てきたようす。
計算手順を、続けて言わせるのはやめた。分けて言う方が、計算をしながら覚えていける。どのようにして覚えさせるほうがいいかを考えていたけれど、楽しくやりながら、いつの間にか覚えていると言うのが、やっぱりいい。
 計算式を書くのも遅いので、今日はせかした。「5秒で書きなさい。ラ−レーン(5)、エメーン(4)、チルー(3)、ルオー(2)、ジュオーン(1)。」
 チルあたりで早い子は、「エムジ(終わった)、エムジ」と言い出し、遅い子も、ジュオンの頃には書き終わっていた。終わった子に、「エンマン(よし)、エンマン」と言いながら、終わっていない子に、「ジャブエムジ(終わってないぞ)」と言うと、にやーとしながらせっせと書いている。ここらへん、日本人の子といっしょ。
ノリノリ授業は、やっていて楽しい。
 しかし、授業開始で、ふざけた態度をしている子を、強く叱りすぎた。それで、子ども達が、集中したのもあるが、これは、反省。すっきり行きません。

 放課後、オープンクラスの話し合いがあった。私が作った指導案を見せ、書き方や内容についての説明を行った。先生方は解ったと言ってくれたが、我ながら、いやーひどい英語&マーシャル語をしゃべっていた。今週は、放課後、先生方と一緒に指導案を作ることになりそうだが、はたして、今週中にやってくれるだろうか。

2006年1月22日(日)
カレー

あんまりおいしそうではないが、うまい。

 マーシャルに来て初自作カレー。レトルトカレーは食べていたけど、やっぱり作ったカレーはうまい。ルーは「こくまろ」の中辛。マーシャルでは、その他にもゴールデンカレー、ジャワカレーが売っている。その中で一番辛くないのは、こくまろ中辛だった。
 昨日までに買っておいた、肉、ジャガイモ、玉ねぎ、ミニにんじんで、箱裏の説明を見ながら作る。そして、出来上がり。この後、2日は、カレーで過ごせる。

2006年1月21日(土)
第6回 教員の会

 教員の会を行うのも、6回目になった。2次隊のせいやくんも、今回から参加。今日は、7人が集まり、授業の方法について話し合った。
 野原くんは、学校で作っている学習プリントを持ってきた。3桁の足し算までを覚えていく過程をステップごとに分けて作っている。1枚目が、点の数と数字の対応。次に10の合成。1桁の足し算というように、細かいステップで作っていた。それでも、少しの変化でわからなくなる子もいるので、そこの対応は考えていけないと言っていた。
 あと、ティームティーチングでの、現地の先生とどのように関わっていくかで、現地の先生が教えたことで、子どもたちが出来るようになったと感じられる取り組みを作っていく事が大切で、出来たと感じられた先生は、次の日も、授業から抜けることなく、でてくるようになったということだった。
 私は、公開授業のために作った指導案を検討してもらった。去年までの指導案と形式を変えた所があり、子どもを教えるという視点を持つために、児童の実態と指導の工夫を加えた。それを見てもらったのだが、現地の先生に、今まで、そういう視点で考えてもらう事はしていないので、それを書く事は難しいかもと言う意見もあったが、今年の公開授業の柱として、それを伝えていこうという事で、やっていく事になった。
 もう一つ、繰り上がりの足し算と繰り下がりの引き算の教え方についてのレポートを出した。

 先週と同じく、6時半からバスを待っていた。南国の心地よい風が吹いて、バスを待っているのはそんなに苦痛ではない。マーシャルに来た時のように、もう30分も待っているとか思わなくなり、日本だと、こんな感じでバスを待つことはないだろうから、一つの幸せだと思ったりもする。
しかし、それが1時間を過ぎ、あたりが暗くなってくると、また帰れないのかと不安になってくる。8時を過ぎたが、先週と同じくバスが来ない。8時半、もうだめか、どうしようと思いだした時に、バスが来た。そして、一つだけ席が空いていた。
いやーよかったよかった。でも、2時間待ちは、さすがにつらい。

2006年1月20日(金)
おいお前らー

 昨日、おいお前らーと言いそうになるのを我慢してと言いながら、今日、おいお前らーと、プスプスきてしまった。
 2桁の繰り下がりのある計算で、10の位から1減らして、1の位を10増やすと言う事を、大事だからねと何度も言いながらやっているのに、覚えていない。それにも関わらず、今日の授業は、真剣さが足りないので、プスプスしてしまったのだが、まだまだ、修行が足りない。
 今までのやり方では、理解させる事が出来ていなかった。一斉に計算手順を一通りやっていたのだが、それを全て理解する事は出来なかったということで、やり方がまずく、全ては私の責任である。プスプスするべきではない。ここでも、日本の感覚で、計算手順は一度に示して流れで覚えるのがいいと思ってやっていたが、3年生の子達は、一つ一つの計算作業に今までの積み重ねがないので、1つずつ分けて、その一つ一つを覚えさせていかないといけなかった。
 例えば、繰り下がりの計算では、1の位が計算できない時に、繰り下げをする事だけを練習して覚えさせたほうがよかった。同時に引き算もしていると、両方を覚える事ができなかった。
 だから、今日は、繰り下げだけを、徹底的にやってきた。ちょっとやりすぎて反省。

2006年1月19日(木)
ふと思った結果

 3年生の子達、昨日来ていた子は一人も休まずに来ていた。余計な心配でよかったよかった。昨日考えたように、出来るだけたくさん問題を解かせようとしたが、やったのは2問だけ。まったく練習量が少ない。覚えるのも、書くのも、時間がかかる。2桁の足し算の式を書くのに、ある子は書いたり消したり、ある子はじっくりゆっくり、ある子はなぜか止まっている。勉強が出来ないわけではなく、それが、ここの子達の当たり前の様子。早い子は、さっと書いている。しかし、数人。大半の子は、ゆっくりゆっくり。これでも、来た時よりは、大分よくなっている。
 しかし、ここで日本と同じように考えると、また、子どもに負担を与えてしまう。同じことを繰り返し、繰り返し、「おいお前らー。」と言いそうになるのを我慢して、出来るようになるまでやっていこうと思う。
 そして、今日も宿題10回練習を出したのだった。やってこなかったからと言って叱らなかったから大丈夫だろう。

 調整員が私の後任要請のことについて校長と話しをしに来た。まだ、マーシャルに着てから来てから6ヶ月。あと、1年3ヶ月いるのだが、もう次の隊員のことを考えないといけない。なんて早いのだと思うが、でも、後任は今年の春に試験を受けることになる。だから今から要請を出さないといけない。2年の任期なんて、あっという間。
 話し合いでは、隊員は、子どものためだけに来ているのではなく、先生のスキルアップのためにも来ていると言う事を、調整員が言ってくれていた。おそらく私のむちゃくちゃ英語よりも、よく解ってくれている。これで考えてくれればいいのだが、期待はできない。次の要請は、隊員任せにするのではなく、先生が協力をしてやっていく事を確認していた。先生達がそう変わるためにも、これからもがんばっていこう。

2006年1月18日(水)
ふと思った

 ふと、子ども達の雰囲気から思った。明日休む子がいるんじゃないか。3年生のクラスで、繰り下がりの引き算の勉強をしていて、計算手順を言って覚えている。日本でもやっていた事で、引き算の計算なら、1の位。5から8は引けない。10の位から1繰り下げる、15−8=7。10の位。1繰り下げたので3。3−1=2。45−18=27と言って覚えていく。
 日本だと、一日で、ほとんどの子が言えるようになる。しかし、マーシャルでは、ほとんどの子が言えない。だから、家で、10回読んできなさいと宿題にしたのだが、その時に、ふと、あれおかしいなと思った。
 前の単元で、概数の手順を覚えさせる時に、練習する事を厳しく言ったので、何人かが、それから逃げて休んでいた。その子達が出てきた時には、休まず来ていた子達との差がついてしまっていた。だから、学校を休まず来れば、覚える事ができるようになると教えたのだが、なんか今日の雰囲気は、また、逃げていく感じがした。
 夜、授業のことを考えながら、ふと思った。日本と同じ感覚でやっているから、出来ないことを宿題としてだしてしまった。繰り返し言う練習をさせても、日本と同じようには覚えられないし、言う練習だけで、問題を解く量が減ってしまっている。子ども達が覚えられない事で、そこにこだわり過ぎてしまっていた。
 覚える事を強要するのではなくて、問題を解かせながら、どんどん答えさせていくようにしながら、覚えさせていくほうが、子どもには負担にならない。明日からこれでいってみよう。休む子がいない事を願う。

2006年1月17日(火)
敵討ち

 3学期になってから、自転車通勤をしている。新年明けから朝起きるのが遅くなり、バスの時間に間に合わなくなったので、自転車で行く事にした。前にもらった自転車は使われないまま家で眠っていたのだが。ここに来て活躍しだした。
 朝、8時から学校が始まるのだが、学校に着くのが遅い時は、8時半になってしまった。私の持ち時間は2時間目の9時からなので問題ない。でも、これではいけないと思い、ここ2日ほどは、すこし早く行くようにしている。
 朝、自転車で行っていると、時々、花子を襲った犬たちがワンワン吼えて追いかけてくる。マーシャルには、回転するものを見ると追いかけるバカ犬がいる。その類である。いつか、花子の仕返しをしてやろうと思っていたのだが、うまくいってなかった。しかし、今日、とうとう蹴りをお見舞いする事が出来た。やっと花子の敵を取る事が出来た。
 学校の帰り。また、花子恐怖の館から、朝とは違う残り2匹の犬が吼えて出てきた。今度も、蹴りをお見舞いしようと反対に追いかけてやったら、キャンキャン言いながら逃げていった。これで、花子も喜んでくれるだろう。
 ちなみに花子は自転車通勤になってついてくるようになったが、花子恐怖の館の近くにくると、一匹で引き返してしまう。かわいそうに。

2006年1月16日(月)
1年の先生の授業

 1年生の先生に、1時間授業をしてもらった。授業を担任の先生にしてもらい、私は、補助にまわる形で、授業を行った。この先生は、授業ができないと言って、1学期、おそらく授業をしていなかった先生である。
 1年生は、今、引き算の学習を行っている。数直線から答えを導く事を教えている。日本では、ブロックでの操作を行って計算のしくみを理解し、それを数字に転換することで引き算を習い、それでほとんど理解している。しかし、マーシャルの子達は数の順序や、物の数と数字の関係の理解が、日本の子に比べて出来ていない。数字だけで計算できる子は1割程度である。だから、数直線を使い、数の並びを理解させながら、引き算の考え方を教えている。
 先週、その授業のやり方を見せ、同じようにやればいいと言ってやってもらった。まず、フラッシュカードでウォーミングアップを行い、一斉指導で、数直線を使って計算する方法を確認させ、プリントを配り、練習問題をさせる。練習問題をさせている間は、出来ていない子の個別指導という流れ。
 一斉指導では、マーシャル式のやり方で、先生が全体に対して質問し、指名をしないので、出来ている子だけが答えているし、個別指導では、机に座りながら特定の子だけを教えているので、おいおいと言うところもあったが、この先生は、よく私のやり方を見ていてくれているので、スムーズに授業をおこなっていた。
 マーシャルの先生の授業がよくなる事は、子ども達が解ってくるのと同じようにうれしい。お互いに話し合いながら伝えていくことは、まだまだ出来ていないし、どこまで出来るかの見通しは全然立たないが、少しずつ、マーシャルに来てやろうとしている事が出来ている気がしている。

2006年1月15日(日)
今日はすんなりと

不運から救ってくれた

満月でした。

 日曜日はバスがない。だからヒッチハイク。この2日ついてないので、ヒッチハイクをするのは、なんとなくいやだったが、帰る為には仕方ないので、ドミの前の道に出た。また今日は天気がよく、暑い。ここで、1時間2時間待つ事になるのは、つらいなあと思いながらヒッチハイクの合図をしていると、なんと、5分も待たずに、乗せてくれる車があった。何ともラッキー。乗せてくれた家族は、ローラビーチへサンポに行く途中だった。
 車の中でケーキもごちそうになり、ここ2日ついていなかったので、とてもうれしいヒッチハイクだった。
 
 大家の弟のベンの話によると、昨日の昼間は、隣の家に行って隣の犬と喧嘩をしていたそうだ。そして、夜になって帰ってきていたという。相手の首に噛み付いて、怪我をさせたと言う。弱虫花子は、自分より弱虫を見つけていじめているのか?花子はいけない犬だと私が言うと、いけないのは、向こうの家の犬だとベンは言う。えっ、花子が噛み付かれていたのか。いったいどっちなんだ。

2006年1月14日(土)
バスが来ない

 ドミトリーで、「功名が辻」第1話を見て、ペイレスというスーパーに行き、食料の買い物をして、バスを待っていた。しかし、今日もバスが来ない。6時半から待ち始め、普段なら、まだ、2台は来る時間である。結局、8時半まで待ったが、バスは来なかった。昨日、今日とバス運がない。2時間待ったのは初めてだ。
 近くに住んでいるデラップ隊員の家に行き、そして、ウリガの前に行った新隊員の家に言って飲む事になった。ウリガ隊員は、10日から学校に行っていたので、この一週間の事などを話ししていた。やっぱりマーシャルの子どもたちをみて驚きの連続だったらしい。そして、これから、どのような事が必要かを考えていた。
 今日は家に帰るはずだったが、悲しい事に、またまた、ドミに戻ってきて寝ることになった。

2006年1月13日(金)
夜の出来事

バス待ち中

まだまだ、バス待ち中

目の怪我は大分よくなった

 学校から家に帰ってくると、花子の首輪がなくなっていた。それにまた怪我をしているし、花子はいったい昼間何をしているのだ。でも、首輪は犬の力で取れるわけもなく、人が取ったとしか思えない。何があったのか。

 ドミトリーで、誕生日会が7時からあった。それに行くために、5時40分からバスを待っていた。6時10分ごろ、忘れ物をしていたので、いったん家に戻り、もう一度、道へ行こうとしたら、大家の家に車が来て、それに乗っていたおばあさんにあいさつすると、なんと、ハワイに行っていた本当の大家だった。
そうしたら、話好きなようで、話を始めた。大家さんの苗字は中西と言って、だんなさんは日本人。生まれた子ども達はみんないい子ばかりだと言うこと、そして、その仕事先。大家さんは、今、リタイヤして、高校のそばのパン屋さんで働いている。毎日、朝、車で行って、夕方、帰ってきていることなど。バスを待たないといけないから行きますというと、また、話をしましょうと言っていた。
そして、6時30分から7時40分まで待ったがバスは来ず。もしかしたら、大家さんと話をしている間に行ってしまったのか。結局、街に出られなかった。
 
 誕生会に行く事はあきらめ、7時から学校でPTAの話し合いがあったので、どんな事をしているのか、それを見てみることにした。
 学校に着いたのは8時半で、ちょうど始まる所だった。予定時刻の1時間半おくれ。ばっちりマーシャルタイム。話し合いでは、学校の壁の塗り替え、水のタンク、学校のごみをなくすことについて話し合いをしていた。と言っても、とくに意見も出ていなかった。掃除の事で、どのようにやっていくかを話していたぐらい。
でも、どのように決定して、どうなったのかは、マーシャル語で話しているので、さっぱり分からなかった。最後に、先生からの話で、何かあるか聞かれたが、もちろん何かを言えるわけはなかった。
 話し合いが終わってから、ワールドティーチャーのベンが、街に行くなら一緒にいくかと誘ってくれた。ワールドティーチャーは車を運転できるが、青年海外協力隊は運転できない。うらやましいワールドティーチャー。
 
 そして、突然、街に行ける事になった。街に行く途中、ベンとフレームトゥリーと言うバーに行く事になった。フレームトゥリーは、酔っ払ったマーシャル人が物をねだって絡んでくると聞いていたので、今まで行かなかった場所である。

 ビールを飲みながら、ベンとお互いの国のことについて話をした。例えば、イギリスは、病院の診察代は全てタダ。薬は一律10ドルだそうで、学校も大学まで、授業料はかからない。日本のことを話すと、それは大変だなといっていた。ベンはなかなか物知りで、日本の教科書問題で、韓国や中国が言ってきているが、どう思うかとか聞いてきた。また、小泉をどう思うかとか、ジョージ・ブッシュをどう思うかとか、これがイギリス人の会話なのかと思った。別の国の人とお互いのことを話すのは、いろいろ知らない事があり、とても面白い。
 その後、ビリアードをする事になった。台がなかったのでベンが交渉を行い、2対2で勝負をする事に。その相手になったトンガ人のトーマス。これが、めちゃくちゃうまかった。そのうち、勝負ではなく、ベンと私は、そのトーマスから、ビリアードの手ほどきを受けた。ビールもおごってくれ、とってもいい人だった。そして、もう一人の太ったマーシャル人は、俺はブルース・リーだと言って、楽しくビリアードをしていた。

2006年1月12日(木)
さばき

 4年生は、昨日から授業が始まっている。2学期に逃げた子達に対してだが、やはり追い詰めても、その子達にとって何もよくならない。学習環境、家庭の事情、これまでの成長など、マーシャルの子ども達にとっての外的要因も考えなくてはならない。けじめも大切だとは思うが、ここは少し折れることにした。
 2学期の最後で、授業を受けさせず、手紙も出したので、よくなかったことだとは解っているはずだと思うので、逃げることを認めるようなことにならないように、出来るだけすんなりと済ませようと思った。
 昨日は逃げていたうちの男の子4人が来ていた。休みの間に九九を覚えてきたかと聞くと、覚えてきたと言う。だから、チェックを行ったが、2人はやってきたようだったが正確ではなく、2人はやっていない。
 「スラスラ言えないのは覚えたことにはならない。練習をこれからもやるんだよ。」と言い、「もう逃げません。」と、みんなの前で言わせて、逃げたことを許した。聞いていた子達も、解ったとうなずいていた。これで逃げることはいけないことだと、クラスのみんなに認識してもらえただろう。
 今日は、女の子2人。同じように覚えてきたかと聞くと、ニヤニヤ笑っていたので、笑っている子の言う事は信用できないと言って、厳しく対応した。それから、もう逃げないと言わせておしまいにした。
 これからは、逃げる必要がないようにいやっていこうと思う。今回の事は、大きな反省材料である。マーシャルの馴れ合いで済ませる事はなくやるべき事はさせながら、でも、子どもの負担にならないように、マーシャルのことをもっとよく知り、バランスをもてるようにやっていこうと思う。

2006年1月11日(水)
マーシャル語を真剣にやります

 マーシャル語の必要を強く感じたので、放課後に先生から教えてもらう事にした。月曜日に、クリスマスの時車を出してくれるといったバーニーにお願いすると、「オッケーオッケー、じゃあ明日から始めよう。マーシャル語を覚えていく順番があるからまかせておけ。」と言う快い返事をもらったが、火曜日は、他の先生と話していて教えてもらえず。今日は、どこに行ってしまったのか解らない。実はバーニー、超適当人間なのか?
 仕方ないので、6年の担任をしているもう一人のバーニーにお願いした。すると、オッケーオッケー、教えて欲しい言葉を書いて来い。そうしたらマーシャル語に直してやる。あいている時はいつ聞きに来てもいいぞ。」と言って、早速今日から、少しずつやっていこうと言って教えてくれた。こちらのバーニーは、しっかり教えてくれそうだ。

2006年1月10日(火)
オープンクラス打合せ

 校長とオープンクラスの行い方について話し合った。2月2日に、ウォジャ小学校では、算数の公開授業を行う予定で、そのための打合せである。
 どの学年で授業を行うかを話し合おうと思っていたのだが、校長は、全学年で行おうと思っているらしい。私は、全員の先生が算数の授業を持っているわけではないので、4クラスぐらいと思っていたのだけれど、校長はやる気だ。しかし、どのようにやろうとしているのだろうか。おそらく話していたのだが、私にはよく理解できなかった。
 次に、指導案の書き方を説明した。公開ポイント(テーマ)を作り、子どもの実態とその手立てを書くようにしたいと説明をしたのだが、まったく理解してもらえなかった。どのようなテーマを考えているのかは、明日までに書いてきてくれといわれ、指導案は、まず、見本を作って持ってきてくれと言われてしまった。
 英会話の能力の低さが悲しい。これからも、打合せをしていかないといけないのに、いったいどうなるのだろう。こういう話し合いを持つのは初めてで、やはり、日常会話と違い、考えや計画を伝えるのは難しい。

 昨日の放課後、1年生の子と入学前の子と話をしていたが、言っている事がほとんど解らん。入学前の子の言葉は片言なのだが解らん。やばい、もう半年たっているのに、語学力がやばい。一生懸命話そうとしている子達に申し訳なくなった。

2006年1月9日(月)
仕事始め

 朝、学校に着くと、校長が、いったいどうしていたんだと聞いてきた。先週から学校が始まっていたのか聞くと、先生は3日から来ていて、子どもは4日から始まっていたらしい。新年早々、やらかしてしまった。今日からだと思っていたと言って謝った。
 しかし、おかしな事が、私にとって仕事始めの今日、授業をしたのは、1年生だけ。授業をしていた学年は、1,5,7,8年生で、半分だけ。2,3,6年の先生は、遅刻してきていたため、朝、学校にいなかったので、その学年の子どもは、家に帰った。4年の先生は、まだ、ハワイ旅行中らしい。
 私の新年そうそう、やってくれている。しかし、先週まるまるサボってしまった私は、何とも言えない。先週、ほかの先生は、しっかり来ていたらしい。

2006年1月8日(日)
本当かい?

 久しぶりに日曜日に街にいたので、朝からテニスにいった。マーシャルでは、日曜日に、日本人が集まってテニスをしている。隊員だけでなく、マーシャルにいる日本人の集まりである。
 朝、11時から3時まで、少し涼しいけれど炎天下の中、さすがに疲れた。そして、焼けた。
 昨日の歓迎会で、うそーと言う話を聞いた。ウォジャ小学校は、14日から始まっていると言う。そんな話しは聞いていないのだが、校長が、教育省で、ヨシアキはどうしたと言っていたらしい。9日のつもりでいると、聞かれた人が答えると、職員会議で決まっていたのになあと言っていたらしい。
 いったい、いつの職員会議だ?年末の職員会議では、クリスマスパーティーの役割分担しか決めていなかったはずだが。私が参加した職員会議だったのだろうか。
 まあ、真相は、明日行けばわかる。そして、明日、発出勤。私の中では、明日、新学期が始まる。

2006年1月7日(土)
歓迎会

 新しい調整員と、6ヶ月間の短期派遣の隊員が、新年になってマーシャルに到着した。その歓迎会があった。隊員の自己紹介では、何年度何次隊派遣と言うのが必ず入る。しかし、今回の歓迎会から思うところがあって、私は、自己紹介で隊次を言うのをやめた。
 その後、新隊員のお宅訪問をした。これが、またいい家だった。私の家の2倍の広さがあり、ほしいと思っている本棚がついていて、その上、初日からテレビが見られる。何ともうらやましい。テレビで、今年の大河ドラマ「功名が辻」の宣伝番組をやっていたので、じっくり観てきた。明日から始まる。みんな見ましょう。そして、語りましょう。

2006年1月6日(金)
電化製品

 デラップ隊員の家で合宿生活。デラップ隊員は2日前にテレビを買っていた。しかし、そのテレビが、朝、突然つかなくなった。買った店にもって行き調べてもらうと、壊れた部品があり直してくれたのでよかったが、買った2日目で壊れるテレビ。電化製品は良く壊れると話しには聞いていたが、まさか、こんなにはやく壊れるとは思ってもいなかった。
 日本の製品はいいと言われているが、確かに、他の国の製品が、こんな状態だったとしたら、日本製は、抜群にいいことになると思う。

2006年1月5日(木)
オープンクラス打ち合せ

 朝、街に出るためにバスを待っている時に、スクールバスが子どもを乗せてきた。時間は8時30分をまわっていたのでいつもより遅いので、おかしいなあと思いながら、バスドライバーに、今日は学校があるのかを聞いた。しかし、「街に行くのか。了解した。」と言って、学校の方へ向かっていった。なぜ、スクールバスが動いているのか結局解らなかった。
 
デラップ小学校の隊員と、第3クォーターに行う公開授業のための計画を立てた。公開授業当日までのタイムスケジュール。校長との打合せ、職員会議、授業者の先生との打合せ、当日の役割分担など。当日のタイムスケジュール。授業指導案の形式。協議会の話し合い方などを決めた。

 マーシャルで行っていた今までの公開授業では、行い方がはっきりと決まっていなかったので、その方法をはっきりさせ、これからの公開授業で、同じようにすれば出来るような基本案を作った。
また、以前は、公開授業でのテーマがはっきりしていなかったので、テーマを持って公開授業を行い、話し合いの視点もはっきりするように指導案、アンケートの形式を決めた。
 今年1年は、今日決めた方法を基本にして公開授業を作っていき、形をしっかりしていこうと思う。

2006年1月4日(水)
年賀状作成

 お昼はチャーハン。夜は肉じゃがを食べて、遅いけれど、一日家で、年賀状を作っていた。

2006年1月3日(火)
ロッジ生活2日目

 朝、日の出を見ようと思っていたが、残念ながら雨。今日は一日、降ったり止んだりで、すっきりしない天気だった。仕方ないので、ターミネーターを観ていた。しばらく観ていると、外は、だんだん引き潮になり波も落ち着いてきて、雨も止んできたので、海で泳ぐ事にした。
 引き潮になっているので、ひざぐらいの深さのところに魚がたくさんいる。そのぐらいの深さの所で、ピチャピチャしていたが、十分楽しめた。その後、隣の島とつながったので、歩いていく事にした。死んだ珊瑚のでこぼこしたところを歩きながら隣の島にわたった。その島は、きれいな砂浜になっている。のんびりしたい所だが、ゆっくりしていると、潮が満ちて帰れなくなるので、わたれた事に満足して帰ることにした。
 もとの島に戻ると、またまた、雨が強く降りだした。グッドタイミングだった。しかし、これではボートで戻ることが出来なかった。1時間ぐらいして、小降りになったころに、ボートが来たので、それで島を後にした。
 街に戻ってから、映画館に行った。そして、いつものようにラージポップコーンとラージコーラを買う。今日は2人で食べたので、ラージポップコーンを完食した。
 バスで家に帰宅。最近家をよく開けているので、帰ってくると花子がクンクンうるさい。

2006年1月2日(月)
小島でのロッジ生活

 12月24日にピクニックをしたマジュロ環礁の小島1つに泊まりに行った。バーベキューのための材料とワインとビールを買い込み、12時ボートに乗って島へ出発。
 ロッジにはリビングルームとベットルームがあり、広々としている。管理人のロベルト・ジョージに、5時からバーベキューと7時から五右衛門風呂の火おこしを頼んだ。島に着いた時間は、引き潮になっていたので、外海を歩いて散歩した。その後、ハンモックなどで昼寝。3時ごろ起きて、2人乗りカヤックで海へ。波が高く思うように進めないが、なかなか上出来だったと思う。その後、潜ろうとしたが、波がさらに高くなってきたので、それは止めて置いた。ロベルトに聞くとマーシャルの今の時期は波が高く、その上、一週間ごとに波が高くなるらしく、今週は、波が高い時期だといっていた。
 バーベキューは、ロベルトも誘い3人で食べた。そして、6時半頃、風呂の準備に取り掛かってくれた。時間通り7時に準備ができ、マーシャルに来て始めて湯船につかった。やっぱり風呂はいい。
 夜は、DVD観賞。魔女の宅急便とシックスセンスを、ワインを飲みながら観ていた。

2006年1月1日(日)
新年

 朝6時。初日の出を見に出た。マーシャルで標高が一番高い場所である橋に行って見る予定だったが、タクシーが来ないために断念。近くの海岸で見ようとしたが、ダウンタウンの海岸沿いは、大型ごみが多く捨てられ、見ることができるような場所がない。1時間ほどぶらぶらしていたが、結局、海岸に出る事ができず諦めた。雲がかかっていたので、初日の出を見ることも出来なかった。
 昨夜は、パーティーを大騒ぎしていたが、一夜明けると新年という雰囲気はまったくなく、特に行事もない。
 夜は、隊員で新年会を行った。同期以外の人たちも数人が来てやったのだが、自然と隊時関係なくこの様な集まりが出来るようになってくると、マーシャルの協力隊員の関係も変わってくると思う。