<<前のページ | 次のページ>>
2005年12月31日(土)
ダイビング3日目

 朝一番、第5章の学科をした。ダイビングのライセンスは、レベルが分かれている上に、スペシャリストと言って特別な事を習ったらもらえる資格などがある。ゲームのレベルアップをしていく感じだとある隊員が言っていたが、まったくその通りだと思った。今回の講習でもらえるのは、一番下のオープン・ウォーター・ダイバーの資格。海底18メートルまで行く事ができる。その上のアドヴァンスドの資格をとると30メートルまで行ける。欲しくなるのは仕方がない。
 今日も3本潜った。そのうちの一本は、ボートの上から直接ダイブで飛び込む方法。そして、ボートから、ロープを伝って沈んでいく。1本目と2本目に潜ったアネマネットは、飛行機が沈んでいた。聞くと、戦争中に墜落した飛行機だそうだ。その周りにも魚がたくさんいる。大きなサンゴの周りにも魚が集まり、なんとも言えない。上を見上げると、空気の泡がずーと上まで上がっていき、水面がきらきらしている。水中世界最高。
 そして、18メートルまで潜って行った。そこは、海底が斜めになり、しゃがんでいても、ずーと下に引っ張られる感じがする。その下のほうは真っ暗だった。初日は、3メートルの深さでアップアップしていたのだが、3日目で18メートルまで来られた事にびっくりした。
 3本目は、場所をかえてボックラップへ行き水中散歩。水深12メートルほど。大きな珊瑚の周りにたくさんの魚が集まり、それを下から眺めると、ナウシカの世界にいるようだった。ピンク色に発光している珊瑚や色とりどりの魚、マーシャルの海はすごい。
 実習を終え、ダイビングショップに戻り、最終学科試験をする。これを合格すれば、はれてオープン・ウォーター・ダイバーになれる。試験問題は50問。75点以上で合格である。無事合格
 バンガローに戻ってから、街に繰り出した。マーシャルでは、ホテルの前の道を歩行者天国にしてブロックパーティーを行う。夜7時には人が集まってきていて、出店がでて、ステージでバンド演奏をしていた。
 そして、マーシャルの新年を迎え、12時に、もう一度、ブロックパーティーに繰り出す。道いっぱいに人があふれていた。バンド演奏の前では、マーシャル人ではなく、子どもとワールドティーチャーが踊っているのであった。

2005年12月30日(金)
ダイビング2日目

 朝、近くの軽食やで、朝飯を食べ、昼飯用にサンドイッチを買い、ダイビングショップへ。今日は、すぐにウエアーに着替え、ボートに乗り込み海へ。
 昨日と同じ場所まで向かいボートの上で準備を行った。そして、ボートからのダイブ。ボートの縁に座り、お尻から後ろ向きに海へ。でも、BCDに空気が入っているので浮いてくる。みんなが海へ入った事を確認してから、空気を抜きながら徐々に海の中へ入っていく。
 1本目は、5メートルまで行った。耳が痛い。つばを飲み込んだり、鼻をつまんで空気を吐いたりしながら直す。習う事は、ゴーグル脱着、手指示の仕方、空気が出なくなった時の対応など。肺の中の空気を調節して浮いたり沈んだりする練習は、出来るようになってくると面白い。本当にそれだけで、水面から海底まで行ったり来たり出来る。
 2本目は、練習ばかりではなく水底散歩へ。水中10メートルの世界へ。水面がどんどん上に行く。ダイビングにはまってしまう。3本目、水上で空気が入っているBCDを一度脱ぎ、もう一度きる練習。これがきつかった。溺れそうになった。体に重りをつけているので沈んでいく。重りを減らしてもらい出来たが、体が沈んでいくのは恐怖だ。起動戦士ガンダムで、アムロが空中合体を行っていたのは、さぞかし難しかったのだろうと思った。
ダイビングショップへ帰ってきたのは、6時を過ぎていた。小島と海に8時間いたことになる。疲れたが面白い。
夜は、隊員で中華料理屋へ。たらふく食って飲んできた。その後、スーパーで見つけたキリン一番搾りを飲んだ。しかし、外国製のその味は、日本のもんとまったく違ってまずかった。

2005年12月29日(木)
ダイビング初日

 朝、雨が降っていた。傘を差しバス待ちをしていたが、バスが来ないので、ヒッチハイクをすることに、すんなり止まってくれて、ダイビングショップにいくことができたが、15分遅刻。
6人でダイビングに申し込んでいた。
 まずは、テキストを使って学科をする。ダイビングを安全に行うための基礎知識を知ることが主な内容である。予習をしてくるように言われていたが、5章のあるうち、昨日の夜やったのは、3章まで。その他の人たちも、やってはいるが、なにやら覚え方が怪しい人たち。なかなか、すんなりと進まず。予定時間をオーバー。その上、海に出るのが遅くなるわけに行かないので、第5章は出来なかった。
 そんな訳で、いよいよ、借り物のダイビング器材でダイビングマンになり、海に出発。ボートに乗り20分、マジュロ環礁の北側になる島が集まっている方面に行って、ダイビングを行う。こちら側は、一つ一つの島が分かれているので、無人島だったり、1つの島に一家族が住んでいるだけだったりしている。
 ダイビングのボンベを担ぎ、重りをつけ、いざ、海の中へ、ウエアーの上に着るBCDに空気が入っているので、最初はプカプカ浮いている。そして、BCDの空気をぬきながら、徐々に沈んでいく。最初は、耳が痛くなるが耳抜きをして沈んでいく。3メートルくらいの深さだが、そこは、別世界。自分の周りを魚が泳いでいる。上から眺めるのとは全然違う。
 初日は、肺の中の空気を調節して浮いたり沈んだりの練習。調節がなかなか難しい。水中でゴーグルをはずして付け直したり、レギュレーター(口にくわえている空気を吸うもの)をはずして付け直したりの練習を来なった。水中で、トラブルになった時のための練習である。海の中でのトラブルが起こった時のための対策は、命に関わるのでとても大切である。

2005年12月28日(水)
ローラへ行く

 昼からローラビーチに向かう。ビーチに着いたが、風が強く波が高くて海に入れなかった。ローラの端っこは、内海と外海からの波がぶつかり合って、足まで入るだけで引きずられそうになる。
 海に入ることはあきらめ、海岸でボーとした後、ローラの町を歩く事にした。しばらく歩いていると、子どもがアイスクリームを食べていた。近くの売店で買ったみたいだったので、アイスクリームを食べる事にした。売店からは、気さくな兄ちゃんがでてきて、チョコレートかバニラを聞いてきた。そして、50セント。
 また、しばらく歩くと、ココナッツの皮をむいているおっちゃん達がいた。すると、飲むかと声をかけてきた。そして、一個ずつココナッツをもらい飲んだ。飲みきったココナッツを割って、皮の裏の部分を食べていると、それは、汚れているから、これを食えと言って、また、新しいのをくれた。
 そして、また歩いて球場のベンチで一休み。ベンチで寝転がって空を眺めているのが、また気持ちいい。しばらく休み、また、歩き出すと「こんにちは」と声をかけてくる人がいたので見ると、校長だった。その後、ローラにあるスーパーで買い物をしてバスを待っていると、校長がスクールバスでやってきて、乗せてくれた。

2005年12月27日(火)
バナナゲット

 大家さんがバナナを持ってきてくれた。何かをもってきてくれたのは、初めてだ。家の裏のバナナを取ってきてくれたのだけれど、ボリュームのあるおいしいバナナだった。夕方、黄昏ポイントに行ってビールを飲んだ。途中から雨が降ってきたが、そんな事は、問題なし。黄昏ポイントは木の下なので、あまり濡れない。

2005年12月26日(月)
クリスマス教会イベント

 少し期待して、今日もバーニーを待っていたが、彼は来なかった。ヒッチハイクをして教会へ。10時に始まる予定の教会についたのは、11時過ぎ。いつもの事ながら、まだ始まっていない。その上、人もほとんどいない。昨日教会の近くで泊まった、ロンロンの高校生だけがいた。
 教会の前で待っていると、バーニーがやってきた。そして、すまなそうに、車を借りる事ができなかったから、迎えにいけなかったと言う。
 始まったのは12時。予定通りの2時間遅れ。始まったのはいいが、今日一番にする予定だったアジャルタケの子達が来ていない。神父さんが、「アジャルタケがまだ来てないので、ローラの人、始めてください。」ということで、いつもながらアバウトである。
 今日は、昨日とは違い、歌に踊りの出し物を教会ごとにやっていた。そして、昨日に引き続き、アメやガムのお菓子ばら撒き。なぜ、日曜日にクリスマスイベントができないかと言うと、プロテスタント教会は、踊ったりする事はよくない事とされているらしい。しかし、マーシャルでは、日曜はやめておこうという事だけになっている。他の国のプロテスタント教会の人が、教会の中で躍っているのを見ると、びっくりするらしい。マーシャルでは、教会の教えの中に南国文化が入り込んでいるという事だろう。
 子ども達は、お菓子のばら撒きを楽しみにしている。お菓子のばら撒きが始まると踊っている周りを動き回り這いずり回る。
 マジュロ環礁の西の人たちは、ローラに集まり、東の人たちは、ウリガに集まっているので、ウリガ教会を見に行った。ラッキーな事に、前舞台の特等席で見ることができた。ここの子ども達は、ローラの子達より激しい。お菓子がばら撒かれるたびに、群がる、群がる。その度、教会職員の人にほうきで、近づき過ぎないように注意されるほど。そして、おじさんたちのサッポロ一番ばら撒き、子ども達は大興奮。右へ左へぞろぞろぞろぞろ。11時頃まで、イベントは続き、子ども達も、ずっとハッスルしていた。
 そして、バスはもうないので、タクシーを貸し切って家に帰った。なかなか激しい教会クリスマスイベントで、マーシャルの人たちは、みんな楽しみにしていたみたい。

2005年12月25日(日)
クリスマス

 例年は、今日がクリスマス本番、しかし、今年は日曜日なので、クリスマスイベントの本番は明日にある。でも、今日も、ローラ教会では、日曜礼拝とクリスマスのイベントを行っていた。
 学期末に、25日と26日に教会でクリスマスイベントがあるから、朝10時に車で迎えに行ってやると、バーニーが言ってくれていた。でも、バーニーはマーシャル人である。1週間後の約束を、果たして覚えているのか半信半疑で待っていた。10時半になったが来ない。やっぱり忘れている。
 仕方ないので、ヒッチハイクをすることにしたが、これまた、車が、なかなか止まってくれない。そして、待つこと1時間。1台の車が止まってくれた。中には同僚の先生が、ウォジャ教会からバスが出ているからそこまでつれて行ってくれるという。何とか、教会に向かうことが出来た。そして、バスに乗ってローラ教会に向かっている途中、バーニー発見。売店でコーヒーを飲んで喋っていた。
 教会では、イベント盛りだくさん。それぞれの教会から子供達の合唱と大人の合唱、高校生の合唱、女の人達の合唱とあり、終わったのは10時を過ぎていたらしい。私は、明日もあるので、少し早めに帰る人の車に乗せてもらい7時に帰ってきた。

2005年12月24日(土)
ピクニック

 日本では、みんなの関心が集まるクリスマスイブだけれど、マーシャルでは、とくに何もない。メインは、25日クリスマスで、その他の日も、いつもクリスマス気分。先週辺りから、あいさつが、メリークリスマスアンドハッピーニューイヤーになっている。
 協力隊のレクリエーションで、マジュロ環礁内にある小島へピクニックに行った。年に何度かレク係が企画を行い、レクリエーションがある。島の外周は250メートルぐらいの小さな島で、ロッジがあり泊まる事もでき、のんびり過ごすにはとてもいい場所。
 お昼は、バーベキューをしてから、島にあったカヤックに初挑戦。でも、風が強く流されそうになり、このまま沖に出ると戻って来れなくなるかも知れないと思い、うんこらうんこら戻ってきた。

2005年12月23日(金)
大掃除
掃除完了

 日本は冬休み。でも、マーシャルは、夏休みと変わらない。
 そして、年末には少しはやいが、大掃除を行った。この家に来た時に、くも退治を行ったのに、またまた、出てくる、出てくる、くも達。そして、日々、やっつけてるが、まったく懲りない蟻達。部屋の掃除と言うより、害虫駆除です。今回も、やっつけまくり。

2005年12月22日(木)
うわさ

 一日、寝たり、ボーと考え事をしたりしていた。疲れがたまっている。
 教員の会をしている事が、その他の一部の人たちから、毎週ドミに集まって愚痴を言い合っていると、言われているということを聞いた。「また、17年度1次隊は、ドミに集まっていたか。」とか言われていたらしい。そんな低次元な事を言われている事が、なんか、すごく悲しかった。
 現時点のだめなところの改善点を話す事を、愚痴と言うのだろうか。ましてや、何を話しているかを聞いてもいないのに、他で、そのように言われてしまう協力隊世界が、いやになった。なぜ、今までと違ったことをする事を、いい方向で考えてもらえないのだろうか。なんだろうと思えば、聞けばいし、来ればいいのである。外国の日本人社会は、小さい中でこそこそ言いあういやなところだと聞いていたが、そういう事なのだろうか。
 そのうちに解ってもらえる事を期待して、私達は続けていきますよ。

2005年12月21日(水)
第5回教員の会

 教員の会も5回目。今日のテーマは、繰り上がりのたし算と繰り下がりのひき算を、どのように教えるのがよいか。
来年度、マーシャルの先生に教え方を伝えていくにあたって、それぞれの隊員がそれぞれの方法でやっていくのではなく、よりいい方法を考え、同じ方法を伝える事ができればいいのではないかと考えた。
 繰り上がりのたし算では、テンフレーム(10の枠)を使って、10のまとまりを意識させる事を細かいステップをふんで教えた隊員と、さくらんぼ計算を用いた隊員がいて、さくらんぼでは、理解させる事がいまいちだったと言っていた。テンフレームは、何度も繰り返していくうちに、10を作る事は意識してするようになったと言っていた。
 さくらんぼ計算では、数を分けるという操作が入り、それでは、子どもが理解しづらく、10を作ることのほうが、理解が出来たと言っていた。それは、私も同じ意見で、さくらんぼは止めて、10を作る事を意識させて、計算式を書かせていた。
 10を作る事を意識させた方法で、来年度、先生に伝えていこうと言う事になった。
 引き算も、さくらんぼで書くのではなく、重ねて式を書く方法を提案した。これは、解りやすいと好評だった。アジャルタケ隊員が、3学期、足し算、引き算の方法を学校で試して子どもの反応を見てくれる。
 5回目になり、マーシャルの教育に対する意見交換から、カリキュラムやオープンスクールなど、それぞれの方向性も決まってきたので、授業の方法について話し合いが出来るようになった。それぞれがやっている授業方法を教えあう事が、この会の目的でもあったので、また、一歩前進することが出来た

2005年12月20日(火)
天皇誕生日祝賀会

祝賀会場

高校生の合唱

代表乾杯

 マーシャル唯一の映画館へ行って来た。なんと、ハリーポッターが上映されている。そして、いつもと同じようにラージコーラとラージポップコーンを買う。しかし、いつもと同じではなく、ラージポップコーンとラージコーラは日本の倍あった。定員が笑いながら、「今日の夕食はいらないな。」と言っていた。しかし、夕食は、大使館主催のパーティーがあるから、おいしいものを食べられる予定。少し失敗したかなと思いながら、両手にかかえ、いざ映画館内へ、これが画面は小さめだが、けっこうきれいな映画館だった。
 さすがに英語だと、細かい会話はわけ解らんが、内容はなんとなくわかった気がした。エンディングになり、マーシャル人はさっさと館外へ、みんな最後まで見ないのだなと思っていると、エンディング途中でブチッと終了してしまった。おーいまだ見ているぞと思いながら、食べきる事ができなかったポップコーンを、そこにいた子どもにあげて出てきた。入場料、ラージポップコーン、ラージコーラ、合わせて9ドル25セント、安い。
 天皇陛下の誕生日祝賀会は、全世界で行われている。マーシャルでも大使館主催で、ホテルの大広間で行われた。協力隊員もそれに招待される。マーシャルのビップな人たちに混じってパーティーに参加をしてきた。久しぶりに日本酒を飲んできた。それも升に入れてくれる。木の臭いがしてとてもうまい。その飲みっぷりがよかったのか、乾杯の音頭を取らしてもらいました。うそ。
 高校生の合唱隊が、マーシャル国歌と日本の国歌を歌ってくれたのには、ちょっと感動した。
 食事も、日本風に作ってあり、たらふく食ってきた。花子への土産は、豚の丸焼きコーナーから、足一本残った骨をもらってきた。

2005年12月19日(月)
第3回小学校部会

 いよいよ、カリキュラム作成が始動した。マーシャルの子どもの実態に合わせたカリキュラムを作っていこうというのが目的。教える内容は四則計算の基礎基本を中心にして、まずは、子どもの実態に合った内容を選び、年間授業時間から教える内容を絞り、現地の先生が教える事ができるようにするには、内容によって教科書を使うか、別の指導案を作って提示するかを考えていく。
 今日は、私の担当である1年生と2年生のカリキュラムの学習内容の案を提示した。アメリカの指導方法と日本の指導方法では、根本的な考え方が違い、教科書の作られ方も違う。また、英語で書かれているため、マーシャルの1,2年生には理解しづらいものが多い。しかし、教科書をまったく使わないとなると、先生が指導できなくなる。そのため、低学年の内容では、日本の指導法で教えていくと考えると、指導方法を教え、指導案を作る必要が出てくる。
 アメリカの教科書は、1桁の引き算の計算をするために、数字の違いによって数通りの方法が示されている。何がそんなにあるのだと思うでしょう。日本の教科書では、そんな細かい指導をしないで、計算の考え方を示しているだけなので、日本で勉強した人には、どんな方法があるのか想像できないと思う。でも、その数通りの方法は、頭の中で、みんながやっていることです。アメリカの教科書を見てると、日本の教科書は、学習内容が単純明快に考えられていて、ほんとにいいなと思う。
 今日の話し合いでは、指導案も作っていく方向で話が進み、1,2年生の学習内容が確定した。次回は、8年生までのつながりを考えていき、教科書の指導場所を決めていく。教員経験10年に満たない人たちで作るカリキュラム、たいした物は出来ないと思うが、そんなメンバーで作っていく経験が出来ることが、とても貴重だと思う。でも、作るものは、一国のカリキュラムである。甘い気持ちではなく、今出来るだけの事をやって、マーシャルの人たちにとって、少しでも価値あるものを作りたい。

2005年12月18日(日)
くらげ出現

 花子の目も大分よくなってきたので、久しぶりにシャンプーをした。やっぱり、水をかけられるのは嫌いなようで、じーと固まっていた。シャンプーが終わると、外にすっとんで行き、体を草になすりつけている。
 臭いがいやなのか、体がかゆいのか、それは解らない。でも、体がムズムズしていそうだったので、海に入れてあげようと思い、海の中へ入っていくと、くらげがいる。赤いくらげがプカプカ浮いている。マーシャルにも、くらげがいたのにびっくり。熱い国でもくらげはいるのですね。
 明日のカリキュラム作成資料と、2学期の活動をまとめて、今日の一日は過ぎていた。

2005年12月17日(土)
サンタがやってくる
アジャルタケで撮影されたサンタ

 今日はマーシャルにサンタが来るらしい。それも2人。ダウンタウン側から出発するサンタとローラから出発するサンタがいて、車に乗って、音楽を鳴らしてお菓子をばら撒きながら島を移動し、最後に空港で2人は会うらしい。
 土曜日なので、「義経」を見るためにドミへ。そして、今日は最終回。そのドミへ向かうバスで隣に座っていたおっちゃんが、お菓子を食べろといってきた。このお菓子はサンタからもらったと言っている。ローラから来たバスなので、もうサンタはローラを出発したみたいだった。
 そして、マーシャルのサンタの事を聞いた。マーシャルのサンタも、日本と同じで、白いひげにおなかはでっぱっていて、あの赤い服を着ている。12月でも暑い南国なのに、サンタは夏服ではなく、あの暑苦しい服を着ていると言う。それと、なぜ、24日ではなくて今日なのだと聞くと、これは、24日には教会のイベントがあるから、毎年、その前に来るらしい。マーシャルサンタは教会のイベントのために、他の国より来るのが早いということだった。
 ドミについてから、そのサンタを一目見ようと待っていた。パッパラパーとクラクションのような音がしてなんだかさわがしいなと思っていると、それがサンタだった。カメラを抱え外に出たのだが、メディカルカーやパトカーなど数台を従えながら、もうドミの前を過ぎてしまっていた。残念ながら見られなかった。来年までのおあずけだ。

2005年12月16日(金)
クリスマスパーティー

テニスボールと、
木の棒で野球

バッターは誰?

大量の肉を
焼いています

待ってる子達

やっと食事に
ありつける

牛肉と鶏肉とハムとソーセージとマカロニにご飯

食事中

プレゼント前に合唱

大量のプレゼントが並べられている

もらった品々

 8時にいつもと同じようにバスを待っていた。しかし、来ない。昨日、少し不安だったので、明日は同じ時間でいいか校長に確かめたら、同じだといっていたのに、やはり来なかった。
 8時半、ワールドティーチャーのベンが、石をもってテクテク歩いてきたので、一緒に歩いて行く事にした。花子が寄っていくと、石を投げる格好をするのだが、そのうち、大丈夫だということを解ってくれた。
 学校についても、子どもも先生もちらほら、まだ、集まっていない。まあ、いつもの事だ。学校に来ている子どもと、バレーボールや野球をしたり、肉を焼いているのを見たり、昼寝をしたりしながら待っていた。しかし、モーニングには始まると言っていたのに、ヌーンになってしまった。
 何時に始まるのかなと聞いても、誰もが1時間後を言うだけだ。この国では時間を聞いても意味はない。しかし、聞いてしまう。日本人だなあと思う。
 だらけムードになってきた2時前。やっと、食事の準備が終了。パーティー開始。5時間待ったが、だからどうこう言う事はない。パーティーを準備して始められればいい。時間は関係ない。
 パーティーがあると前々から言っていたので、何をするのかと思ったら、ご飯を食べて、家族からのプレゼントをもらうだけだった。授業をつぶして、教室の飾り付けをしたりしていたのは、なんだったのだろう。単にクリスマスだから飾り付けをしていただけなのか。まあ、それは、どうでもいい。
 4年生のクラスは、プレゼント渡しの前にクリスマスの歌を歌っていた。4年の先生のいいところだと思う。そして、私は、子ども達から、マーシャルの伝統工芸、ハンディクラフト(アミモノ)のネックレス2つ、車のバックミラーにつける飾り、帽子と、バリカン散髪セットをもらった。髪を切りなさいということなのだろうか。
 そして、パーティーは終了し、クリスマスバケーション突入。家に帰ったら疲れで、すぐに寝てしまった。

2005年12月15日(木)
パーティー準備
満月の夜は、夜の海が気もちいい

 昨日休んでいた子にテストをさせて、成績を集計し、担任の先生に算数の成績を渡し、これで、私の今学期の仕事は終了。
 午後は、明日のパーティーの準備のために先生達で、ダウンタウンに買い物に出た。

 スクールバスでダウンタウンに出るので、普段は重くて運べない大物を買ってくる。なくなっていた米も、グアム産が輸入されたみたいで買えた。久しぶりの販売で、たくさんの人が米を買っていた。また、すぐ米はなくなりそう。他に、ドッグフード、水、ビール、スクールバスで買い物が出来る日は、ここぞとばかりに買ってくる。そうしないと、普段は重くて大変。
 パーティーの買出しに来ているから、次から次に買い忘れたものがあるのか、Go home.
One more. Go home. One more.の繰り返しで、スクールバスで、ウォジャの方に向かっては引き換えしを5回は繰り返していた。そのたびに、ごめんもう一度戻るといって戻っていたのだが、最後には、マーシャル人達自身もあきれたのか、「ヨシアキ、これがマーシャル人だ。」と、笑っていた。
 そんな事は、もう十分解っているのだ。気にする事はない。

2005年12月14日(水)
手紙について

 こんなやり方は、よくないことは解っているし、私が力不足なのも十分解っている。もっと子どもが出来る方法をやってあげ、対応の仕方も他にもあっただろう。しかし、マーシャルの子どもの、いやな事があったら逃げておいて、しばらくしてから、何もなかったようにしているのを、そのままに出来ないし、それでいいと思われるのがいやだったので、今回のような対応をした。
 昨日書いた手紙。実は、4年生の子どもが、数人、授業から逃げていた。割り算の勉強が始まるのだけれど、その前に、3年の時やったのかやっていないのか解らないが、掛け算がしっかりと出来ていなかったので、九九からやり直した。
 1日1段を練習して覚えさせて、次の日チェック。家で練習をしてくることにした。半分くらいの子は、すんなり合格した。残り半分は、家での練習をちゃんとやりなさいと言って、やってきた。そして、残り半分は、授業から逃げたり、学校から休んだりした。
 練習をしない子に対して、厳しく言ったり、居残りで覚え方を教えたりしていたので、それが苦痛に感じたのだろう。
 1週間ぐらいしてから、一人、二人と戻ってきた。一人ではなく数人で逃げ、それを見て、別の子も逃げる。そして、一人が戻ってどうなるかを見てから、また別の子も戻ってくる。そんな根性も許せなかったので、「逃げるような奴は、俺は勉強を教える必要はない。九九を覚えたら教えてやる。」といって授業に参加させなかった。しかし、一人だったらやっていたかもしれないが、数人いるので、覚えようとしない。赤信号みんなでわたれば怖くないって感じだろう。
 そして、親への手紙を出す事に、
 あなたの子どもは、授業から逃げたので、私は、勉強を教えない。なぜなら、覚えることから逃げる子は、勉強が出来るようにならない。そして、これから、またいやな事があったら逃げることをするでしょう。
 もし、気持ちを変えて、休み中に、九九を覚えてくることをしたら、新学期は授業に参加をさせます。
 という内容。ほんとは、もっと逃げたことに対する考えを書きたかったんだけれど、それを書くだけの語学力がない。
 マーシャルでは、いやな事から逃げたとして、その事を、別に誰もそれをとがめない。なぜなら、マーシャルの大人も、いやな事は逃げてごまかそうとする。でも、子どもには逃げれば何とかなるとは思って欲しくない。だから、せめて算数だけでも、そんな事をしたら、絶対許さないと厳しくいこうと思った。
 子どもの成長を考えたら、やり方は最悪。もしかしたら、引けなくなって、どつぼに落ちるかもしれない。伝えたい事はあるのだけど、いい方法が見つからない。こんなやり方しか出来なかった自分が悲しくなってくる。たぶん、解らないだろうな、むかつくうるさい日本人がいるだけなのだろう。
 でも、やっちゃいました。はっはっは。

2005年12月13日(火)
なぜ解った校長

 またまた、4年生の先生。朝学校に来ていない。その上、鍵を持って帰っているので、子どもが教室に入れない。だから、外で遊んでいるしかない。はっきり言う、最悪だ。
 3時間目、算数の授業だが、教室に入れない。どうしようか、外で授業するしかないかと考えている所へやってきて、教室のドアを開けた。そして、静かにしろ、早く座れと怒っている。あんたが遅刻したからだろと思いながら、教室に入り授業を始めた。今日も、教室に居続ける事はなく、出入り口辺りを掃除したりしていた。もう、ほんとに、その場で、「今は授業中だ、子どもを見ろ。」と言いたいのだが、子どもの前で、怒るのはよくないので、がまん、がまん、がまん。
 
 3週間の冬休み、トラブルのあった生徒の親に、休みの過ごし方を書いた手紙を出すために、英語で書いた手紙を校長に見てもらう。そして、それをマーシャル語に訳してもらった。しかし、私の英語で、意味の解らないところがあるらしく、ワールドティーチャーのベンを呼んで、どういう意味なのか聞いていた。

 そして、手紙を読んだベン、解る事は校長に説明し、解らないところは、私を呼んで、何が言いたいのかを聞いてきた。私の文が、おかしなために、校長、ベンで話をし、そして、私まで、呼ばれた。しかし、話をしていると、ベンの言っている事には、私が言いたい事とは違うところがあった。私とベンで、そうじゃない、ああじゃないと言っていた。その間も、校長は、訳を書いていて、「よし完成。」と言う。それを聞いたベンからの会話、想像も含まれる。
 ベン「ちょっと待った。ヨシアキの言っている事と俺が言っている事は、食い違っているのに、なぜ完成する     のだ。」
 校長「でも、できたぞ。」
 ベン「解らないから、俺に聞いてきたんだろ。まだ、話しているのにそれで大丈夫なのか。」
 校長「たぶん、大丈夫だ。こんな感じだろう。はっはっは。」
 ベン「それなら、俺に聞くことなかったじゃないか。」
 校長「はっはっは、いいじゃないか。」
 そして、マーシャル語に訳してもらった紙をもらった。
 どんな意味の文章になっているのだろうと思い、辞書を使いながら書いてある内容を確かめてみた。すると、私が言いたかった事を書いてくれている。おそるべし校長。

2005年12月12日(月)
校長一喝

 4年生の先生。やはり、1時間教室にいることはなく、今日も5分ほど、どこかへ行っていた。たかが、5分だが、これをほって置くと、また、少しずつ教室から出て行く時間が長くなる。計画的犯行だ。
 何度言っても出て行く事をやめないので、私が言うだけでは効果がないと思い、「先週も言ったが、やっぱり今日も、4年の担任は外へ出て行った。」と、もう一度、校長に話していた。すると、よくないから話をしようと言ってくれている所へ、ちょうど、4年生の先生が入ってきた。
 すると校長は、その先生の耳をつかんで、「エナーナ。」と一言。そして、何のことか解っていない先生に、「授業を出て行くのはだめだろ。」と、半分にやけ顔で言う。先生は、何かしら言い訳をしていたが、最後に、ハッハッハと笑って、解った解ったという感じ。そして、これでいいかという様に校長はこっちを見てくる。
 そんなの全然よくないでしょ。なぜ、教室にいなければならないのか説明してくれてないし、二人とも笑っているじゃないか。そんな怒り方では、効果ない。エンマン文化マーシャル、真剣に怒れないのか。これで、その先生が出て行くのを止めると校長パワーはすごいが、はたしてどうか。
 しかし、これでは、私が告げ口をしたうるさい奴だけになってしまっている。私が担任の先生なら、そう思ってしまう。あー失敗したかな。やっぱり、校長に言うのではなく、自分で、直接言っていくしかないなあ。

2005年12月11日(日)
お仕事日曜日

 風の強い日が続く。今日も一日強かったので、外に出ないで、仕事をしていた。授業記録を書いたり、今週ある学期末テストを作ったりしていた。マーシャルは今週いっぱいで、2学期終了、日本より少し早くクリスマスバケーションが始まる。楽しみ楽しみ。
 どのようなテストをするかというと、3年生は、こんな問題をします。3年生テスト

2005年12月11日(日)
タイミングの悪い停電

 今日は、土曜日。いつものように洗濯をするためにドミに行き、「義経」を見るために、環境庁で働いている同期隊員のところへ行く。ドミのテレビが調子悪く、意地悪しているようにNHKだけが映らなくなっている。
 12時前にドミに到着し、洗濯を始める。しかし、1時になんと停電。洗濯機は止まり、テレビも見られない。まずい。このまま、4時まで停電が続くと「義経」が始まってしまう。しかし、どうしようもない。早く回復する事を祈りつつ、エアコンが止まり、徐々に暑くなってくるドミの中で待っている。今まで、何度か停電はあったが、このまま4時まで続くと、初めて停電を恨むことになる。
 しかし、2時過ぎ。停電が回復。これで、「義経」が見られる。その上、テレビを直したらしく、NHKがきれいに写るようになっていた。
 日本との時差3時間のため、4時5分、「義経」が、無事に始まった。いやーエンマンエンマン。ちなみに来週は最終回60分拡大スペシャルなのである。
 来年放送の「功名が辻」。土佐藩祖山内一豊とその妻が主人公の物語。原作は面白いので見るべし。

2005年12月9日(金)
米がない

 今、マーシャルには、主食である米がない。私がマーシャルに来てから、以前にもなくなったことがあったので、これで2回目だ。前の時は、前もって買っていたから問題はなかったのだが、今回は、米が残り少なくなってきている。明日、輸入されてくると聞いたのだが、果たして買えるだろうか。
 先生たちが話をしていた。
「今、マーシャルには米がなくて、中国人が経営している店では、普段の2倍で売っているらしい。」
「中国人はエナーナ(よくない)だ。」
「中国人の店で、相談しあって、やっているらしい。」
「なんて中国人はエナーナだ。」
 と言う内容だったのだが、マーシャルにある大手スーパーのほとんどは、中国人が経営をしている。中国人が相談していると言っているが、中国人の経営しているスーパーがなくなると、マーシャルに店は、ほとんどなくなってしまう。10月にも、マーシャル人が経営していたスーパーがつぶれ、中国人の経営するスーパーに変わった。
 マーシャルの人たちは、中国人はよくないと言っているが、今回の米の事に関しても、米がないのだから値上がりをするのは当然のことで、中国人はだめだといっているだけのマーシャル人がエナーナだと思って聞いていた。
 経営の能力は、中国人のほうが当然ある。中国人は、それだけの努力をしてきている。しかし、マーシャル人は、ほとんどの店を中国人に取られていっているのに、自分達で何とかしようとする努力をしていない。
 中国人にのっとられないために、マーシャル人で何とかできるようにするために、子ども達を育てていかないといけないし、勉強しないといけないでしょうと、マーシャルの先生達、子供達に言いたい。しかし、今は、言葉の壁がある、おいおい、伝えていきたい。

2005年12月8日(木)
突撃モード噴火

 4年生の先生に続き、3年生の先生にも強く言ってしまった。今まで、私が言った後は、教室にいるようにしているのが、しばらくたつと、だんだんと出て行く時間が長くなっていく。おそらく教室にいなくてはいけないことは解っているのだけれど、私が言わなければ、少しずつこれぐらいはいいかなと確かめながらやっている気がする。ずるがしこい子を相手にしている感じだ。
 放課後、先生のところに行き、授業中、どこへ行っていたのか聞くと、4年生の先生と同じくトイレだと言う。トイレと言えば、許されると思っているのか?でも、トイレに行っていた長さではないと言うと、下痢だったとか、目を合わせずにふざけた感じで言うので、トイレは休み時間に行け、そして、外に行くなら、私に理由を言ってから行けと、周りに他の先生がいたけれど強めに言った。マーシャル人は、人前で怒られる事をすごく嫌がるが、その態度が腹立ったので言ってしまった。やはり目を合わせずに、明日はするとか言うので、明日だけではない、毎日だというと、解ったとか言っていた。どこまで、解っているのか怪しいが、解ったといったので、解ったのだなと念を押して終わりにした。
 その後、校長の所へ行き、授業の仕方や考えている事を伝えた。
 ティームティーチングにやり方について、メインの先生が授業をしている時、サブの先生は、子どもを見ていてノートを見てあげたり、聞けていない子がいたら声をかけたりする事。
 私はマーシャルの先生に教え方を教えたいと思っているので、必ず担任の先生は授業を見る事を言っているのだが、1・2年生の先生はよくやってくれているが、3・4年生の先生は出て行ってしまうこと。
 3学期からは、時々、メインとサブを交代しながらやりたいこと。
 校長は、私がしたいと思っている事は理解し、それはいいと賛同してくれた。2学期の初め、紙に書いて渡した事と同じことなのだが、あの時は、あまり見ずにいいよと言う返事で、がっかりしたのだけれど、今回、直接言うと、今度は、なるほどと聞いてくれた。そして、3.4年生の先生には明日伝えようと言う返事だった。校長を使うのは、なんかいい感じではないが、一人で言っていても聞いてくれる様子がなかったし、私がやりたいと思っていることを理解しておいて欲しかったので、今回は言ってしまいました。

 いやな内容なので、いい事を1つ。2年生で、あまり勉強の出来ない子が2人いて、担任の先生と話をしていた。担任の先生は、あの子達は覚えるのに時間がかかるからと話していた。それでも、先生は、毎時間、その子たちを気にかけて見てあげ、教えていた。
 今日の授業が終わってから、先生が、今日やった事は、あの子達がちゃんと理解できていたとうれしそうに言ってきた。こういうことを、もっともっと作れる授業をしていきたい。でも、残念な事は、うまく言葉が言えないので、「よかった、よかった。」と言えただけだった。もっと、先生のよかったところや、子どもの話などができればいいのにと思う。

2005年12月7日(水)
クリスマスの準備

 12月になり、授業そっちのけで、教室の飾り付けなど、クリスマスパーティーの準備で盛り上がっている。ただでさえ授業をしていないのに、今は、授業中、教室を見てまわっても、飾り物が散らばり、子どもが動き回っている。まあ、もう学期末だからこんなものなのだろう。
 2学期最後の日は、1日クリスマスパーティーになるらしい。そして、今日、私が来てから3度目の職員会議がある予定だったが、いつのまにか明日に延びていた。職員会議も、1回目は、年度初めで、1年の準備や連絡だったのだが、2回目は、お昼ご飯の役割決め、そして、今回の3回目は、クリスマスパーティーの準備分担。職員会議でしたことはこれだけ。さすがマーシャル。

2005年12月6日(火)
ついついやってしまう

 子どもが解らない事に対して、ついしつこくなってしまい、言葉も強くなってしまう。こんな事が何で解らないんだという思いを持ってしまうから、そうなってしまうのだけれど、意識して授業をしている時は、落ち着いて対応できるのだけれど、意識できていないと落ち着いて対応が出来ないし、顔も怖くなっているのだろう。やっている最中に引けなくなり、やりながらやってしまったと思う時もあれば、終わってから、やってしまったと反省するのだけれど、自然に子どもへの落ち着いた対応が出来るように、がんばらないといけない。まだまだだめだ。
 今日、熱くなってしまったのは、黒板に、質問と答えが書いてあり、それを繰り返して聞いているだけなのだが、見事に食い違った答えを言う子がいて、黒板を指しながら言っても、間違える。対応を変えるとか、聞き方や、つまずいているポイントを考えていかないといけないのに、考えることなく同じ質問を、何度も繰り返してしまった。

 4年生の先生に、とうとう強く言ってしまった。今までは、出来るだけやわらかく言うように言っていたけれど、いくら言っても授業中に外へ出て行く。そして、なぜ、外に行くのだと聞いたら、トイレだとか言っている。トイレは休み時間に行っておけばいいと言うと、休み時間は、授業案を考えていると言うので、授業中は、教室にいないとだめだと強めに言うと、ふてくされた感じで聞いているので、「出来ないのか?」と聞いたら、やると言うので、話は終わりにした。
 でも、これで、まだ出て行くようだと、我慢が出来ないところまできている。3学期は、もう授業を見ないと言うつもりだが、それが果たして、いい方法なのかどうかは解らない。

2005年12月5日(月)
クリスマスムード

 今日も天気がすっきりしない1日だった。そして、普段でも湿度が高い国なのに、更に高かった。周りの海から、生暖かい風が吹いてきて、こういう日は、外で2,3分じっとしているだけなのに、肌がジトッとしてくる。
 最近は風が強い日が多く、波も高く、冬のマーシャルは、気分がすっきりしない日が多くなるかもしれない。
 12月になり、周りではクリスマスムードになってきている。ラジオから流れる曲はクリスマスソングが増え、学校や教会でも、クリスマスパーティーの話題がちらほら。
 先日、子どもから、腕を差しながら、「ヨシ、プレゼント。」と言われた。何を言っているのか解らなかったので、子どもの腕を雑巾しぼりしてあげた。すると、「違う、違う。」と言う、あたりまえか。聞いてみると、腕時計をクリスマスプレゼントでくれと言うことだった。12月になると色々な事や話題がクリスマス中心になってくるのだなあと思ったわけでした。

2005年12月4日(日)
犯人探し

 雨が降ったりやんだりのつまらない日曜日。
 夕方、散歩に行く花子に怪我をさせた犬を見つけようと、隣の家の方に歩いていく。すると、仲良しの黒犬と一緒に白犬がいた。そいつが吼えてくるので、花子に怪我をさせたのはこいつかと思ったが、花子がおびえて逃げてしまうことはなかった。そして、しばらく歩いていると、花子は引き換えして、黒い犬の所へ行った。仕方ないので戻ると、黒犬と遊んでいて、白犬も別にいじめてはいない。花子は、黒犬が、やはり気に入っているらしい。花子に怪我をさせたのは、黒犬ではない様、そして、白犬でもない様、いったい、どの犬だろうか。

 最近気になることがある。花子が、足を上げておしっこをしている。なぜ、メスなのに足を上げているのだ。反対に、大吉は、足を上げないでおしっこをしている。なぜだ。

2005年12月3日(土)
歓迎会

 じつは、新隊員歓迎会の幹事をしている。と言っても、ダウンタウンから離れているので、与えられた仕事は名札つくり。そして、作ったのは、今日。名札をワードで作り、それを色画用紙にはり、折り紙でわっかを作り、それを首から下げられるようにするつもりだった。しかし、折り紙の枚数が全然足りなく、わっかが短くなってしまったので、急きょ、冠にしてしまった。
 時半から始まるので、20分前にホテルに迎えにいった。しかし、まだ、寝ていた様子。まだ、来てから4日目なのに、早速マーシャリーズタイムになっている。なかなかやる人たちである。
 歓迎会は、以前大使と食べに行った中華料理屋。何をするわけでもなく、自己紹介を行い、そして、飲んで食べていた。

2005年12月2日(金)
ゴスペルデー・花子再び

痛々しい

ぐったり

 昨日の夜、花子が家に帰ってくると、目の下をかまれて穴が開き、ばっさり切れていた。誰がやったのか、仲良しの黒犬を探しにいっていたから、そいつにやられたのだろうか、解らないが足の怪我以上に驚いた。
 マキロンで消毒しようとしたのだが、マキロンで消毒するとしみる事を知っているので逃げてしまい、花子と呼んでも、私からも逃げていく。仕方ないので、朝帰ってくることを待って寝た。しかし、花子のへたれっぷりも何とかならないだろうか。
 朝、家の側で寝ていて、ドアを開けると入ってきたので、ドアを閉じ、マキロンで消毒をし、テープで傷口を止めた。腫れてきていて、化膿しないかが心配。おとなしく寝てるかと思ったら、夜、また、外をほっつき歩きに出て行った。それに、大吉もついていった。花子が寝ている時、大吉は、傍でおとなしくしている。実は紳士的なやつだ。
 今日は、ゴスペルデーで休日。やはり、ゴスペルを歌わなくてはいけないのか。しかし、そんな歌唱力はないので、トランペットの練習をした。時々、日本から持ってきたトランペットを練習している。今は、ドレミファソラまで、かすかに出るようになってきている。
 もう1つ、部屋の模様替えを行った。北枕で寝ていたので、ベットの位置を変えた。模様替えは、大学の時も、3ヶ月に一度ぐらいでやっていたけど、部屋の配置が変わると気分がいい。

2005年12月1日(木)
デラップ小学校

ペイレス

バス待ち中

バス待ち中

 昨日は、ドミ泊まり、今日は、予防接種をするために学校を休んだ。A型肝炎とB型肝炎の2本打ち、訓練所でも、一週間一本だったのに、大丈夫かなあと思いながら打ってきた。
午後からは、デラップ小学校へ、授業見学に行った。デラップ小学校は、ダウンタウンのど真ん中にあり、校長が、なんと元教育大臣で教育に力を入れてがんばっている。建物もきれいで、物もそろっている。先生の授業をしている雰囲気も違う。
 マーシャルの教育現場は、校長の力が大きく、校長次第で、学校の雰囲気が、まったく変わっている。だから、デラップ小学校は、マーシャルではトップクラスである。
 デラップのコミヤン先生という、マーシャルでは有名な先生の授業を見せてもらった。マーシャル語の授業だったのだが、全体指導、指名、練習とやっていて、ウォジャの先生は、文を読む練習をさせているだけだが、文法の授業をやっていたので、すごいと思った。子ども全員の活動を見られているわけではなかったが、授業構成はしっかりしていた。練習中に教室から出て行くこともなかった。
 その後、デラップ隊員の算数を見させてもらった。基礎練習をしっかりとやっていて、子どもが、落ち着いて活動をしていたので、いい感じがした。
 そして、マーシャル最大のスーパー、ペイレスで食料を買い、家路についた

通信へ戻る