「エドワードさん。もう一時間も前から待ってますよ、彼氏。」
予約受付係のメイという新米職員が、俺が嫌がるのを知りながらわざと『彼氏』という言葉を使って言う。
「・・・・・・・・・・・・・」
俺はそれを無視して、一週間分溜めてしまっている自分の担当した車両の運行管理表を書き込む手を止めなかった。しかし、それから数分もたたない内に、今度はハボックさんが性質の悪いことに全く他意なく耳障りな単語を交えて俺をせっついた。
「おお〜い、大将。あんな空調切った蒸し暑いトコで『ダーリン』待たせちゃ可哀想だろうが?駄々こねてないでさっさと行ってやれよ。」
「・・・・・・・・・・・・・」
しかし、俺はそれにも仕事に集中して聞こえない振りを決め込んだ。ところが、それから5分程経過したあたりで、今度はこの教習所の所長が直々に俺の席までやって来て、有無を言わせぬ口調で言った。
「あー・・・・・エルリック君。後はもう事務員に任せて、君は彼と一緒に帰りたまえ。彼に何時までもあそこに居られると、若い女性の教習生が際限なく群がって邪魔で仕方がないのだよ。ほら、帰った帰った」
今は午後8時半を回っている。この教習所の最後の教習や学科の講義が終わるのは7時50分だから、カウンター越しに見るあの待合室の賑わいは通常ならばありえない。居ない筈の場所に大勢の人間がたむろしているものだから、掃除用具を手にした清掃業者が作業に入れず困惑顔で立ちつくしている。
それを目にした俺は、これはいくらなんでも不味かろうと、とうとう観念して重い腰を上げた。
発情期真っ只中の人間の雌共に周りを取り囲まれながらも、着替える為に席を立ちロッカールームへと向かう俺をしっかり見つけ遠巻きにニッコリ笑って手を振って寄越すアルフォンスの姿を、俺は見えない振りで無視した。
数ヶ月前の便所での騒動以来、どういう訳か俺とアルフォンスの仲が『会社公認のおホモだち』だと勝手に認識されてしまい、それに調子付いたアルフォンスは免許を取得したというのにも係わらず、毎日このアメストリス教習所へと通ってくる。勿論講習を受ける為ではなく、俺を拉致する為にだ。
これまで俺は、自分をさらいに来るアルフォンスの手から逃れるために、奴を徹底的に無視して帰ろうとしたり、便所の窓からこっそり帰ろうとしたり、はたまた老人に変装して奴の目をくらまそうとしたり・・・・・と、様々な方法を試みてきた。しかし敵ながら天晴れな洞察力と野生的勘と強引さでいとも簡単に捕獲され、首尾よく奴の愛車であるハイエースのナビシートに積み込まれ哀れドナドナ状態・・・・・・・・というのがいつものパターンだった。
トレードマークの仏頂面で俺が通用口から外に出れば、これまた上手いこと言いくるめて雌共を追っ払ったに違いないアルフォンスがひとり、思わず殺意が沸いてしまうほど爽やかな笑顔で立っていた。
「お疲れ様、エド。今日も暑かったね。ちゃんと小まめに水分取った?」
黙ってアルフォンスの脇をすり抜けて歩き出す俺の向かう先には、すっかり見慣れた黒のハイエースが停まっている。アルフォンスはそんな俺の横に近すぎず離れすぎずの絶妙な距離でぴったり付いてきて、明日の天候や自分の予定、今日の夕食の献立などを楽しそうに話す。
助手席側のドアまで来ると、アルフォンスの手によってすかさず開けられ、俺はまたムッツリ押し黙ったままそれに乗り込む。
走り出した車の行き先は決まってる。アルフォンスの部屋だ。
始めのうちこそあれこれと知恵を働かせてアルフォンスの拉致攻撃をかわそうとしていた俺だが、やがて何をしても無駄だと悟るまで、そう時間はかからなかった。どうあがいても結局コイツの部屋に連れて行かれてしまうのなら、最初から無駄な抵抗をしない方があらゆる面で合理的なのだ。だからこうして自らの足でアルフォンスの車のナビシートに乗り、マンションへたどり着けば大人しくアルフォンスの暮らす部屋へ行き、部屋へ入ったら言われる前に必ず手洗いうがいをし、いつもアルフォンスが栄養バランスや俺の好みまできっちり考えて作って出される料理は全て野菜まで残さず食べ、風呂では耳の後ろや足の指の間まできちんと洗い、就寝前には歯を磨き、本を読むのは午前一時までという決まりで、眠る時は必ずハラを出さないように・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・なぁ・・・・・・・・・俺、もしかしなくてもすっかりお前に躾けられてるんじゃねぇ?」
オレンジ色の常夜灯にほんのり照らされた天井を見上げながら、寝付けずにいた俺はぽつりとそんなことを呟いた。それに応えるのは隣のベッドで眠るアルフォンスの安らかな寝息だけだ。
この部屋と職場を往復するだけの生活を始めて早数ヶ月。当初、この部屋にはひとつしかなかった筈のベッドが二つになったのはいつの頃だったろうか。そもそもあの日、必死な顔で土下座までして『今日だけでいいから、一晩だけでいいから泊まっていって』というアイツの言葉に渋々頷いた瞬間から、俺の借りているロフト付きのワンルームマンションは只のトランクルームに格下げとなったのだった。今ではそこに、俺用にと奴が購入したこのベッドを置いたが為に行き場を失った奴の家財道具が運び込まれている。
「この状況、おかしくねぇか?」
そのつぶやきにも、また応えるのはアルフォンスの安らかな寝息のみだった。
これまで散々痴漢まがいの行為や放送禁止用語満載の『愛の告白』攻撃を受け続けているが、実はまだ肉体関係を迫られたことはない。それが例え奴の作戦だったとしても、その事によって俺の奴に対する感情がより良いものになっているという自覚はあった。
奴は強引で変態だが、ここぞという場面で深い思いやりを見せたり、紳士だったりする・・・・・・時もあるのだ。ごくたまに。
しかし。
「・・・・・いつまでもこんな中途ハンパな生活している訳にゃいかねぇもんなぁ」
一人前の男が、こんな人の部屋に間借りしているような暮らしをいつまでも続けているわけにはいかない。今日こそ切り出そう、いや明日こそ・・・・とついつい言いそびれる内にこんなコトになってしまったが、明日こそ絶対ヤツに言おう。『今日は自分の部屋に帰る』・・・・と。
そう心に決めたらようやく睡魔がやってきて、俺は素直にそれに身を委ねた。
翌朝いつも通り出勤がてら職場まで車に乗せてもらった俺は、これまたいつも通り奴の顔をろくに見もしないまま車を降りた。そもそも俺は、半ば強制的とはいえ実質的に居候の身でありながら数カ月もの間共に暮らしている人間の顔をまともに見たことが殆どなかった。
だからもう随分と長い間アルフォンスの表情が冴えなかった事や顔色が優れなかった事に、まったく気付かなかったのだ。
終業の時間がきてもいつもならば何かと仕事を見つけてだらだらと職場に居座るところだが、今日は違った。決心の鈍らない内に奴と話をしたかった俺は、さっさと身の周りを片づけると私服に着替え、わき目も振らずに職場を後にした。
ところが、いつもであれば駐車場の決まった位置に停まっているはずの黒いハイエースがない。今年から社会人の仲間入りを果たしたアルフォンスの勤め先は、とある財団法人だ。その終業時間はまるで判で押したようにかっきり8時から17時で、それより前後することは決してない。途中で渋滞にでも巻き込まれているのだろうかと暫く待ってみても、一向に現れる気配がない。
1時間程経過した頃、何の前触れもなくポケットの中で携帯電話が鳴った。アルフォンスだろうかと表示を確認せずに出てみれば、耳慣れない声がした。
『エドワード・エルリックさんでお間違いないですか?こちらセントラル病院の者ですが・・・・』
「は?病院?」
セントラル病院はここからそう遠くない場所にある総合病院だ。東部の田舎に遠い親戚らしき人間が数人いるものの殆ど天涯孤独の身と言っていい俺に、こういった連絡が来る事は考えにくい。・・・が、電話の相手は思ってもない事を言った。
『アルフォンス・エルリックさんの職場の方から教えて頂いた緊急連絡先が此方になっていまして・・・。ええと、失礼ですがアルフォンスさんのご兄弟の方で?』
――――――なんだと!?なんでただの居候の俺なんぞの携帯ナンバーを緊急連絡先として職場に届けていやがる?いやそれよりも、アイツこれまで具合が悪いだなんて一言も言ってなかったのに一体どういう事なんだ?まさかとんでもない重病を患っていながら俺に隠していたっていうのか?それとも事故か何かに巻き込まれでもしたのだろうか。
真っ白になった俺は殆ど上の空で「はぁ・・・・まあ・・・そうです」などとあいまいに返した。すると相手はあからさまにホッとした声になり、立て板に水の勢いで一気に続けた。
『アルフォンスさんが先ほどお勤め先で倒れまして、救急車で此方の方に搬送されてきたんです。現在検査中でなんとも申し上げられないのですが、ご本人の意識がまだ戻らないのでご家族の方に連絡をしようとお勤め先に問い合わせたところ、ご実家や親類の連絡先の届け出がなされていないということで・・・・でも、緊急連絡先がご兄弟の方で良かった。ひとまず保険証をお持ちになって此方においでいただけますか?』
―――――それに何と答えて電話を切ったのか、俺はあまり覚えていない。兎に角目と鼻の先にある大通りまでダッシュして、運よく通りがかった空車表示のタクシーをつかまえ飛び乗ると、病院へと急いだ。
時間外診療の患者がちらほら居るだけの閑散とした廊下を足音もやかましく走り抜け、教えられていた3階のナースステーションへと辿り着く頃には、すっかり息が上がり汗だくになっていた。どうしてあんなヤツの為にこの俺がここまで取り乱さなくてはならないのだろうかと頭の隅では思いながらも、実際に取っている行動はそれとまったく逆だった。
「あのっ、先程こちらに運び込まれたアルフォンス・エルリックの身内の者ですが」
――――ナースステーションにいる看護師に息せき切って言うセリフからして我ながら信じがたい。『身内』だと?俺は一体何を言っているんだ?アイツはただのストーカーで、俺はあいつに強制的に拉致されて半分監禁されている状態なんだぞ?その上日常的に『好きだよ』とか『愛してる』とか『絶対幸せにしてあげる』とか『僕の人生にはエドさえいてくれればそれでいい』とかそんな歯の浮くようなセリフを言っておきながらいつまでたってもキスひとつしてこないような不甲斐ない男なんぞ願い下げ・・・・・・・・って俺!わー!何考えてんだ俺!?そんなのされたら困るだろ俺!!
ひとり勝手に頬を赤くしている俺に気付かないのかそれとも気付いていながら関心がないだけなのか、無愛想な看護師は事務的に応じると内線で誰かを呼んでいる。
程なくしてやってきたのはカーティスというネームプレートを下げたやたらと気合の入った面構えの女医で、俺とした事が一瞬無条件で気迫負けしそうになった。
「アナタがアルフォンスさんの兄弟?彼の職場からもらったデータだと同居しているって事らしいけど?」
医者だとはいえのっけから不躾な物言いに聊かムッとした俺だが、なぜか本能的に逆らえないものを感じ、おとなしく応じる。
「・・・・一応、同居している状態ではありますが・・・・」
―――――兄弟ではないし、同居も不本意ながらだけど・・・・という言葉は呑み込む。しかし次にその女医がとったリアクションに俺は度肝を抜かれた。
「ひとつ屋根の下で暮らしておきながら何故気付かないこの薄情者が!この患者は長期に渡る睡眠不足に加えて過度の緊張状態が継続したことによる精神的肉体的疲労でぶっ倒れたんだ!ここまで酷い状態になった責任が同居する人間にないとは言わさんぞ!それを『一応同居』だと!?ふざけるな!」
俺の胸倉をつかみ上げながら腹の底から響かせた大音量でブチ切れる女医に、またしてもタジタジとなる。するとナースステーションから先ほどの無愛想な看護師が顔を出し、「先生、折檻は極力お静かにお願いいたします」と言って寄こす。オイ、突っ込みどころが微妙に違うんじゃねぇかと思う俺の胸倉を掴んだままの女医は「ああ悪いわね、ホークアイ婦長。つい興奮しちゃったわ。」とニッコリ笑って答えると、再び俺に顔を向ける時には額に青筋をくっきり浮かべていた。なんとも器用な事だ。
「お前に肉親の情というものはないのか!?家族ならもっと心配そうな顔のひとつもしたらどうなんだ!ええ!?」
そのセリフに、今度は俺がキレた。
「知るか!俺とアイツは血のつながりなんかこれっぽっちもねぇんだっつの!そもそも出会ってまだ半年も経たねぇ上に俺は殆ど奴に拉致監禁されてる状態なんだぞ!ハ!心配?ざけんじゃねえよ。こっちは奴を訴えてやりたいくらいなんだからな!」
言う必要のない相手に余計な事まで言ってしまったのにハッとして口を噤めば、女医がいやに神妙な顔を作って腕を組み、俺をしげしげを眺めてきた。
「ふ・・・・・ん。なるほどねぇ?そういうことか。」
その目つきと口ぶりに居心地悪さを感じた俺が、何か勘違いしたらしい女医の口からトンデモないセリフが出てくるのを聞く前にとアルフォンスの容体について尋ねれば、女医は俺の質問を綺麗にスルーしやがった。
「自分を拉致監禁している犯人をわざわざ病院まで迎えに来る被害者が何処にいる?まぁ『ツンデレ』も結構だが、『ツン』も程ほどにしておかないと彼氏に逃げられるよ?さあ処置室はこっちだ。もう目を覚ましているから、今日は処方した薬を受け取ったら帰って大丈夫。暫くは気をつけて様子をみて、こんな時くらいは甘えさせてやるんだね」
「な・・・・・な・・・・・な・・・・・・・違・・・・・ちょ・・・・・・待て・・・・・・・・!」
あまりにも非常識な誤解っぷりに一体どこから否定したら良いものかと口をパクパクさせている俺をさっさと処置室に押し込むと、これで仕事は終わったとばかりに女医は『まぁ、道は険しいかも知れんが仲良くやりなさい』などと勝手な事をぬかして瞬く間に姿を消した。
憤死寸前の俺だったが、現実的には自分が奴を家に連れて帰る他ないのだ。どうにか気を取り直して見まわした狭い処置室にはベッドが2台あり、そのうち仕切用のカーテンが引かれている方のベッドにアルフォンスがいるのだろう。
『自分を拉致監禁している犯人をわざわざ病院まで迎えに来る被害者が何処にいる?』
女医のあの言葉は、実は、とても痛いところを突いていた。しかし俺はそれについて深く考えないよう、ほぼ無意識に思考を停止させた。軽く頭を振り、カーテンの向こう側にいるだろう相手に声をかける。
「・・・・・・・アル、目ェ覚ましたか?起きれそうか?」
「・・・・・あ。御免ねエド・・・・大丈夫、すぐ帰れるよ」
それに答えるアルフォンスの声はいつもと全く変わらないように聞こえたが、カーテンを開けて出てきたアルフォンスを見て俺は絶句した。
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