まるでゴムのように固いイカのバター焼きを租借しきれないまま無理やり飲み込むような・・・・・そんな気持ち悪さが尾を引いている。
場内での自由奔放かつ破廉恥な行動パターンのまま路上に出たら最後、とんでもないことをしでかすのではと警戒していた俺の予想を裏切って、眠ってしまった俺に自分の上着をかけてくれたり、俺の立場が不味くならないように気遣いしてくれたり、考え無しで度を越えた俺の発言に怒るでもなくやんわりと受け止めてくれたり・・・・・・。
そんなさっきのアルフォンスを、大人でカッコイイ奴などと思ってしまったからだろうか。
アルフォンスは、俺とできるだけ一緒に居たいが為に、段階をクリアーする時期を先延ばしにして教習の回数を故意に作っていたのだと言った。
さっきまでは、どうしようもない困ったストーカー野郎でこの先どうやって奴との接触を避けるかと考えていた筈なのに、何故だろう。アルフォンスからそう言われて感じているのは、紛れもない喜びだった。
喜び?アルフォンスから一緒に居たいと言われて嬉しいということはつまり、俺もまたアルフォンスと一緒に居たいと思っているという事だろうか?
眠気覚ましに買ったブラックの缶コーヒーをグビリと飲み込んだ。
待て、俺。落ち着くんだ、俺。血迷うな、俺。
アイツはアレだぞ?これまで三回あった無線教習でいっぺんも俺の指示に従わなかった上に、無線で『あなたのS字カーブを攻略』とか『あなたとともにエクスタシーをむかえる』とか『愛しています』とか好き放題言いやがって、その上場内を縦横無尽に走り回ったり、終いには『無線越しに聞こえるあなたの吐息が色っぽくて、思わず勃ってしまいました』などと言いやがった事まであるんだぞ!?
・・・・・・・・・・それなのに、一体自分はどうなってしまったのか。
脳裏に浮かぶのは、清潔そうなコットンセーターから覗く男らしい腕のラインとか、乱れた前髪の隙間から俺を覗き込む優しげな金の目とか、実は結構前から気になっていたきれいに整った唇の形とか・・・・・・・・・。
「だから〜〜〜!俺!しっかりしろよ!」
「エド・・・お前、大丈夫かよ?」
「・・・あ、すんませんブレダさん。大丈夫です」
半分錯乱状態に陥り壁に頭を押し付けてゴリゴリさせていたら、後ろから先ほどとは別の先輩同僚が声をかけてきた。心配しているというよりも気の毒がっているような表情で、俺にピーナッツがもっさり入ったチョコバーを差し出す。
「血糖値が低いとテンションも下がるぜ。コレ食っとけ。」
「はぁ・・・・・どうも」
実は甘いものが苦手な俺だが、先輩の好意を無下にすることは出来ないから、ありがたく受け取っておく。さて、この如何にも胸焼けがしそうなチョコバーを今ここで食すべきだろうかと思い悩んでいる俺を、そのブレダという名の先輩同僚はしげしげと眺めている。
「な・・・・・・んです・・・・?」
「ふむ。そうか。だからそんな思い詰めた顔をしていたのか。お前も災難だなぁ・・・・・・まあ、犬に噛まれたと思って、な?気にするな。」
「はぁ・・・?」
俺の様子から何か勝手な解釈をしたらしく、意味不明なことを言いながら俺の肩をバンバン叩く。
「もしなんならアレだ。料金の割りにサービス満点で可愛い姉ちゃんが揃ってる店教えてやるぞ?ん?今日早速行ってオトコしての自信を取り戻しておくか?」
一体どうして突然料金の割りにサービス満点で可愛い姉ちゃんが揃ってる店の話になるのだろうか。その情報が確かなら教えてもらえるのは有難いが、それよりも、俺がいつオトコとしての自信を奪われたというのだろうか。
首をかしげていると、ブレダさんは太い人差し指で俺のワイシャツの襟元をツイと引っ張った。
「誤魔化さんでいい。大丈夫だ。社の皆はそんな事でお前を変な目で見たりはしないぞ。お前は大事な後輩だからな。ハボックもえらく心配してたぞ?さっきの路上教習中にやられちまったんだろ。可哀想になぁ・・・・・そんなド派手なキスマークつけられるほど激しかったんじゃあ、アッチの部分はさぞ辛かろう。早退するなら俺が届け出しといてや・・・・・」
話が耳に入ったのはそこまでだった。俺はすぐさま踵を返し、従業員用の便所に向かってダッシュした。
ネクタイを緩めて首筋を鏡に映して見れば、ソコには赤々と鬱血の痕があった。確かめるまでもない。これはさっき俺が眠りこけている間にアルフォンスがつけたものに違いなかった。
「・・・・・・・・の野郎〜ッ。やりゃあがったな畜生!紳士の振りしやがってアイツやっぱとんでもねぇ奴だぜ!・・・・ん?ま、待てよ」
一瞬でも奴を見直した自分が馬鹿だったとギリギリ歯軋りをしたが、そこで俺はある恐ろしい疑問にぶち当たった。
どうする?確かめるのは怖いが、確かめなければならないだろう・・・・・・そう・・・・・つまり・・・・・もっと下の部分を、だ。
俺は個室に入りしっかり鍵をかけると、便座に腰掛けて深呼吸をした。まずは気持ちを落ち着かせることが大事だ。例えこの身体にどんな異変を見つけてしまおうとも、錯乱せずに冷静に対処せねばならんと自分に言い聞かせた後、ゆっくりとシャツのボタンをひとつづつ外していった。
教習所内にあるトイレの鏡に映る自分の顔を見ながら、僕は溜め息を吐いた。
今までずっと、耳にタコが出来てしまう程『カッコイイ』『イイ男』『セクシー』『抱かれたい』等々と言われ続けてきただけあり、自分で言うのもなんだが僕はそんじょそこらのイケメンタレントにも引けを取らない容姿をしている。
けれどエドワードさんを振り向かせることが出来ないのなら、こんなものは僕にとって無用の長物でしかない。
先程の彼のセリフが脳内で繰り返し再生される度、暗澹とした気持ちになる。泣けるものなら、泣いてしまいたい。
『大っ嫌い』『お前は最低だ』
エドワードさんはそう言った。仕方がない。僕がこれまで彼にした事をかえりみれば、逆に仏のような寛容さでもって僕に接してくれていたと思うくらいなのだから。
「・・・・・・ふう」
また再び溜め息を吐き、このままではキリが無いので気分を変える為に冷たい水で顔を洗った。
僕は良くポジティブだと人から称されるが、それは違う。自分ではかなりネガティブな思考の持ち主だと思う。けれどそんな自分をどうにかしたくて努力した結果、周囲からポジティブでエネルギッシュな人間だと認識されているにすぎないのだ。
ひんやりした顔を拭いながら、深呼吸をする。
―――――これしきのことで沈んでいてどうする?望みの薄い恋だというのは最初から承知の上ではなかったか?
そうだ。どんなに幅員の狭いクランクだって、限りなく垂直に近い急勾配での坂道発進だって、その向こうにエドワードさんが立っていてくれるなら僕はそれだけで頑張れる・・・・・!
そして・・・・・そしていつの日か、あなたが僕に車の乗り方を教えてくれたように、今度は僕があなたに僕の乗り方を教えて上げたいよエドワードさん!
上手い事自分を奮い立たせるのに成功した僕が、またしてもウッカリ胸の内を声高らかに宣言しながら拳を振り上げていると、突然何の前触れもなく廊下とトイレを隔てていたドアが勢い良く開いた。
そこには、たった今熱い想いを吐露したその相手が立っていた。
「ウリャ〜ッ!貴様またしても素っ頓狂なコトを大声で抜かしてんじゃねえぞ畜生め!!さっきはよくもやってくれやがったな!?」
鬼のような形相でトイレに足を踏み入れ、真っ直ぐに僕の胸に飛び込んでくる愛しい人を腕を広げて抱き締め・・・・・
「ガフ・・・・・!!」
・・・・ようとしたのに、鳩尾にいいパンチを貰ってしまった。華奢に見えるのに、こんな殺人パンチが打てるなんて・・・と、僕は半分気絶しそうになりながら惚れ惚れした。
「エドワードさ・・・・・・・ゴホッ・・・・どうしたんです?なんでそんなに怒ってるの?」
怒った顔もまた格別に可愛いなぁと鼻の下を伸ばしていると、更に顎に左フックが、続けて頬に右ストレートが炸裂した。見事なワンツーに、惚れ惚れを通り越して意識朦朧だ。
崩れ落ちそうになる僕の襟首を掴んで揺さぶりながら、エドワードさんは涙目で怒鳴り散らした。
「眠ってる間にテメェなんてコトしやがる!?キ・・・・キ・・・・・・キ・・・・・・・キ・・・・・」
初心なエドワードさんがそれ以上を口に出来ないようなので、代わりに言ってあげる。
「キスマークですね?ちょこっとだけと思ったんですけど、なんだか止まらなくなってしまって・・・・・・でも一応気を遣ってお臍の下10センチまででやめておいたんですが・・・・きわど過ぎました?ごめんなさい」
実はさっき、僕の隣で可愛い顔で無防備に眠っているものだから、ほんの少しだけ色々な場所にキスをさせて貰ったのだ。別に減るものでもないから彼に実害を与えてはいないはずだが、先手必勝とばかりに素直に謝罪の言葉を口にしておく。
ところが初心なエドワードさんには、僕のこの考えは通用しなかったらしい。僕の襟首を更にぐいぐい締めあげながら、地団太を踏んでイヤイヤと首を振る。その仕草があまりに可愛くて、僕の胸は否応なくきゅんきゅんと高鳴った。
「キワドイどころじゃねえよ!ちんこの付け根じゃねえか!こんなのもうしゃぶられたのと大差ねぇよ!」
そうか・・・・・そんなことならしっかりしゃぶっておくべきだったと後悔しても既に遅い。非常に残念だがまた次の機会を狙うしかないだろう。そう心に決める僕の首に今度は彼の白魚のような両手がかかり、ギリギリと締め上げてきた。苦しいはずなのに、エドワードさんにされていると思うだけでたちまち快感に変わってしまう。人間の感覚というのは実にミステリアスでファンタスティックだ。
いつしか開いたままのトイレの扉の向こうの廊下には、騒ぎを聞きつけて来た教習生や教習所の職員達が大勢集まっている。
そんな中、エドワードさんは更に悲痛な声で言った。
「お前絶対ゆるさねえ!事もあろうに俺のちんこに油性の極太マジックで落書きまでしやがって!全然消えねぇじゃねえか!しかも『予約済み。アルフォンス・エルリック』ってのは一体どういう了見だ!?ゴルァ〜〜ッ!!!」
期せずして僕は、彼(のちんこ)が既に僕の予約済み品であるという素敵な事実を公にすることができたのだった。
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