教習所ネタ2

 

 

 














関係者以外立ち入り禁止の表示板の向こう側にある休憩室で、俺はグッタリとテーブルに突っ伏していた。会社としても従業員の安全を確保する為に出来うる限りの手立ては打ったというのに・・・・・・・この事態だ。

「よぉ大将、相当マイってんなぁ。大丈夫かぁ?」

ヘビースモーカーの先輩同僚が楽しそうに声をかけてくるのにも、ロクに応じる力が無い。

「おお・・・ハボックさん・・・・・お疲れ・・・・」

それだけようやっと言うと再びガクリとする俺の頭の横に、ハボックさんは休憩室にある自販機の中で一番高価なレポビタンEを置きながら気の毒そうに言った。

「今回のはまた今までになく凄いらしいなオイ?何だったら身内が危篤ってコトでバックレちまったらどうよ?」

有難く頂戴した滋養強壮剤の蓋を回しながら、俺はあいまいに返事をした。

これまで何故か教習生にストーカー的行為を受ける事は再三あったのだが、いつもであれば『ご予約頂いた指導員は本日急病の為、別の指導員で対応させて頂きます』とか『非常に遺憾ではありますが法的な手段に訴えざるをえませんね』とか、職場の協力によって全て排除していたのだ。しかし、この先輩同僚が言う通り『今回の』はとんでもないのだ。

そもそも、どういう訳か俺の担当する教習の予約枠は一瞬にして埋まるという摩訶不思議な現象がある。こんな無愛想で不親切な指導員をわざわざ選ばなくても、この自動車教習所にはもっと他に良い指導員がわんさかいるというのに、全く人間と言うのは不可解なものだ。俺が思うに、エドワード・エルリック指導員の教習を受けるとどんな不出来なヤツでも免許試験を一発で合格できるとかなんとかいう根拠のない噂でも飛び交っているに違いない。

俺の予約を躍起になって狙う輩は後を絶たなかったが、予約を担当する係員が不審に感じたら予約を受け付けないという事になっていた。ところが『今回の』は、そんな人為的フィルターなどものともせずにガンガン俺の予約枠を好き勝手に取りやがるのだ。一体全体どう言う訳だ。社内でも何度か会議の議題で持ち上がったが、当の受付係の女達からして揃って首を傾げている為、未だ原因は不明だった。
ただハッキリしているのは、あと15分後に開始される俺の受け持つ教習の相手が、あのアルフォンス・エルリック(なんで俺と同じ姓なんだよ!)だという事だ。しかも昨日まで数回に渡って行われた場内での無線教習では、無線を通して愛の言葉どころかエロイタ電ばりのセリフの数々を俺に向かって叩きつけてきたというツワモノなのだ。これでふたりきりで路上に出てしまえば、もはや会社の保護の手が及ばない場所で一騎打ちというシチュエーションだ。いくら無鉄砲で考えなしの俺でも、危機感を持たざるを得ない。

「オイ大将時間だぜ〜?」

言われて腕の時計に目をやればいつの間にか開始5分前になっている。どうして時間ってやつはこんな時ばかりとっとと進んでしまうのだろうか。・・・・・などとウダウダ考えていても仕方がない。

ウリャっと声を上げて立ち上がり伸びをすると、クリップボードを小脇に抱えて胸のポケットにボールペンがあるのを確認しながら小走りに休憩室を後にした。



「お早うございます、エドワードさん!」

担当の車に近づくと、そこには既に長身で見事に均整のとれた体格の憎たらしくなる程の美男子が、まるで歯磨きのCMみたいに白い歯をキラッとさせながら爽やかな笑みを浮かべて立っていた。
さっきまでは悩みの元凶として憂鬱でしかなかったこの男との対面なのに、この爽やかさに俺は分かっていながら毎回ウッカリ騙される。業務上必要最低限の会話だけをして事務的にこの50分を終わらせるんだと思っているのに、それを出来たためしがまだ一度もないのだった。今日もまた、馬鹿正直で人の善い俺は騙された。

「ハヨ・・・・・今日は珍しく午前の時間を取ったんだな」

仏頂面ながら言うそんな俺の余計なひと言だけで、そいつは花が咲くようにパァっと笑う。畜生。だから絆されちまうんじゃねえか。このタラシ野郎め!

「今日は記念すべき初の路上教習ですからね。講義は代返を頼んで早めに来ました」

「ふ・・・ん。随分と張り切ってんじゃねぇ?今日こそ馬鹿やらねぇで真面目に走らせろよ、アル」

「任せて下さい。僕は実戦に強いタイプなんです」

「おーおー吠えてるぜ」

いつの間にか軽口の応酬になっているのにも気づかないまま、俺はヤツを促して車に乗り込んだ。

一応指導マニュアルどおりに、ミラーと目視での確認を促してから車をスタートさせる。どうして毎回チェック項目に判を押してやれないのかと不思議になるくらい完璧な動作だ。まるで流れるような操作っぷりに、ともすれば自分が路上教習中の指導員だという事を忘れて寝入ってしまいそうな程、ヤツの運転は心地良かった。実戦に強いというのはどうやら本当らしい。

「・・・・エドワードさん、眠そうですよ?夜更かししてまた読書ですか?程々にしないと体調崩しますよ」

初めての一般道での走行のはずなのに、奴は全く危なげない運転で鏡越しに俺の様子を気遣う余裕まである。俺はそれに素直に感心しながらも、業務中にあるまじき耐えがたい睡魔と闘っていた。一体全体どうした事だ。これでは指導するどころか、万が一の時に注意を促したりブレーキを踏んだりする事さえままならないだろう。

「ん・・・・・悪ィ・・・・・何か、お前の運転気持ち良くて、モーレツに眠くなっちまった・・・」

「大丈夫、あと25分以内に教習所に戻っていればいいんでしょう?適当にここら辺を流してますから、無理しなくていいですよ」

囁くような声が、これまた腰にズンと響くような心地良さだ。

「バカ・・・・・そんないい加減な事できる訳ねぇだろ・・・・・・」

業務中に仕事を放棄する事などとんでもないと思いつつ、何故かこの声に全て委ねてしまいたくなる。なんとか夢と現の挟間を行きつ戻りつしながら頑張っていたのだが、いつしか俺は眠ってしまった。













頬に感じる風の心地良さにふと目を開ける。
まず視界に入ってきたのは車の天井と三分の一程開けられた助手席のウィンドウだった。けれどエンジン音はせず、周囲も自棄に静かだ。俺はぼんやりと右側に頭を向けた・・・・・。

「うあ・・・・!」

倒されていたシートで眠っていた俺を、ハンドルに両腕を乗せたアルフォンスがじっと見ていた。車内に吹き込む春の爽やかな風がいつでも綺麗に整えられている前髪を揺らして乱し、その隙間から少しだけ細めた金色の眼を俺に向けている。さっきまで羽織っていた白いブルゾンを脱ぎ、下に着ていた青いボーダーのコットンセーターの袖は肘のところまで捲られていて、そこから覗く筋肉の付いた男らしい腕がやたらと恰好良い。

「目が覚めました?そろそろ起きてもらおうかと思ってたところでした。」

「やべ・・・・時間!」

飛び起きながらシートを元に戻すと、かけてあった白いブルゾンがパサリと膝に落ちた。アルフォンスはそれをさり気なく拾い上げて後ろの座席に放ると、エンジンをかけてゆっくりと車を走らせる。あまりにも自然にするから、礼を言う隙も見いだせない。
車が停まっていた場所は、教習所の近くを流れる川の土手沿いに延々と続く緑地帯だった。高架の下だから、道路からは見つけにくい位置だ。アメストリス教習所の青と黄色のペイントが施された車体は、街中で目立つデザインだ。アルフォンスは、路上教習をしている筈の車が誰かに見つかる事で、俺が上部から咎められないよう配慮してくれたのだ。

困った教習生という認識で、俺の中では疎ましく思う人物という位置付けであった筈のこいつに、どういうことか今日の俺はあれこれ面倒を見てもらっていた。それが気恥ずかしく、俺は子供っぽくも素直に感謝の言葉を口に出せずにいた。
アルフォンスはそんな俺の胸中などまったく考えてもいないようで、「今から帰れば丁度いい時間なんです。エルリックさん、シートベルトしてくださいね。」と、ちょいと指先で示しながら、慣れた様子で淀みなく車を操作する。どう見ても仮免中のヒヨっ子とは思えない。いや、これまで散々俺を手こずらせてきた前代未聞の問題教習生と同一人物だとはとても思えない。
そう思えば、逆に今度は俺の中で沸々と怒りがわいてくる。アルフォンスの一挙手一投足に必要以上に感情を上昇下降させている自覚はあったが、俺は胸にあった言葉をそのままアルフォンスにぶつけてしまった。

「お前、ちゃんと出来るんじゃねぇか。何で今まであんなちゃらんぽらんな振りばっかりしてふざけてたんだよ?俺はなぁ、何が嫌いかって、出来るのに真面目にやろうとしない人間が牛乳よりも大っ嫌いなんだよ。アル、お前は最低だ」

面と向かって『嫌い』だなんて言い過ぎかと思わないでもないが、俺は自分の中で生まれてしまった憤りを抑える事が出来なかった。アルフォンスは黙って俺の言葉を聞きながら、相変わらずそつなく車を走らせている。もしかして、俺の言葉をなかった事にするために受け流しているのかも知れない。だとすればきっと、アルフォンスは正しいのだ。
ただの教習生のひとりにすぎないアルフォンスに、こんな感情をぶつける俺の方がおかしいのだ。この路上教習が済んでしまえば後はもう互いの接点なんて無くなってしまう相手に、一々本気で接していたら身が保たない。そうだ。そればかりか、この男の行動にはこれまで散々悩まされてきたのではなかったか。俺は一体何をムキになっているのだろうか。

悶々とする内、車は教習所の敷地内にある停車場へと辿りついてしまった。結局俺はヤツに何の指導もしてない事にようやく思い至り、そこでまた居た堪れない気持ちになり唇を噛んだ。

「エドワードさん。唇が切れるよ・・・・・噛んじゃ駄目。」

思いがけず至近距離から声がして、噛み締めた唇の上をそっと指が滑る。アルフォンスが運転席から此方に身を乗り出して、俺の唇を指で撫でたのだ。

まるで時間が止まったようだった。周囲から音が消え、俺の目にはアルフォンスしか映っていない。
武骨なようでいて繊細な指が、名残惜しげに離れて行くのを何故か寂しいと思うのは、きっと俺がどうかしているからだ。

「あなたに軽蔑されてしまうのは悲しいな。僕はあなたとできるだけ一緒にいたくて・・・・だから、わざと出来ない振りをしてたんです。でも、やっぱりあなたの言う通りだと思う。次からは真面目にやります・・・・・・本当はもっとあなたと一緒にいたかったけど、これは僕の我儘ですよね」

俺は何も言葉を返す事が出来なかった。返すべき言葉が、自分の中にまだ形として存在しないからだ。

これまで卑猥な言葉を交えてふざけた調子での告白は何度もされていた。でも、今のコイツは真剣そのもので・・・・・。だから、簡単な気持ちで言葉を返してはいけないと思ってしまったのだ。

何も答えない俺に特に失望した様子もなく、アルフォンスは腕時計で時間を確認すると、折り目正しく「ありがとうございました」と頭を下げて車を降りた。
そのまま振り返ることなく遠ざかる背中を、俺は馬鹿みたいにただ眺めていた。












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