僕がひと月前から通っているアメストリス自動車教習所は、乗車教習の指導員を教習生が自由に選べるシステムを取り入れている。だから人気のある指導員の予約枠は瞬く間に埋まってしまう。
この教習所には一番、それもダントツで大人気の指導員がいる。乗車教習は一週間以上先の予約は出来ない決まりになっているが、彼の予約はいつでも一週間先まで全て埋まっていて、彼の教習を望むなら常にキャンセル待ちという状態だ。
僕は、初めて乗車教習をする時には特に指導員を指名しなかった。彼という人を噂に聞いていただけで、まだ直接目にしていなかったからだ。
ところがどういう巡りあわせか、キャンセル待ちで乗った教習車の助手席に乗り込んできたのが彼・・・・・・エドワード・エルリック指導員だったのだ。
長く美しい金髪を後ろで無造作に纏め、深緑色のジャケットに同色系のチェックのズボンというここの指導員のありふれた制服を小柄な身体にまとい、勝気そうな大きな金の目で上目遣いに相手を睨みあげるのが癖らしい・・・・・その人。
『阿』も『吽』もない。僕は一瞬で恋に落ちた。
それからというもの、僕は大学の講義が終わるとまっすぐにアメストリス自動車教習所に足を運び、学科の講習があればそれを受けるが後はひたすら待合室で彼の教習を予約する為列に並び、時々カウンター越しに見える彼の姿を目で追っていた。
さて、そんな訳で今日は初めての無線教習だ。指導員は勿論エドワード・エルリックさんだ。実は僕は裏技的な予約方法を編み出していて、受ける乗車教習の全てを彼に見てもらっているのだ。
教習開始時間のきっかり5分前に運転席に座って待っていると、遠くの建物からバラバラと緑色の制服を着た指導員達がそれぞれの車に向かって歩き出す。僕はそんな中でもすぐに彼を見つける事が出来る。
教習生のチェック項目表がくっついたクリップボード片手に肩を回しながらゆっくりと、しかしまっすぐに此方に向かってくる。
ドアを開けながらもう僕がこの時間の教習生だと分かっている彼は、「おー、アル。またお前かよ」なんてわざとらしくうんざりした顔を作ってドサリとシートに座った。
「エドワードさん。お疲れですか?また遅くまで本を読んでいたんでしょう?」
これまで教習の間にせっせと取ったコミュニケーションの成果で、彼のデータは相当手に入れている僕だ。彼が東部の地方出身で、一人暮らしだということ。趣味は読書で、兎に角本さえ読んでいれば幸せなのだという事。牛乳が大嫌いで、匂いさえ受け付けないということ。恋人はいないらしいということ。年は僕よりひとつ上なのだという事。
「んあ?ビンゴ。早く寝ないとと思いつつ、読み始めちまうとつい・・・な。オイそれより今日は初の無線だぜ。お前これまでサンザっぱら苦労してきたんだから、今日くらいはイイとこ見せてくれよ?」
「頑張ります」
コースの確認をした後、「じゃあ俺は監視塔から無線で指示飛ばすからな」と愛しい背中が去っていくのをちょっぴり寂しい気持ちで見送る僕だったが、少ししてハンドル脇にあるスピーカーから彼の声が聞こえてくれば、再び心のボルテージは際限なく上がる。恋心とは、なんともゲンキンなものだ。
覚えたコースを、まずは彼の指導通りに走らせる。エドワード指導員は『良し良し』と上機嫌だ。きっとあの監視塔のガラスの向こうでは滅多に見せてくれない可愛い笑顔を浮かべているに違いない。
・・・・僕の目の前では殆ど笑顔なんて作らない癖に・・・・と、僕は少し面白くない。思い出したようにハンドルを切り、ウィンカーを出さずにコースを外れて左に曲がれば、今度は慌てた声が聞こえる。
『オイ、アル!そっちじゃねぇだろ?しゃあねぇな・・・・じゃあその先を右折してS字カーブにコースを変更するか』
溜め息まじりにサクサクと指示をしてくる愛しい声。ああ可愛い。ああどうしてくれようこの恋心。僕は言われるままにハンドルを切り、しかし今度はアクセルを踏み込みながら一気にS字カーブを走り抜けてやった。タイヤがキキキキと小気味良く鳴く。どうだこのハンドルさばき。
『うわぁぁぁぁぁ!!!ナニさらしとんじゃボケ〜〜〜ッ!!そんないらんテクニックなんぞ披露せんでいいわ!』
声が裏返っている。全くもって可愛い以外のなにものでもない。嗚呼困った。股間がそろそろ反応してきている。呼吸も次第に荒くなってきた。彼の声を拾うマイクの性能がいいのか、普段は聞けない吐息の音までつぶさに拾って僕の耳に届けてくれるのだから、欲情するなという方が無理な話だ。こちとら20代の血気盛んな男子なのだ。
コースにはなかった踏切へ向かう。
『アア・・・!そっちじゃねえ!』
今の『アア・・・!』が堪らなく色っぽい。まるで情事の時の声みたいだ。
踏切前で一度停止する・・・と見せかけて一気にスピードを上げて渡り、そのまま十字路へ。勿論信号は無視だ。
『止まれって言ってるだろ!?お前ナニ聞いてんだよ!アホー!』
あなたの部屋になら、言われなくてもいくらだって『とまりたい』
『ソッチはダメだ〜〜〜ッ!』
ふふふ・・・・そんなコト言ったって、本当は口で言う程嫌じゃない癖に。
ついでに車庫入れも披露しておこうかと、脇にある教習車の車庫に車をバックさせてみる。
『そんなトコに入れるなぁぁぁぁ!』
入れるなって言っても、もう入っちゃったよ・・・・ふふ。どう?中々ヨカったでしょ?
今度は直線コースに行き、また一気にアクセルを踏み込んだ。
『アアアアアアア〜〜〜!無茶やるなぁぁぁぁ!こ・・・・・壊れちまうッ!』
ゴメンネ・・・・あなたがあまりにも素敵だから・・・・手加減できないよ、僕。
そのまま一気にフィニッシュ・・・・・!
元のスタート地点に車を停め、エンジンをきる。これで予定通り30分の無線教習は終了だ。
愛しい人の吐息がハァハァとマイクを通して聞こえてくる。まるでエクスタシーの余韻に浸っているようだ。
僕は思わずハンドルを握りしめて声高らかに宣言してしまった。
「僕は必ず、あなたのS字カーブを一気に攻略してあなたの踏切を渡りきり、あなたの十字路を強引に進み、あなたの車庫に上手に挿入してあなたの直線コースをノンブレーキで走り抜けてともにエクスタシーをむかえるよ!愛してますエドワードさん!」
今までひた隠しにしていた熱い思いを本人に聞こえていないならばヨシと声にしたのだったが、それからほぼきっかり二分後。
物凄い勢いで助手席のドアが開き、鬼のような形相のエドワードさんが僕に向かってどなり散らした。
「全部聞こえてんだボケがぁ〜〜〜〜ッ!!!無線なんだから一方通行な訳あるか!テメェの声は最初っから最後まで筒抜けだ〜〜〜ッ!!!」
そうか。すっかり指導員の声が此方に聞こえるだけかと思っていたが、どうやらどこかに此方の声を拾うマイクが付いていたらしい。折角それなりに場を整えてから告白に踏み切ろうと目論んでいたのに残念だが仕方がない。僕は開き直る事にした。
「え?最初から?どういうことです?『僕は必ずあなたのS字カーブを・・・』ってところですよね?」
そう確認すれば、エドワードさんは赤かった顔を更に赤くして、殆ど涙目で喚いた。可愛いな。
「じゃあ無意識か!?この変態め!『今の“アア・・・!”が堪らなく色っぽい』からだ〜〜〜〜ッ!!!!」
参ったな。最初からダダ漏れか。
僕は可愛らしく肩をすくめ、半泣きの彼に向ってウィンクをしてあげた。
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