ある男の野望 7

 









 

 

 





 

 

 

 

 

病院の外来受付終了に合わせて夕方から始まる着付け教室は、それが終わるころにはすっかり日が落ち、病院内も余分な灯りは全て落とされ静まり返っている。そんな薄暗いリノリウムの床が延々と続く廊下をアルフォンスの病室へと向かって、重たい衣装鞄を両手にぶら下げながら歩く。

今日は患者の家族だけでなく特別にその友人にまで参加の枠を広げた所為か、外はみぞれ混じりの雪が降っているというのにいつもの倍以上の数の若い女性で教室は賑わった。そして一体どんな噂をされているのかは不明だが、皆がやたらと俺に関心を向け、とうとう講師自らが着付けのモデルにされるという異例の事態が起きた。・・・・・その結果、今の俺の恰好は何とも情けない事に、可愛らしい桜模様の薄紅色の小紋に群青色の半幅帯を後ろで蝶結びにされている上、薄らとではあるが化粧まで施されているという念の入った『お洒落』っぷりで、出来れば病院のスタッフと鉢合わせなどしないようにと内心ヒヤヒヤしながら歩いているのだった。

何とか誰にも会わずに病棟の端にある関係者用のエレベーターまで辿りつきホッと息をついたところで、目の前でその扉が開いた。

 

「やぁこれはまた奇遇な・・・・・!それも素晴らしい出で立ちで。これではさぞや世の女性達から羨ましがられることでしょうね」

 

「・・・・・キンブリー・・・・・・・先生・・・」

 

ムカつくが一応敬称である『先生』をなんとか付けたした俺は、今一番会いたくない、いや、会ってはならない人物に出会ってしまった事に舌打ちをしながらさりげなく退路を探した。俺のこの妙な格好は、きっとこの変態野郎のスイッチをオンにしてしまうと本能の部分で感じたからだ。案の定、いつものようにベロリと舌先で唇を舐めながらあからさまなほど目をぎらつかせて俺との距離を詰めてきた。

裾幅の狭い女用の和装で、さらに草履を履いている足にはきっちり足袋まで着用済みだった事が俺の退路をさらに狭める要因になった。裾に足を取られ、草履を脱いで走ろうにもその下に履き込んでいる足袋がリノリウムの床で滑って踏ん張りが利かないのだ。

 

今まで人気のないフロアですれ違えば、必ずといっていい程痴漢まがいな行為を仕掛けてきては俺に鉄槌を喰らっている非常識な男だが、今日はいつもよりもさらに目が血走っていた。

                                                                      

「オイあんた、分かってんのか。ここは職場だぜ?そんな犯罪者みたいな顔しやがって・・・・・どうかしてんじゃねぇか?」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

いつもであれば何かしらすかした歯の浮くようなセリフが返ってくるはずが、相手は息を荒くしたまま俺の腕を強引に掴んで引きずりながら廊下を歩き出した。これはいよいよ抜き差しならない状況だと衣装鞄を放り出して逃れようとすれば、今度は羽交い絞めにされて襟元を締め上げられた。動けずにいると、首筋の一点に指先を押し付け圧迫される感覚がある。頚動脈だ・・・・・!と思ったときには既に視界が暗く、急激に気が遠のく感覚をどうすることもできなかった。

 



冷たく硬い床に頬骨が押し付けられる痛みに意識を浮上させた俺は、すぐ後ろで生臭い息を吐きながら首筋や耳の後ろにねっとりと舌を這わせてくる感覚に肌を粟立たせた。うつ伏せになっている状態で圧し掛かられていて、既に裾は大きく割り広げられ忙しなく内股を行きつ戻りつする掌の感触に吐き気さえ覚える。

 

「や・・・・メ・・・・・・!クソッ・・・・・この・・・」

 

まだ手足の末端には痺れが残り身体に上手く力が入らないことに毒づけは、淫猥な笑いが薄暗い部屋の中にこだました。見えるものだけで判断するに、どうやらここは病棟の一番端に位置するレントゲン室の隣にある予備室らしかった。確かにここならば頑丈な分厚い鉄の扉を閉めてしまえば多少大声を出しても外に漏れることはないだろう。そして、こんな時間にこんな場所へと足を運ぶスタッフもいないはずだ。

 

「素晴らしい・・・・君はまさに至高の芸術品ですよエドワード君・・・!初めてお会いした時から花のような君をいつこの手で手折ってしまおうかと機会をうかがっていましたが・・・・・大丈夫ですよ。直ぐに目くるめく快楽の世界へと連れて行ってあげますからね・・・・」

 

欲望に上ずった声で呻くように囁きながら、無遠慮な手は俺の股間と胸を攻撃的にまさぐった。ガンガンと頭の中で大音量の耳鳴りがして、視界がぼやけ、身体は完全にすくみ上がってしまっていたから、俺は殆どされるがままの状態といっても良かった。

 

「触んな!・・・・・気持ち悪ィ・・・・・ウウウウ・・・・・ッ」

 

とうとうあの発作を起こして背中を丸め荒い呼吸を始めたのにも全く意に介さず、それどころかキンブリーは俺が抵抗する余裕を失ったことが好都合とばかりに性急に事を進めてきた。纏っていた小紋は帯を残したまま襟元を大きくはだけられ裾を割られていて、既に身体を覆うものではなくなっていた。下着に手をかけられ脱がされる感覚がありながら、恐慌状態に陥って喘ぐ俺はただ好き勝手されるほかなかった。腰を引き上げられ、まるで鷲掴むように乱暴に性器を扱かれながら後ろに何かを塗られている。

 

怖い・・・・気持ち悪い、吐きそうだ・・・・・!こんなヤツに例え一時でも自分の身体を自由にさせてしまうなんて、俺はなんという迂闊な人間なのだろう。これでもう俺は、アルフォンスの傍にいる資格さえなくなってしまうのか――――――――――。

 

「・・・・・アル・・・・・・・・ア・・・・ル・・・・・・・アル、フォンス・・・・・・!」

 

その時ふと、3年前の記憶が脳裏を過ぎった。

 

 

――――― 君は大丈夫だよ。いつかきっと心から愛し合える人に出会えば、今の苦しみも綺麗に解消されるから・・・・・だから、それまでどうか、こんなふうに誰かに傷つけられないように、ちゃんと自分で自分を守るんだよ。

 

別れ際、最後にアイツが俺にくれた言葉だ。

 

傍にいることが出来ない自分はもう守ってやることができないから・・・・と。俺が何も知らない子供の頑なさで、苦しんでいたアイツを拒絶したのに、それでもアルフォンスは最後まで俺に優しい心を注いでくれていた。こんな時になってから、ようやくそんな簡単な事に気付く俺は、なんという愚か者なんだろう。

 

俺がアルフォンスに投げつけてしまった言葉はもう取り消すことは出来ない。ならばせめて、アイツが俺にくれた言葉だけは守らなくては。アルフォンスが守ろうとしてくれたものならば、それはもう俺だけのものではない。 アルフォンスの為に、俺は俺を守らなくてはならないのだ。

 

いつもの余裕ぶった素振りなど微塵も無くした男は、雄の本性をむき出しにして荒い息を吐きながら俺の身体を弄ぶことにすっかり夢中になっていた。張り詰めたソレを後ろにあてがいいそいそと侵入を始めようとしたその瞬間を狙い、俺は身を反転させてむき出しのそれに渾身の蹴りをお見舞いしてやった。足袋越しの足の裏に伝わる十分な手ごたえに、人の善い俺は一瞬気の毒な気持ちを抱いて手加減をしそうになったが、そこを何とか踏みとどまると乱れた前袷もそのままに、もんどりうって床に這い蹲る男のわき腹に止めの蹴りを入れた。

 

壁に凭れながらも何とか袷を直しつつ、悲痛な声を上げて蹲る男を見下ろす。

 

「悪ィな先生。タマ潰れたんじゃねぇ?医者、呼んでやろうか?」

 

そこへ丁度のタイミングで鉄の扉が開き、血相を変えたオリヴィエ姉さんとマスタングさんが駆け込んできた。

 

「エドワードッ!!無事か!?」

 

見るからにボロボロの俺と床に転がって呻いているキンブリーの様子を見るなりオリヴィエ姉さんの形相がまるで鬼のように変わった。さすがアルフォンスの姉というだけはあり、その迫力は圧巻だった。

 

「・・・・やはり貴様かキンブリー!!出資者の叔父の頼みだからと仕方なく面倒を見てやったというのに・・・・この包茎野郎が!!」

 

「ふむ。やはりホーエンハイム医師の読みもそうか。どうやら私の直感は正しかったようだ」

 

そんな事を暢気に呟くマスタングさんに支えられながら、さらに天誅を下そうとするオリヴィエ姉さんを慌てて止めた。

 

「それ以上やったらマジ死んじまうって!多分睾丸破裂してるかも知んねぇんだ。泌尿器科の先生、まだいるかな。ちょっとヤバイくらい良い手ごたえだったんだよ」

 

流石にやりすぎだったかとばつ悪く言えば、オリヴィエ姉さんは勢い良く俺を振り返りつかつかと歩み寄ってきた。もしかすると、病院内で騒ぎを起こしたことを咎められるのかと身構えたのだが・・・・。

 

「良し!良くやったエドワード!それでこそ我が弟の選んだ相手だ!後は全て私に任せるといい。・・・・・・フフ・・・・・どうせ使い物にならない睾丸ならば、捻じ曲がった陰茎ともども切除してしまうのもいいかも知れんな」

 

その言葉を聞いたキンブリーがさらに悲鳴を上げた。顔中のあらゆるところから色々なものを垂れ流し、いつものすかした様子は見る影も無い。

 腕を組んでゆったりとそれを見下ろすオリヴィエ姉さんの姿を見た俺は、思わず呟いた。

 

「・・・・・・・オリヴィエ姉さん・・・・・・・・アルとそっくりだ・・・・・・」

 

 

 

 

 

「エドワードから借りた仮紐を返し忘れていた事に気づいてな。戻ってみれば廊下に衣装バッグと草履が散乱していたから、まさかと思って丁度通りかかったホーエンハイム医師と周辺を見て回ったのだよ。」
 
 そう言いながら心配そうにアルフォンスの部屋まで付いてきたマスタングさんに礼を言い、来週の教室の約束を笑顔で取り交わし扉を閉めた。その直後、俺は部屋に備え付けの車椅子用のだだっ広い浴室へと駆け込み、まるで神経症患者のように全身をゴシゴシと擦って何度も繰り返し洗い清めた。

何度洗っても、あのねっとりと纏わり付くような気味の悪い感触が消えることはなく、皮膚が擦りけて血が滲む頃ようやっと諦めてシャワーを終えた。

 

空調のきいた暖かい部屋の片隅で、眠ったままのアルフォンスには見られないと分かっていながらどこか後ろめたい気持ちがあった俺は、背を向けて身体を拭いた。しかし着替えが入った鞄はアルフォンスのベッドの横に置いたままになっていたから、俺は仕方なく所々に擦過傷があるみっともない裸の身体でアルフォンスへと近づいた。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

始めは、錯覚だと思った。しかし凝視しても何度瞬きをしても、その瞼が開いているのは見紛いようがなかった。全身が心臓になってしまったかのように、ドクドクと身体中の血管という血管が激しく脈動し、声を出すことも身体を動かすことも忘れてその場に立ち尽くした。

 

「・・・・・・・・・・・ド・・・・・?」

 

何度かゆっくりと瞬きを繰り返した後、今度はぎこちない動きで頭が此方に向けられて・・・・・・・その琥珀色の目が・・・・・。

 

俺を、見た。

 

 

「・・・・・・・・あ・・・・・キレイ・・・・だ・・・・・・エド・・・・・」

 

擦れているけれど、それは紛れもないアルフォンスの声だった。

 

「――――――――ッアル・・・・・・・・!」

 

ベッドに駆け寄り飛び付いた。

 

アルフォンスがとうとうその瞼を開き、それまで見る事が叶わなかった琥珀色の瞳の輝きを此方に向けている。そして、人形のように動く事のなかった表情が今、懐かしいあの慈しむような微笑みを形作っている。さらに唇が開き、そこからは吐息と共にずっと聞きたかった声が紡がれた。

 

「・・・やあ・・・・・久しぶり・・・・・・だね・・・・エド?」

 

「・・・・・・・・・・ル・・・・・ッ・・・・!」

 

アルフォンスの顔に自分の顔を押し付けて、両手で頭をかき抱き、涙を流しながら、ただその名を繰り返し呼んだ。アルフォンスの名以外の言葉は思い浮かばなかった。

 

アルフォンスは力の入らないらしい手をどうにか苦労して持ち上げ、それぞれの掌を俺の背中と頬に持ってくるとかすかに指先だけを動かして慰めるように撫でた。

 

「アルフォンス・・・・アルフォンス・・・・アル・・・・・・・・アル・・・・・!」

 

「・・・・エド・・・・・・・顔・・・・・・見せ、て・・・・・ちゃんと・・・」

 

少しでも離れたくはなかったが、そう言われて仕方なく顔を上げ、きっとドロドロになっている顔をアルフォンスへ向けた。目は落ちくぼみ、頬からは肉が落ちてしまっていたが、浮かべる表情は3年前と変わらず優しいままだ。

 

もう長い間使っていない声帯から紡ぎ出す言葉は擦れてぎこちない。けれどアルフォンスは、そんなことなどまったく気にならないかのように俺に話しかけた。

 

「すごい・・・・・・久しぶり・・・・だね・・・・?元気そうだ・・・・・それに、すごく綺麗・・・・・」

 

「綺麗とか言うなッ馬鹿!」

 

「フ・・・・だって・・・・・まるで天使みたい、だよ・・・・・裸で・・・」

 

「あ・・!ウワ・・・!ち、違・・・っ!これは今丁度シャワーを浴びて・・・・」

 

自分が裸だった事を指摘されるまですっかり失念していた俺は慌てて床から拾ったバスタオルで身体を隠そうとしたが、アルフォンスの声がやんわりとそれを制した。そして震える両手をなんとか持ち上げ左右に広げると、言った。

 

「・・・・エド、ここにおいで・・・・・・」

 

言われるままアルフォンスの胸に寄り添えば、アルフォンスはまるで確かめるように両の掌で俺の素肌を撫でた。そうされても安堵感しか湧かない自分に気付かないまま、俺はただアルフォンスに身を委ね、その唇から紡がれる言葉に耳を傾けた。

 

「あの電話から・・・どれくらい、経ってるのかな・・・・でも、あれは夢じゃないよね?僕とエドは、まだ繋がってるんだよね・・・・・・?僕はまだ・・・君を諦めなくても、いいんだよね?」

 

腹を刺されて瀕死の重傷を負い半年以上の間意識を失ったままでいた人間が目覚めて最初に気にしなければならない事はもっと他にあるだろうに、アルフォンスはあの日の電話で交わしていた会話の続きをしようとするのだ。俺はもう、泣くしかなかった。

 

「僕は・・・・・君がいないと駄目だ・・・・君が居ないと、自分が今、楽しいのか悲しいのかすら分からなくなる。世界から色が消えて、自分の中が全部空っぽになって・・・・・君に教えてもらった筈の感情も全部忘れてしまうんだ・・・・・・・ねぇ、泣かないで・・・・」

 

落ちた髪をかき上げられ露わになった額に乾いた唇が寄せられるのを合図に、俺は再び顔を上げた。互いの吐息が触れ合う距離で見つめ合いながら、多分、この時の俺たちはテレパシーのようなもので心と心が繋がっていたのだと思う。何故なら、アルフォンスが口にした言葉は、その直前俺の中に浮かび上がっていたものとほぼ同じだったからだ。

 

「『愛してる』ってこういう気持ちを言うんだ・・・・・・・やっと分かった・・・・僕はエドを愛していたんだね、ずっと・・・・・・エドも僕を愛してくれてるんでしょう?そうだよね?」

 

どうせ何を言ってもアルフォンスには通じてしまうだろうから、俺はわざと素直に『うん』とは言わなかった。

 

「分かんね・・・・・でも、お前がそう言うなら、もしかしてそうなんじゃね?」

 

「うん。嬉しいな・・・・・エド、愛してるよ・・・」

 

どちらからともなく、ごく自然に互いの唇が触れ合った。キスの仕方なんて全く知らない俺だったけれど、突き上げてくる感情に任せるまま唇と舌を触れ合わせてアルフォンスと一体になる不思議な感覚を味わった。

 

やがて久しぶりの覚醒に体力を奪われたのか、再び眠りに引き込まれていくアルフォンスだったが、その両腕は恐ろしいまでの力で俺の身体を抱き締めて放さなかった為に、その夜俺は全裸のままでアルフォンスの腕の中で過ごす羽目になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は、朝からまるで祭りのような騒ぎだった。

早朝病院へと出勤してきたオリヴィエ姉さんにアルフォンスの意識が戻った事を知らせるや、アルフォンスの両親やリン・ヤオが直ぐに飛んできて、全員が泣いたり笑ったり怒ったりと目まぐるしく感情を噴出させては、アルフォンスの覚醒を喜んだ。そんな人達に囲まれたアルフォンスは、一人ひとりの顔を嬉しそうに眺め、時々笑い声を零している。

少し離れた場所からその様子を見ていた俺の胸どこかに、自分とアルフォンスの未来についての不安が燻っている事は否めない。けれど、今はただ、心から幸せだと思った。

アルフォンスが生きている。目を開けて、その瞳にものを映し、耳慣れているだろう小言に面映ゆそうな表情で頷き、友人の言葉に声を上げて笑い、時々此方に視線を寄こしては幸せそうに微笑む。それがあまりにも嬉しくて、これ以上の幸せを望む事など思いつかなかった。

 

しかしやがて他愛ないやり取りの中、「それにしても」と切り出したのはオリヴィエ姉さんだった。

 

「一度死にかけた所為か、あまりにも別人のようだぞアルフォンス。まさかお前が声を上げて笑う姿を見る事ができようとはな」

 

揶揄うように言われたアルフォンスが照れ笑いを浮かべれば、それを見たアルフォンスの両親は二人揃って目に涙を滲ませた。「アルフォンスにもこんな顔が出来るなんて・・・」と。そして俺に向き直ると、二人ともが深々と頭を下げた。

 

「何とお礼を言えばいいのか・・・・エドワード君!息子の命を救ってくれたばかりか、この半年もの間献身的に世話まで・・・・・そして、見たかい?このアルフォンスの生き生きとした顔を。親の私達でさえ息子のこんな顔を見たのは初めてなのだよ・・・!ああ、本当にどうもありがとう!」

 

「いえ、俺は何も・・・・」

 

恐縮して無意識に後ずさろうとした俺の腕を捕まえると、更に二人は続けた。

 

「これからもどうか、ずっとアルフォンスの傍にいてやって欲しい・・・!エドワード君さえ傍にいてくれれば、息子はきっと道を踏み外さずに真っ当な人間として生きて行けるだろう」

 

その言葉を聞いて、心臓がドクリと大きく音をたてた。

この人達は大事な我が子に『真っ当な』道を進んで欲しいと切望している良き親なのだ。だからこうして『傍にいてやって欲しい』とわざわざ言うのは、これからは『良き友人』のスタンスから決して逸脱しくれるなという強い要請なのではないだろうか。俺は咄嗟にそう思った。

 

「は・・・・いえっ・・・・・俺は・・・・」

 

言葉の真意を量りかねて口ごもっていると、アルフォンスが両親を窘める口調で背筋が凍るような冗談を言った。

 

「父さんも母さんも出しゃばり過ぎだよ。お陰で僕はエドに『プロポーズまで親任せの情けない男だ』と思われてしまったじゃないか。」

 

これは俺にとってあまりにも不意打ち過ぎた。

恐らくではあるが、俺がアルフォンスに向けている心がどういう種類のものなのかを知られてしまっている状況で、いくらこんな時だとはいえ、とても冗談で済まされるセリフではない。まだ何も心の準備が出来ていないのに、ここでアルフォンスを産み育てた両親から拒絶の言葉を聞かなくてはならないのだろうか。

俺はすくみ上がった。

 

「エド?どうシタ?」

 

不意に固まってしまった俺を訝しんだらしいリンがかけてきた声にも、応じる余裕はもうなかった。ただ、俺の腕を掴んでいたアルフォンスの両親の手をやんわりと外させるのが精いっぱいだった。

 

冷静になってみれば、アルフォンスは所謂良家で生まれ育った身だ。それに対して俺はごく普通の家庭どころか、両親は人に言うには憚られる類の商売を営んでいるのだ。そして何より問題なのは、俺もアルフォンスも同じ男な訳で、俺達の関係は世間一般で赦されるべきものであるとは言い難い。

それらからすれば、アルフォンスの両親やオリヴィエ姉さんが次に言うべきセリフはもう分かりきっている。

 

『そういう関係』としての関わりであればアルフォンスの許から即刻去るようにと言い渡されるのかと、俺は半ば無理矢理覚悟を決めようとした・・・・・が、出来なかった。

 

 

「エド・・・・・・ッ!?」

 

 

俺は、逃げた。

逃げ出した俺の背中に届くアルフォンスの声は、胸を抉るような悲痛なものだった。けれど部屋から飛び出した俺は立ち止まることなく廊下を走った。

 

アルフォンスへの気持ちがどういうものだったのか、ようやく確信したばかりの俺にはまだ、この現実を受け入れることは到底不可能だった。


 まだ、駄目だ。手にする事が赦されるアルフォンスとの関係が、『親友』という位置付けまでであるという事実が、今の俺には耐えられない。せめて少しの間だけでも、想いを通わせたアルフォンスとふたりだけで過ごす時間が欲しかった。

 

自分は何か見返りを求めて眠ったままのアルフォンスの世話をしてきた訳ではない。これまで俺はそう思っていた。けれど、こうなってみて初めて気付くのだ。

俺は所詮何の見返りもなしに自分を犠牲にすることの出来るような人間ではなかったのだ・・・・・・と。

 

『見返りを求めない』

『アルフォンスさえ幸せであれば』

 

それは、みずからの欺瞞を隠す為の詭弁でしかなかった。

俺はただ、自分が誰よりもアルフォンスの近くに居たかっただけだ。アルフォンスに、この世の誰よりも一番に愛されるべき存在でありたい。アルフォンスのたった一人の特別な存在でありたかったのだ。

けれど、その俺の気持ちは、アルフォンスとアルフォンスの両親の絆を脅かすものになってしまうに違いない。

 

病院の建物を飛び出し、街中を目的も無く闇雲に走り回りやがて俺が足を止めた場所は、町を隔てるように流れる川沿いに延々と続く土手の上だった。

一体どれくらいの間走っていたのか、着ていたシャツは雨に降られたようにびっしょりで、日は早くも傾き始めていた。

 

 

これから自分はどうすればいいのだろう。これまではただ、アルフォンスが目覚めてくれる事だけを望んでいられた。けれど、今はもう違う。自分の胸の内にあったものの正体を自覚してしまった俺が、これから回復して日常を取り戻していくだろうアルフォンスの傍にいる事は、アイツにまた新たな別の障害をもたらす結果になるだろう。

 

俺に温もりをくれたアルフォンス。屈託のない笑みで愛情を示してくれたアルフォンス。自分の全てを曝け出して、俺を望んでくれたアルフォンス。

 

「アルフォンスが・・・・好きだ。本当に・・・・・・・好きなんだ・・・・・」

 

そう初めて口にすれば、堰を切ったように涙があふれ出して止まらなくなった。夕闇が迫る土手の上に蹲り、俺は暫くの間流れ出すままに涙を流し続けた。

これは、オリヴィエ姉さんから必ず守るようにと言われている『対処法』だった。

 

『泣きたくなったら、絶対に我慢してはいけない。心身のサインを見逃せばいずれどこかに必ず甚大な支障をきたす。堪ったストレス物質を涙腺から残らず吐き出すのだ。そうすればお前は、本来持っている強さを取り戻せるよ。お前ほど心の強い人間を、私は他に知らない。それを取り戻すんだ、エド』

 

アルフォンスの世話を始めた最初の1、2ヵ月の間、俺も半ば入院患者のような扱いを受けていたのだが、時々オリヴィエ姉さんに呼ばれて行った診察室で雑談をしながら茶を飲んでいる時に、こんな言葉を貰ったことがあったのだ。

 

オリヴィエ姉さんが自分の事を話したがらない俺に、そうとは悟らせないで行った『治療』なのだと感じながらも、俺はその言葉に勇気付けられた。

 

思えば俺は、泣くことや感情をさらけ出すことを弱さだと決め付けていたような気がする。そうする事で自分がさらに弱い存在になってしまうと思い込んでいた。

 

 

完璧な人間などいない。

 

誰もが皆、強くもあり同時に弱くもある。穢れのない感情があれば汚れた心だって持つ。

欲望に塗れ、薄汚れた感情を嫌悪し拒絶するあまり、これまで俺は、強く穢れのない自分に固執しすぎていた。弱さや穢れを持たない人間など存在する訳もないのに・・・・・。

しかし自分を否定し続けていた俺は、その同じ刃でアルフォンスの心まで切り裂いたのだ。

それでもあいつは、三年間変わらずずっと俺のことを想っていてくれた。そればかりか、眠っていた10ヵ月間などまるで無かったかのように、意識の無くなる直前の電話の会話をそのまま続けた。

 

こんな俺でも、あんなに必死に捨て身になって望んでくれる人間がいてくれる。

 

その事実はきっと、この先の俺の道を照らす光になるだろう。アルフォンスは、かけがえの無い大きなものを俺に与えてくれた恩人だ。その恩人に、これ以上仇を与える訳にはいかない。これ以上を望むのは、あまりにも身勝手で欲張りだ。

俺はもう、アルフォンスから十分すぎる幸せを貰った、だから。

・・・・・・・・これでいいのだ。

 

 

涙を流すだけ流してしまえば、オリヴィエ姉さんの言葉通りに前向きな心が蘇ってくる。

気付けばもうあたりはすっかり夕闇に飲まれ、土手の向こうには住宅や街の明かりが点々と灯っていた。

 

ひとまず病院に戻り、顔を洗ってからオリヴィエ姉さんとアルフォンスの両親にきちんと挨拶をしよう。今までの礼を言い、アルフォンスとは笑顔で『またな』と言って別れよう。そして俺は、アルフォンスと出会う前の生活に戻るのだ。ただ、それだけのことだ。

 

そうと決めてしまえば、これ以上ここにいる理由もない。俺はさばさばとした足取りで、病院へ向かうべく土手の上を歩き始めた。

ところが、その時だった。

 

けたたましいクラクションと同時に車のヘッドライトが俺に向けられ、急激にエンジン音が近付いてきたのだ。街灯もない真っ暗な土手だから、車体の色さえ分からないが、その車は信じられないことに車道から一気に土手へと続く遊歩道に乗り入れ、車両の進入を阻む為の鉄製のポールを薙ぎ倒すと、土手の草の急斜面を真っ直ぐこちらに向かって来た。

ヤク中がラリって車を暴走させているのだろうか?

身の危険を感じた俺は、その車の進路から逃げようと走り出した。

 

「エド待てこの野郎――――ッ!!」

 

ドスを効かせた乱暴な口調はさておき、その声には聞き覚えがあった。

 

まさか。

 

思わず足を止めれば、その車は俺の目の前で見事なドリフトを決め急停止した。俺の真横に丁度運転席のドアがあり、それが勢い良く開いたと同時に伸びてきた運転手の腕に引きずり込まれた。

 

「ウワ・・・・・ッ!お・・・・お前・・・・信じらんねぇ!何やってんだよ!?つーか・・・なんでいきなり車運転できんだよ!?それもセンチュリーがボコボコじゃねぇかアホ!まさかここまで来るのに人とか轢いてねぇだろうなアルフォンスッ!?」

 

シートに引き倒された俺に覆いかぶさってくる男の金の髪は肩に付くほど伸びていて、その不揃いの毛先が俺の頬や首筋をくすぐった。吐息が触れ合うほど近くに金の瞳と唇がある。これまで見たこともない程怒りをあらわにする表情を目の当たりにして、思わず全身を竦ませた。

 

「そんなこと知るか!エドがいないなら、他の人間なんて何人死んだって構うもんか!そんなことより、僕から逃げたね?お陰でいきなり初日から最高のリハビリをさせて貰ったよ・・・・許さない、エド。連れ帰ったらこのまま鎖に繋いで、絶対に一生逃がしてなんかやらない」

 

「あ・・・・アル・・・・・・ンウ・・・・・・ッ!」

 

昨夜交わした優しいキスとは打って変わって、まるで喰われているようなそれに、一気に息が上がる。でも、今の俺はもう微塵も恐怖を感じなかった。されるままに任せていると、すぐにそれは優しい動きへと変わっていった。自ら唇を薄く開けば、今度は遠慮がちに舌先が咥内にそろそろと入り込み、いたわるように撫ぜられる。

 

やがて、頬に何かが落ちてくる感触があった。

 

「アルフォンス・・・・・・・馬鹿・・・・・・泣くヤツがあるかよ・・・・」

 

折角の男らしい容貌を台無しにしてボロボロと涙を零すアルフォンスは、これまたポーカーフェイスが売りの喰えない男とはとても思えないストレートな言葉をぶつけてきた。

 

「だって・・・・エドがいなくなるから!君が居なかったら僕はダメだって言ったじゃないか・・・それなのに・・・・なんで?もう僕は、エドがいないと生きていけないんだよ?それが分かっていてエドは、その僕を捨てるの?」

 

こいつは何て事を言うのだろう。これは反則だ―――――と、内心頭を抱えた。

そんな可愛いセリフを、まるで雨の中で取りすがってくる捨て犬のような目で言われるのはあまりにも予想外だったから、効果はとにかく絶大だった。俺の胸を何かが切なく締め上げるのだ。この痛みは一体何だ。

息つく間もなく言い募るアルフォンスに、俺は慌てて声を上げた。

 

「待て、聞けよアル」

 

「何を聞けって!?僕がどうなってもエドは何とも思わないんだろ?やっぱり愛しているのは僕の方だけだったんだよね?」

 

「聞けって言ってンだろうがオラ―――――ッ!!」

 

覆いかぶさる頭を両手で捕らえて頭突きをかまし、やっと静かになった分からず屋の男の頭をそのまま胸の上に抱き込んだ。

 

「・・・・・・・・痛い・・・・・・僕が病人だって分かってるのかな・・・」

 

「あんな鮮やかなドリフトやらかす病人なんて知らね。」

 

恨めしそうに唸るのをあっさり切って捨てると、俺は観念して溜息をついた。

 

「お前さ・・・・・自分の親に俺との事を、なんであんな風に言うんだよ。俺、ビックリした。信じられねぇよお前。見たろ?あんなにお前のことを大事に思ってくれてる良い両親じゃねぇか。それをどうしてわざわざ悲しませるような事を言うんだ。・・・・・お前はさ、総理大臣なんてやってる親父がいる名門の出だろ。それに俺じゃ、つりあうつりあわない云々以前に・・・・・・・・男同士じゃんか。いずれ良いトコのお嬢さんとか貰って家を継ぐんだ。俺なんかと係わってる場合じゃねぇだろうが。」

 

俺の口調は既に、まるで兄が弟を諭すようなものになっていた。アルフォンスがもし、ただ強引に出てくるだけならば此方も撥ね退けられたかも知れない。しかし、こんな哀れを誘う表情で『僕を捨てるの?』などと言われてしまっては、とても『そうだ』とは言えなかった。

 

「エドが逃げた理由はそれだけ?僕が嫌だからじゃなく、僕が大事だから・・・・・?本当に僕はエドにちゃんと愛されてる?」

 

もう、駄目だ。その可愛い言い草は何なのだ!?おかげでやっとの思いで決めた覚悟が一気に崩壊してしまった。

 

「・・・・・・・・畜生、お前汚ぇぞ・・・!俺がそういう手に弱いって分かっててやってるだろ!?ああもうっ!」

 

舌打ちしながら胸の上に居るアルフォンスの襟首を掴んで乱暴に引き寄せると、思い切りその唇にキスをした。さっきまでの感傷的な気分は滑稽に思えるほど綺麗さっぱり吹き飛んで、もはや俺は自棄っぱちなまでに開き直っていた。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。けれどその心境は妙に自分の中でしっくりと落ち着くのだ。もしかすると俺は、元来とんでもなく大雑把で思い切りの良い性格だったのかも知れない。

 

チュと、音を立てて離れた唇が、今度はアルフォンスからしっとりと重ねられる。これではいつ終わるか分からないと、首を逸らして逃げれば正直に不満そうな顔をするアルフォンスの頬を両手で挟んで一気に告げた。

 

「分かったよ!認めてやるよ!ああそうだよ、俺はお前を愛しちゃってるよ、悪いか!?もう金輪際離れてなんかやらねぇぞ!後悔したって知らねぇからな!!」

 

途端に大輪の花が咲くように広がる笑みに、絆されている自分を否応なく自覚させられた。

 

「・・・・・エド、愛してる・・・・愛してます。死ぬまで僕と一緒に居て下さい。ううん、死んでも同じお墓に入ろう。いや・・・骨壷も一緒がいいな」

 

「墓はなんとかなるかも知れねぇけど、骨壷はいくらなんでも無理じゃねぇの?」

 

そんな馬鹿馬鹿しい会話を真剣にしている俺達だったが、それを中断するように後部座席から溜め息が聞こえてきた。

 

「ああああああ~~聞いてられないヨ~耳が腐りそうダヨ~~~!くっついた途端に馬鹿ップルモード全開ダヨ~~~!!」

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!リ・・・・・リンッ!?いつの間に・・・何でそんなトコにいるんだッ!?」

 

アルフォンスに圧し掛かられたまま叫び声を上げる俺を、シートに顎を乗せた状態でリン・ヤオが覗きこんできた。

 

「最初から居るヨォ。この我儘王子が、言う事を聞かなければ末代まで祟ってヤルって形相で懇願するカラ、僕がアルフォンスを車まで運んだんだヨ~~!そしたらこの大暴走・・・・・アアアアア怖かった!!!」

 

わざとらしく全身を震わせたリンは、そのまま『ネェ?』と後ろを向いた。

 

「・・・・・・・・・・・?」

 

後部座席に何があるのだろうかと、覆いかぶさるアルフォンスの身体を何とか運転席の背もたれに戻しながら自分も起き上がる。するとアルフォンスはこれまでの甘ったるい雰囲気をがらりと変えて涼しい顔で目を細めると、リンと同じく後部座席を振り返り、言った。

 

「父さん母さん、見た通りですよ。例え周囲の反対があったとしても、エドは僕と居ることを選んでくれた。賭けは僕の勝ちですね?」

 

「は・・・・・・・!?」

 

訳が分からずぼんやりしていると、後部座席の室内灯が灯される。するとそこにはニポン国の首相とファーストレディの姿があった。

俺の頭は真っ白になったが、ややすると先程の光景が脳裡に浮かんだ。車道から遊歩道への段差はたとえオフロード車でも相当の衝撃があるだろうに、その上鉄柱をなぎ倒し、土手の上での派手なドリフト。後部座席に居た人間はどれだけ揉みくちゃにされた事だろう。

その光景を想像してゾッとした俺は、二人の無事を確かめようと思わず身を乗り出した。

 

「怪我はないですか?大丈夫でしたか!?」

 

暴走の衝撃でまだ茫然としているらしいアルフォンスの両親の全身に目を走らせてひとまず異常が無い事を見てとった俺は、兎に角直ぐに病院に戻るべきだと運転席に向き直りアルフォンスに運転を替るよう言おうとした。ところが。

 

「聞いたかお前!?この優しい言葉を・・・・!私は感動したッ!!エドワード君、君って子は・・・!!!」

 

「ええアナタッ!なんて心根の優しい子なのでしょう、エドワード君・・・ッ!!!」

 

「ぐは・・・・ッ!」

 

突然背後から伸びてきた複数の腕に雁字搦めにされて悲鳴を上げた。横には呆れたようなアルフォンスの顔がある。どうやらシート越しに俺を背後から抱きしめているのはアルフォンスの両親らしい。

 

「あの血も涙もない鬼悪魔のようだった息子が変わったのも頷ける!エドワード君はこの穢れた世に降り立った天使だ!」

 

「ええその通りだわ!そのエドワード君の愛を受けられるなんて!こんな幸せな人間、他にはいなくてよアルフォンス!」

 

「ちょ・・・・あの・・・・・!?」

 

オロオロしているとアルフォンスに腕を引かれ、今度はその胸に収まる事になる。イマイチ事態がよく飲み込めないでいる俺を尻目に、ホーエンハイム親子が何やら言い争いを始めた。

 

「二人とも止めて下さい。この人は僕のものなんだから勝手に触らないで」

 

「ぬうう。我が息子ながら何という了見の狭い・・・!大体偉そうに所有権を主張できる立場なのか!?確かに私達は『エドワード君本人が、仮に周囲からの反対がある状況でもお前を選んでくれるのなら』という条件でお前がエドワード君の人生に干渉する事を許すと言いはしたが、まさかあんな形振り構わない手段を使うとは・・・・・!息子よ、少々インチキ臭くはないか!?」

 

「甘いですね父さん。涙を武器にできるのは、何も女性だけではないのですよ。それに彼からの答えを引き出す方法に条件は付いていなかった筈。約束どおり、この先のエドワードの人生は僕が貰います」

 

「エドワード君・・・!辛い事があったら何でも我慢ぜずに私に言うのよ!?嗚呼・・・!我が子の心の荒廃を癒す為にエドワード君の人生を奪ってしまうのね・・・・胸が痛むわ」

 

「エドを生贄にするみたいな言い方は止めて下さいませんかお母さん。」

 

「え?え?え?な・・・・・なんだ?一体どういう事なんだ・・・・?」

 

あまりの展開に俺の感情が付いていかない。この会話を聞く限りでは、まるでアルフォンスの両親が俺とアルフォンスの関係を許しているようにもとれる。それに・・・・。

 

「・・・・・・アルフォンス・・・・・・まさかお前、さっきの『泣き』は嘘だったのか!?」

 

掴みかかる俺に向けてくるアルフォンスの笑顔はこの上なく清らかだ。

 

「とんでもない。僕はエドが病室から飛び出して行ってから生きた心地がしなかったんだよ。やっとつかまえた筈の君をまた失ってしまうんじゃないかって、怖くて仕方がなかった。だからさっき君をこの腕に抱いてキスしたときには、本当に嬉しくて涙が出そうだったんだ・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・ん?『出そうだった』・・・・・?」

 

俺が首を傾げれば、それ見た事かと後部座席からニポン国首相とリンによるブーイングの二重奏がアルフォンスに浴びせられた。

 

「審判のやり直しを要求する!」

 

「そうだそうだ!ズルっこダ、ズルっこダ!!」

 

「・・・・・さっきの涙は・・・じゃあ、演技だったのか?お前汚ぇぞ!あんな仔犬みたいなキュルンとした目で縋りつきやがって!!」

 

俺も一緒になって意義を申し立てれば、アルフォンスがまるで魔王のような表情で一喝し周囲を黙らせた。

 

「やかましい!少しばかり大袈裟に涙を流したからってそれが何だっていうんだ!?エドワードと共に歩む未来を手に入れられるなら、僕は喜んで悪魔とだって取引きするとも!」

 

『いや、悪魔の方から取引きを断ってくるだろう』とか、『お前こそが真の悪魔だ!』とかいう野次を綺麗に黙殺したアルフォンスは、とても半年以上もの間眠っていた人間とは思えない優美な仕草で車を走らせた。その運転があまりにもゆったりと穏やかだったから、俺は病院に到着した後アルフォンスが運転席からリンの助けを借りて車椅子に乗る瞬間まで、リハビリの必要な人間に運転させてしまっていた事をすっかり忘れていた。

 

 

 

 

結論から言えば、アルフォンスとの関係を断ち切らなくてはならないのかと病室を飛び出した俺の行動は、単なる思い違いによる暴走でしかなかった。

元の病室に戻った後も未だあれこれ言い争いをしているホーエンハイム親子3人の横で、それをのんびり眺めているリンに説明を求めて視線を送ると『坊チャンは鈍いネェ』と苦笑された。

折角だから親子三人水入らずの場を作ろうと、俺とリンは自販機のある面会用のスペースに移動した。

 

少し離れた場所にあるナースステーションから漏れる灯りと非常灯、自動販売機の灯りだけが光源の薄暗い中、ひんやりと冷たい椅子に並んで座り手の中の缶コーヒーの温もりに癒されながら、リンの話を聞く。

 

「アルフォンスはとっくの昔・・・・・坊チャンと出逢ってすぐに『好きな人がいる』って親に話してたんだヨ。その相手が坊チャンだって事もネ。相応の歳になれば見合い話も来るダロ?ホーエンハイム家程のレベルになれば相手もそれなりだ。断る事が決まっているのに一度話を持ち帰ってしまえば後々禍根を残す。アルフォンスはそれを見越して坊チャン以外の相手は考えられないって釘を刺したンダ。」

 

「そんな・・・・・・・だって俺・・・」

 

出会って間もない3年前、アルフォンスが既にそこまでの想いを胸に持っていたのだと知り愕然とした。それなのに俺は、そのアルフォンスに自分の痛みを押し付けて拒絶してしまったのだ・・・・・。

 あの日別れ際に見たアルフォンスの涙を思い出して、胸が裂けるような痛みを訴えた。

 

「人間の情とか良心ってヤツをまったく理解しないアルフォンスに、アルフォンスの両親もオリヴィエ姉さんも・・・・・ボクもネ。このままアルフォンスはどうなってしまうんだロウ、何かとんでもないコトをやらかしてしまうんじゃないか・・・って、不安だっタ。だから、そりゃあ最初にそれを聞いた時は驚いたけど、初めて自分の意思と感情を表現したアルフォンスに、皆躍り上がって喜んだ。相手が男だとかそんなのはネ、ボクらにとっては取るに足らない些細なコトでしかないんだヨ・・・・・坊チャン」

 

冷めかけたコーヒーの缶を握り締めて項垂れていた俺の肩に、リンの大きな手が置かれた。それに顔を上げれば、リンはらしからぬ真剣な表情を作ると背筋を伸ばして俺に向き直り、深々と頭を下げたのだ。

 

「オイ・・・・!」

 

「アリガトウ、坊チャン。坊チャンと出会えて、アルフォンスは変わった。ようやく人間らしい感情を学ンダ。アイツの幼馴染みとして、心から感謝スル。どうもアリガトウ・・・!」

 

「ありがとう、エドワード君。私達からも改めて礼を言わせてくれ」

 

不意に後ろからも声がして振り向けば、車椅子に乗ったアルフォンスと、アルフォンスの両親がそこに居た。

 

3人から一度に頭を下げられた俺は狼狽しただ首を振りながら口ごもるだけだったが、穏やかな微笑みを湛えたアルフォンスの表情を見つけると俄かに湧き出した想いを口に上らせた。

 

「・・・・・・いいえ。お礼を言うのは俺の方です。お父さんお母さん、アルフォンスをこの世に産んで下さって・・・・・どうもありがとうございました。俺こそアルフォンスが居なかったら、きっと自分の人生に、生きるだけの価値を見いだせなかったと思う。アルフォンスは俺にとって恩人なんです。だから・・・・・・リンも、ありがとなッ」

 

途中からどうにも照れくさくなって次第に早口になりながら一気に言えば、アルフォンスの両親とリンは3人ともが肩を震わせて妙な表情を作っていた。

 

「あの・・・・?」

 

「エドッ!危ないっ!!!」

 

首を傾げたその次の瞬間、背後に勢いよく車椅子が滑り込んで俺を膝に抱え込むなり目にも止まらぬスピードで廊下を走りだした。

 

「・・・ちょ・・・・危ね・・・・・何考えてんだお前・・・・ッ」

 

「ハイエナ共の殺人的なスキンシップからエドを守ったんだよ!まったく無防備なんだから君は!」

 

呆れたように言いながら、リハビリなど全く必要なさそうな逞しい腕でガシガシと車輪を高速で回転させる。そのアルフォンスの肩越しに後ろを振り向けば、何故か廊下で将棋倒しになっている三人の姿が遠ざかって行くのが見えた。

 

「何なんだよ一体!?俺まだ両親にちゃんと挨拶もしてねぇんだぞ!つか、無茶すんなって、オイ!」

 

この状況で不用意に暴れるのも却って危険かと、俺は大人しくアルフォンスの膝の上で口だけを使って抗議したのだが、当のアルフォンスはそれに答える素振りを見せぬまま、とうとうフロアの端にある病室まで辿りついてしまった。

 

部屋のドアを閉めるとがっちりと施錠までしたアルフォンスは、俺を乗せたまま車椅子仕様の浴室へと滑り込んだ。行動の脈絡の無さに違和感を感じつつも、長い間自らの意思で身体を洗うという事をしていなかったアルフォンスだ。意識が戻ればさぞ風呂にも入りたくなるだろうと得心した俺は、入浴を介助しようとその膝から降り、アルフォンスの服のボタンを外しにかかった。

 

「唐突なヤツだな。まだ風呂に湯張ってねえぞ?」と言えば、「さっき自分で自動給湯のスイッチを入れておいた」と抜け目なく返してくる。そしてどういう訳か俺の服を脱がせにかかる。

 

「・・・・・・・?俺も一緒に入んの?」

 

首を傾げると、またしても仔犬のような目で俺を見上げてくる。分かっていながらその魔力にたぶらかされてしまう俺は、やはり甘いのだろうか。

 

「だって、エドだってどうせ濡れちゃうでしょう?それに走り回って汗かいただろうし、ついでだから一緒に入ろうよ。ね?」

 

そう言われて断る理由もないから、俺は素直に頷いた。この後に何が待ち受けているかなんて、まったく想像すらしないままで。

 

 

 

たっぷりと湯が張られた大きなバスタブと熱めのシャワーから立ち昇る湯気にすっかり温められた浴室内で、アルフォンスの身体を丁寧に洗ってやる。意識を取り戻してからまだ丸一日も経っていないというのに、アルフォンスの身体全体から途轍もない英気が湧き出しているような気がする。眠っていた時にはあんなに弱々しかった印象が、こうまで変わるものかとその回復力に感動さえ覚えた。

大人しく俺に身体や髪を洗われていたアルフォンスだったが最後の仕上げにザブリと頭から湯をかぶると、落ちた前髪を両手で後ろに撫で付けて俺に手招きをする。

 

「?なんだよ?」

 

次は自分の身体を洗おうと再度泡立てていたスポンジを俺の手から奪い取ると、繊細な手つきで俺の身体を洗い始めた。『自分でするから』と抵抗するも『これもリハビリだからね』と言われれば、俺としても好きなようにさせる他はないから、黙って促されるまま椅子に座る。

 

これまで生きてきた中で、こんなにも念入りに身体を洗ったことがないと思えるほど隅々までじっくりと洗い上げられた後、アルフォンスに手を貸しながら一緒にバスタブへと身を沈める。

 

「ああ・・・・・気持ちいい・・・・!」

 

幸せそうに呟いてバスタブの淵にゆったりと背を預けるアルフォンスの様子が嬉しくて、頬がだらしなく綻ぶのをどうにも止められないでいると、不意にアルフォンスが俺の腕を引いて自分の膝の間に移動させた。

 

「エド・・・・・ちょっと聞いていい?」

 

「ん?なんだ?」

 

アルフォンスの胸に背を預けるような状態にされてしまった為、余程思い切り首をねじらなければ目を合わせられない。つまり声だけでアルフォンスの感情を判断するしかなく、その穏やかな声に別段何も感じなかった俺には、背後にあるアルフォンスの双眸が鋭く光ったことなど知る由もない。

 

「この首筋の痕・・・・・・これは誰に付けられたの?」

 

「・・・・・・・・・・?」

 

アルフォンスの言っている事が直ぐには分からなくて、暫し首をかしげる。

 

―――――――痕・・・・・?最近、首筋に引っ掻き傷でも作っただろうか・・・・?

 

そこまで考え、ハタと思い当たる。

 

「ア・・・・・ッ!」

 

昨日のアルフォンスの覚醒以来、衝撃的な出来事の連続ですっかり忘れていたが、整形外科医キンブリーに危うく強姦されそうになった事件はまだ昨日のことだったのだ。まさか痕まで付けられていたとは思わず、咄嗟にそれらしい場所を手で覆い隠しながらアルフォンスを振り返った。

 

「こ・・・っこれは別に、大丈夫なんだ・・・!大したことないんだ・・・・!」

 

「エド、怒らないから教えて。これは誰がつけたの?何をされたの?」

 

妙な誤解をされたくなくて慌てたが、アルフォンスは静かな目で、まるで慈しむように俺を見た。その表情に、全ての顛末を話さなければならないと悟って、俺は昨日のキンブリーに襲われた件をアルフォンスに打ち明けた。

 

「そう・・・・・エド、そんな時に助けて上げられなかったなんて・・・・・ゴメン」

 

そう言って強く抱き締めてくるアルフォンスの大きな背中に俺も腕を回して抱き返した。アルフォンスが酷く傷ついているような気がして、何度もアルフォンスの濡れた髪を撫でた。

 

「ホントだぜ。お前が止めに入らなかった所為で、相手に重症を負わせちまったじゃねぇか。今度はちゃんと俺を止めてくれよな?」

 

わざとおどける様に言えば、アルフォンスは神妙な顔で頷き、もう一度俺の身体を後ろから抱えるように抱き締めてきた。と、同時に首筋の痕があると思しき位置にゾロリと生暖かい感触があって、悲鳴を上げた。

 

「ひゃ・・・・・く、くすぐってぇ!オイ、アルフォンス!何しやが・・・・・」

 

ふざけているのかと笑いながら身を捩ろうとすれば、今までになく強い力で抱き締められて、ようやく何かが違うことに気付く。

 

アルフォンスの舌は、そのまま周囲を舐めまわし、吸い付き、軽く歯を立てて・・・・そんな動作をひたすら繰り返している。腰に回された腕は片方が脇腹をなぞりながら上へと移動し、やがて胸の辺りで動きを止めると、今度は指先を小さく動かしてくる。

 

「ア・・・・・ル・・・・?何だ・・・・・?」

 

ここに至ってもまだ俺はアルフォンスの意図に気付けなかった。恋愛の経験が全くなかった俺にとって、相思相愛になったその後の恋人同士がどんなプロセスを踏むのかなど全く想像可能な範疇にはないことで、また何となくではあるが、互いの思いを確かめ合った後、すぐさま即物的な関係を結ぶことなどあり得ないと勝手に思い込んでいたのだ。

 

「エド・・・・・ホラ、僕が痕を付け直したからこれでもう大丈夫・・・・好きだよ・・・」

 

「うあ耳ッ!止せってば・・・・・!アル・・・・?」

 

掠れた熱っぽい声が耳朶に直接吹き込まれてもう一度身を捩ったと同時に、あり得ない場所をやんわりと掴まれて飛び上がった。

 

「あ・・・・あ・・・・あ・・・・っ!?何・・・?何して・・・・・・・ッ!?」

 

ゆらゆらと揺れながら天井の照明を反射させている湯面に透けて見えるのは、アルフォンスの掌に包み込まれている自分の性器だ。

 

「エド・・・・・いい?それとも、ダメ?怖い?君が嫌ならしない。」

 

「え、え、え・・・・・『いい』って何が?何を?ウア・・・・・そんなトコ、触んな・・・・・・アッ!」

 

他人の手によって性器を扱かれる感覚は昨日既に体験していたはずなのに、今のこれはまったく別物だった。昨日はただ嫌悪感と恐怖と憤りでいっぱいだったのが、今は身体の奥底から得体の知れない熱の塊がせり上がって来るような感覚だ。

その初めての感覚に一気に余裕をなくした俺は、そこと胸に触れているアルフォンスの手にそれぞれ自分の手を重ねて、それ以上動かせないように強く押さえつけた。

 

「アル・・・ッアル・・・俺・・・・・・お前と、すんの?・・・・セックス、すんの・・・?今?」

 

言いながら、なんて子供っぽい聞き方をしてしまったのかと自分を恥じたが、それも一瞬のことだった。何故なら押さえつけていた両手の動きをアルフォンスが強引に再開させながら、耳の後ろのゾクゾクする場所に吸い付いてきたからだ。途端に身体中の血液が沸騰するような凄まじい快感が全身を駆け巡る。

 

「アア・・・・・ッ!?」

 

初めて聞くそんな自分の声に、さらに煽られる。羞恥のあまり気が遠くなりそうだった。

 

「怖い?僕はまだこんな状態だし、今日は最後までしない・・・・・・その意味、分かる?」

 

「・・・・・・・・触るだけって・・・・コト・・・・?」

 

聞き返す俺の声は情けないことに、目も眩むような快感と恥ずかしさで既に半泣きだった。アルフォンスはまるで幼い子供相手に優しく教えるように、自分の要望をはっきりと口にした。

 

「このままエドのペニスを擦ってイかせたい。出来ればエドにも僕のを同じようにしてもらいたいな。・・・・で、少しだけ後ろに指を入れさせて。分かるでしょう?男同士が何処を使ってするのか。初めてだし出来るだけ時間をかけて慣らしておかないと、僕のを挿入する時エドが辛いと思うんだ」

 

あまりに直接的なその物言いに耳を塞ぎたくなったが、それは経験のない俺が先を読めないが為に抱いてしまう恐怖心を少しでも和らげようという、アルフォンスなりの思いやりなのだろう。

荒い呼吸を吐きながらも強張る舌を何とか動かして、俺は返事をしようと思ったのだが・・・・・・・・。何と言って答えればいいのか分からなくなり、口ごもった。

『しても良い』では、まるで自分は嫌だけどアルフォンスの為に我慢すると言っているようだ。かといって『して欲しい』だなんて、とてもじゃないが言えない。

 

「エド・・・・・?無理しなくてもいいんだよ?」

 

俺の逡巡を別の意味に取ってしまったらしいアルフォンスが心配そうな声を出したけれど、俺の尾骶骨の辺りに先ほどから触れているアルフォンスの中心は半端無く硬く張り詰めていて、同じ男として相当辛い状況であることは痛いほど理解できた。

俺は意を決すると、背中をアルフォンスの胸に預けて首を後ろに反らし、頬と額をアルフォンスの胸と顎の下に摺り寄せながら伸ばした腕で頭を引き寄せた。キスは唇に届かず僅かにその下を掠めただけになってしまったが、それでも俺の応えはアルフォンスに充分通じたようだ。そのまま大きな手に顎を捉えられ深く口付けられながら、性器を愛撫するアルフォンスの手に一層力が込められる。

 

意識の無いアルフォンスの掌を、自分の頬や首筋・・・・・時にはシャツの隙間から胸元へと差し入れて、アルフォンスに触れられている感覚を一人こっそり味わうことは何度もあった。けれど、自ら意思を持っただけでこうも与えられる感覚は違うのか・・・と、愕然とする。

かつては温かく安心できる優しいだけのものであった筈のそれは、今はまるで触れたところから火をつけるように熱を生み出していく。そしてその熱は、耐え難い熱いうねりとなって俺を甘く責め苛んだ。

どうしても耐え切れずに零れてしまう声と荒い息が浴室内に響いて、それが一層羞恥を煽る。アルフォンスは、巧みに俺を高みへと誘いながらも絶えず『大丈夫か』と心配そうに聞いてくる。頬やこめかみに甘ったるいキスを受けながら、そのたびにガクガクと頷いて行為の先を促した。

 

「ア・・・・アア・・・・・ンク・・・・ッ、も・・・・・・手、離・・・・・アアア――――ッ!?」

 

限界を感じてアルフォンスの手を自身から引き剥がそうとした途端、根元に近い部分をぎゅっと締め上げられて更に高い声を上げた。奔流を塞き止められる快感とも苦痛ともつかない感覚に、すすり泣くような呼吸を繰り返して耐えていると、そのまま膝裏に手を差し入れられてアルフォンスと対面するようにさせられた。

 

「ごめんね・・・・・」

 

知らずに浮かべていたらしい涙で滲む視界には、優しげな容貌を上気させ妙に男臭い表情をしたアルフォンスが居る。後ろに撫で付けたはずの前髪が乱れて落ち、それが目元にかかって影を作っているのを見て、訳も無く胸が騒いだ。

 

大きな掌の片方は俺の中心を戒めたまま、もう片方は背中を撫ぜながらそろそろと下がり、やがて尻の肉をまるで確かめるように丁寧に揉みしだき始めた。

アルフォンスに助けを求めるように視線を送れば、再び顎を捉えられて長い口付けが始まる。呼吸の仕方も分からず時々逃れては酸素を取り込むのだが、直ぐにアルフォンスの唇に捕まってしまうから、俺の息は上がる一方だ。

 

俺の両手はただ所在無げにアルフォンスの腕を掴んだり離したり、いったりきたりを繰り返すだけで、それらしい事を何一つ出来ないでいる。けれどアルフォンスは確実に俺を高みへと導き、追い詰める。

 

「ア・・・・・アル・・・・・・・ダメだ・・・・・・・・待・・・・・」

 

そう口にした途端、アルフォンスはぴたりと動きを止めて俺の目をいたわる様に覗きこんできた。同時に俺の身体からアルフォンスの両腕が離れかける。

 

「違・・・・・っ!そうじゃねぇ・・・・・!」

 

慌ててその手を掴んでおさえつけた。その両方ともが俺の下半身の普通なら他人の手には決して触れさせない場所にあったから、咄嗟にそうしてしまった自分が恥ずかしくて身体中の血液が沸騰する思いだった。けれど、アルフォンスに誤解して欲しくない。その一心で、どうにか言葉を紡ぐ。

 

「怖いとか、嫌だとか、俺がお前のことをそんなふうに感じる訳ねぇだろ?ビクビクすんなよ・・・・・馬鹿アル・・・ッ」

 

「・・・・・・・うん・・・ゴメン。僕もいい加減神経質になりすぎてるよね。でも、エドを怖がらせたくない・・・・気持ち悪いって思われたくないんだ」

 

俺以外の相手には一貫して不遜な態度を貫いているらしいアルフォンスが頼りなさ気な表情でそんなセリフを言うから、俺は堪らなくなって即座に返した。

 

「すげぇ気持ち良いし、ちっとも怖くなんかねぇよ!」

 

「・・・・・・・・・・・エド・・・・・・・ッ」

 

「ウア・・・・ッ!!」

 

突然もの凄い力で抱きしめられ、次の瞬間にはまた嵐のようなキスに揉みくちゃにされた。俺の一体何がアルフォンスに火をつけてしまったのか分らぬまま、途中で放り出されていた中心を再び握りこまれて悲鳴を上げた。奔流に押し流されかけたところで、俺はさっき行為を中断させて言おうとしていた言葉を掠れた吐息混じりにやっとのことで口に上らせた。

 

「アル・・・・・アル・・・・・俺だけじゃ、ヤだ・・・・・お前も・・・・・っ」

 

手さぐりでアルフォンスの腹筋を下へと辿り、熱く張りつめたアルフォンスの分身へと手を伸ばした。その熱さと猛々しさに一瞬躊躇したもののそれも最初のうちだけで、俺は両掌でそれを包み込むと無心に愛撫した。アルフォンスの喉が音を立て、一気に手の中のそれが勢いを増すのに、俺の胸はたとえ様のない愛おしさで溢れた。こんな感情があるなんて、今まで俺は知らなかった。俺のすべてがアルフォンスの色に染まる。俺のすべての感覚が、アルフォンスだけに向けられている。アルフォンスで満たされる。

 

「あ・・・・・アル・・・・・好き、だ・・・・・・アル、好き・・・・・・・・」

 

「うん、僕も・・・・愛してるよ・・・・エド・・・・・!」

 

最後の方は互いのものを纏めてアルフォンスの大きな掌で包み込まれ、一気に絶頂まで連れて行かれた。俺はもう背を反らしながら、両手でアルフォンスに縋りつくしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

筋力が衰えて足取りの覚束ないアルフォンスとすっかり腰が抜けてしまった俺は、互いの身体をどうにか支えあいながらようやっとベッドへと辿りつくと、もつれるように倒れこんだ。部屋こそ通常の個室より広く設備も揃ってはいるが、そこはやはり病院だ。ベッドは一人用の小さなパイプベッドだから、男二人で横になろうとするなら必然的に密着せざるをえない。

熱の名残を洗い流してここにたどり着くまでに上がってしまった呼吸のまま、俺とアルフォンスは抱き合いながらふと互いの顔を見合わせると、同時に笑い声を上げた。

 

「なんだか全然ロマンチックさがないね。もう少しカッコつけたかったのになぁ・・・・」

 

心底口惜しそうに言うその正直さに、俺は更に大笑いした。アルフォンスはなかなか笑いをおさめない俺に覆いかぶさるようにしてあちこちにキスを落とす。

鼻先、額、瞼、頬、顎・・・・・・・唇・・・・・。

 

啄ばむだけのキスが自然と深いものへとなるに従い、またしても息を乱して忙しなく上下し出した胸にアルフォンスの繊細な指先が触れて、既に覚えた場所をひとつひとつ確かめるように撫でていく。教えられたばかりの快感に顎を引いて耐えながら、何とか自分もアルフォンスの肩や脇腹に掌を這わせてそれらしく動かす。やがて指先で触れていた場所・・・・乳首に、チュと音をたて唇で吸い付かれて全身を震わせた。俺が身体を強張らせると、またしても心配そうな声が聞いてくる。

 

「・・・・・・怖い?」

 

「・・・・・ヘイキ・・・・・え・・・・何?ソコ・・・・お前、舐めた・・・?」

 

「うん。気持ち悪い?」

 

さっき散々『お前なら怖くない。気持ち悪くない』と繰り返したのに、それでもまだ不安な表情を浮かべるから、俺は自分の感じたとおりの感想を口にした。

 

「気持ち悪くねぇ・・・・けど、手で触れないカラダの奥の方がゾワッとしたっていうか・・・・なんか、熱い」

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」

 

どういう訳か、急にアルフォンスは額を俺の頭の横の枕に押し付けるとシーツを握り締めて肩を震わせ始めた。

 

「どうした、アル?」

 

「・・・・・・分かった。僕が悪かった。もう『気持ち悪い?』とは聞かない。だからエドもこれからは、『この先を続けていいのかダメなのか』、それだけを僕に教えて?」

 

早口で一気にそう言って顔を上げたアルフォンスの頬は真っ赤だ。その上汗までかいている。そして、大きく息を吐きながらなにやら一人ごちている。

 

「ああ、さっきといい今といい、もう少しで暴走するところだった・・・・・危なかった」

 

「アル?・・・・・アッ・・・・ちょ・・・・・お前・・・・ッ!」

 

大きく肩で息をしながら仕切りなおしとばかりに俺の体を抱き寄せるアルフォンスの中心が下腹部にあたり、その勢いに思わず腰を引いた。しかし許されず、アルフォンスの大きな掌に引き戻され、腰にあった手はそのままするりと下へ・・・・・。

 

「ハ・・・・っ!?ウア・・・・ア・・・・あ、ソコ・・・・ッ」

 

「ダメ?嫌なら言って。」

 

アルフォンスの掌は今、俺の尻の肉をやわやわと揉みしだいていて、その指先は谷間を押し広げながら奥の入り口に触れている。こうされるのだと予め分かっていながら、いざとなるとやはりそうすんなりとは首を縦にふれるものではなかった。

アルフォンスは根気強く俺を待っていてくれる。

 

「・・・・・ダメ・・・・?次にしようか・・・?」

 

性的な接触を恐れて過呼吸の発作など起こしてしまう情けないこの俺だって、男だ。アルフォンスが今どれだけの忍耐でもって俺に負担をかけまいとしてくれているのかは充分理解できるのだ。それなのにアルフォンスの顔を見上げれば、切羽詰った表情をなんとか取り繕い俺に恐怖を抱かせないようにと必死に自分を抑えて穏やかな笑みを作っている。

胸がキュっと締めつけられた。この感情をどう表現すればいいのだろうか?思えば俺はアルフォンスと出会ってからというもの、それまで決して体験した事のなかった多くの感情を覚えたのだった。それらは皆、自分にとって優しいものばかりではないけれど、知らなければ良かったと思うものはなにひとつとしてない。

 

「アル・・・いいから・・・・お前になら何されたって俺は嬉しいから・・・・もう、いちいちそんなふうに聞・・・・・!」

 

俺の言葉は最後まで音をなさず、アルフォンスの咥内へと溶け・・・・消えた。

 

 

 

 

 

ベッドがギシリと一際大きな音をたてた。

アルフォンスが上体を起こしながら俺の片膝を自分の肩にかけて覆いかぶさってくる。身体を硬くしては怯えていると思われてしまうから、俺は懸命に息を吐いて力を抜くことを心がけた。しかし、アルフォンスの肩にまわした手やシーツをかく足先が震えてしまうのはどうしようもない。

 

アルフォンスがベッドサイドの物入れの引き出しから取り出した軟膏のビンを開け、指先に取ったそれを下肢へと持っていく。ヒヤリとしたのは最初のうちだけでそれはすぐに俺の体温で温められ滑らかになり、アルフォンスが軟膏を潤滑剤として使ったのだと気付く。

力を抜こうと思えば思うほど全身が強張ってしまうのをどうにもできず半ばパニック状態になっていたところで、アルフォンスが口を開いた。

 

「エド・・・・・・ところで、こんな時になんだけど・・・・・・」

 

「・・・・・・ん・・・?」

 

不意に、妙に真面目腐った顔で問いかけてくるから俺も思わず普通にかえって返事をすると、アルフォンスは更に真剣な顔で言った。

 

「僕と君が初めて出逢った日って、何月何日だったかエドは覚えてる?」

 

「・・・・・・・・・ええと・・・・」

 

アルフォンスがあまりにも深刻そうに眉をひそめるから、『こんな時に』などとは思う余裕もないまま俺は記憶を辿った。

確か、俺が超多忙を極めていた時期だったから・・・・そうだ。一月・・・・それも成人の日だった。あの年の一月の第二月曜は何日だったか・・・・

しかしそこで俺の思考は中断された。何故ならばアルフォンスが俺の意識が逸れたところを見計らって一気に指を中に挿し入れて来たからだ。

 

「ウウウ・・・・・・ッ!」

 

こみ上げてくるどうしようもない異物感とそして全身を焼くような羞恥に、無意識に身体を丸めてしまいそうになれば、アルフォンスはそれを読んでいたのか俺の首筋や胸・・・・ありとあらゆる場所に転々と唇と舌で甘い刺激を植え付けていく。そうされて今度は逆に背を反らしてしまうことになる。まるで、自らの身体をアルフォンスに向けてすべて開示するように。

 

「素敵だね、エド・・・・・・そうだよ、そうやって全てを僕に見せて・・・・教えて」

 

「ヒャ・・・・・・ッ!」

 

腰に響くような囁き声と共に耳の後ろに吸いつかれた途端、身体の中に指し込まれていたアルフォンスの指先が何かに触れた。身体の奥深くで、聞いたこともない音がした。・・・・・おそらくそれが、スイッチだった。

 

「アアッ、アア・・・・何・・・・・・?ウア・・・・・・イヤァ・・・!」

 

「うん。ココだね?大丈夫、心配ないよ。エドは感じるまま自由にしていればいい・・・」

 

耳元で囁いているはずのアルフォンスの声さえ、どこか遠くに聞こえる。

突然体中の皮膚という皮膚。髪の先にまで神経があるのかという程感覚が鋭敏になり、触れるもの全てが俺にとんでもない快感をもたらした。背を反らす度、肌に触れるシーツの感触でさえもが、やるせない熱を生む。自分の中で得体の知れない熱の塊が激しく駆け巡るのを感じる。

それはきっと、俺が生まれて初めて自分の根底にあった『本能』というものを目に見えてハッキリと実感した瞬間だった。

 

―――――――アルフォンスが、欲しい。

 

浅ましいとか、みっともないとか、恥ずかしいとか・・・・・・そんな自分を抑制する為の思考が、この時の俺の中では少しも機能していなかった。

ただひたすら、アルフォンスが欲しい・・・・・・と。その餓えにも似た衝動だけが、俺を支配した。

 

「アル・・・・・・!アル、アル・・・・!」

 

アルフォンスの名前だけを呼びながらその広い背中に腕を回してしがみつけば、アルフォンスの指が更に数を増やして中に挿し込まれた。より強い新たな快感に喘ぐ唇を深くとらえてアルフォンスが繰り返し囁く甘い睦言を聞きながら意識は徐々に遠くなり、その行為がいつ終わったのか俺が知ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けると、横になって頬杖をついたアルフォンスが眼を細めて俺を見つめていた。さっきかき乱した筈のシーツはすっかり整えられていて、俺とアルフォンスはその上で裸の身体を寄せ合うように横たわっていた。先程までの全身を焦がすような熱は、僅かな余韻だけを残し何処かへ消え去っていた。

 

「・・・・あ・・・・・・」

 

「いいよ、そのままでいて・・・・・・ねえ、エド。今日はこのまま抱きあって眠ろう?人の手に怯え続けていた君が、ようやくこうして僕と触れあう事が出来た・・・・・これが今限りの夢で終わらないように、明日の朝までこうしていたいんだ。」

 

そう言いながら胸深くに俺の身体を抱き寄せるアルフォンスは、年相応・・・・いや、それよりも更に幼く感じられた。抱きしめられているのは俺の方なのに、まるでアルフォンスを抱き締めているような錯覚を覚える。今俺の胸を温かくしているのは、際限なく湧き出てくるようなアルフォンスへの想い・・・・それだけだ。

 

「じゃあ明日は間違っても寝坊できねぇぞ。朝の見回りにくる看護師さんが、裸で一つのベッドに眠ってる俺達を見たら卒倒しちまうからな」

 

「見せびらかしたい気持ちは満々なんだけど、エドがそう言うなら善処します」

 

そう言ってクスクスと笑い合いながら抱きあい、ふたり目を閉じる。

 

幸せだ・・・・・と、心からそう思った。

 

ただし。

すっかり満たされて幸せに浸っていたこの時の俺はまだ、アルフォンスだけが欲望を満たせずにいた事に気付けずにいた訳だが、後日、本人の手によってしっかりそのツケを払わされたという事だけは明言しておく。

 

 

 

 

 

 

 

テキストTOPへ     6へ      8へ