ある男の野望 2

 

 

 

 





 腕を伸ばして前傾姿勢を取っていた俺は、その腕を掴まれて軽く引かれただけであっけなくバランスを崩し、男の腕にすっぽり抱きこまれることになった。結構な勢いで倒れ込んだにもかかわらず豊かな大胸筋に受け止められ、予想していた衝撃は殆どなかった。

 しかし、主な用途が眠る為ではないベッドの上で、全裸で男に抱きかかえられているという状況に、俺の全身から一気に血の気が引いた。

 

 「・・・・・・?エド、震えてる・・・・・・寒いのかな?もっと空調の設定温度上げようか」

 

 極度の恐慌状態に陥った俺の様子を勝手に勘違いしたらしい男は初めて慌てた様子を見せ、引き寄せた羽毛布団で俺を包み、空調のリモコンを操作したりする。

 

 俺が何故そんな状態になっているのかには、根深くも単純な理由があった。

 

 

 



 俺の親は、俺が物心つく頃には既にほぼ現在のような状態で手広く商売を展開していた。そして、両親ともが性的な事柄に非常にあけっぴろげであった為、彼らはまだ性のなんたるかなど知る由もない幼い俺を平気で職場に連れてきては自由にさせていた。だからその行為がどんな意味を持つものなのかさえ知らない状態で、俺は幾度となく生々しい男女の(時には同性同士の)交合を目にする事がままあった。

 

 年齢が上がるにつれ、当然その行為がどういった意味合いを持つものなのか知るようになる訳だが、まだ初恋さえ経験した事もないまま性の現実を幾度となく目にしながら育ってしまった俺は、性的な事柄に強い嫌悪感を抱くようになった。しかしながら人並みに成長すれば、やがて男の生理として身体が溜まったモノを吐き出そうとするのは当然の事で、俺はいつもギリギリ限界まで我慢した挙句に嫌々ながらする自慰行為の度、耐え難い自己嫌悪に打ちひしがれるのだ。

 

 

 『生殖』という行為に嫌悪感ばかりが先行し肯定的な意味をどうしても見いだせない俺は、自身もその汚らわしい行為の末にこの世に生み出されたという現実さえ受け入れられない程、病的なまでに追い詰められていた。

 

 出来るだけ、性的な事柄とは接触せずに生きていく。

 

 俺の日常の目標と将来の夢は、ほぼそれに尽きる。だから今のこの状態は苦痛以外のなにものでもなかったが、今さえ乗り切ればという思いが、俺を支えていた。大学に進学出来さえすれば、奨学金とアルバイトで親の庇護下から抜け出せる。4年間地道に努力を重ねれば、卒業後にはそれなりに堅い職業に就ける筈だ・・・・・・と。

 

 

 

 

 

 

 

 「やっぱり眠ってる間、濡れた髪を乾かしてあげれば良かったかな。大丈夫?気分、悪くない?」

 

 男はそうすることが逆効果になるとも知らぬまま、さらに俺の身体を強く抱き締めた。俺は最早抵抗することも出来ず、歯の根が合わなくなった口からはガチガチと音をさせ、益々酷いパニック状態に追い詰められていく。息苦しくなり、喘ぐように激しい呼吸を繰り返し、手足の先が冷たくなる。

 

 「ウ、・・・・ウ・・・・・・ウ・・・・・・・・」

 

 「・・・・・エド?・・・・・・・・どうしたッ!?」

 

 俺の顔を覗き見た途端、男が顔色を変えた。当然だ。きっと今の俺は、真っ青な顔でひきつけでも起こしているような状態に見えるだろうから。

 

 男は慣れた手つきで俺の手首と喉に代わる代わる指先をあてて脈を見ると、それまできつく抱いていた腕を緩め、自分の身体に俺が凭れ掛かるような体勢にさせ、静かな穏やかな声で囁くようにゆっくり言った。

 

 「息が苦しいでしょ?でも大丈夫だよ、ただの過呼吸症候の症状だと思う。苦しいだろうけど、頑張って一度息を止めてみて?」

 

 ただでさえ息苦しくて死にそうな俺に無理なことを言う男の声に首を振ると、でかくて温かい手が俺の頬を包み込むようにしながら上を向かせた。これまで家族以外の人間と、こんな近い距離で目線を交わしたことの無かった俺は、暫し息をする事を忘れて同じように俺を見つめてくる男の顔を凝視していた。

 

 すっきりとした顎のラインに、適度な薄さの唇。通った鼻筋にガラス玉みたいな透明度の高い金色の目。同じく金の睫毛は驚くほど長く、瞬きするたびに風が起りそうだ。心配そうに顰められた柳眉と、初めて見たときと違う少々乱れた前髪の隙間から見える額には汗が光っている。

 

 あー・・・・・・コイツ、マジでイイ男だ。この世には、こんな『神に愛された』人間もいるんだなぁ・・・・・俺も、こんな風に生まれていれば、もう少しマシな人生を歩んでいたのかも知ンねぇなぁ・・・・。

 

 ボンヤリとそんな事を考えているうちに、いつの間にか息苦しさが嘘のように消えていた。俺の表情でそれが分かったらしい男は、心底ホッとした笑顔を浮かべた。

 

 「ああ・・・・良かった・・・・!ごめんねエド、僕が驚かせた所為だね・・・・苦しかっただろう?可哀想に」

 

 「いや、別にこんなの初めてじゃねぇし・・・・こっちこそ、驚かせて悪ぃ」

 

 性的な接触をしないように日々気をつけて暮らしているものの、日常生活を送っていればイレギュラーな出来事は当然ある。例えば『御呼び』がかかって訪れた部屋で性質の悪い客にいきなり引きずり倒されて犯されそうになったり、電車の中で俺をオンナと勘違いしたエロジジイにあちこち撫で繰り回されたり。これまで何度もそんな目にあってきた俺は、その都度自慢の腕っ節で相手を叩きのめしてきた。が、そのすぐ後には今のような発作を必ず起こしていたのだ。

 

 男は俺の身体を包んでいた羽毛布団を剥がして、裸の身体にバスローブを着せながら遠慮がちに話しかけてきた。

 

 「これまでも、同じような事があったんだね?・・・・聞いてもいいかな・・・・医師には診てもらってるの?過呼吸症候群は直接の死因になるような病気ではないけど、心臓に負担がかかることは確かだ。あまり頻繁に繰り返すようなら専門的な治療を受けるべきだよ。もしよければ、僕の姉が心療内科の医師だから・・・・」

 

 本気で心配してくれているのがそいつの表情や口調からありありと読み取れたけれど、だからこそ、そんな人間に面倒をかけた上に一番見られたくなかった醜態を晒してしまった自分が情けなくて、俺は言葉を遮るように立ち上がるとさっき着ていた自分の服を身に着けて帰り支度をした。

 

 「心配してくれるのは有難いけど、これは俺の問題だから、見も知らぬ他人のアンタに面倒かける道理はねぇ。驚かせて悪かったよ、『お客さん』。またこの界隈のホテルを利用することがあれば俺に会う機会もあるかも知れねぇけど、もうこんな風に俺にかかわろうとするのは止めてくれ。じゃあな」

 

 そのまま振り向かず、逃げるように部屋を後にする俺に、男が声をかけて来ることはもう無かった。馬鹿馬鹿しいことに、それに少しがっかりしたような気持ちになっている自分を鼻で笑いながら、丁度来ていたエレベーターに飛び乗った。1階へと降りる間、携帯で時間を確認しようとポケットを探ると、入れた覚えのない堅い紙の感触が指先に触れた。取りだしてみれば、それはあの男がさっき俺に差し出した名刺だった。

 

 「あいつ・・・・一体いつの間に入れたんだ・・・?」

 

 厚みのある上等な紙には、燻銀の箔押しで模った五三の桐の下にアルフォンス・ホーエンハイムの堂々たる肩書きと名前があり、下の方に携帯ナンバーが走り書きしてあった。大学受験が上手くいきさえすれば、俺がこんな仕事をしている期間はあと数ヶ月もない。だからきっともう今日限り、あの男に会うことも無いだろう。俺は握りつぶしたその名刺をまたポケットに突っ込むと、頭を切り替えてこれから帰宅した後、明日の朝までにこなすべきスケジュールを分刻みで組み立てた。

 

 

 

 

 

 思ったとおり、それから俺があの男と直接会うことは無かった。ただ、一度だけテレビのニュース番組の映像で見た、訪米した首相の後ろについて歩く凛とした男の顔は、確かにあの時の男と同じものだった。聞けば、アルフォンス・ホーエンハイムという男は現首相の長男で、驚くことに俺より一歳下だということだった。政治家の家族が実質を伴わず秘書の名義のみを使うのはそう珍しくないことだが、アルフォンスは学業の傍ら名実共に私設第一秘書としての役割を全うしているようだった。いずれは父親やその支持者達の後押しで、政界に華々しくデビューすることだろう。最初の印象どおり、ヤツは俺とは天と地ほども離れた世界に住む人間だったのだ。その上流階級の人間が、あの日何故あんな場所であの程度のオンナを抱いていたのか。そしてその数時間後には、何の意図があって俺に近付いてきたのか。それらがほんの少し気になりはしたが、所詮俺には関係のないことだと、すぐに思考を停止した。

 

 

 

 

 その後、念願かなって第一志望の国立大の法学部に入学が決まり、奨学金の申請も無事に通った俺は、あと僅かでこの苦行とおさらば出来ると、晴れて親の庇護下を脱し借りた部屋へと移り住む日を指折り数えながら日々を過ごしていた。

 

 事件は、そんな頃に起きた。

 

 

 

 その日は昼前から雪が降り出し、滅多に雪が積もることなどないこの中途半端な気候の地方都市では、夕方のラッシュ時を前にして、ほぼすべての交通機関が完全に麻痺状態となった。それにより、帰宅難民と化した上ビジネスホテルやカプセルホテルの熾烈な争奪戦に破れたサラリーマン達が苦肉の策としてウチのようなホテルに部屋を取る為、系列のホテル全てが満室だった。

 

 こんな日に、まさか満室を理由に外に放り出す訳にもいかないから、フロントでは特別措置として知り合いの客同士を同室に宿泊させるなど、忙しくも出来る限りの対応していた。一方、着付け師の俺には当然出番などなく、かといって電車が止まっている以上帰ることも出来ないから、仕方なくいつもの待機所である事務所で朝まで過ごすことにした。

 ―――――――リン・ヤオの勧めで801号室に寝泊りした時の苦い体験を教訓に、俺はあのすぐ後に店の備品として寝袋を経費で購入させていたのだ。


 あの日、疲労困憊で俺が眠っている部屋にアルフォンス・ホーエンハイムを入れるように手を回したリン・ヤオは、人と馴れ合わないヤツにしては珍しく(俺には嫌になるほどしつこく纏わりついてくるが)初対面から何故かあの男と意気投合したらしく、今でも頻繁に連絡を取り合っているようだった。手持ち無沙汰な空き時間に一緒にコーヒーを飲む時など、他愛無い会話の端々にリン・ヤオの口からアルフォンスの名が出ることが何度かあったが、その度に得体の知れない感情がどこかから噴出して、俺はどんな顔をしたらしいのか困惑させられたりもした。

 

 

 

 予定外の外泊の為、暇つぶしの本も持たない俺は、古びた今時ブラウン管の映りの悪いテレビで、さして興味もないスポーツニュースなんかを見ていた。

日付が変わった頃、そろそろ眠ろうかと寝袋のファスナーを引き上げていると、鳴るとは思っていなかった内線の電子音が鳴り響いた。

 

 「なに?こんな日に和装の客が入ったのか?」

 

 「違う違う。ごめんヨ坊ちゃん。今だにコッチはてんてこ舞いでサ〜!606からトイレの電球が切れちゃったってクレームが来たんだヨー。今動ける人間、皆他店に出払っちゃってるし、ボクもフロント空けるワケにも行かないんダヨ〜」

 

 受話器の向こうから、忙しそうな声が聞こえた。周囲には複数の客がいるらしく、いつになく賑やかだ。

 

 「何だ、そんなに忙しいなら最初から応援要請しろよ馬鹿!分かった。606だな?終わったらその足でフロント行って受付代わってやるよ。お前、超過勤務過ぎ」

 

 「ウワァ〜〜〜ッ坊ちゃぁぁぁぁぁん!アイシテルヨ〜〜〜!ボクが思った通り、優しいヒトだナ〜〜〜!!」

 

 「ウゼェ誤解すんなよ。労働基準監督署がギャーギャー喚くと半端なく面倒だからな。そんだけ」

 

 ぎゃあぎゃあと五月蝿い受話器を置いて、606のタグが付いた鍵と備品棚から電球を取ると、足早に目的の部屋へ向かった。

 ラブホテルにあるまじき賑やかな廊下で、出会う客にいちいち頭を下げつつたどり着いた部屋のドアをノックしたが、中からはまるで宴会場のような音と笑い声が聞こえてくるのみで一向に返事が無い。仕方なしに遠慮なく鍵を開けて、大声で『失礼します』と断りながら中へと足を踏み入れた。最大限に明るくした照明の下では、すっかり出来上がった男たちが6人、下品な笑い声を立てて宴の真っ最中だった。

 

 「お待たせしました。トイレの電球、今交換しますから」

 

 そう声をかけたところで漸く俺の存在に気付いたらしい男たちは、赤ら顔を一斉に此方に向けてきた。酔っ払い特有の座った薄気味の悪い複数の視線に、すぐさま背を向け作業に取り掛かる俺の耳に、含み笑いと卑猥な単語が入り混じった会話が聞こえてくる。内心胸くそ悪かったが、仕事は仕事だ。俺はそう割り切って黙々と作業をし、トイレの照明が点灯することを確認すると、小さく会釈をしてドアへと向かった。

 

 

 事態は、突然俺の身に降りかかった。

数人の男達の吼えるような声を聞いた瞬間、振り向く間もなく乱暴に引き倒され奥へと引きずり込まれた。

 

 

 

 

 

 「オイ!ドア閉めろドア!」

 

 それまでだらしない姿勢で床に転がっていた男達は皆バタバタと動き回り、俺をベッドの上に押さえ込んで引き裂くように服を剥いでいく。せめてドライバーの一本でも持っていればそれを武器に抵抗もできるのに、電球の交換でこの部屋に来た俺は何も工具を持っていなかった。それでもどうにか我武者羅に暴れ、とどく範囲にあるモノを片っ端から食い千切った。

 

 悲鳴を上げて2人の男が俺から離れた。どうやら指と二の腕の肉を削いでやることに成功したらしい。敵が怯んだ隙に次の戦法を考えようと周囲に視線を巡らせると、ビールや焼酎の空き瓶が転がる隙間につまみのサラミを切るのに使ったらしい十得ナイフを見つけた。ところが、しめたと思った次の瞬間、頭部にガツンと強烈な衝撃があり、視界がブレる。更に直後には鳩尾のイイ場所に拳が直撃し、俺は堪らず胃液を吐きながらのたうち回った。

 

 抵抗不能に陥った俺に残った男どもが群がり、抑えつけ、僅かに残っていた服の破片を全てはぎ取っていく。口に丸めた布を押し込まれ、抵抗どころか呼吸する事さえままならない。恐怖に全身が竦み上がり、足腰には力が入らず、悲鳴さえ喉元で止まっている。

 

 「オイ、マジでヤっちゃって大丈夫かよ?」

 

 「男が男に輪姦されたなんて恥ずかしい事、一体どこに訴えるんだ?ヤっちまったモン勝ちだろ」

 

 「綺麗でも男だぜぇ?・・・・つっても・・・ウハッ、確かにそこらのキャバ嬢なんかよりよっぽどそそるけどな」

 

 「突っ込む穴があれば男も女も関係ねぇって。オラ!スゲェじゃじゃ馬なんだから、キッチリ抑えとけ!」

 

 指で肛門を拡げられる感覚に、とうとう俺の神経が焼き切れた。

 

 

 

 

 

 

 どこをどうして、何がどうなったのか・・・・・・・・。

 

 ただ気付けば、先刻目にした十得ナイフを振りかざす俺の周囲に、身体のあちこちから血を流して狭い部屋の中を散り散りに逃げ惑う男達がいた。

 

 

 コロシテヤル・・・・・・・・・!

 

 

 俺の脳は、ただそれだけに支配されていた。

 

 床に散らばった酒の空き瓶に足を取られた男に隙を見出だした瞬間、俺は肉食獣のように飛びかかり、ナイフを握った右手を振りかざした―――――――――。

 

 

 「駄目だエドッ!!!」

 

 淀んだ空気を切り裂くように澄んだ声がして、同時に誰かが背後から俺の身体を抑え込んだ。それでもまだ錯乱状態にあった俺は、メチャクチャにナイフを振り回した。その振り回した手に、確かに肉を割いた感触があった。

 

 「・・・ク・・・・ッ・・・・・・・!?エド・・・・ごめんね・・・・!」

 

 その声を聞くと同時に、再度鳩尾に衝撃を受けた途端、世界が暗転した・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 複数の男達が啜り泣く声に、目を開けた。どうやら俺は床に直接寝かされているらしい。何故か力がまったく入らない状態だった俺は、僅かに首だけを動かして声がする方向に目を向けた。

 

 そこでは、俺の想像を超えたシーンが展開されていた。

 

 顔や手足に切り傷を負った全裸の男達がベッドの上に四つん這いになって整列させられ、皆後ろに何かを突っ込まれている。尻の穴から外に突き出ている部分で、それがこのホテルの部屋に備え付けてある玩具の自販機の中でもっとも需要の少ない超特大サイズのバイブである事が分かった。

 

 その様子をデジカメ片手に熱心に撮影しているのは、リン・ヤオだ。さらにベッド脇の出口に一番近い場所には、わざわざそこまで移動させたらしいソファの上で王者のようにゆったりと座るアルフォンス・ホーエンハイムの姿があった。その手には、俺が振り回していた十得ナイフがあり、まるで薔薇の花でも愛でるかのように付着した血を布で拭きとっていた。

 そうしながら、許してくれとか、ごめんなさいとか、子供のように泣き喚く男たちを残忍な薄笑いを浮かべて見下ろす様は、まさしく最初に出会った時ドア越しに聞いたあの冷たい声の主だと頷ける。

 マスクを着けたように表情を変えることなく、その唇からは冷たい声が紡ぎだされた。

 

 「ゴメンナサイと頭を下げれば、何をやっても許されるとでも?・・・・・・・フフフ・・・・・この国は呆れるほど『甘ちゃん』揃いだよねぇ・・・・・・。まぁ、政治屋からして自己中の腑抜けばかりじゃあ、国民がこうなるのも仕方がないよね。それじゃあ、許してあげようか」

 

 その言葉に男達から安堵のため息が漏れる。が、アルフォンス・ホーエンハイムは更に言葉を続けた。

 

 「そのかわり、僕がこれからする事も許してくれるよね?」

 

 瞬間、確実に室温が下がるのを感じる。俺に向けられている訳でもないのに、その殺気に鳥肌が立った。

 

 

 「リン。この人達にタバスコ味のヤツ、もう一本追加してあげて」

 

 信じがたいその言葉に「リョ〜カイ〜」と躊躇なく答えるリン・ヤオも、これまた実に楽しそうだ。どうやらバイブにはタバスコが塗りたくられているらしかった。男達からは悲痛な声が上がり、そのうちの一人がバイブを突っ込まれたまま無様にも四つん這いでドアの方へ逃げようとする。

 

 その動きを舌打ちの音だけで止めてしまったアルフォンス・ホーエンハイムは、これ見よがしに指の関節を鳴らしながら凶悪な笑みを浮かべた。この世に魔王というものが実在するならば、それはきっと、こんな顔をしているに違いなかった。

 

 「折角情けをかけて、命の保証がある方のお仕置きを選んであげたのに・・・・・・そう。じゃあ君は、あの壁のようになりたいんだね?」

 

 「ヒィィィィィィィィ!ゆ・・・・許して下さい〜〜〜〜ッ!!」

 

 『あの壁』と顎をしゃくった方を見れば、丁度俺の正面にある壁に直径30センチ程の大穴が開いていた。防音の為、通常よりも強度のある厚いボードが入っている壁は、改装の度に業者がデカいハンマーやバールを使ってようやっと解体するのに、この男は素手でそれをやってのけたらしい。

 

 恐怖に震え上がる男達の肛門に、リン・ヤオがタバスコをたっぷりふりかけた棒状の何かをさらに突っ込んでいる。男達は張り裂けるほど肛門を拡げられた上、腸壁から直にタバスコを吸収させられる激痛に涙を流して絶叫するものの、抵抗すればアルフォンス・ホーエンハイムからの更なる壮絶な『お仕置き』が待ち構えていることを恐れてか、大人しくされるがままだ。その間にも奴は流石というべき抜かりなさで、リン・ヤオに『お仕置き』されている男達の服のポケットやバッグから運転免許証などを見つけると、それを携帯カメラの接写モードできっちり撮っている。ここまでやっておきながら、コイツらの素性を押さえてまだ何かするつもりなのだろうか。こんなにも抜け目なくマメで情け容赦のない悪魔もいないだろう。

 さっきは自分を輪姦そうとした憎むべき相手だというのに、この報復のあまりの凄惨さに俺は同情を禁じえなかった。また、いずれは祖国に帰ってしまうだろうリン・ヤオはともかく、アルフォンス・ホーエンハイムは、その顔が今や世間で知れ始めているのだ。もしこれで余計な恨みでも買えば、奴の将来に関わりはしないかと俺は気を揉んだ。

 身を起こすと身体に掛けられていたバスローブに袖を通しながら、アルフォンス・ホーエンハイムとリン・ヤオの極悪非道な所業を諌める為に声をかけた。

 

 「あー・・・えーと・・ホ・・・・ホーエンハイム・・・・・?」

 

 「エドッ!?気がついた!?どこか痛いところは無い?気分はどう?気持ち悪かったりしない?」

 

 それまで浮かべていた残忍な薄笑いを一瞬で引っ込めた男は、嘘のように慌てた様子で俺の許へ駆け寄ると、抱きかかえるようにして顔を覗きこんでは忙しなく俺の状態を聞いてくる。

 

 「や・・・・・俺よりもむしろ、アッチがヤバイんじゃねぇ?これくらいで止めとかねえと、お前が・・・」

 

 「大丈夫。死なない程度には手加減するから心配しないで。もっとも、精神的な後遺症は残るかも知れないけど、そんなの僕らの知った事じゃないしね」

 

 俺の言わんとしている事が全く通じなかったらしい男は、クリーンが売りの新進気鋭議員のような爽やかで穢れのない笑顔でそう言い放った。

 しかしなんとえげつないことだろう。『知れない』ではない。アレは確実に奴らの精神に支障をきたすレベルのトラウマとなるはずだ・・・・・・・・やはり、政治などというものに係わる人間というのは、俺のような一般人にはどこか理解しがたい精神構造をしているものなのだろうか。そういえば私設秘書は、政治家のダーティな役割を一手に担っていると聞いたことがあったが、それもあながち嘘ではないのかも知れない。

 

 そして結局、俺の控え目な制止が聞き入れられる事は殆ど無く、その後延々と数時間に渡り、さらに直視できない程惨たらしい『教育的指導』が続けられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ん~~~ナカナカの傑作が出来たネェ〜〜〜!アルフォンス、コレ、ゲイAV業者に売っぱらったらどうかナァ〜?」

 

 服を着る余裕もないのか、全裸のまま尻と股間を押さえて呻き声を上げる瀕死の男達が床のそこここでのたうちまわる異様な光景の中、撮った画像をウキウキと確認しながらリン・ヤオが聞く。

 

 「いくらなんでも、それはあんまりじゃないかな?昔と違って今は誰でも簡単に通販のサイトでサンプル動画も見れるそうだし。この人達にもご両親や恋人・・・・もしかして奥さんや子供だっているかもしれないでしょ。コレだけ顔がハッキリ出てたら、家族や職場やご近所様にばれるのも時間の問題だよねぇ。ホントに便利だけど怖いよね、今の世の中ってさ」

 

 フフフと無邪気に笑いながら言うアルフォンス・ホーエンハイムの言葉に、男達が又しても一斉に息を飲み、狂ったように床に額をこすりつけて『それだけは止めてくれ』と泣きながら懇願する。

すると奴は、それまでの笑みを引っ込めると、氷のような声で男達にとどめを刺した。

 

 「今日のところはこれで許してやるよ。でもこれで彼にしようとした事が帳消しになると思ったら大間違いだ。もし今後彼に近付くことがあれば今度こそ僕は容赦しないから、それだけは覚えておくといいよ」

 

 その言葉を合図にしたかのように、6人の男達はアルフォンス・ホーエンハイムと俺にもう一度深々と土下座すると、床に散らばっていた服やら荷物やらを抱え、全裸のまま我先にと部屋を飛び出していった。

 その哀れな後ろ姿を見ながら、タバスコ味の尿道カテーテル挿入までやっておいて『今度こそ容赦しない』もないだろうと思ったが、言っても無駄だと悟った俺は、あえてそれを口にしなかった。

 

 

 

 

 

 

 すっかり静まり返った部屋の中、衝撃的な出来事の連続だった割に落ち着いていた俺は、バスローブ姿のままで部屋中の壁や備品の破損状況をチェックして回った。自分の所為ではないとはいえ、騒ぎになり部屋をこれだけ荒らしてしまったのだから、多少なりとも給与からペナルティー分を差し引かれることは免れないだろう。せめて上に報告する前に、自力で直せる部分だけでも直して、僅かでも痛手を減らしたいと考えたのだ。

 

 「エド?何してるの!そんな事しないでいいから横になって」

 

 「ソウだよ坊ちゃん!殴られた頭と腹に内出血の痕があるんだヨ!今回の事は客が全部悪いんだって、ボクからも社長に説明するカラ・・・!」

 

 アルフォンス・ホーエンハイムの言葉に賛同して、動き回る俺の後を追いかけてきたリン・ヤオの手が、背後から肩を掴んだ瞬間だ。

 ザァッと音を立てるように血が下がり、たちまち手足の先が冷たくなる感覚に襲われた俺は、いきなりやってきた息苦しさにパイル地の胸元をかきむしりながらその場に跪いた。直後、死に直面したかのような恐怖感が襲ってきて、堪らずそのままうずくまる。

 

 「坊ちゃん!?坊ちゃんどうシタッ!?」

 

 「リン!彼から離れて!」

 

 リン・ヤオの慌てる声に重なるように、アルフォンス・ホーエンハイムの鋭い声がすぐ近くでした。

 

 「エド!僕を見て。僕を見るんだ・・・・!」

 

 肩を掴まれて抱き上げられる感覚にさらにパニックになりながらも、何故かその声だけはしっかりと意味を伴って俺の頭に働きかけてきた。

 目を上げれば、あの時と同じ距離にあの時と同じ顔があって、あの日見惚れた金の瞳が包み込むように俺を見ていた。

 

 「そう、いい子だね。僕を見ればもう大丈夫、心配ないよ。じきに治まるから、エドは何も怖がらないでそうしていればいい」

 

 深く抱きこまれて胸に頬を押し付けるようにされた俺の耳に、ヤツの心音が響いてくる。それまで音を拾う余裕などなかったのに、その心音が聞こえはじめた瞬間から、高ぶった神経が急激に凪いでいくのが分かる。

 これまでは、一度発作を起こしてしまえば少なくとも30分は苦しんでいたのに、コイツから強力な鎮静剤でも分泌されているのだろうかというくらい、急激に治まるのは何故なのだろうか。

 

 やがて何の息苦しさも焦燥感も感じられなくなった俺は、過度の興奮状態が解けた反動で虚脱状態に陥ったのか、全体重をこの男に委ねるとすぐさま意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

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