不機嫌な恋情  第12












「うっそ……」

 目が覚めたとき、梨月は一瞬自分が何処にいるのかわからなかった。

 だが全身に纏う気だるい倦怠感。一応はきれいにしてあるが何となくつっぱるような下肢。そして何より、腰の奥の鈍く重い鈍痛が昨日の己の醜態をまざまざと思い出させてくれた。

「………………っ」

 激しく襲ってきた羞恥心に、ばっと辺りを見回したが、ベッドにいるのは梨月一人で、桐吾の姿は見当たらなかった。ベッド脇の棚の上の時計は7時を指していた。昨夜した後意識を失って、そのまま朝までぐっすり寝てしまったことになる。

「うわ、めちゃめちゃ熟睡してんじゃん俺……っやば!」

 家になんの連絡もしてないままだ! 

 過保護な家庭ではないし、外泊などめずらしいことでもないのだが、昨日尚斗に会って楓月と分かれてから何の連絡もしていないのはさすがにまずいだろう。

 ふらつく足で、何とかベッド下に脱ぎ捨ててあるズボンのポケットから携帯を取り出し履歴をチェックする。メールが3通。どれも楓月からで、最初は心配した様子の内容だったが、最後は本当に何もないの?大丈夫?ばかりっちゅっ、連絡くらいしてよね! といった内容だった。

 書き方は乱暴だが、本気で心配させてしまっていたようだ。とりあえず、連絡しなかった事を謝って、こっちは大丈夫だから、という内容で返信した。時間を置かずにメール音が鳴る。

『帰って来たらおしおき決定』

 その文をクスリと笑いながら読み携帯を閉じる。

 それにしても、腰がだるい。まだまだ若いと言った桐吾の言葉が不本意ながらこういった形で証明されてしまった。若いというかなんというか、あれはしつこかった。

 昨夜の事は、最後はもうワケがわからなくなってしまっていたが、何となく覚えている。 

 あまりにもな恥ずかしさに、今更ながら穴があったら入りたい気分だ。

「あいつはどこいったんだろ」

 さんざん人のことやりまくった当の本人の姿が見当たらない。

 部屋を見回すと、ドアが少しだけ開いている。その向こうから、食器のカチャカチャという音がかすかに漏れるのが聞こえた。梨月がベッドに座っているだけでも、だるさと倦怠感でぼーっとしてくるというのに、桐吾の方は昨夜の疲れなど何もないようだ。

「元気じゃん。おっさんのくせに」

 まさかこういう事になるとは思ってもみなかったけど、でも、なんだかすっきりしている自分がいる。

 しばらくぼうっとベッドに座っていたら、足音が近づいてきた。

「なんだ、起きてたのか」

 なんとなく恥ずかしさで顔を合わせずらい。ちらりと声の主を見上げると、いつもと変わらない桐吾が立っていた。

「昨日一応体は拭いてやったが……着替えとタオル置くとくから、起き上がれるようならシャワー浴びて来い。その後飯だ」

「わかった」

 だるい腰を抱えてバスルームに行く。軽く体を流してから出ると、いつの間に洗濯したのだか、乾燥機をかけられふっくらした自分の服とタオルが用意してあった。

「意外にまめなんだな」

 桐吾の新たな一面を見たようでなんだかくすぐったい気分になる。

 だが、そうやって穏やかな気分でいられたのは少しの間だけだった。

 着替えを終えてキッチンに行くと、ご飯に味噌汁というまともな朝食が用意されていた。

「へえ、すごいじゃん」

「簡単なものだけだがな、こっちに座れ」

「ああ」

まだ少し体に異物感が残っていて辛かったが、顔に出さないようにしながら席に座る。

「……体、平気か?」

「なんだよ、いまさら気になってんの?さんざん好き勝手したくせに」

「まあ、そうなんだが……」

桐吾は曖昧に笑い、箸を手渡してくれた。

「いただきます」

「どうぞ」

 しかし食事を進めていくうちに、すぐに違和感を覚える。

「…?」

変わらないと思っていた桐吾の様子が、少しおかしい。

他愛もない会話に相槌を打つくらいで、言葉も少ないし、何故かあまり目を合わせようとしない。

気のせいかとも思ったが、どうもそうでもないようで……。

「なんだよ、どうかした?」

「いや……」

 その受け答え自体がおかしいというのに、本人わかってないのだろうか。

「きもちわりぃな。なんなんだよ」

 昨日のあの強引さはどこへいったのだ。何か少しは、分かり合えたような気がしていたのに、一変してどこか気まずそうな態度なのは一体……。

「はっきりしてくんないと、気味悪ぃんだけど」

 じろりと睨みながら言う梨月に、桐吾は深いため息をつくと、思ってもみなかった事を言った。

「これでも、ちったぁ後悔してんだよ」

「え?」

 今、何て言った?

「なんつうか、俺もついつい箍が外れちまった」

 ざあ、と血の気が一気に引くのがわかった。

 今、後悔、と言ったのだろうか、目の前の男は。

「なに…それ……」

「まあ、こうなっちゃもう仕方ねぇけどな」

「……」

 後悔している……仕方ない……。

 その言葉が毒の様に、じわじわと梨月の胸に広がっていく。

 桐吾はそれをわかっているのだろうか。そもそもどういう意味で発した言葉なのだろうか。

 考えれば考えるほど悪い方向に行ってしまいそうになる自分の思考を、必死で抑えているので精一杯だった。

 

 

その後のことは、自分でもよく覚えていない。

味も何もわからないまま機械的に食事を口に流し込み、それが終わると荷物を手に取り直ぐに桐吾の家を出た。

桐吾が、時間も早いしまだいればいいようなことを言っていたような気がする。だが梨月は「いい、ほっとけよ」と話も聞かず、じゃあな、と出て行った。

「あ、おい梨月!」

後ろで声がしたが、梨月は振り返りもしなかった。

 

 

*  *  *  

 

 

家に帰ると、楓月が待ち構えていたように質問攻めをしてきた。

「りっちゅ!もぅっ、連絡もしないで外泊なんて、そりゃ俺もするけどさ、あの状況の後そのままってのはさすがに心配するでしょ」

「ごめん……」

「あの後どうなったの?何がどうなって、どこにお泊りになったわけ?ちゃんとお兄ちゃんに話しなさい」

「わり……ちょ、疲れてんだ……」

言って部屋に行こうとする腕をつかまれる。

途端、ざわ、と心に苛立ちがこみ上げた。

だめだ。楓月に関係ないことで、当たってしまいそうになる。

楓月は心配してくれているのだ、それをちゃんとわかっているのにいらいらする気持ちが膨らんでいく。

「だめだよ、ちゃんと話してくれるまで逃がさないからね。尚斗とずっと一緒にいたの?」

「違う」

「違うって……じゃ、誰と一緒にい…」

「っさいな!関係ないだろ!」

楓月の言葉を遮るように、思わず大声で怒鳴ってしまってから、すぐに後悔した。

「りっちゅ?」

驚いた顔をした楓月の眉が、次第に顰められていく。

ああ、失敗した。

何でもない事のように振舞わなきゃならないのに。

この兄には自分の心の不安定な部分が、些細な事でもすぐに解ってしまうのだから。

「……ごめん……」

「………」

 俯いて謝るだけで精一杯の梨月を、それでも何かを察した楓月はそれ以上追求することはなかった。

「ほんとに、ごめん。俺疲れてるから、ちょっと寝る」

言って、楓月の顔を見れないまま自分の部屋に入った。

今は、誰かに、たとえそれが楓月相手でも何かを話す気にもなれなかった。

心もそうだったが、実際に頭も痛く腰がだるくて、今から行けばまだ間に合う時間だったのだがその日はそのまま学校を休んだ。

楓月は、その後一切何も聞かずにいてくれた。

夜からのバイトも休みにしてもらい、梨月は食事も取らずにずっとベッドの中にいた。

おかげでよけいなことを色々考えてしまうことになり、よりいっそう憂鬱になってしまったのだが。

(後悔してるってことは、つまりやんなきゃよかったって事だよな)

あの状況で、俺があまりに惨めだったから、仕方なく慰めてくれたってことか。

どうせ遊びの一つだったんだ。

あいつにとって、おいしいシチュエーションに飛び込んだのがたまたま俺だっただけで……しかもやっぱりしなきゃよかったって後悔してる。

(やべ、俺、なんでこんな食らっちゃってんだ)

思ったよりも深いダメージを受けたことに動揺する。

(くそ、頭ガンガンする)

マイナスな方向にばかりにいく考えは、体調が悪いからだ、と無理やりこじつける。

だがその不調の理由が結局は桐吾にある事で、梨月の考えはますます泥沼にはまっていった。

(もう、寝ちまえ)

目を瞑るとがんがんと響くような頭痛がさらに襲ってきた。薬を取りに行くのも面倒でそのままじっとしていた。とても眠りにつけそうになかったが、なんとか意識を眠りへともっていこうと努力した。

結局、ほとんど眠れなかったのだが。







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