不機嫌な恋情 第2

 

 

 




 

 学校へ行く気になれず、俺はそのまま喫茶店に行くことにした。

 『カフェハヤノ』は、六つ年上の幼馴染み藤木涼平が働く店で、ケーキと軽い食事も提供している。濃厚なチョコレートを使った手作りのケーキが人気だ。

 口に入れたとき、キャラメルのような香りがふわっとするそこのチョコレートケーキが梨月は好きで、買って帰ることはあったのだが、涼平が働くようになるとますます通う回数は増え、今では中の喫茶コーナーで長い時間を過ごすこともある。

カラン と懐かしいような音をたててドアを開けると、中には涼平と、涼平の叔父でオーナーの早野さんと、それから何故か楓月がいた。

「あー。りっちゅだー、だめじゃん学校サボったらー」

 それはお互い様だ。

というか、先ほどまさにこいつのせいで大変な目にあったのだ。早く忘れたいのに、わざと語尾をのばして話す気の抜けるような声を聞いたら、再び怒りがよみがえってきた。

「っ誰のせいだと思ってんだよ! 楓月こそ、なんでここにいるんだ」

「えー、だってさっき帰ってきたんだもん。家に行ってもなんも食べるもんないし、おなか空いたから涼平の所でご飯食べようと思ってー」

 そういえば昨夜帰ってきていなかったような気がする。

「またどこの誰かしらねえ奴のとこ泊まってたのかよ」

「知らなくないよ。色々知り合ったし」

全く、あいかわらずだ。

いつからだろう。楓月が色んな相手と付き合うようになったのは。付き合う相手も見る度に違っていて、それは男の時も女の時もあったのだが、外泊するのもしょっちゅうで、いちいち気にしていたらキリがない。

でもそれは自分にも少し当てはまる事で、楓月ほどではないが男でも女でも、優しくされたらわりと誰とでも付き合った。兄弟揃ってモラルの薄い事だ。双子だから、そんな所も似てしまうのだろうか。

梨月はいつでも、たとえ期間が短くてもちゃんと付き合い、こちらから別れを切り出す事は殆ど無い。だが何故かいつも相手が去って行くのだ。それを寂しいと追いかけた事も、悲しいと嘆いた事もないのだから、やはりどこか情緒に欠けているのかもしれない。

でも楓月は、梨月のように相手と付き合うというより、来る者は拒まないが、気分次第で簡単に切って捨てる。そのおかげで、今日のように梨月を楓月と勘違いされてとばっちりを受けるのだ。

「おまえなあ、いい加減にしろよ。付き合う相手をどうこう言う気はないけど、付き合い方をもう少しどうにかしろ!」

「えー、俺誰とも付き合ってなんかいないよ、知り合いと付き合うのとは違うしー」

抜け抜けと、よくもそんな事が言えるもんだ。

「そう思ってるのはおまえだけだっつの!今朝だって変な男が、絶対わかれねえとか言って突っかかってきたんだからな」

 冗談じゃねえ。他人が振った相手に詰め寄られたあげく、貞操の危機にまでなったんだ。おまけに余計なオプションまでついてたし。

不機嫌丸出しな態度でカウンターの楓月の横に座ると、涼平にコーヒーを頼んだ。

「梨月、また楓月と間違われて絡まれたんだ」

 災難だったねえ、と涼平が苦笑しながら目の前に水の入ったグラスを置いた。そしてふと梨月の顔を見ると。

「あれ」

 グラスを置いた手で、梨月の唇を指差す。

「そこ、なんだかちょっといつもより赤くなってるよ」

「……っ」

「え、うそうそー」

楓月が梨月の顔を手の平で挟み込むようにして自分に向けた。

「あ、ほんとだー。なんとなく赤いー」

「はなせ!」

 楓月から顔を背け、グラスの水を一気に飲む。赤くなってるなんて気づかなかった。あのとき必要以上にこすり過ぎたようだ。

「なになにー?そんな唇赤くなる位キスされちゃったんだ? いつもだったらうまくかわすくせに、めっずらしー」

「いつも迷惑かけてるって自覚はあるんだね」

涼平が横槍を入れる。

「ったく、うるせえな。なんでもねえよ」

「だってそんな赤くなってんじゃん」

「蚊にさされたんだよ」

「そんなわけないじゃん」

自分でも苦しい言い訳だとわかっていたが、先ほどのことを細かく話すわけにはいかないので、これ以上何も言えない。

「ねえ、どんなやつだったの?そんな強引なやついたかなあ……」

 梨月が何度かとばっちりを受けていることを、いつもだったら気にもしないのに、めずらしく楓月は真剣な目で聞いてくる。

 どんなもなにも、楓月は突っかかってきたやつが相手だと勘違いしているのだが、そいつの顔ははっきりいって、あまり覚えていない。キスの相手は別だと説明する必要もないのだから、梨月は答えなかった。

「ねえってば、どんな男だったんだよ」

「しつこいな、大体なんで男に限定してんだよ」

「だって、女の子がりっちゅの唇赤くなるくらいキスできるはずないじゃん。そんな大胆なことするようなやつなんて覚えがないし」

(手当たり次第でも、付き合った相手は一応覚えてるんだな)

妙な所で感心してしまう。

「どんなやつだったんだよー、お兄ちゃんに教えなさい」

「しつこいってんだよ。そもそも楓月がだらしないのが悪いんだろ。兄貴なんだったらしっかりしてくれよ」

出されたコーヒーを飲み干すと、いいからもうほっとけ、と席を立つ。

せっかくここで時間をつぶそうと思っていたのに、楓月がいるなんて当てが外れてしまった。随分遅刻になってしまったけど、学校に行く方がいくらかましだ。

もともとサボる予定じゃなかったんだし。余計な事さえなかったら……あ、またむかついてきた。

「あ、どこ行くんだよりっちゅ!」

「ああもう、りっちゅ言うなはずかしい!」

小さいときの呼び名で言うのを咎めても、直そうとしない。いい加減あきらめているが、こんな時はそれがカチンとくる。

「なんだよ、りっちゅをりっちゅって言ってなにが悪いんだよ」

だから何度も連呼するな。レジにコーヒー代を置いて、

「やっぱ学校行くから。楓月は来んなよ」

 非常識な台詞を残し、後も見ないで外に出た。

「なんだよ……ねえ、ああやって隠すのって、りつらしくないよね……」

「さあね」

涼平と言葉を交わす楓月は、先ほどとはうって変わって真剣な表情をしていたが、それを梨月が聞くことはなかった。

 

 

*  *  *  

 

 

小瀬楓月と梨月の双子の兄弟は、市内の県立高校に通う二年生だ。小学校三年の時に父親を事故で亡くしてからは、母と三人で暮らしている。近くのスーパーで事務をしている母親は、事務処理が終わる時間いっぱいまで働いており、昔から学校から帰って夕食を取るまでの時間は、隣に住む六つ年上の藤木涼平の家で過ごしていた。

母親同士が仲が良かったこともあり、幼い頃から三人で遊ぶ事が多く、年上の涼平は二人にとって兄のような存在だった。父親が亡くなってからは特に働き詰めの母親の代わりにと、涼平の母が何かと世話を焼いてくれていたので、それほど寂しい思いをすることもなかった。

涼平が高校に入ってバイトをするようになると、三人一緒だった時間も一時は減ったのだが、そのまま涼平が喫茶店に就職してしまうと、今度は自然に店で過ごすことが多くなった。

『カフェハヤノ』は涼平の叔父の店で、梨月たちも小さい頃から何度か行っていたので、二人にとってもその場所は居心地の良いほっとする空間でもあった。

父親がいない事以外、家庭環境に問題があるわけではないのに、いつからか、楓月は手当たり次第に相手を変えて付き合うようになった。

家に連れ込むことこそしなかったが、かかって来る電話の相手は男女、年齢を問わずいつも違っていた。それでも、特に問題を起こすような事がなければ梨月も放っておくのだが、どういう付き合い方をしているのか、相手とトラブルになる事が多い。そのトラブルも、相手が付き合っているつもりでいたのに楓月が全く相手にしなくなっただとか、会っていても気が変わったからそのまま帰ってしまったりとか、自分勝手な理由ばかりでたちが悪い。

 当然相手は怒って、今朝の様に怒鳴り込んでくる事もある。しかもその矛先が梨月になる場合もしばしばだ。双子だから同じ顔だし、制服を着ていると特に見分けがつきにくいらしのだが、全く迷惑な話だ。

(付き合い方については、あんま楓月のこと言えないんだけどな)

 そもそも、梨月の初めての相手は男だったりする。

中学二年の時、まだバイト時代の涼平の二つ先輩で、当時『ハヤノ』で働いていた古賀尚斗とは、何度か店で顔を合わすうちに仲良くなっていった。

古賀は、物腰がやわらかく優しくて、父親のいない梨月にとって、幼馴染みの涼平とはまた違う大人だった。

当時自分の周りは思春期まっさかりの好奇心旺盛な時期で、学校では誰が誰と付き合っているだとか、誰かが持ってきたエロ本を見て騒いだりしていたが、それを一緒になって楽しんでいる一方で、半分冷めたような感覚があった。誰に対しても好きになる、という事がなく、向けられる好意に関心もなく、女性への興味も薄く、バカみたいに騒ぐ周りに対して同じように騒いでいながら、その内心では一歩引いた処から見ている自分に少しだけ悩んでもいて、だから、古賀となんとなくそんな雰囲気になった時には、純粋にただ試してみたい、という気持ちだけで、相手を本当に好きだったかどうかわからない。

行為が終わってみると、それはただ物理的に痛い思いだけが残り、あまりいい記憶ではない。その後しばらく関係は続いたが、古賀が就職を機にバイトをやめてからはだんだん疎遠になり、自然消滅のような形で終わった。

その後、何人か付き合ったりもしたが、どれも長続きせずに別れることが多い。付き合いだすのも向こうから言ってくるばかりだったが、別れるのも相手から切り出される。

女相手でも、男相手でも、抵抗なく付き合うのは双子揃って同じで、求められれば体を開く。受身の時もあれば、そうでない時もある。本当に好きな相手なのかどうか、よく考えるとわからないのだが……それもどうかと思うが本人はそれ程気にしていない。

(母さんが知ったら泣くな……)

 そもそも、そうやって数々の相手と付き合っていながらも相手が尽きないのは、近所でも評判な二人の整った綺麗な容姿のせいなのだが、梨月はそのことには無自覚で、飾らない様子がまたプラスの魅力になっていた。

 色々経験をしてきているはずなのに、それこそキスなんて数え切れないほどしたのに。

(なんでこんなむかむかするんだ)

 自分の感情を持て余していた。朝の出来事が頭から離れない。

 優しくもない、からかわれただけの嫌な大人の男の事。

(あーもう、なんだってんだよ)

唇に残る感覚がまだ生々しくて、赤くなったそこをまた何度も手でこすった。

 




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