不機嫌な恋情 第3話
学校から家に帰るとすでに楓月がいた。
「ねえ、りっちゅって今つきあってる人いたっけ?」
何を突然聞き出すのだ。
ソファに座った楓月は、まるで天気の話でもするように呑気に聞いてきた。
「いねえよ」
「ふーん、この前のあけみちゃんとは別れたんだ」
「何言ってんだよ、おまえが邪魔したくせに、大体あけみじゃなくてあかりだ」
楓月の最も
それも一度や二度じゃない。初めのうちは怒り、相手に説明して仲直りしたりしていたのだが、そんなことを繰り返しているうちに、だんだんどうでもよくなってきてしまった。
「あかりでも何でもいいけどさ、いつも思うけど、梨月って付き合ってる相手に対して、なんだか冷めてるよね」
「はあ?」
一番おまえには言われたくない。
そう思ったが、梨月、と改めて言う楓月は、いたって真面目な様子だ。
「冷めてるってなぁ、楓月の付き合い方の方が、よっぽど冷めてんだろ。てか、いつか絶対刺されるぞ」
「いやだな、そんなへましないよ」
「自分の身にあんま降りかかってないだけで、こっちが迷惑してるんだよ」
現に今朝だってそうだ。
「うーん、基本的にはちゃんと相手と納得しあっての関係なんだけどな。りっちゅがタイミング悪すぎるんだよ。」
タイミングの一言で済ますには、いささか理不尽なものがある。
「楓月が、こっちの邪魔したり、適当な関係じゃなくちゃんとした付き合いをしてたら、俺もとばっちり受けずに済むんだからな」
「でもさ、邪魔されたからって簡単に別れるような付き合いしかしてないりっちゅも、俺はどうかと思うけどね」
それこそ楓月に言われたくない。でも、それは確かに本当の事だ。
いくら何度も邪魔されたりしても、本当に好きな相手だったら諦めたりしない。しかも邪魔している相手がこんな近くにいるのに、本気で咎めたりもしないのだ。気持ちがちゃんとあれば、どうでもよくなったりしないだろう、きっと。
(でもこんな事で、誰とも本気で喧嘩したくないし)
「相手が別れるっつうのを、無理に引き止めたくないだけだよ」
仮にも好きで付き合っていたのだから、下手に喧嘩でもして言い争うのが嫌だった。
どうでもいい相手にだったら何でも言えるけど、梨月は自分を想ってくれる相手に対して妙に臆病なところがあった。本気で好きかどうかわからなくても、優しくされたりすると弱くて、あまり断らずに付き合った。セックスもしたが、だが心はどこか冷めていて、熱くなることはなかった。
いつか「梨月はそばにいても、一緒にいる気がしない」と言われたことがある。抱いていても抱かれていても、心がそこになく、ひどくもどかしい、と。
でもだって、そんなの俺のせいじゃないし。
無自覚なままのことでどうしていいかわからない。わざとやっているのではない。付き合ってる時は、最初はどうであれ相手をちゃんと好きだと思っているし、普通に付き合っているつもりだ。楓月に邪魔されてダメになってしまっても、仕方ないと思う気持ちと同時にちゃんと寂しい想いもある。
それが普通と違うというなら、梨月はほかにどうしていいのかわからなかった。
「無理にでも引き止めたい相手じゃないのに、次々付き合うの、やめなよ」
「うるせえな、楓月に言われたくねぇよそんな事」
今度こそ声に出す。今まで言われたこと、そっくりそのまま言い返してやりたい。
だが、梨月が本気でイライラしだしたのを見て、楓月は突然態度を変えた。
「でもおにぃちゃんは、そんなりっちゅがだいすきだけどねー」
さっきと打って変わって甘えた様子で、ぎゅっと抱きしめてくる楓月を呆れながらも受け止める。
「なんなんだよ一体」
急に真面目になったかと思ったらすぐこうやって茶化す。楓月の突発的な行動にはいつもながら呆れてしまう。
「えへへ、いいじゃん別に。りっちゅはいつもかわいいなー。誰とも付き合わなくていいよー。ずっと一緒にいようね」
冗談とも本気ともつかない言い方でさらに抱きしめる腕に力を込める。
「ったく、苦しいよ楓月」
なんだかんだいって、結局楓月には本気で怒りきれない。身内につくづく弱いのか、特にこの同じ遺伝子をもつ兄にはどうしても甘くなってしまうのだ。
時々、梨月も楓月とそれから涼平と、ずっとこのままの関係でいられたら、と思うときがある。
誰と付き合っていても夢中になった事は無く、なんでこんな事をしているんだろう、と時にはセックスの最中でも面倒くさくなったりする。
楓月に言われるまでもなく、こんな気持ちで付き合うならやめておけばいいのに、断れない自分に嫌気がさしていた。いっそこのまま、誰も俺を求めなければいいのに。求められたら拒否できない自分の弱さを、相手のせいにして逃げている。求められるのだから仕方ない、求める相手が悪いのだ、と。
そうやって投げやりになっているのを、あの男は見抜いていた。
「あ、また口触ってるー。りっちゅなんか仕草がえろい」
「なっ、何がえろいだ!」
本当に無意識に触ってしまっていたからか、妙に焦ってしまう。
(何だよ俺、何こんなに気にしてんだ)
「そんなにむきになんなくても……なんかあっやしーの」
「うるせぇ」
「やー、おこんないでー」
兄弟でふざけている間も、男の事がしつこく心に付きまとっていた。
梨月は夜に、コンビニでバイトをしている。学校から帰る途中にあるのだが、今日は時間的に一度帰宅してからの出勤だった。
ほんとは今日休みたかったんだけどな……。何しろ、目と鼻の先に、今朝のマンションがあるのだ。(なんつー最悪な偶然)そう思ってみても、どうにもならない。
一緒の時間帯の相手が休憩に入り、店長も奥で事務処理をしていたので、少しの間だけ一人で接客していたのだが、目の前に置かれたカゴの中身をレジに打とうと見上げた相手の顔を見て、絶句した。
「な……てめえ何しに!」
思わず大声を出してしまったのだが、何しにも何も、ここはコンビになのだから誰が買い物に来ようがおかしくはない。
案の定、
「何しにって、そりゃ弁当買いに来たに決まってんだろうが」
と、今朝のキス男に呆れたように言われてぐっとなる。
相手の言う事は最もだ。だが、二度と会いたくなかった相手にまさかこんな所で出くわすなんて、一体今日の俺はどんだけ不幸なんだ。
せめて、必要以上に関わらないようにしよう。
そう心に決めて黙ってレジを打つ。
「今朝からさ、なんか見覚えのある顔だと思ってたんだよなぁ」
「1250円になります。お弁当は温めますか?」
話しかけられても事務的な質問だけをして、他の事は一切無視する。
「ああ頼む……ここでバイトしてたんだな。どうりで見覚えあるわけだ」
「2000円お預かりします。750円のお返しです」
弁当以外の飲み物などを袋に詰め、それを先に渡す。マニュアル通りの接客だけして、明らかに無視しているのに、相手は気にせず話しかけてくる。
「俺たまにここ利用してたんだぜ?あそこのマンションで一人暮らし。晩飯がコンビニ弁当って、さみしい食生活だろ?」
聞いてもいないのべらべらと……。
完全に無視しようとしているのに、相手の意に介さない様子に苛立ちが募る。温めた弁当を箸と一緒に袋に詰め、それを渡しながら
「いいかげんにしろよおっさん!バイトの邪魔ださっさと帰れ!」
とうとう声を荒げて怒鳴った。
「だから、おっさんはやめろって言ってんだろうが。大体今はれっきとした客だぞ」
「おっさんにおっさんって言って何がわりぃんだよ!」
「ったく、ほんと威勢がいいな。桐吾だよ。
「名前なんか聞いてねえよ、さっさと帰れっつってんだよ!」
成り立たない会話にイライラする。誰か他に並んでいる客でもいれば、とっとと追い払えるのに、タイミングの悪いことに、今はちょうど客足が途切れた時だった。
「おまえは、小瀬……名前、なんての?」
なんでこいつが俺の苗字を、と思ったが、胸にしっかり名札がついている。
くそ、こんなところで会わなかったら、苗字すら知られたくない所だったのに、と子供のような妙なこだわりでイライラする。
「誰が教えるか。用が済んだんだったらとっとと消えろ」
ちょうどその時、客が一人入ってきた。それをちらっと見ると、桐吾は軽く手を上げて離れて行った。
「じゃあ、またな」
「二度と来るな!」
とても客に言う言葉ではなかったが、そんなの知ったことか。
思いっきり睨みつけて、ふん、と顔を背ける。
桐吾はおどけたように肩を竦めると、笑いを噛みしめながら出て行った。
よく考えたら、朝あのマンションの前でゴミを捨てていたのだから、そこに住んでいるに決まっている。すぐそばにあるコンビニを何度か利用していてもあたりまえだ。
(ってことは、これからもあいつがここに来るって事だよな)
自分の考えにぞっとして、できることなら、訪れた時にはレジから外れよう。と心に誓ったのだった。