その日の夜、僕が帰ると家の中は真っ暗で、ストーブにさえ火が入っていない冷え切った室内には、もちろん兄の姿は無い。
まいったなあ。今朝の一件が未だ尾を引いているらしく、きっと兄は自分のベッドで毛布に包まりながら不貞寝でもしているんだろう。大体、いつも決まって一緒にとっている昼食でさえ、今日は遠巻きに避けられていたくらいだし。
やれやれとため息をつきながら、やはり真っ暗だったキッチンの明かりを点けた。そしてシンクの横にある木製のワゴンの上に布を掛けられた皿があるのに気付き、その布を捲ってみると・・・・。
僕はソレを見て思わず感嘆の声を上げてしまった。
「すごいね・・・・・・兄さんの愛を感じるよ・・・・・・」
その皿にあるのは、手でちぎり取ったのではというくらいぞんざいな切り方のヨークハムとチェダーチーズを、これまたありえない厚みでカットされた二枚のパンでダイナミックに挟んだ雄々しき一品だった。この家の地下の書庫にあるどの本も太刀打ち出来ないだろうと思われる厚みのサンドイッチを、一体どうやって食べろというのだろうか、兄は。
でも、先に家に帰り着くなり、きっととても乱暴な仕草で僕のためにコレをこしらえたんだろう兄の姿を想像すると、愛おしさがこみあげてきて僕の頬は自然に緩んでしまうのだった。
さて、愛の力によってどうにか無事に夕食を終えシャワーを浴びた僕は、兄の部屋に夕食のお礼とご機嫌伺いに訪れたのだが、何故かその兄の姿が無かった。ベッドのシーツに触れてみると、ここで寝ていた形跡はなかったが、傍らにある椅子にはいつも着ている黒いジャケットが掛けられているから、外出しているわけでもなさそうだ。
僕はふと、今日はまだ帰ってから一度も自分の部屋へ行っていなかったことに思い当たり、そちらへと足を向けた。
「・・・・やっぱり、ここにいたんだね兄さん。」
案の定、僕のベッドで毛布に包まり丸くなって眠っている兄さんを発見して、そのすぐ横にそっと腰掛けた。
起こさないように気を使ったつもりだったが、眠りが浅かったのか、兄がもぞもぞと身じろぎをして眠そうな目で僕を見上げてきた。
「アル・・・・・おかえり。飯、ちゃんと食ったか?」
「ふふっ。ご馳走様でした。すごいねアレ。兄さんも同じもの食べたの?」
「あれはお前だけの特別仕様だ。決まってんだろ」
と、明らかにわざとらしく不機嫌に言って寄越しながら、手をついて起き上がる兄の体から、毛布がするりとはだけて落ちた・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」
「おい。なんだその失礼極まりないリアクションは?」
って、今僕どんな反応しているんだろう?
「に、に、に、にいさ・・・・・・・っ!そ、それっ・・・・そっ・・・!?」
「あー、あー、分かった、分かったから。俺が悪かったから。ちっとは落ち着け。な?」
なんと毛布の中から現れたのは、一糸纏わぬ姿のブラボーな兄さんのセクシーボディだ。
かれこれ23年もの間共に過ごしてきた僕だけど、未だにこの人の突飛な行動を読むのは至難の業だ。
「だって、だって、さっきは絶対させてくれないって叫んでたじゃん!?」
驚きのあまり、子供っぽい言葉遣いでつい喧嘩腰になってしまった僕に、兄さんはきゅっと唇をとがらせる。
うわっ、すっごく可愛い・・・・・・・・。
「しょーがねーだろ。口が勝手にしゃべっちまったンだから。大体お前にはデリカシーってもんが無さ過ぎなんだよ!俺は少なくとも生理の日とかを真顔で申告できるオンナの心理が理解出来ねーって程度には慎みを持ってるぞ」
ずいぶんと具体的な例を挙げつつ、素っ裸のままで僕に対しデリカシーの何たるかをくどくどと語り始める兄は、このシチュエーションにあるまじき健康的な雰囲気をその身にまとっていて、僕はいささか次のアクションを起こすことを躊躇してしまった。
えーと・・・・・今この人、本当に僕を誘ってるんだよね・・・・・?
「兄さん、折角の講義中に悪いんだけど・・・。」
と、国民性という観点からみた心の機微のあり方云々について議題を変え講釈をたれている兄に横槍をいれた。
「なんだよ、これからが肝なんだぞ」
「それは、また後日ね。・・・・・さて、じゃ、早速なんですが、始めてしまってもよろしいでしょうか?」
「・・・・・・・・お、・・・・・・おう」
少し首を傾けて、慇懃に事始めのことわりを入れると、そこでようやく兄さんが恥じらいの表情を見せてくれて、その様子に何故かひどくホッとした僕だった。
こんな風にコトに及ぶ羽目になるなんて、僕は日々の心がけがよっぽど悪かったのだろうか。フェミニストにはロマンチストが多いとどこかで聞いたことがあるが、事実僕もそのクチだ。だから、兄さんとの初めての時には、こんな感じで雰囲気を盛り上げて、あんな感じでコトになだれ込もうとか、それはもう綿密で壮大な計画を立てていたというのに、これではまったく台無しだ。
「兄さん?こっち向いて、顔をあげて?」
「・・・・・・・・・・・。」
しゃべるのを止めた途端、急に背を向けて黙りこくってしまった兄さんに声をかけると、びくりとその肩が跳ね上がった。・・・・・・もしかしなくても、さっきの場違いな講義は照れ隠しだった・・・・?
「に・い・さ・ん?」
まわり込んで下から顔を覗き見ると、思ったとおり。顔を真っ赤に染め唇をかみ締めて、可哀想なくらいにガチガチに緊張しているのだった。その様子を見た途端、僕は優柔不断で不甲斐なかったここ数日の自分を恥じた。
いくら相手を大切に想う気持ちからだとはいえ肉体的な関係を持つ事を先延ばしにした挙句、恋人からこんな風に誘わせてしまうなんて、男としてなんて最低な事だろう。それなのに、そんな僕に、少し潤んだ目を瞬かせて自分の身体を両腕でぎゅっとかき抱きながら、兄は言うのだ。
「ごっ・・・・ごめ・・・・おれ、俺キンチョーしちまって・・・・・・こんなんじゃ、お前の事・・・き、気持ちよくなんかしてやれねぇ・・・・かも・・・・・・ごめんな、アル」
涙が出そうになった 愛おしすぎて。
「愛しているよ、兄さん。ごめんね?恥ずかしかったよね?それなのに頑張って誘ってくれたんだね」
「さっ・・・誘うとかっ、いうなっ!」
「うん。ごめん。でも、ありがとう。とても嬉しいんだ・・・・愛してるよ、可愛いエドワード」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」
これ以上無いくらいに固まっている兄の身体を解す為に、まず僕は唇で丁寧にいたるところを愛撫した。
額、髪、瞼、頬、鼻先、唇・・・・・。
唇を滑らせる度に、微かに身じろぎしている。
顎、首筋、耳、鎖骨、心臓の上・・・・・・。
早鐘を打っているのが分かる。
乳首、鳩尾、肋骨の線・・・・・・・・・・・。
所々で体中を大きく震わせて息を詰めている兄を、そっとシーツの上に横たえた。
「アル、アル・・・う!ダメだ俺っ!恥ずかしくて死んじまう!頼むから、チョット、待って・・ん・・・あああっ!」
身体を丸めて、おそらく快感に耐えているんだろう兄の制止を聞かずにその中心を優しく握りこむと、それは既に欲望を滲ませていて、今にも弾けてしまいそうだった。
「兄さん、いいよ?一回イってごらん?・・・・・・我慢しないで。・・・ね、ほら、そう・・・・そうだよ・・気持ちいいでしょ?」
言葉と、手で、優しく優しく導いてあげる。兄を怯えさせないよう、片方の手で髪を撫で、顔中にキスを落としながら。
「・・・・く・・・ぅ・・・・ふ、ああ・・・・・っいや・・・・・だ・・・・・も・・・・・もう・・・」
ビクリと全身を一際大きく震わせたところでその中心を口に含み思い切り吸い上げると、悲鳴のような声を上げながら背を目一杯反らして兄は達した。その放ったものを全て飲み込み、未だ震えている果実をきれいに舐め上げ、ぐったりと身を投げ出してすすり泣きの声をもらす愛しい人をぎゅっと腕の中に抱きこんだ。
「ふ・・・・・・うっ、なんで・・・・そん、なコト・・・っすんだ・・・・っ」
自分から誘う事こそしたものの、僕のこんな行動を想像すらしていなかったらしい兄は、これ以上ないほどに動揺し、涙を零し震えていた。
「ごめんね。びっくりさせちゃったかな・・・?泣かないで、イヤならもうしないから。ね?」
そんな風に兄を宥めながら、正直なところ僕はとても面食らっていた。一応過去に数人の女性と関係を持った経験があり、24歳という年齢でもあるのだし、はばかりながら、ここまで兄が初心だとは思ってもいなかったのだ。
思いがけない兄の反応に、今日はここまでにしておいてあげた方が良いかも知れないと思いながら、そのこめかみに唇をあて、兄が落ち着くのを持っていたところに、とつとつと兄が言い募る。
「・・・いい・・・。いい、から。俺なら平気だから・・・次は、どうすればいいんだ・・・・?」
その言葉に僕はカッと頭に血が上る自分を感じた。理性の糸が・・・・・・千切れてしまいそうだった。
お願いだから、これ以上煽らないで欲しい。このままいけば、愛しいあなたを引き裂いてしまいそうだ。
僕は兄の生身と鋼の両手を握り、その目を見ながら諭すように言った。
「無理なんかしなくていい。僕は何がなんでも、今すぐにでも身体を繋げなきゃいけないなんて思ってないよ。あなたがそんなに辛いなら、辛くなくなる日までちゃんと待つから・・・・・・。だから、そんなに無理しなくたっていい」
その僕の、兄の身を案じた為にこそ伝えた筈の言葉を、皮肉にも受け取った本人は曲解してしまった様だった。
見開いたあと、苦しそうに閉じた両目から涙をこぼしながら、兄は言ったのだ。
「やっぱり・・・、俺じゃ・・・・ダメか? 兄弟で、男で、こんな継接ぎと傷跡だらけの身体を愛すのはやっぱり、無理だったか・・・・・?」
「兄さんっ・・・・!待って!何を言ってるの・・・・っ!?」
そうか。兄は何も、初めてする同性とのセックスを恐れていただけではなかったのだと、ここにきてようやく僕は思い至った。
きっと兄はこんな風に情を交わすような場面で、自分の欠けた傷だらけの身体を僕の目にさらすことを恥じ、そればかりか負い目や恐れに近いものまでも感じていたのだろう。
いざコトに及ぶ段になってから、自分の体を改めて目にした僕の情欲が立ち消えてしまう事を恐れ、だからこそ、あらかじめ一糸纏わぬその姿を曝け出した上で誘ってきたのだ。
こんな身体でも、お前は欲しいと思うのか、と僕に問うかのように。
先刻の兄の、異常なほど緊張して全身を強張らせていた様子を思い返し、今になってようやくその原因を正しく理解した僕の胸の内には怒涛のような情動が未だかつてないほどに湧き上がってきて、その波に押し流されないよう、目を眇めどうにかやり過ごしていたのだが・・・・・・。
「ゴメン。ごめんな、アルフォンス。俺こそ無茶なこと言って、無理やり、こんなコトしようとしたりして・・・」
云いながらベッドからふらりと立ち上がり、ドアへと向かって歩き出そうとした身体を咄嗟に抱きとめた。
その途端、僕の中のどこかで、また、あの音がした・・・・・・・・。
そう、あの、心のタガを繋ぎ留めている糸が切れる音が。
兄さん。僕は言った筈だよね。いばらのお城に閉じ篭もらないで・・・・・・・って。