ふたりだけの真理N〜外された機械鎧

 

 


 

 

 

       

 「アルおかえり。今日は外、結構寒かったろ?夕飯出来てるけどどうする?先風呂入っとく?」

 

 

 僕が夜家へと帰り着き、玄関ポーチのドアへと近付いて、ドアノブに手をかけようとする、いつもそのタイミングで内側からドアが開かれる。特別僕の靴音が大きいわけでもないのに、どうして帰宅のタイミングが分かるのかはまったく以って不明だが、そうやって兄が毎日僕の帰りを迎えてくれるのは、今日で10回目だ。

 その兄が、“栄養失調と過労・過度の精神的ストレスによる摂食障害”と、研究所内の医局の医師に診断を下され、約2週間の自宅療養を言い渡されたのも、10日前。そう、呆れたことに兄は自宅療養1日目から、フラフラの身体で僕の帰りを出迎えてくれたのだ。ただでさえ、最初の2〜3日は『絶対安静!』と医師から厳重にお達しを受けていたにもかかわらずベッドから起きだしてきた兄を、当然僕は叱りつけたのだが、その僕の反応さえにも嬉しそうな表情を浮かべてにこにこと笑い返してくるのみだ。これは、僕の不在が余程応えた為だろうと思うと、そう強く叱る事も出来なくなってしまう僕だった。

 

 5日目からは、さらに制止の声をまったく無視してベッドから起き出すと、多少不手際ながらも昼間は掃除や洗濯、その他諸々の家の雑務をこなし、夕方になれば食事の支度をし、僕の帰りを待つようになった。加えて毎日の、この“お出迎え”だ。まるで、というよりも、そのまま新婚夫婦のようなこのありように僕がついそれを言うと、あろうことか兄は頬を真赤に染めた。てっきり冗談か鉄拳で返してくると思っていたのに。

 

 「         っるせー!お前の将来を考えて、俺は予行演習をしてやってるんだからな!そんな有り難い兄の愛をお前はそうやって茶化すのか!?」

 

本気で怒っている。

大体本当に新婚カップルの予行演習なら、もう少し艶っぽい行動が伴ってもいいだろうにと思わないではなかったが、僕は口をつぐんだ。

  なぜなら、くるりと踵を返した去り際に垣間見えた兄の表情に、悲しみの色が見て取れたから・・・・。

 

 その表情を、僕は最近見たことがあった。

 そうだ。これは、僕がマイラーと初めてあった日、彼女が当時恋人であった兄の心の所在について語った時の、あの諦めと悲しみ、何かを切望 するような切ない表情と同じものだった。


 兄は、何かを諦めようとしている。自分が欲してやまない何かを、まるで自身から無理やりに切り離そうとしているかのようだった。

 

 

 食事の後、二人そろってリビングのソファでゆっくりと過ごすのは、昔からの僕たちの習慣だ。最近、その習慣にわずかな変化があった。僕が違和感を覚えたのは、この家に戻った2.3日目かに、久しぶりにリビングで兄と寛ぐ時間を共有していた時だ。

 以前は、向かい合って置かれている3人掛けの方のソファに二人並んで座り、大抵兄は姿勢を崩し、僕の体に凭れ掛かりながら新聞や本などに熱中しているというのが常にある光景だった。でも今目の前にいる兄は、その3人掛けのソファで本を読む僕の隣ではなく向かいのスツールに座っていて、その手には、いつもあるはずの何かしらの本や新聞が見あたらない。その様子は“寛いでいる”というよりも“放心している”状態に似て、虚ろな視線は延々と窓の外に向けられている。そして時々、目線を寄越してくる気配を感じて兄の方を見た僕と目が合うと・・・・・・・ふ、と。伏目がちに、唇の両端をわずかに引き上げただけの、意味のない微笑をみせるのだった。以前の兄は、決してそんな笑い方をする人ではなかったのに。

兄の中で、何か大きな変化が起きているだろう事は明らかだった。そしてその変化は、決して好ましいものでは無いということも。

 

   

 僕は、その日の昼間、例の喫茶室で偶然にもマイラーと会い、そのまま一緒に昼食をとりつつ互いの近況をさりげなく交わしていた時の会話を思い出していた。

当たり障りのない話題の合間にふと思いつき、なぜ自分が兄とマイラーの交際に、半年もの間気付かなかったのか不思議に思っていた事を彼女に打ち明けたのだったが。他人事のように淡々と明かされた、兄と彼女との、恋人としてはあまりにも濃度の薄い、御粗末ともいえた日々に唖然とする僕をみて、マイラーは肩をすくめて言ったのだった。


 「エドワードの恋心は、いばらのお城で爆睡中なのよ。手を焼くだろうねぇ。王子様は」

 

 

  今になって僕は、なんとなく理解した。

兄とマイラーの恋人としての関係は、普通ではあり得ない程希薄なものだったということを。

僕が思うに、彼女は本来とても情にあふれる人だ。そんな人が、恋人とほんの僅かな時間の共有のみで、はたして満たされていたのだろうか。いや、そんな筈はない。自分との関係に対して希薄な、淡白な、執着心の殆どない兄に、彼女は合わせていたにすぎなかったのだろう。それが、兄に向けた、彼女なりの愛情の示し方だったのだ。そして彼女以外の、過去いたであろう恋人らしき者達との関係もまた、それに準ずるものだったに違いない。

 

  兄は、いまだ知らないのだ。

本当に、真実心から人を恋し、愛し、求め、欲する気持ちを。

激しい情動に駆られたり、独占欲に煽られ嫉妬に心を捩じらせたり、そのひとの存在すべてが狂おしいほどに愛おしく、その愛について想いを馳せるたびに胸に痛みを覚えるような、そんな愛を。

家族へと向けるそれと、本質的にはなんら変わることはなく、いや、むしろ時にはそれをはるかに凌駕するものを、兄は、この上なく厚みのない、いつでも替えのきく不安定な感情だと思い込んでしまっているのだ。

 

それだから、「愛している」と訴え続ける僕の言葉を受け取ることができないのではないか。

 

 

 

どうすれば、兄はそれに気がついてくれるんだろう。本当の“愛“は、もっと別なところにあるということに。

 

兄の中にも燻っているだろうその感情を、どうしたら兄本人が知る事ができるのだろう。

 

兄の心の所在を、その情愛の向く方向を僕は知っている。きっとこれは、間違いではないはずだ。

 

今、兄が切り捨て、諦めようとしているものが何なのか、もう僕には分かっていた。

 

それを、どんなふうにしたら兄から引き出す事が出来るのだろう。

 

言葉では、伝えている。想いを籠めていつでも見つめている。

 

どうすればその人を幸せにすることが出来るのか、考える。

 

きっとそれは、もう。

 

言葉ではなく、眼差しでもなく、その身体に触れることでしか伝えられないのだ。

 

 

 

 

 

  今日もまた、兄はいつものように内側からドアを開けて僕を出迎えてくれた。

 

  「今日はサーモンのグリルだぞ。腹減ってるだろ、お前・・・・・・」 
 「ただいま。兄さん」

 

  いつもはその後に、バスタブにお湯が張ってある事、食事を先にするなら手を洗う事などを言ってくる兄の言葉が、今日は途中で止まった。

 僕が家の中に入ってドアを閉じるなり、兄の体を腕の中に抱きこんだからだ。

 

 「ア、ル・・・・・?どうした?職場で何かあったのか?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「アル・・・・・・・?」

 

 最初は僕が何か職場で嫌な事があり、ただ甘えているだけだとでも思ったのだろうが、僕が兄の耳の付け根をそっと唇で愛撫した事で、その行動の意図を察すると、途端に激しく抵抗を始める。

 

 「アルッ!?何してる!?ふざけんなよっ!よせ!!駄目だ!」

 「あなたを、僕のものにするよ・・・・そうしなければ、きっとあなたはいつまでたっても僕の気持ちを認めることが出来ないだろうから」

 

 兄が僕の腕の中で、恐らく精一杯の力で逃げ出そうともがいていたが、僕は手を緩めなかった。 

  

「何言ってんだ!俺は兄貴だぞ!?それにお前と同じ男だ!」

 「あなたを、抱くよ」

 「・・・・・・・・・・・っ」

 ヒュッと、兄から上擦ったように息を吸い込む音が聞こえた。本当に芯から怯えているようだったが、僕もここで思いとどまるわけにはいかなかった。僕の真実の心を、兄に教え込まなくてはならないのだから。

 有無を言わさず、土嚢を担ぐように兄の体を肩に抱え上げ、そのまま僕の部屋まで連れて行く。

 

         逃がさない。逃げることなんて、許すものか。あなたは僕のものだ。

 

 

「やめろ!頼むから止めてくれ!アル、アルフォンス!俺はお前の兄貴でいたい!いやだ!」

 

僕の体の下で、滅茶苦茶に暴れてその行為を遮ろうとする兄は、本当に切羽詰って自分を見失っていたようだ。

 

兄はいつどんな時でも必ず、その機械鎧の右腕の動作には、これ以上ないくらいに気を配っていた。失くした手足を補う為、血を吐く程の痛みに耐え抜きようやくその機械の手足を自分の体の一部とする事が出来た当初、まだ兄は生身の手足だった頃の感覚でしか動く事を知らなかった。人の体の柔らかさと鋼で造られた手足の硬さのギャップをそうと意識できずにいた為、不用意に動いては傍らにいる人達の体のあちらこちらに大小様々な擦り傷や切り傷、痣などを作り、その度に一人こっそりと落ち込む。そんなことを繰り返しながら、やがて兄は、その機械の右手で血の通う全てのものに一切触れようとはしなくなったのだ。

 

かつての僕らは、非日常的な暴力に晒される事が常々あるそんな日々を送っていたのだが、その戦闘のさなか自分に危害を加えようとしてくる相手にさえ、そのむき出しの生身の部分を機械の右手で攻撃することは極力さけていた事を、僕は知っていた。

 

そんな兄が我を忘れ、その鋼の腕を振り回しながら逃げ惑っている。当然その凶器のような腕は僕の肩や腕に当たり、そして僕のこめかみを掠めては鈍い音をたてた。額から流れ出た血が、汗と一緒に顔の輪郭を下へとなぞるように移動し、それが雫となって兄の頬や、唇や、乱暴に肌蹴られた胸元にぽたり、ぽたりと落ちる。その感触に気づいたのか、それまで必死に抵抗するだけだった兄がはたと動きを止め、僕の血に濡れた顔を見上げ、その目を見開いた。


              鋼の手で傷つけてしまった・・・・。


 これから自分に陵辱まがいな行為をしようとしているその相手に、きっとそんな後ろめたさと後悔さえ感じているんだろう。なんて、愚かな人。  躊躇などせず、このままその鋼鉄の腕を振り上げ、殴りつけて逃げればいいのに。

なんて、馬鹿な人なのだろう。愛おしい人なのだろう          壊してしまいたくなる。

 

あなたが、いけないんだよ・・・・・・?

 

抵抗を忘れその動きを止めてしまった兄の体から手を離すと、胸の前で静かに両手を合わせ、その手を兄の生身と機械鎧の接合部分にあてがう。見慣れた青白い光りが一瞬走りそれが消えた後、兄の右肩から接合部分を分解された機械鎧の腕が、がしゃり、と思いがけないほど大きな音をたて、外れて落ちた。

 

 「アルッ!?アル、お前、なんて事・・・・・ッ!」

 

機械鎧を外した僕のその行動は余程兄の理解の範疇を超えていたのか、こんなにも狼狽え、怯える兄の表情を見たのは、おそらく初めての事だった。その目に恐怖の余りか涙さえ浮かべて、途端に自由の利かなくなった身体をよじるようにして僕の下から逃れようと必死にもがいている。以前の体格差が然程なかった頃ならまだしも、今の兄と僕とでは如何せんとても勝負になる訳がなく、いとも簡単に僕の手によってその無防備な身体をシーツに縫いとめられてしまう。

 

「うあっ、いや、いやだ!頼むから・・・・・!やめてくれ!アルッアル・・・・ッ!駄目だ!いやだ・・・・・っ」

 

もうこうなると兄は、背を反らし、首を激しく左右に打ち振り、強張った声で切れ切れに哀願するのみだ。

 

 「暴れないで、傷つけたくないんだ・・・!だから、おとなしくしていて」

 

言いながら今度は、左脚の機械鎧も分解して外し、かろうじて膝の部分に絡まっていたボトムと下着を一緒に取り去る。シーツの上に、欠けた手足で為す術もなく横たわり震えている裸体を、上からじっくりと眺めた。

 

 機械鎧の手術痕が痛々しい肩。抗い続けてきたせいですっかり上がった呼吸を繰り返すなだらかな胸部の線と、薄紅色のふたつの飾り。引き締まった腰周りは相変わらず細いままで、力を加減してやらなければ折れてしまいそうだ。そして、その中心の淡い金色の茂みに埋もれた果実のような象徴は未だ恐怖の為かひっそりと息を潜めたままでいる。 

 

僕の視線に気づいた兄が、涙で濡れた顔を逸らしてギュッと目をとじて懇願する。

 

「馬鹿・・・!なに見てんだ!見るな!アルッ、おい!・・・頼むから、見んな。見ないで・・くれ・・・」

 

巷説の通り、僕は今まで数え切れない相手と関係を結んできたけれど、女でも男でも、これほどまでに凄絶な美しさを持つ身体をみたことはなかった。

 

「にいさん、綺麗だ・・・・・とても。」

  「いっ・・・・・は、やめ・・・・・!」 

 

堪らない。

 

金の乱れた髪が纏わりつく首に、噛み付くようなキスをすると、敏感に反応を返してくる身体が、とても愛おしい。

 ちゅ、ちゅ、と音をたてて涙の伝うこめかみに、瞼に、頬にそして・・・・・・唇に、そっとキスをした。

もしかすると子供の頃にした事もあったかも知れないけれど、覚えてないから、あったとしてもノーカウント。だから、これが、


  僕と兄さんがする、生まれてはじめての口付けだ・・・・・・。

 

唇に触れた途端、兄さんの抵抗が止んだ。
 ぱたりと、力の抜けた手足を投げ出して、目を閉じて、まるで美しい人形のように横たわっている。僕は夢中になった。
 上下の唇を交互に僕の唇で愛撫すると、それまで頑なに閉じていた唇を、薄く開いてくる。まるで誘うようなその動きに導かれて、舌を差し入れ歯列を辿り、少し乱暴に唇を吸い上げてやる。でも、兄からの抵抗がまったくない。

 

「兄さん・・・・・・・?」

兄の様子を見ようと、一度唇を離そうとしたときだった。

 

離れかけた僕の唇に追いすがるように、兄が唇を合わせてきたのだ。驚いて硬直している僕にかまわず、今度は兄がその舌を差し入れてくる。その拙い動きが、熱い唇の柔らかさが、まるで夢のように感じられる。
  だけど、これはまぎれもない現実だった。

僕は自分の中にいる舌をからめとり、その人の項に手を添え引き寄せ、口付けを深くした。

  ひとしきり僕たちは、夢中でお互いの口を唇と舌とで愛撫し、愛撫され、感じあった。  

 

 

                       長い口付けのあと、乱した息で兄はぽつりと言った。

 

 

 

「・・・・・・今、真理を見た」

 

「え?」

 

 

「俺の・・・・中に、俺だけの真理を・・・・・・・見つけた・・・・・・・・」

 

   



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