ふたりだけの真理I〜大切なもの
俺の友人たちが口を揃えて言うことには、
『お前のオンナの趣味はマニアックだ』 だ、そうだ。
どいつもこいつも失礼な事ばかり言いやがってと思いつつ、はたと数少ない自分の恋愛遍歴を振り返ってみると・・・・・・・・確かに、人より多少変わったところはあったかも知れない。
例えば、オンナとしては異様に身長がデカかったり、ありえないくらいにマッチョな身体つきをしていたり、男の俺を軽々と抱き上げてしまうほどの怪力の持ち主だったり・・・・・・。だけど、多少色っぽさに欠けていても、いや、そんなものは爪の先ほど無かったとしても、人間味のある暖かい、おおらかな性格の優しい女。俺は昔から、この手の女にやたらと弱かった。
実際、今俺がつきあっているマイラー=フォーグルも、有り体にいえば“俺の趣味ど真ん中“そういうこった。
第2・第4土曜日の夜は大抵、特に用事がない限り、マイラーの部屋でゆっくりと過ごすのが、ここ半年の俺の習慣になっている。
なぜいつでもその日なのかといえば、マイラーが所属する格闘技愛好家倶楽部なるものに、俺がにわか指導員として顔を出すことになっている日だからだ。それが終わると、二人で帰りがてら食事をして、そのまま真っすぐマイラーの部屋に行く。このパターンは、すっかり慣習化していて、お互いこれからの予定を尋ねあったりした事は一度もなかった。
一般的な恋人同士が、どのくらいの頻度で逢瀬を重ねるのかは知らないし、個人差もあるだろうが、同じ研究所の建物内で毎日ではないにしろ顔を合わせて軽く会話を交わす以外に、共有する時間が一ヶ月にたったの2度・・・・・は、少ないよな?多分。
アイツはこれで平気なのか、それとも我慢して耐えているのか。マイラーの性格からすると後者は考えられないし、おそらくこれがそいつにとって自然なのかも知れないが、かくいう俺もこの現状で満足しているあたり、結局ふたりとも恋愛願望や性的な欲求が薄いタチだということなんだろう。
とにかく今日はその“いつもの日“ではないけれど、なんとしてでもマイラーの所に転がり込むつもりでいた俺は、その約束を取り付けようと、そいつが所属するデータ管理部門を訪れたのだが。
「あれ、エドワードさん?マイラーなら昼休憩ですよ。20分くらい前に出たから、まだ当分帰らないと思うけど。急ぎの用件ですか?」
大人の腰ほどの高さにまで積み上げられた書類が群立する混沌とした室内に、探し人の姿はなく、留守番役の研究員にそういわれてみてはじめて、今が昼時だった事に思い至る。やはり、今朝の一件の衝撃で、俺の脳は完全に腑抜けていたらしい。
心当たりをさがしてみる、とその研究員に軽く手を上げ礼を言い、おそらく隣の棟にある、研究所員達の間で『喫茶室』といわれながらも何故か定食メニューのやたら充実したあそこだろうと当たりをつけ、別棟へと続く渡り廊下に足を向けた。
いつもは閑散としている渡り廊下は、昼時とあって、件の喫茶室へ向かう者と、そこで食事を終えて帰ってくる者とでかなり混雑していた。
もしこの喫茶室にいなければ、この短い休憩時間内に他の当ても探さなくてはならない。かといって、ゆっくりとしたペースで進む周囲の人間達を掻き分けていく訳にもいかず、じりじりとしながら歩いていた俺の目に入ってきたのは、向こう側からこちらに向かって歩いてくるひときわ背の高い二人連れの姿だった。
弟のアルフォンスと、探し人のマイラー なぜこいつらが一緒にいるのだろうか?大体この二人は面識などなかったはずだ。と、すれば当然一緒にいる理由はおのずと限定されてくる訳で、きっとマイラーが今朝の一件を運悪く目にしてしまい、それを問いただしに弟の所へいったのだろうと推測できた。
だが、これは俺にとって非常に困った事態だ。なにしろ、よりによって探し人は今一番顔を合わせたくない人間といるのだ。これでは折角探し出したところで、声をかけることもままならない。
弟と顔を合わせて気まずい思いをするよりも、出直す手間の方が百倍マシだとばかりに今来た方向にくるりと向きを変えた俺だった。しかし、それから何歩か進んだところで後ろからガシッと力強く肩を掴まれて、やはり見つかっていたかと思わず柄の悪い舌打ちをした俺に、マイラーの穏やかな声が降ってきた。
「オイこら。今、逃げようとしてたでしょ?エディ?」
「 ッッッ!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
きっと・・・・、いや確実にマイラーは怒っている。それも、かつてない程に、だ。なぜなら普段は絶対に使わない、至極まれに睦言らしき事を囁いてくる時にしか使わない呼びかけ方で俺の名前を呼んだから。
そして、目を合わせないように視界の隅にいるアルフォンスの反応を覗き見れば、奴にしては珍しくも、あからさまにムッとした顔をしていて、何故かこっちはこっちで相当にご立腹な様子だ。
「・・・・何。お前ら・・・・怒ってんの?俺マジこえーんだけど」
未だ俺の肩を掴み続けているマイラーのデカイ手から逃れようと肩をそびやかすと、ただでさえ女離れした低い声にさらにドスを効かせてくるから、迫力も5割増しだ。
「ああ、悪いわね。今チョット・・・・というかかなり虫の居所悪いんだわ、私。だから、下手に抵抗しない方がいいかもねぇーエディ?」
・・・・・・抵抗って、抵抗って・・・・・。一体何されんの、俺?
「・・・・兄さん・・・・」
マイラーの脅しにすっかり押されている俺に、らしくなく、弱々しく控え目な声でアルフォンスが声をかけてきた。
「・・・・分かってると思うけど。今ね、マイラーと兄さんの事で話をしてたんだ。」
「それでね、できれば兄さんとマイラーと僕の3人で一度話をして・・・・・・」
「・・・何で弟のお前とマイラーが俺の事で話し合う必要があるんだ?お前は俺の保護者か何かか?」
我ながらなんて毒のある科白を吐いてるんだと、自己嫌悪に苛まれながらも、なんの前触れもなく湧き出てきた怒りにも似た感情に突き動かされるまま、アルフォンスに向かって言葉を叩きつけた。
なんで急に、こんな泣きたいような、逃げ出したいような、胸を締めつけられるような、どうしたってやり過ごすことなんか出来ない程の情動が湧き出したんだろうか。
意図的に隠していたつもりはなかったが、多分気づかれていなかったはずのマイラーの存在を弟が知ったから?弟の分際で、勝手に兄のプライベートな部分に踏み込んできたのが癇に障ったから?
そうだ、きっと。きっと、そうだ。
だから俺は、弟のアルフォンスに怒りを感じているんだ。と、まるで自分に納得させるように心のなかでそう繰り返し、(自分=アルフォンスの兄)AND(アルフォンス=俺の弟)と、錬金術の構築式を組み立てるように脳内に思い描き、何度もその図式を確認する。大丈夫、大丈夫、と。
朝のアレだってきっと、ただの弟の思い込みに違いない。日常生活における雑務諸々を自分ひとりでは満足にこなせない、未だに感情にまかせて喧嘩を買ったり売ったりしてる危なっかしい俺の面倒を見続けてきたせいで、庇護欲の旺盛な弟が恋愛感情と取り違えて混乱しているだけなんだ。
きっとそうだ。
それならば、まだ大丈夫。
俺はまだ、“弟”を失ったわけではない。
俺が・・・兄であるこの俺が、一時的な勘違いで自分を見失っている弟に引き摺られていてどうする?
俺までが、こんなに揺れたままの心でいてはいけない。
例えばこのまま引き摺られて取り返しのつかない結果になったとき、後悔して苦しむのは、きっと本心からそうした訳ではなかったと、後で気付くだろう弟の方だ。
それだけは、何としても避けなければならない。俺が、弟を護ってやらなければ。その代償に、俺の中にある大切なものの内で、“弟という存在”以外ならば、何をいくらでも差し出してもいい。
その存在がなければ、俺がこの世にいる意味すら、なくなってしまうから・・・。